六軒島の花嫁 続きが完成しました
第三話になります 
今回話は豚骨ショウガさんが書きました

それではお楽しみください













ふらり。

「――――――危ない、しっかり立ちたまえ。」

「あ……ご、ごめんなさい………」

この島に降り立った時と同じように、ふらついた夏妃の身体が助け起こされる。いつの間にかこちらに来ていた蔵臼が、間一髪のところで夏妃の右腕を掴み立たせた。

「源次さん、ご苦労だった。厨房に戻って、今夜の晩餐の準備を頼む。」

「はい……蔵臼さま。それでは夏妃さま、失礼致します。」

丁寧に一礼し立ち去る源次。しかし、夏妃は何も声を発することもできず、去ってゆく源次の後ろ姿をただ見送った。そして彼女の全身は小刻みに震えていて……その震えを掴んだ右腕から直接感じ取った蔵臼は、小さく息をついた。
そして。

「………夏妃。
兄弟たちへの紹介は後にしよう。今は少し……休みたまえ。」

そう呟く蔵臼に、夏妃は思わず彼の目をまじまじと覗き込んでしまった。咄嗟に踵を返し、夏妃の視線から逃れる蔵臼。
まだ彼と出会ってから数時間も経っていなかったが……目の前のこの青年が、そんな気遣いをする人間とは思えなかったから。今までのやり取りから考えても、蔵臼のこの言葉は、夏妃にとって完全に予想外だった。

「ありがとう……ございます。でも、お気遣いは無用です。
あなたの兄弟たちは、全員客間で私たちのことを待っているのでしょう? これ以上待たせるわけにはいきません。さあ………行きましょう。」

「………分かった。では、客間に行こう。」

気丈にも微笑を浮かべて、蔵臼の提案を柔らかく退ける夏妃。一時の気まぐれかもしれないが……自分に対し気遣う言葉をくれた蔵臼に対して、ほんの少しだけ好感を持ち始めたのを、彼女自身感じていた。
夏妃の言葉に素直に応じる蔵臼。彼女を従え歩き出そうとして……一度だけ、後ろを振り返る。
その視線は、夏妃に向けられたものではなく―――夏妃を通り越して、先刻彼女が出てきた扉に向けられていた。
右代宮家当主、右代宮金蔵の部屋に。
その視線に気付いた夏妃が蔵臼に声を掛けようとして………何も、言えなくなった。


怒りが。
悲しみが。
喜びが。
恐怖が。
嫉妬が。
羨望が。
愛情が。
―――――――――憎しみが。


すべての感情を綯交ぜにしたような視線が、右代宮金蔵の部屋に。
………否、右代宮金蔵に、向けられていたから。









六軒島の花嫁

第三話 「はじめまして」











かつ、かつ、かつ………
二人分の足音が、静まり返った廊下に響く。
窓越しに見える風景は暗闇に包まれている。既に日は水平線に沈んでしまったようで、この孤島にも夜の帳が下りようとしていた。
数歩前を歩く蔵臼の背中を見つめながらついていく夏妃。その表情に刻まれた疲労の色は濃い。先刻は蔵臼の申し出を断ったが、その内心は「もう休んでしまいたい」というものに違いなかった。
慣れない船旅。朝から張りつめ続けた緊張。今日初めて出会った、一生を共にする人間……もちろん、それもあるだろう。
しかし……彼女がここまで疲労困憊している、一番の理由。それは。

「お前はただ、子を産めば良い。それ以外に価値はない」

右代宮家の当主。
右代宮金蔵から告げられた、己のこれからの人生。存在価値。
結婚して妻になる以上、夫のために……そして、この家のために尽くしていきたい。その気持ちに嘘はない。たとえ、自らの意に沿わないこんな形の結婚であっても………幸せに、なりたい。
この一心で、夏妃はこの結婚話を知らされてから今日までの数週間を耐えてきた。彼女とて年頃の少女。恋愛や結婚に夢を抱くことの何が悪いというのだろう。本当に好きな男性と子供に囲まれて、皆に祝福されて幸せに暮らす……そんなお伽話のような将来を夢見た彼女を、どうして責めることなどできよう。確かに、産まれた家の格からして……自分が政略結婚に利用される可能性というものも、彼女は覚悟はしていた。
だが、覚悟するのと実際に味わうのとでは、天と地ほどにも違う。夏妃はこの時、痛いほどこの事実を噛みしめていた。
「お前はただ、子を産めば良い。それ以外に価値はない」
思い出すまいとしても、思い出してしまう。いや、もう既にこの言葉は、夏妃の心の奥底に棲みついてしまったのかもしれなかった。
「お前はただ、子を産めば良い。それ以外に価値はない」
部屋を出た時、蔵臼に優しい言葉を――ほんの気まぐれの言葉だったとしても――掛けられていなかったら。
初めて言葉を交わした時のように、物を見るような目で見られていたなら。
「お前はただ、子を産めば良い。それ以外に価値はない」
夏妃の心は、たった一日で深く傷つき、取り返しのつかないことになっていたかもしれなかった。そんな彼女の心を一時でも救ったのが、その男の息子とは……自嘲の笑みで自らの唇が醜く歪むのを、彼女は自覚していた。
「お前はただ、子を産めば良い。それ以外に価値はない」
「お前はただ、子を産めば良い。それ以外に価値はない」
「お前はただ、子を産めば良い。それ以外に価値はない」
「お前はただ、子を産めば良い。それ以外に価値はない」
―――――――――






「待たせたな。彼女が今日から私の妻になる、夏妃だ。
……夏妃、私の兄弟だ。出来の悪い弟と妹だが、仲良くしてくれたまえ……頼むよ?」

「あ、あの、皆さん………夏妃、です。これからは、蔵臼さんの妻として、頑張っていきます。
よろしく、お願い、します………。」

隣に立つ蔵臼に肩を叩かれ、ぎこちなく頭を下げる夏妃。蔵臼に促され、ソファに腰を下ろす。
………気を抜くと、そのまま眠ってしまいそうなほどに身体が重い。襲いかかってくる眠気に必死で耐えながら、彼女は向かい合って座る夫の弟と妹に視線を向けた。
彼らに気に入ってもらえるよう、愛想笑いを浮かべながら。
自分はいったい何をやっているのかという自虐的な思いを、精一杯押し殺しながら。
……右端に腰掛ける少年が、にこやかに立ち上がって。


「いっひっひ! 何かこういうの緊張しちまうな! さくっと終わらせようぜ、さくっとよ!
というか兄貴ィ、スゲエ別嬪さんじゃねえかよ? うらやましいね、ったくよ~!
……あ、夏妃さん、はじめまして! 俺、留弗夫(るどるふ)っていいます。15歳、中学三年で~す!
ひでえ名前だろう? まったく、こんな西洋かぶれな名前をつけるなんて……ウチの変態親父は何考えてんだか………あ、今の内緒っスからね!? あの親父、一度キレちまうと見境ないんスから……!」

「ぷっ……くすくす………はい、分かりました留弗夫くん。これから、よろしくお願いしますね?」

「は……はいっ! よろしくお願いしまっす!!」


頬を赤らめて威勢のいい返事をしながら、腰を下ろす少年。
黒の学生服姿がとてもよく似合う。学校でも、その明るさできっと人気者なのだろう。夏妃は、留弗夫と名乗った少年の快活さと素直さに好感を抱いた。
夏妃の視線に耐えられないのか、留弗夫はさらに顔を真っ赤にして俯いてしまう。そんな留弗夫に、隣に座る蔵臼も耐えきれず笑いを洩らした。もっとも、夏妃の笑顔とは違い、からかうような笑みではあったが。
くるくると変わる留弗夫の表情を見ているのが楽しくて、それまでの重く沈んだ気持ちが幾分か和らぐのを感じていた夏妃だったが………留弗夫の隣に座る少女の険しい視線に、その緩んだ表情を再び引き締めた。
―――そう。
この客間に一歩足を踏み入れた時から感じていた、あからさまな敵意。
夏妃に突き付けられたままの、氷のように冷たい視線。
その視線は時折隣の蔵臼にも向けられたが……彼に対しても、同様にその視線は厳しいものだった。


ゆらり。


「……………………………絵羽。17歳。高校二年。」


すたん。



彼女の一言で、客間全体が凍りついたように静まり返った。
セーラー服の似合う可憐な少女は、お世辞にも可憐とは言えない冷めきった無表情でソファに座り直した。蔵臼のたしなめるような視線も、どこ吹く風とばかりに受け流している。
そして、テーブルの紅茶に口をつけてから……再び、夏妃に冷たい視線を向け始めた。

「……………………よろしく、絵羽さん。
私のひとつ下なんですね。これからは、私を本当の姉だと思って、何でも言って下さいね?」

「………ふふっ。何? 今日初めて会った人間に『何でも言って?』ですって? あなた馬鹿ですか? 
私があなたの何を知っていると? 
あなたが私の何を知っていると?
出来もしないことを適当に言いなさんな。
……蔵臼兄さん、同情するわ。
こんな人と一生添い遂げないといけない兄さん、本当に可哀想。こんな女さっさと捨てちゃえば「………絵羽。彼女への侮辱は、この私への侮辱だ。いい加減に、そのだらしない口を慎め。」

「……………嫌ねぇ、蔵臼兄さん。そんなに怒らなくったっていいじゃないのよォ? 
『夏妃ねえさん』だってびっくりしてるじゃない? ねえ、『夏妃ねえさん』?」

「え、ええ……蔵臼さん………私は気にしていないから、その辺で………」


わざとらしく「夏妃ねえさん」と強調しながら卑屈な笑顔で夏妃に笑い掛ける絵羽。自分の暴言を反省しているとはとても思えないそのわざとらしい演技に、内心怒鳴りつけたい気持ちでいっぱいだったが……ここで感情を爆発させては、蔵臼に恥をかかせてしまう……そう思い直し、何とか笑顔を装って蔵臼をなだめる。蔵臼も、本気で妹を叱るつもりはなかったらしく、むっつりと押し黙ってソファに腰掛け直した。

「あ~、すんません夏妃ねえさん……この馬鹿姉貴、ねえさんが綺麗なんで嫉妬してるだけなんス。勘弁してください!」

何故か、頭を下げて夏妃に言い訳を始める留弗夫。そんな留弗夫の頭を「誰が馬鹿姉貴よ!!」と叫びながらひっぱたく絵羽。そんなやりとりを見て、夏妃はこの部屋の空気が少しだけ緩んでいくのを感じていた。
ひとしきり絵羽と留弗夫の喧嘩が終わったところで……左端にちょこんと腰掛けた少女が静かに立ち上がり、おずおずとその小さな口を開いた。

「あ、わたしは……楼座(ろうざ)っていいます。9才。小学三年です。よろしくおねがいします。」

そう淀みなく自己紹介し、頭を下げて再び腰掛けた少女。蔵臼と同じ色の髪を、腰まで届きそうなほどに伸ばしている。
……留弗夫よりも絵羽よりも、ずっと礼儀正しく洗練されたその少女の立ち居振る舞いに、夏妃は圧倒された。自分が9才の頃と比較しても……楼座というこの少女の方が、ずっと大人びた印象を受ける。
しばらくの間言葉を失っていた夏妃だが、楼座の真っ直ぐな視線に慌てて自己紹介をする。

「あ……はい、よろしくね、楼座ちゃん。」

「……はい、よろしくお願いします。夏妃お姉さん。」

遠慮がちに微笑む少女に、夏妃も笑顔を返す。

「まったく、生意気なガキよね。そんなんだから苛めたくなるのよ。ねえ、留弗夫?」



………絵羽の呟きは、隣に座る留弗夫にだけ、届いた。
留弗夫は、それまでの人懐っこい表情を一瞬だけ失い、微かに頷いた。



「……それでは、食事としよう。大分遅い時間になってしまったが……食堂でもう準備ができている筈だ。夏妃……食事を終えたら、もう風呂に入って休むといい。細かいことは、明日からでいいだろう。」

「はい……ありがとうございます。」

感情を込めずに、事務的な口調で夏妃に指示を出しながら立ち上がる蔵臼。
素っ気ない口振りだったが……第一印象が最悪だった分、夏妃にとってはそんな何気ない気遣いが嬉しかった。蔵臼本人はそんなつもりで言ったわけではなかったのだが、先刻の絵羽という少女の心無い発言を叱った時のこともあり、夏妃は心の中で、これから共に生きていく右代宮蔵臼という人間への認識を少し改めることにした………もちろん、良い方向に。
夏妃が返事をするのとほぼ同時に、留弗夫がもう夕食を待ちきれないといった様子で立ち上がる。そんな弟を呆れたように睨みながら立ち上がる絵羽。そして端に座る楼座も、ゆったりとした動作で立ち上がる。夏妃はその3人を交互に眺め……大げさに見えないようにふうと嘆息した。
(それにしても………この兄弟たち、一人ひとりが全然違うというか、個性的というか……。留弗夫くんとは上手くやっていけそうだけど、絵羽さんは………。楼座ちゃんも、何だか独特な雰囲気があるわね………この3人、母親からどういう風に育てられたのかしら……………え?)

そこまで自問して。
夏妃はようやく、違和感に気付いた。


「あ、あの……蔵臼、さん………。
お義母さま、は………どこにいらっしゃるのですか? ご挨拶をしないと……………。」


「………………………………。」







蔵臼の沈黙の意味が、分からない。
自分は、そんなに場違いな質問をしたのだろうか。そう思い直すが……どう考えても、今の自分の問いは自然なものだった。
六軒島の右代宮金蔵といえば、今の社交界では知らぬ者はほとんどいない程の実力者。その妻が亡くなっているという話は誰からも聞いていないし、この結婚話があった時にもそんなことは一言も言われなかった。病に倒れているという話も、もちろん聞いてはいない。
だから。
蔵臼が背中を見せたまま押し黙るのも。
留弗夫が気まずそうに視線を天井に彷徨わせるのも。
絵羽が怒りを露わにして夏妃を睨みつけるのも。
………楼座が、蝋人形のような無表情で夏妃を見つめるのも。
夏妃にとっては、まったく理解のできないことだった。たとえ亡くなっていたとしても、それを自分に隠すのはどういうことなのだろうか。ましてや、自分は今日から右代宮家長男の妻となる身。それなのに―――

「どうして……何もおっしゃって下さらないのですか? お義母さまは………どちらにいらっしゃるのですか? 
も………もしかして、私のことを………気に入って下さらないのでしょうか「べらべらとよく口が回るわね、この馬鹿女。『沈黙は金』って、その下賤な実家で教わらなかったの? ………身の程を知れ、所詮片翼の鷲すら与えられない婢女(はしため)。」

「な……………!?」

―――先刻よりも、遥かに鮮烈で激しい言葉。皮肉めいた物言いではなく、一直線に相手の心を抉る言葉。
絵羽の口から飛び出した言葉は、夏妃自身だけでなく、夏妃の愛する家族さえも侮辱するものだった。そして、そんな絵羽の暴言に対しても、今度は蔵臼が何も言ってくれなかったことが……夏妃の心にさらに火をつけた。


「な……何という暴言!! 先程は夫の妹ということで我慢しましたが………もう見過ごせません!! 
貴女は今日から……義理とはいえ、私の妹なのですよ!? そして、私だけならともかく……私の家族まで愚弄するなんて……謝ってください!! さあ、今すぐ!!」


一気に言葉を吐き出す。
今日一日で味わった、様々な思いも一緒に込めて。
――――――次の、瞬間。



ぱしゃん!

「え……………………?」


視界が一瞬、茶色に染まった。
そして次に、顔面にふりかかった冷たい「それ」の感触に………夏妃は全身を震わせた。

「……っ、絵羽!」

まさかの事態に、蔵臼も思わず厳しい声で絵羽を叱責する。絵羽はそんな蔵臼を一瞥してから………手に持ったティーカップをテーブルに叩きつけた。


がしゃん!!


ティーカップが大きな音を立てて割れる音が耳に届き………夏妃はやっと、自分が何をされたのかを理解した。
まだティーカップにほとんど残っていた紅茶が……夏妃の顔面から上半身をすっかり濡らしてしまっている。すっかり冷め切っていたのが不幸中の幸いと言うべきなのだろうが……あまりに予想外の出来事に、夏妃は怒ることもできず、ただ茫然と絵羽を見つめることしかできなかった。
……絵羽の口が、ゆっくりと開かれる。夏妃などとは比べようのない程の、憎しみと怒りに満ち満ちた声で。


「………見過ごせない? それは、こっちの、台詞よ。
私が、あんたみたいな、女を、姉として、認めるとでも、思ってんの?」

一言ずつ、噛みしめるように区切って発せられる、その言葉。
少しずつ、ボルテージを上げてゆく、その言葉。

「今日は蔵臼兄さんもいるから、大人しくしてようと思ったんだけど………やっぱ、無理ね。そんな予感してた。それに、あんたの顔………ホント、予想以上に甘ったれた箱入りお嬢さんの顔ね。そんなんで、この右代宮家長男の妻? 私たちの姉?
…………右代宮の名前ってのは、そんなに安っぽいもんじゃないのよ。あんたみたいな世間知らずの女がいきなり名乗れるほど、簡単なものじゃないのよ。
分かったら、そのうざったい口を閉じなさい。そして商売女みたいに、何も言わずに素直に股だけ広げてなさい。それがあんたの、唯一の存在理由なんだから。
………ねえ、私の話、ちゃんと聞いてる?

分かったら返事しなさいよ!!」




「……絵羽! いい加減にしないか!!」
「……姉貴! それは言い過ぎだぜ!!」


蔵臼と留弗夫の声が同時に響く。その声に弾かれたように、絵羽はその身を翻して足早に客間を立ち去ろうとする。

「おい姉貴! もうすぐ晩メシだぜ!?」

「………いらない。今日はお腹減ってないから。」

追いすがる留弗夫の声を振り切るようにして、絵羽は足早にこの部屋を後にしていった。
夏妃は、あまりの衝撃に……何も言えずにただ立ち尽くした。
……………と。








「あ、申し訳ありません、何かが割れる音がしたので……お邪魔でしたか?」

「ん? ……君か。
済まない、絵羽がちょっと癇癪を起こしてしまってね………この有様だよ。済まないが、片付けてくれないか?」

「はい、蔵臼さん………あら、あなたは……………。」


絵羽と入れ替わるようにして……一人の女性が客間に入って来た。その格好からして……使用人のようだ。
年齢は、20歳前後だろうか。夏妃と同じくらいか、少し上にも見える。
その女性は長く美しい黒髪を後ろで束ね、肌は雪のように白く……目もまた、一目で芯の強さを感じさせるほどに澄んだ藍色をしていた。その美しさに、夏妃も我に返り……思わず彼女を凝視してしまう。
苦笑する蔵臼に笑みを返すと、女性は足音も立てずに夏妃の目の前までやって来る。
そして。

「あ……ありがとう、ございます………。」

すっかり紅茶で濡れてしまった夏妃の顔を、ポケットから取り出したハンカチで丁寧に拭う。その動作は的確かつ優雅で、あっという間に夏妃の顔を拭き終えてしまった。おずおずと感謝の言葉を告げる夏妃。
そんな夏妃に。

「貴女が、蔵臼さんの奥様になられた夏妃さまですね? ……ご挨拶が遅れまして申し訳ありません。
私は、冬花(とうか)と申します。この右代宮家で、使用人として働かせていただいています。
………これから、よろしくお願い致します。」

「あ……こちらこそ、よろしくお願いします………。」


冬花と名乗った使用人は、ぎこちなく挨拶を返す夏妃に、改めて「よろしくお願いします」と告げた。その声は、その名前の通り………冬に咲く花のように、どこか繊細で……それでも、ある種の力強さを感じさせた。



そんな冬花の視線が、一瞬。そう、ほんの一瞬。

夏妃の後ろに立つ蔵臼に、向けられた。

夏妃も、視線を向けられた蔵臼さえも気付かないほどの、ほんの一瞬。

そして、その藍色の瞳が。







その一瞬。
ゆらりと、大きく動いた。








<つづく>


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2009.11.27 Fri l うみねこ l コメント (0) トラックバック (0) l top

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