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『六軒島の花嫁』 第六話です。
今回は豚骨ショウガさんが書かれています。
それでは始まります。










「………駄目です。やり直しを。」
「はい………。」

その無慈悲な言葉にがっくりと項垂れて、大ぶりの鍋を抱えながらとぼとぼと流し台に向かう夏妃。
そんな夏妃の姿にも全く動じることなく……たった今口をつけた小皿をテーブルに置く、ひとりの男性。
そして。

「それでは……2時間後、また味見に伺います。それまでに、スープを完成させてくださいませ。私はこれから、冬花と屋敷の掃除を行います故………失礼します。」
「はい……分かりました。」

背中を見せたまま、力無く頷く夏妃。「冬花」という言葉にびくんとその肩が揺れたが……それを見せないよう、わざと大きな仕草で。
ばしゃーっ!
鍋の中身を、流し台に向けて傾ける……たちまちその中身は、排水口にすっかり飲み込まれてしまう。
彼女が料理本とにらめっこしながら2時間以上かけて作ったスープは、こうして、わずか数秒の間に跡形もなく消滅してしまった。そのあまりのあっけなさに、再びがっくりと項垂れてしまう夏妃。
そんな夏妃に同情の視線を向けることすらなく、その男性は彼女の背中に一礼してから、この厨房を後にした。
さっ、さっ、さっ………。
その静かな足音が遠ざかったのを確認してから、再び深く息を吐く夏妃。
そして、先刻「彼」が浮かべた厳めしい表情をもう一度思い出し……また、項垂れる。
「彼」の名を、恨めしげに呟きながら。



「源次さん………あんなに厳しい人だったのね………。」










六軒島の花嫁


第六話「その居場所は誰のため?」






「つ、疲れた……………。」

どたん。
薔薇庭園前に設置されたベンチに無造作に腰掛け、ようやくひと心地つくことができた夏妃。相変わらず見事に咲き誇る薔薇の花々を見渡し、久し振りに笑顔を浮かべる。
さらさらさら………
午後の穏やかなひと時。少しずつ西に傾き始めた陽の光が、美しい薔薇に暖かく降り注ぐ。
緩やかな風が、夏妃の黒髪をかすかに揺らしながら流れていく。
右代宮家長男の妻が優雅に過ごす、ひと時の安らぎの時間―――であれば、随分とロマンチックな図(え)だったのだろうが。
現実はそんなに甘くも、ロマンチックでもなかった。午前中の厨房での数時間をまた思い出してしまい、再び顔をしかめる夏妃。この調子であれば、あと数年もすれば彼女の顔には、早くも立派な皺が刻まれることになるだろう。

「ひっ! それは…………嫌すぎます………!」

数年後の自分の姿を、今まさに想像したのだろう。夏妃はぶるぶると頭を振りながら、次は必ずや源次から合格をもらうのだと、勢いよく立ちあがりながら拳を固く握りしめて午後の青空に誓うのだった。
乙女の柔肌を、全力で守る決意をした彼女。その姿は、この上なく美しかった………。
しかし。

「はぁ………。」

今固めたばかりの拳を、へなへなと振り下ろしてしまう夏妃。再び力無くベンチに腰掛けて、愚痴のように呟く。その言葉を聞くべき相手は……今、この島にはいなかった。

「源次さん………どうやったら、あの人に認めてもらうことができるのかしら………。」

そう口にしてから、目を閉じる夏妃。この一週間、源次から聞かされた言葉を振り返る。

「駄目です。お館様も蔵臼さまも、このような味付けは好まれません。……やり直しを。
……冬花、夏妃さまにここのやり方をご説明しなさい。」
「駄目です。まだこんな所にチリが残っています。このような雑巾がけ、冬花なら30分とかからずこなしますぞ? ……やり直しを。」
「駄目です。まだ汚れがこんなに残っています。汚れたままの服を着せて、蔵臼さまに恥をかかせるおつもりですか? 冬花の洗濯のやり方を、よくご覧くださいませ……やり直しを。」
「駄目です。」
「やり直しを。」
「駄目です。」
「やり直しを。」
「駄目です。」
「やり直しを。」(以下無限ループ)


「……っ!! はあはあはあ………!」

この一週間のことを思い出しただけで、夏妃の額からは脂汗が噴き出し……そして彼女は、悪夢にうなされた朝のような、何とも言えない不快感に襲われるのだった。
そして、その度に引き合いに出される「彼女」の名前。夏妃は思い切り息を吸い込み、その名前を聞かなかったことにしようと、強く歯を食いしばった。
―――金蔵が蔵臼を伴い、東京へと旅立った日。「あの夜」の、次の日。
その日から………右代宮家の使用人筆頭である源次が夏妃の教育係として、彼女にこの島での生活の基本を教えることとなった。
熊沢や冬花では、どうしても同性ゆえの「甘え」が出てしまう。それに加え、金蔵からの厳命「夏妃を甘やかすな。他の使用人同様、働かせよ」という言葉により、源次が直々に夏妃の一挙手一投足にまで目を光らせることとなった。夏妃にとっては、まさに災難である。
なにしろこの男、「融通」や「ごまかし」とは全く縁のない人生を送っている。良く言えば「実直」、悪く言わずとも、普通の感覚の持ち主なら「愚直が服を着て歩いている」と形容するであろう、そんな男。
確かに誰もが一度は「そんな風に生きられたら」とは思っても、現実の社会ではとても貫き通せそうにない生き方。そんな人生を、呂ノ上源次という男は堂々と、誰の顔色をも窺うことなく歩んでいた。
……おまけに、この一週間、夏妃は源次の笑顔すら見ていない。冷淡に(少なくとも、夏妃の目からはそう見えた)夏妃に「駄目」を押す。冗談や軽口にも、一切付き合わない。
(この人は、何を楽しみにして生きているのだろう………。)
一週間しごかれ続けた恨みも混じっているとは言え、夏妃のこの疑問は、この源次という男と接した者であれば誰でも抱く疑問には違いなかった。
だが、それを実際に口にする者はいなかった。そして夏妃も、それを源次に問う気持ちにはならなかった。
………それは、美しいから。
彼のその凛とした、真っ直ぐな生き様が………彼と接する者すべてに、そう思わせるから。
だから夏妃はこの一週間、がむしゃらに頑張ってきた。西洋料理の経験などほとんどないことも、言い訳にはしなかった。家事や洗濯の経験がなくとも、源次に何度「やり直し」を命じられても……必死に食らいついてこられた。
「この人に認められたい」、その一心で。

「お前はただ、子を産めば良い。それ以外に価値はない」
「君は………何のためにこの島に来た!? 俺の子を産むためではないのか!?」


あの言葉を、忘れたわけではない。今も夏妃の心に深く刺さったままの、大きな大きな棘。「あの夜」のことを思い出すと、今でも彼女は泣きたい気持ちになる。
蔵臼があの時自分に背を向けて、小さな声で放った言葉。
そして………部屋を去る時の「済まなかった」という台詞。
あの時から、夏妃の蔵臼への感情は激しく揺れ動き続けている。
嫌いなのか。
もう顔も見たくないのか。
謝りたいのか。
謝ってほしいのか。
好きなのか。
否か。
樹海に置かれたコンパスのように、彼女の気持ちは頼りなく揺れ続ける。
くるり、くるりと。
―――だから、彼女はこの一週間、蔵臼のことは「忘れた」。
否、正確な言い方をするならば、「蔵臼のことを考える余裕はなかった」というべきか。
この島で、まずは自分の居場所を作ること。その最初の目標こそが、「源次から合格をもらうこと」。それだけを考え、夏妃はこの一週間を過ごしてきた。
……蔵臼は、明日の便でこの島に戻ってくる。彼とのことは、それから考えればいい。
夏妃は、いつの間にかそう割り切ることのできた自分に少し驚きながらも……その結論が決して悪いものではないだろうと思い……微笑んだ。
そして、おもむろに立ち上がる。
休憩時間もそろそろ終わる。彼女は再びその表情を引き締めると、心持ち大股で屋敷へと向かっていった。
『何故、彼が気になるのだろう?』
蔵臼がこの島を発った日に抱いた疑問だけを、今のところは、置き去りにして。
あの時蔵臼が呟いた人物の名を、今のところは、思い出さないようにして。









かちゃ、かちゃ。
冬花と熊沢が、テーブルのティーカップを手際よく片付けていく。
無意識のうちに冬花を視界から遠ざけつつ………夏妃はまたも落胆の表情を浮かべた。食後のティータイムも、彼女にとっては心休まる時間とはならず……彼女は、この日何度ついたかもう数える気にもならない溜め息を、もう一度吐き出した。
……結局この日の夕食でも、夏妃の作った料理がテーブルに載せられることはなかった。
これで、一週間連続。
今日も、夏妃が悪戦苦闘してやっと作り上げたスープを「駄目です」の一言で切り捨てた源次。蔵臼が戻ってくる明日までに、せめて一度だけでも源次に評価されたいという夏妃の努力は、結局は報われなかった。そのことを思うと、夏妃は己の未熟さをこれ以上なく悔しく思うのだった。
ただ結果が欲しかったわけではない。それまで頑張った過程を、少しでいいから認めてほしかった。それは、確かに彼女の思いのひとつ。
でもそれも所詮、ただの言い訳。結果に結び付かない過程など、何の意味もない。少なくとも蔵臼は、そういう世界で生きている男。そして自分は、その男の妻。「頑張りを認めて欲しい」などと甘えた言葉を吐くつもりはさらさらない。……それも、確かに彼女の気持ち。
そう。この程度のことで音をあげるような人間には、この島で生きる価値などない。自分は今、試されているのだ。この島で生活することが許されるのか、否か。それは、自分が蔵臼に対して抱いている感情とは別物。
ならば……負けたくはない。絶対にこの試験を、突破してみせる。
そう思い直し、改めて決意を固めて席を立とうとする夏妃。これから、蔵臼と自分の寝室の掃除をするつもりだった。今度こそは源次さんに褒められてみせる! と、背景に燃え上がる炎が見えるかのごとき気合いを迸らせている。
……と、そこに。

「あ、夏妃ねえさん! 今いいっスか?」
「留弗夫くん……? どうしたの?」
「いや、ねえさんとちょっと話したかったんス! だって、この一週間ずっと源次さんにしごかれっぱなしで、なかなか話もできなかったもんでね。いっひっひ~!」

そう言いながら、いつの間にか夏妃の隣の椅子に腰掛けて人懐っこい笑顔を振りまく留弗夫。
夏妃はそんな留弗夫の隙のなさに苦笑しながら、一度は浮かせた腰を再び椅子に戻した。少しくらいなら息抜きも悪くはないだろうと思い直したのか……彼女の顔には、久し振りの笑顔が浮かんでいた。いや、その笑顔はきっと「留弗夫のおかげ」なのだろうが。
実際、夏妃は蔵臼の兄弟の中で、留弗夫と接する機会が最も多かった。
一番下の楼座は、初日の顔合わせ以来、どことなく夏妃を避けるような素振りを見せるようになった。それを敏感に察した夏妃も、楼座に対してどことなく遠慮をするようになり……今では、ほとんど会話らしい会話を交わさなくなってしまった。
そして、絵羽に関しては………もう問題外と言ってよかった。
何しろ。

「………すんませんね、夏妃ねえさん。
あのバカ姉貴、ずっとメシを自分の部屋で食ってるんですよね………俺がどんだけ言っても、絶対に聞いちゃくれないんです。兄貴が帰ってきたら、ガツンと怒ってもらいますんで……勘弁してください。」

神妙にそう言って、申し訳なさそうに頭を下げる留弗夫。夏妃も何と言ってよいのか分からず、不自然に愛想笑いを浮かべることしかできなかった。
あの客間での顔合わせ以来、絵羽はこの食堂で食事を取っていない。朝晩の食事は、すべて自分の部屋に運ばせている。それは………絵羽の、明確な意思表示。
「夏妃の顔など見たくもない」
事実、この数日間夏妃は絵羽の姿すら見ていない。大きいとはいえ、一つ屋根の下で暮らす人間の暮らす家で。それはもう、彼女のこれ以上ない程の拒絶のメッセージとしか考えられなかった。
―――夏妃にとっては、そんなことはもうどうでもよかったのだが。

「いえ、気にしていません。というより、今留弗夫くんから聞かされるまで、絵羽さんがこの家にいることを忘れていました。ふふふ………!」
「へ……………?」

狐につままれたような顔で、夏妃の顔を見上げる留弗夫。夏妃の表情は、相変わらず微笑を浮かべたまま。その笑顔は強がりでも嘘でもなく……本当に今の今まで絵羽の存在を忘れていたことを、何よりも雄弁に語っていた。

「ぶっ………あはははは! こりゃあいいや! 姉貴ざまあみろwwwww 夏妃ねえさんはバカ姉貴の強がりなんてアウトオブ眼中だってよ!! こりゃあ傑作だ! 姉貴涙目ww ぎゃははは……!」
「留弗夫くん、笑い過ぎですよ? あ、このこと絵羽さんに話したら駄目ですからね? ふふふ……!」
「オッケーオッケー! というか話さない方が面白いっスよね! 今頃姉貴、夏妃ねえさんがしょんぼりしてると思ってるに違いないですから……面白いんでそのままにしときます! あ、後で冬花さんには言っときますね! まああの人のことですから、姉貴がふてくされてるの見て楽しんでると思いますけど! ははははっ……!!」

腹を抱えて爆笑する留弗夫を眺めながら、つられてまた笑ってしまう夏妃。そして最後に登場した人物の名前に……ほんの少し、表情を曇らせた。無意識のうちに。
実際、夏妃は絵羽の存在をこの数日間の間完全に忘れていた。初日のあの仕打ちは確かに衝撃的であったし、あの時感じた屈辱も忘れることはできなかった……最初の何日かは。
しかし、源次に指示されて毎日忙しく動き回っているうちに、彼女の頭の中で絵羽の存在は完全に消えていた。忘れようと思って忘れたのではなく、ごく自然に。
今留弗夫から絵羽の名前が飛び出さなかったら、きっと今日も明日も夏妃は絵羽の存在を忘れたままだっただろう。きっとそのことを知ればまた絵羽が激怒するに違いなかったから……夏妃はもう一度、留弗夫に念を押した。
そして、やっと笑いの波が収まったらしい留弗夫が、しみじみと話し始める。

「まったく、あのバカ姉貴は………お袋の入院のことくらいであんなにキレるなんて、まったく子供っスよね。少しは兄貴の落ち着きを学んでほしいもんですよ……ホント。」
「え……? 入院って……お義母様、お身体を悪く………?」
「…………………………あ。」






留弗夫の表情が、一瞬で青ざめる。
この快活で素直な少年にはあまりにも不釣り合いな、後悔と困惑の表情。
その顔には、誰が見ても分かるように、こう書かれていた。
――――――「しまった」、と。






「………留弗夫さま。そろそろ、お部屋に戻られませんと。先程、『学校の宿題がたくさん出た』とおっしゃっておられたかと存じますが………。」
「あ、源次さん……。
あ、そうだった! 忘れてたぜ!! 今日、死ぬほど宿題が出たんだった! ちくしょう、大月の野郎……ワケ分かんない宿題を山ほど出しやがって……! 何だよ、『魔女についてレポート書け』ってよぅ……!
そんな訳で、ごめんな夏妃ねえさん! 俺、もう部屋に戻るから。じゃあな!」
「………あ。」

夏妃が何か言おうとする前に、踵を返した留弗夫が食堂を去っていく。
恐らくは学校の担任であるだろう人物の名前を、何度も口にしながら。
まるで、何かから逃げるかのように、
大股で。早足で。
そしてこの食堂には、呆気にとられた夏妃と、静かに瞑目したままの源次だけが残された。
夏妃は無駄と知りつつ、源次に問う。

「あの……お義母様、は………?」
「その問いにお答えすることは、私には許されておりません……申し訳ございません、夏妃さま。」

すっ。
夏妃の予想に寸分も違うことなく、深々と一礼する源次。
……この一週間源次と接してきた夏妃には、その行為が決して自分への悪意から生じるものではないことを理解していた。
彼は「話さない」のではない。「話せない」のだ。どこまでも自分の役目に忠実で……決して自分の役割を踏み越えた行動を取らない。だから、今の夏妃の問いにも「答えられない」。
どこまでも、使用人としてのスタイルを崩さない。彼曰く、自分は「家具」。それが、彼のこの島での「居場所」。
彼がどんな人生をこれまで歩んで、そのような自虐的な結論に至ったのか……夏妃には分からない。否、「自虐的」と断ずることすらも。
彼のこれまでの人生を知らない者が口にして良い言葉では、恐らくないのだろう。だから、夏妃は源次のその行動を、ひとまずは受け容れることにした。
金蔵の妻のことを知りたいという気持ちは、もちろんある。初日の顔合わせの時の、絵羽の激烈な反応。今の留弗夫の不自然な退室。そして……事実を知っているであろう源次の、この返答。何もないと考える方が、どうみても不自然。
しかし今の夏妃にとっては、それよりも優先して考えなければならないことがあった。
まずは、源次に認められること。
そして……明日この島に戻ってくる蔵臼と、もう一度、向き合うこと。
だから、夏妃はこれ以上考えることを止め、頭を下げたままの源次にこう告げる。

「分かりました……そのことは、いずれその時が来たら、ということですね? 源次さん。」
「夏妃さま………?」

あまりにあっさりとした夏妃の答えに、思わず顔を上げた源次。しばらく夏妃の表情を―――といっても、ほんの1、2秒のことだったのだが―――覗き込むように見る。
そして。

「ありがとうございます、夏妃さま………。」
「それでは、今日はこれで。明日は蔵臼さんも戻られますので………これから、寝室の手入れをしておきますね。」
「はい、それでは………。
あ、夏妃さま、恐らく今頃、冬花が………」


―――まただ。
また、「彼女」の名前を聞く。その度に、自分の体温が一度ずつ上昇しているように夏妃は感じた。
感情の動きを悟られないように、ごく軽く呼吸を整えてから源次に問う。

「冬花さんが、どうかしたのですか?」
「……………いえ、何でもございません。それでは、行ってらっしゃいませ。」

何かを言い掛けて途中で止めた源次に見送られ、首をかしげながら食堂を後にする夏妃。
そんな夏妃の後ろ姿を、無言で見つめる源次。そして……彼もまた、この食堂を離れてこれからの仕事、「夜の見回り」に向かう。
その足取りは、いつもどおり。何の迷いもなく。静かに……静かに。

















「あ……夏妃さま。」
「冬花、さん………ここで、何を?」

蔵臼と自分の寝室。その前に立っているのは……冬花。
いつものように、その整った顔にうっすらと微笑を浮かべて夏妃に一礼する。その優雅な仕草は、いつ見ても惚れ惚れするほどに美しい。きっとこの島で彼女に好感を抱かない人間は、誰もいないだろう。








夏妃以外は。








もう一度、夏妃は繰り返す。
数日振りに抱く感情に飲み込まれないように、冷静になれと、何度も何度も己に言い聞かせながら。


「ここで……………何を?」
「はい。明日、蔵臼さんが戻られるということを聞きましたので、差し出がましいかとも思ったのですが………お部屋を、掃除させていただこうかと思いましたものですから……。」


この部屋の主の一人である夏妃の許可を得るために、部屋の前で待っていた。
冬花はそう淀みなく答えてから……いつものように微笑みを浮かべて、夏妃の返答を待つ。先程源次が言い掛けたのはこのことだったのかと、夏妃は心の中で源次に恨み事を言う。
冬花がいると分かっていたら、もっと心の準備をしておいたのに。
―――彼女は。
冬花は、知らない。
「あの夜」のことを。
蔵臼と自分が互いのエゴをぶつけ合い、互いを傷つけた、あの夜のことを。
それは、私の所為? 蔵臼さんの……所為?






いいえ。

冬花さんの所為。








「………必要ありません」

「え……? 夏妃さま、今何と………?」


この人は。



「………………必要、ありません。」
「夏妃さま………? 申し訳ありません。よく、聞き取れなかったもので……。」


私の居場所を。
この島での、私の居場所を。




『駄目です。お館様も蔵臼さまも、このような味付けは好まれません。……やり直しを。
……冬花、夏妃さまにここのやり方をご説明しなさい。』

『駄目です。まだこんな所にチリが残っています。このような雑巾がけ、冬花なら30分とかからずこなしますぞ? ……やり直しを。』

『駄目です。まだ汚れがこんなに残っています。汚れたままの服を着せて、蔵臼さまに恥をかかせるおつもりですか? 冬花の洗濯のやり方を、よくご覧くださいませ……やり直しを。』




「必要ないと言っているじゃないですか!!!!!」

「な……夏妃さま……。」


奪おうとしている。




「…………また、冬花に叱られてしまうな。『女房のエスコートもまともにできないようでは、ろくな男になれない』………か。ははっ、情けない………。」




「も、申し訳ありません……夏妃さま。使用人の分を弁えず、勝手なことを……!
本当に、申し訳ありませんでした………。」
「…………………………。」

何度も何度も、謝罪の言葉を口にする冬花。
夏妃の耳には、そんな冬花の言葉など、ただの一言も届いてはいなかった。
彼女から顔を背け、早くこの場所から去れと……その全身で伝える。それを理解した冬花は、最後に消え入りそうな声で、もう一度「申し訳ありませんでした……。」と告げてから、とぼとぼと部屋の前から去っていった。
そして、その後ろ姿を、見届けることすらなく。


ばたん!!


勢いよく扉を開き、ベッドに倒れ込む夏妃。
その目には、この島に来てから………もっとも強く輝く、光。
今、彼女は理解した。
否、今まで、気付いていない振りをしていた。
この一週間、忙しさの中に誤魔化して。
「この島に自分の居場所を作る」などと、もっともらしい言い訳を掲げて……逃げてきた。
この感情から。





「私………冬花さんに……………嫉妬、している……………!!」





夏妃はこの島に来て初めて、自分の感情に正直に向き合った。
そして、強く強く願う。



明日は、蔵臼がこの部屋に来てくれることを。
彼と、同じベッドで、一夜を過ごせることを。
『何故、彼が気になるのだろう?』
その自問に、未だ答えを出せていないというのに。
明日、蔵臼とどう向き合うべきか。そのことにすら、まだ何の覚悟もできていないというのに。











<つづく>




2010.02.09 Tue l うみねこ l コメント (0) トラックバック (0) l top

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