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 ………………ここは何処?



 気が付くと私は一人だった。
『……………………?』 
 何なのだろうここは?
 そこには何もなかった。
 見えるのは、どこまでも果てしなく広がる暗闇だけ。
 私以外は誰もいない。
 何も見えない。
 何も聞こえない。
 そんな場所に私は一人、佇んでいた。
 必死で記憶を辿るが思い出せない。
 ……何故?
 当然の疑問。だが答えが返ってくるわけもなかった。
 どうして自分がこんな所にいるのか全く分からなかった。
『……誰か、誰かいないの…?』
 私は誰ともなく呼びかける。
 暗闇の中、私の声が反響し木霊する。
 しかし、その声は空しく響くだけで、やがて暗闇の中へ消えて行った。
 私の中にジワジワと恐怖がこみ上げてくる。
 誰もいない。この暗闇の中には私しかいない。
 やがて、孤独と言う名の恐怖が私の心を覆っていく。
 それでも私は誰かいないかと辺りを見渡した。
 周囲は暗闇。
 私の周りは只々、真っ暗な闇が広がるだけだった。
 いや、暗闇と言うのは語弊があるかもしれない。
 何故なら手をかざせばそこには私の手がはっきり見えるのだから。
 私は暗闇の中に放り出されたわけではない。
 しかし、その事実がさらに私を不安にさせる。

 ここは本当に何もないのだ。

 ひたすら真っ黒な空間が延々と広がっているだけ。
 私以外は誰も、何も存在しない。
『……ハッ、……ハッ、……ハッ、……ハアッ!』
 恐怖に胸が押しつぶされる。
 そして、私はとうとう堪え切れなくなり駆けだした。
 私以外の誰かを求め。

 暗闇の中、私の息と足音だけが木霊していた。
 行けども行けども、辺りに広がるのは黒い闇だけ。
 どれだけ進もうと、私以外は何も見えない。
 それでも私は走り続けた。
 止まることができなかった。
 止まれば心が恐怖に押しつぶされる気がしたから。

『誰か! 誰でもいい!! 誰か返事をして!!!』 

 私はあらん限りの声を振り絞り呼びかける。

『お姉ちゃん! マモン!! みんな!!』 

 しかし、私の呼びかけに応える者は誰もいない。



『詩音!!!』 



 そう叫んだ瞬間、私は何かに躓きその場に転んだ。
 一体どこから現れたのか。私が走る先は何もなかった筈なのに。
 私は何処からか現れたそれに足を取られ、転んでしまった。
 しかし、何もないと思っていたこの空間にも何かがあったのだ。
 私はほんの少し安堵し、後ろを振り返り自分が躓いたそれを見た。










































「ひぃッ!!!!」

 それは私の足元に転がっていた。
 一見すると、それは何かの置物に見えた。大きさはサッカーボールぐらいだろうか。半透明なそれは、ガラス製の置物のように綺麗に光っている。
 私が躓いた勢いで、ゴロゴロと辺りを転がっていた。
 やがてそれは慣性を失い、ゆっくりと動きを止めていき、やがてピタリと静止する。
 そして、私は初めてそれを正面から見ることできた。
 ガラス製の置物。
 それは苦痛に満ち、歪んだ表情のまま固まったサタンの頭部だった。
「……あ、……う、…あぁ」
 恐怖のあまり、上手く声が出ない……。
 サタンのその苦しげな表情は、とても正視できるものではなかった。
 それにも関わらず、私はサタンから目を離すことができなかった。
 ……こ、これって、あの日の…………?
 それは紛れもなく、あの日私がバラバラにしたサタンの残骸だった。
 自分がしたことにも関わらず、私はそのあまりにも無残なサタンの亡骸を見て思わず後ずさりする。
 その時、何かが足に触れゴトリと音がした。
 私は後ろを振り返る。
 そこには、あの日私が犯した罪の全てがあった。

 ルシファー。

 レヴィアタン。

 ベルフェゴール。

 そこには、私がバラバラにした七姉妹たちの無残な亡骸が横たわっていた。
「……わ、私がみんなを……?」
 そう、間違いなく私がしたことだ。
 あの日、私は自分が受けた屈辱を晴らすため、あろうことかその怒りを七姉妹にぶつけたのだ。
 自らの憂さを晴らすためだけに。
 何と言う身勝手で利己的な行為。
 だが、私はそれを認めることすらしなかった。
 みんなを妄想だと、白昼夢だと決めつけ、あの日のことをなかったことにしたのだ。



 そして今も。



「ち、違う……。私じゃない……。私は、こんなこと……」
 しかし、私がその事実を否定しようと真実は変わらない。
 そして、その時聞こえてきた声は事実を捻じ曲げようとする私を現実へと引き戻した。
「……痛い、痛いよう……」
「許して下さい縁寿さまぁ……。死にたくないぃ……」
 その声を聞き、私は顔を上げた。
 見ると、私の視線の先には地面に蹲り、苦しそうな表情を浮かべる二人が……。
「……ベルゼブブ、……アスモデウス」
 二人は苦しそうに体をくの字に曲げ、救いの声を求めている。
 だが、私はそんな二人の様子を見てもただ首を横に振るだけだった。
「……止めて……。わ、私はそんなつもりじゃ……」
 自分のしたことを否定したくて、私は逃げるように後ずさりをする。
 二人はなおも苦しそうに声を上げる。
 しかし、私はその場から逃げ出さずにいるだけで精一杯だった。
 すると、二人を庇うように彼女達の前に一つの人影が現れた。
 彼女は妹達を私から護るため毅然と立ち、その瞳は真っ直ぐ私を捉えていた。

「…………マモン」

 気が付けば、私のいる場所はすでにあの暗闇ではなかった。
 いつの間にか私の周囲には机と椅子が並び、私はその中央にいた。
 そこはあの日の教室。
 そして、私はバラバラになった七姉妹の亡きがらに囲まれ立ち竦んでいた。
 マモンは妹達を護ろうと、懸命に私に何かを訴えている。
 でも、私には彼女が何を言っているのか分からなかった。
 彼女の言葉が、想いが、私には届かない。
 彼女が私に伝えたいことが、私の心に響かない。
 私はマモンが何を言っているのか、懸命に耳を傾ける。
 だが無駄だった。
 どうしても、彼女が話していることが聞き取れない。
 それは至極当然のこと。
 何故なら、これはすでに過去のこと。
 あの時、彼女の言葉が私に届かなかったように、私がどれだけ耳を傾けようと過去の彼女の言葉が今の私に届くはずがなかった。
 彼女の懸命の訴えも空しく、私が彼女に言った言葉は―――――

「語るな家具が! 妄想がッ!! もう分かってるわよ、皆まで言わせないでよ。…あんた達には何も出来ない。…あんた達は所詮、私の妄想、幻想、白昼夢…!」

 私がそう言った瞬間、マモンの体に無数のひびが入った。気が付けば、彼女の体はいつの間にかガラスの置物にすり変わっている。
 マモンの顔が苦痛に歪む。
 そして、彼女の側に横たわっていたベルゼとアスモは、私の言葉で粉々に砕け散ってしまった……。
 それでも、彼女は私を信じ言葉を続ける。
 けれど、やはり私にその言葉は届かなかった。
 私はそんなマモンの想いを踏みにじるように言葉を続ける。

 ―――――駄目。それ以上言っては駄目―――――

 私はそれ以上言うまいと、口を紡ごうとする。
 しかし無駄だった。
 ここは過去の世界。今の私がどれだけ抗おうと、起きてしまったことは変えられない……。
 ……そして、私の意志とは裏腹に口が勝手に開いた。

「私には初めから友達なんて一人もいないわ。あんた達は所詮、孤独な私が心の中に生み出した、お友達ごっこの幻想でしょう? 知ってたのよ、最初ッから!!!」

 次の瞬間、苦痛に耐えつつも毅然としていたマモンの顔が悲しみに歪む。
 しかし、やがてそれは醜く歪んだ笑みへと変わり、彼女は自嘲するように大声で笑い始めた。
 ……そして、今まで何も聞き取れなかった彼女の言葉が、この時だけははっきりと聞こえた…………。



「あっははははははははははははははッ!!えぇ、そうですよゥ!縁寿さまの頭の中の幻想ですけど何かァ! ハイ、そうですゥ! 私達は友達の一人もいやしない、寂しい寂しい縁寿さまの心を慰めるためだけに生み出されたお友達ごっこの脳内妄想ですけど何かァ? 見たければ現実を見るといい、私達なんか見ないで、あそこで囲まれて罵声を浴びせられているあなたに戻るといい!!
 ほらほら戻りなさいよ、お帰りなさい現実にッ!! 都合のいい時だけ私達を呼び出してお友達ごっこで、自分の手を汚す覚悟もないくせにそれをけしかけ、駄目とわかったら否定して消し去る! えぇ、どうぞお楽しみ下さいよ、縁寿さまが期待されるような苦悶の声と悲鳴をあげて退場しますとも!!
 縁寿さまがたった今、浴びせられている罵声を、私達にも同じように浴びせ掛けて胸の内をスゥっとさせるがいいです。それもまた家具の役目!! ムカついて床に叩きつけられることもまた、椅子の大事なお役目ですからァ!! その程度のことで主の不機嫌を一時でも受け止められたなら、家具としてこれほどの栄誉はありません。殺しなさいよッ、否定しなさいよ、あなたの最初で最後の友達をぉおおおッ…!!!!」



 マモンの叫びが、虚しく教室に響いた。
 耳を塞ぎたかった。
 目を逸らしたかった。
 これ以上、この場に居たくなかった。
 けれど、今の私にはどうすることもできなかった。
 私の体は、私の意志では決して動かない。
 起きてしまったことは変えられないのだから。
 ……そして、その先に私が言う言葉も……。
 ……私はゆっくりと、口を開く。

 ―――――お願い。それ以上は言わないで―――――

 ……しかし、私が彼女の最後に向けた言葉は……。
















































「あんたなんて所詮、私の妄想が作り出した白昼夢じゃない!!!」











 ……私がそう言うと、かろうじて形を保っていたマモンの体が粉々に砕け散った……。
 粉々になったマモンの体は、音を立ててその場に崩れ落ちる。
 まるで、割れたガラスが音を立てて崩れ落ちるように……。
 やがて、粉々になったその体は、小さな小さな結晶となり辺りを漂う……。
 宙に舞うマモンだった結晶はキラキラと光り、……それはまるで、彼女が流す涙のようにも見えた……。
 ……私はその欠片を掴もうと懸命に手を伸ばす。
 ……しかし、私の手が宙を掴む。
 私が彼女を掴むより先に、彼女だった欠片はキラキラと光りを残しながら宙に消えた……。
 ……私は茫然と、その光景を眺めるしかなかった……。
「………………あ」
 そうして、私はようやく気付く。



 あの日、自分がしたことが、取り返しのつかない過ちだったことに…………。















































「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」













































 そらのむこう 第3話
「償い」















「ハアッ! ハアッ! ハアッ!」



 私はベッドから飛び起きた。
「ハッ! ハッ! ハッ! ハッ!」
 息が苦しい。
 動悸が乱れる。
 体中が汗でべっとりと濡れて気持ち悪いし、髪はグチャグチャに乱れていた。
 それでも、胸の奥のこの苦しさに比べればそんなことは些細な事だった。
 今しがた見た光景に、私の心は張り裂けそうだった。
 私は堪らず、パジャマの胸元を握りしめる。それでも、時間が経つにつれ体の方は持ち直してきた。
 私はしばらくの間、息が整うのを待つ。やがて呼吸が落ち着くと、私は気分を落ち着けてから周囲を見回した。
 そこは見慣れた風景。聖ルチーア学園学生寮の私の部屋だ。決して学園の教室などではなかった。
「………………夢?」
 私は今見たのが夢だったのかと思い、一瞬安堵した。
 しかし、すぐに首を横に振り思い直す。
 夢などであるはずがない。今見たのは、紛れもなく私が彼女達にしたことなのだ。
 あの日、私がしたことがどれだか罪深いことなのか理解する。
 私の脳裏には、マモンが見せた最後の表情が克明に浮かび上がっている……。

 …………どうして私はあんなことを…………。

 悔やんでも悔やみきれない。
 憂さ晴らしのためだけに、彼女達を傷つけた。
 なんて幼稚で身勝手な行為なのか。
 私は本当に今更になって、自分のしたことがどれだけ愚かなことか後悔する。
 しかし、もう取り返しがつかない。
 どれだけ後悔しようと、私が彼女達にしたことは変えられないのだ。
 そして、あの日以来みんなが私の前に姿を現すこともなかった…。
 私は思わず布団に顔を埋めた。泣けば気持が楽になるのではないかと思って。
 ……しかし、私の目から涙が流れることはなかった。
 ……悲しいはずなのに。……寂しいはずなのに。
 薄情な人間だと思った。友達のために、涙一つ流せないなんて……。
 ……いや、それすらも嘘。
 私は、自分の気持ちが楽になるために涙を流そうとしているのだ。
 友達のために流す涙など、私は持っていなかったのだ。
「……最低ね」
 自嘲気味に、私は小さく呟いた。
 今の私には、涙を流す資格すらない。
 結局、私は彼女達を利用していただけだったのだ。
 都合のいい時だけ呼び出し寂しさを紛らわせ、用がなくなったら否定して消し去る。
 ただそれだけ。
 彼女達の存在など、私にとってはどうでもいいことだったのだ。



 私は『友達』ではなかった。



「う~ん、どうしたんですか縁寿?」
 その時、上のベッドから詩音の声が聞こえてきた。
 どうやら起こしてしまったらしい。私は詩音に短く謝った。
「ごめん詩音、起こしちゃって。何でもないわ、ちょっとうなされていただけ」
 私がそう言うと、詩音は眠そうな声で答える。
「明日も早いんだから早く寝ないと駄目ですよ……」
 そう言って、詩音は再び眠りついた。そんな詩音の様子に、私は小さく笑う。
 しかし、それでも私の胸のわだかまりは晴れることはなかった……。
 私はベッドから降り、自分の机に向かう。そして、一番下の引出しを開き奥にしまってある小さな鍵を取り出した。それを最上段の引出しの鍵穴に入れ、左に回すと何の抵抗もなく鍵は開いた。
 私は引き出しの中に大切に閉まってあるものを取り出す。
 それは、真里亞お姉ちゃんの日記帳。
 私はおもむろにその日記帳を開く。
 そして、私が開いたページにそれは描かれていた。


(公式掲示板ではここに七杭イラストあり)


 ルシファー。
 レヴィアタン、
 サタン。
 ベルフェゴール。
 マモン。
 ベルゼブブ。
 アスモデウス。

 そこに描かれているのは複雑な装飾を施された杭で、明るく賑やかな少女たちなどでは決してなかった。
 当たり前だ、これが本当の煉獄の七杭。
 彼女達は私が生み出した妄想の産物。
 私がそう決めつけたから。
 あの日以来、私はこの日記帳を引出しにしまい、ただの一度も手に取ることはなかった。
 あれほど大切にしていた日記帳を……。
 何故?
 それは恐らく、彼女達の存在を認めたくなかったからだろう。
 彼女達を認めれば、私がみんなを傷つけたことを認めるから。
 みんな最初からいなかったことにすれば―――私の中の妄想にすれば―――私がみんなを傷つけた事実もなくなるのだから………。
 自分の罪から目を背けるため、私はこの日記帳を隠し続けた……。
 無論、みんなのことは詩音には言っていない。そんなことを言えば、正気を疑われる。
 やっとできた、私の大切な友達…。それを失うことは、私にとって最も恐ろしいことだ……。
 だから私は隠し続ける…。みんなのことを。
 …………でも、本当にこれでいいのだろか……?
 ……みんなをいなかったことにして。……詩音に隠し続けて。
 私はこの先ずっと、詩音に隠し事をしたまま生きていくのだろうか…?
 話すべきではないだろうか…? みんなのことを……。
 ……でも、もしそれで詩音に嫌われたら?
 そんな考えが、どうしても頭をよぎる…。
 ……結局、今の生活を手放したくはない私は、みんなのことを詩音に話せずにいる……。
 今のままではいけないと思いつつ、どうしてもその先が踏み出せない……。

 ……私はどうすればいいのだろう?

「……お姉ちゃん、マモン、みんな……」
 私は小さく呟いた。そう呟けば、誰かが応えてくれる気がして。
 ……しかし、私の言葉に応えてくれる者は誰もいなかった。







「それでは今日はここまでにします。各自復習を怠らないように」
 シスターのその声を聞き終えると、皆一斉に席を立つ。
 2時限目の授業が終わった。授業の間のわずかな時間を使い、皆お喋りをしたり、隣のクラスに出かけたりしている。
 私も外の空気を吸おうと思い、教室を出た。
 校舎と校舎を繋ぐ1階の渡り廊下に私は向かう。あそこなら新鮮な外の空気が吸えるし、晴れ渡った空を眺めれば、この陰鬱な気持ちも少しは楽になるかもしれない。
 渡り廊下には、授業の間に教室を移動する生徒の姿がちらほら見える。
 私は彼女達の邪魔にならないよう、廊下の端に移動し柵に両腕を乗せ空を眺めた。
 天気は快晴。空はどこまでも青く澄み渡っていた。
 ……それなのに、私にはこの青い空がどこか濁っているように見えた。
「……空ってこんな色だったっけ?」
 それはまるで、今の私の心を映し出しているようだった。
 雲ひとつない青空が、今の私にはくすんで見える……。
 気分が晴れるかと思い外に出たが、やはりこの心のもやもやは消えてはくれない。
 ……はあ、と私は小さくため息をついた。
 どうしたら、この重苦しい気分から抜け出せるのだろうか?
 いや、多分それは分かっているのだ。……ただ、私はそれを行動に移せないでいる。
 今の詩音との関係を失いたくない。その思いが私を竦ませる。
 今のままではいけないと理解しつつも、結局私は動けないでいる。
 一体、私は何をしたいのだろうか……?
 そう自問自答する。もちろん答えが返ってくるわけがないのだが、そう考えずにはいられなかった。
 そんな私の問いに答える代わりに、声を掛けてくる人がいた。

「こんにちは右代宮さん、いいお天気ね」

 その声を聞き、私の思考が停止する。振り返ると、そこには須磨寺さんが立っていた。
「…………あ」
 言葉に詰まる。彼女の顔を見た瞬間、あの時のことが蘇る。
 お姉ちゃんを、みんなを穢され、辱められ、それに対し何も言い返せない自分。
 もちろん彼女に対し怒りを感じているが、それ以上に私は自分が悲しくなった。
 ああやって、他人に言われるまで罪の意識すら感じていなかった自分に……。
 詩音との新しい生活に目を奪われ、みんなを思い出すことすらなかった。
 そして、他人に指摘され私はようやく思い出す。
 それはあまりに遅すぎた。
 私の大切だった人達はいなくなってしまった。
 あの日以来、彼女達を見ることはおろか、その存在すら感じられない。
 そして、その姿を見るのは昨日のような悪夢の中だけ。
 私が思い出した時、全てが全て手遅れだったわけで…………。

 須磨寺さんは、にこやかにほほ笑んでいる。でも、その笑顔の裏にどれだけの悪意が潜んでいるのだろうか?
 彼女に見つめられると、私は蛇に睨まれた蛙のように動けなくなってしまった。
「隣、いい?」
 私は何も答えることができなかったが、彼女は静かに私の隣に立つ。
「気持ちの良い日ね。風が気持ちいいわ」
 彼女は自慢の長い髪をかき上げる。その美しく整えられた髪が、ふいに吹いた風により後ろに流される。
 彼女の美しさは、同性の私から見ても感嘆するほどだった。街を歩けば、誰もが思わず振り返ってしまうだろう。
 しかし、その美しさには棘がある。
 綺麗な薔薇に不用意に触れればその棘で怪我をするように、彼女もまた安易に手を伸ばして良い存在ではない。
 迂闊に触れれば、どんな怪我をするのか分からない。
 そして、その棘は今なお私に刺さったままなのだ……。
「………………」
 何を言っての良いのか分からず、私は黙ってしまう。
 気まずい空気が流れる。……どうしよう。何か喋ったほうがいいのだろうか?
 私が口を開こうか迷っている時、須磨寺さんが先に口を開いた。
「ねぇ、考えてくれた?」
「………………え?」
 彼女の言った言葉の真意が掴めず私は戸惑う。
「…………か、考えるって、何を……?」
 彼女はゆっくりと私の方を向き、にこやかに話す。
「だから、これからあなたがどうするかよ」
「―――――」
 これからどうするか。そんなことは私が聞きたいくらいだ。
 私はみんなのことを詩音に話すべきか話すまいか、そのジレンマに苦しんでいる。
 この苦しみから逃れる方法があるのならこっちが聞きたい。
 ただ一つ言えることは、私が苦しんでいる様子を見て、彼女が楽しんでいるということだ。
「最近、あなた園崎さんとばかり話しているじゃない。それが悪いことだとは言わないけど、もう少しクラスのみんなとも仲良くしたほうがいいんじゃない? また前みたいに仲良くしましょうよ」
 その言葉を聞き私の唇が震える。どの口がほざくのか、そんなことを。
 何が仲良くだ。私を無視していたのはお前達のほうじゃないか。
 私が話しかけても、挨拶すらしない。ひたすら私をいないかのように扱ってきたじゃないか。
 そのくせ、少しでも私に落ち度があると、よってたかって私を非難する。
 あれが仲良くというのか? お前らは!
 しかし須磨寺さんはくすくすと笑い、私のそんな様子を面白がっているだけだった。
「ああ、そんなに怒らないで。別に園崎さんを仲間外れにしようなんて思っていないから。大丈夫、ちゃんとあの人も仲間に入れてあげるわ。私のほうから彼女に話してあげる・・・・・・・・・
 その言葉を聞き私は凍りついた。彼女のその一言で、私の内にあった怒りは一瞬で霧散し、残ったのは友達を失うかもしれないという恐怖だけ……。
 …………ダメ。詩音には話さないで……。
 詩音にはみんなのことは話さないで……。
 もし……、もし詩音がみんなのことを聞いてしまったら……?
 ……もし、私が妄想と遊んでいるおかしな子と思われたら……?



 ………………………………嫌。



 嫌! 嫌! 嫌!! 絶対嫌!!!
 そんな風に思われるくらいなら、今のほうがマシだ!!
 詩音にはみんなのことは話さない!!
「待って! それは―――――」
「冗談よ」
 私がそう答えるのが分かっていたのだろう。須磨寺さんは私の顔を見ながら、さも面白そうに笑う。
「あの人、ちょっと私達とは気が合いそうにないもの。彼女にはこの話はなし」
 その言葉を聞き、私は安堵した。しかし、私が胸をなで下ろしたのも束の間、彼女はゆっくりと近づき私の耳に口を近づけ、そっと囁いた……。
「だから、その分あなたとは仲良くしてあげる」
 それは、悪魔の囁き。
『親友は見逃す。その代わり、お前が生贄になれ』
 私には、はっきりそう聞こえた。
 そして、悪魔は私が断れないことを分かってこの契約を持ちかけてきたのだ。
 選べる選択肢は1つしかない。しかし、あえて残りの選択肢も見せつける。
 お前が選んだことだと。お前が望んだことだと。後で私が言い逃れできないよう……。
 ……そうして、私は当然のようにその契約を結ぶ。

 友達を失いたくないから。

「それじゃあ教室に戻りましょう。早くしないと次の授業が始まってしまうわ」
 須磨寺さんは教室に戻るよう私を促し、その場を去った。
 私は今しがた、彼女が言った言葉を頭の中で反芻した。
 そして理解する。
 この学園にいる限り、私は彼女の手から逃れることなどできない。
 私には、もう逃げ場などないのだと。
 大好きだった真里亞お姉ちゃんは、もうここにはいない。
 私を慰めてくれた煉獄の七姉妹も、さくたろうも、私がこの手で消し去ってしまった。
 そして、もはや私に手を差し伸べてくれた詩音にも助けを求めることはできない。
 
 変われる気がした。
 自分も、ここでの生活も。
 これからは、毎日素敵なことが起こるのだと。
 そう信じて疑わなかった。
 でも、現実は何も変わりはしない。
 所詮は夢物語だったのだ。
 私が人並みの幸せを手にするなど。

 私は引きずるように足を動かす。体は重く、できればこの場にしゃがみ込みたかった。
 だが、授業に遅れたらまた何を言われるか分からない。早く教室に戻らないと……。
 校舎に戻る途中、より一層強い風が吹いた。風により髪が乱されたが、そんなことはどうでも良かった……。風に髪を弄ばれながら、私は空を眺める。
 空は雲一つ無く、青く晴れ上がっている。
 それでも、私にはこの青く澄み渡る空が灰色に覆われているように見えた……。







「……縁寿、食べないんですか?」
 詩音が不審そうに声を掛ける。
「……え? ……ああ、そうね……。早く食べないと……」
 そう言われて初めて気が付いた。私の目の前に置かれたカレーはほんの2・3口しか減っていない。
 一方、同じ物を頼んだはずの詩音の皿からはすでに半分が消えている。
 ぼんやりと考え事をしていたため、私は全く食事に手をつけていなかった。
 さっきのことが頭から離れない。これから先、一体どうすれば良いか考えてはみるが何も思い浮かばない。
 結局、私はこの先ずっと須磨寺さんの言いなりになるしかないのだ……。
「縁寿、どうしたんですか? 最近変ですよ、いつもボーっとしてるし。何かあったんですか?」
 詩音が心配そうに聞いてくる。そんな彼女の思いやりが嬉しくて、私は心が少し軽くなるのを感じた。
 しかし、さっきのことを詩音に話すわけにはいかない。
 私が詩音に話したことが知られれば、須磨寺さんはきっとお姉ちゃんのことを詩音に話すだろう。みんなのことは詩音には知られたくない。
 やっとできた友達を、私は失いたくない。
「大丈夫よ。心配ないわ、ちょっと寝不足なだけ」
 そうして、私はもっともらしいことを言ってその場を切り抜けようとする。
「本当に? 何か悩みがあったら相談してくださいよ。話し相手ぐらいならいくらでもなりますから」
 詩音はそう言って私の身を案じてくれる。それが今の私にとって、どれだけ嬉しかったことか。
 お姉ちゃんがいなくなり、友達だった七姉妹を失った私には、今や彼女だけが唯一の友だ。
 でも、やはり言えない。
 みんなのことを知られたくないし、何より詩音に心配をかけたくない。これは私の問題なのだ。私のトラブルに詩音を巻き込むわけにはいかない。
「本当に大丈夫。何でもないから」
「……そうですか。ならいいですけど」
 私がそう言い続けるので、詩音もそれ以上は追及しなかった。
 彼女に嘘をつくのは正直心が痛む。私が彼女に全てを話せば、自体は解決するのかもしれない。
 私の悩みも、みんなのことも、全て話せば…………。
 ……でも、……それでも私は…………。



「「ごちそうさま」」
 食事を終えて席を立ち、私達は食器を片づける。私は横目で縁寿のトレーを見るが、食器にはまだ半分以上カレーが残っていた。
 ここ数日はいつもこんな感じだ。食欲がないらしく、食事は半分も食べていない。目も何処となく虚ろでいつもボーっとしているし、私が呼びかけても上の空。
 明らかに縁寿の様子がおかしい。思えば3日前、縁寿が一人で買い物に出かけた後から様子がおかしかった。
 あの日、私は縁寿と一緒に買い物に出かける予定だった。しかし、出かける直前に私は先生に捕まってしまったのだ。
 その後、縁寿は仕方なく一人で買い物に出かけたらしいが、それから縁寿の様子がおかしいのだ。
 あの日、(私にとって)過酷な個人授業から帰った私は、せめて縁寿とお喋りをして疲れを癒そうと考えていた。
 しかし、部屋に帰ってきた彼女の顔は暗く、生気を失ったようだった。今思えば、あの時彼女の目は少し赤かった気がする。
 当然、私は何かあったのかと縁寿に聞いてみたが、彼女は何でもないと言うだけだった。その後も何度か同じ質問をしてみたが、縁寿の答えは変わらない。
 あの日、一人で買い物に出かけた縁寿に何があったのか。彼女がその口を閉ざしている以上私には分からないが、何となく察しは付く。
 大方、誰かに私のことについて咎められたに違いない。私が初日に見た、縁寿に対するここの連中の態度を見れば容易に想像できる。
 ああいう連中は、こっちが弱気になると傘にかかるようにいたぶるのだ。強気な態度を崩しては連中の思うつぼなのだが……。
 ……縁寿は、……何と言うか、精神的に弱い部分がある。
 普段はそうでもないのだが、何か窮地に立たされると自分では対処できなくなることがある。
 それほど長い付き合いではないが、共に生活をしているのだ。それぐらいは何となく分かる。
 私に対し今の悩みを話せないのも、何か弱みを握られているからかもしれない。
 勇気を持って話した方が縁寿にとっても良いと思うのだが、これ以上追及しても彼女を追い詰めるだけだ。ここは少し様子を見よう。
 食器を片づけた私は縁寿の方を向き、これからどうするか聞いてみた。
「さあ、今日はどうします? 天気がいいですから中庭に出てみますか?」
 私は気分転換に外に出てみようと提案した。しかし、縁寿は表情を曇らしてこう言った。
「……ん、ごめん詩音。今日はちょっと一人になりたいの……。詩音は先に教室に戻ってて……」
「……そうですか、分かりました。じゃあ私は自分の教室に戻ってますね」
 縁寿がそう言うのなら無理強いはできない。私達は食堂で別れ、別々の方向へ歩いていく。
 しかし、少し歩いた所で私は引き返し、その足で縁寿の後をつけてみる。なんだかストーカーのようで気は進まないが、そんなことを言っている場合ではない。
 やはり、縁寿の様子がおかしい。私達は今まで昼休みは共に行動していた。もちろん何か特別な用事がある時は別行動もあったが、今日みたいに『一人になりたい』なんてことはなかった。
 確かめなければ。縁寿が私に何を隠しているのかを。



 縁寿は特に行く当てもないのか、しばらくの間校舎をふらふらと歩いていたが、やはり外の空気が良いのか、結局中庭へと出る。
 今日のような天気の良い日は、中庭で食事を取る生徒もいる。案の定、中庭には芝生に腰を下ろし、お弁当を広げている生徒達がいた。
 彼女達は自慢の手作り弁当を見せ合い、誰が一番おいしそうか楽しそうに食事をしていた。
 そんな彼女達とは対照的に、縁寿はどこか疲れた顔で中庭のベンチに腰かけた。外の空気を吸えば少しは気が楽になるかと思い、さっきは中庭へと誘ったがどうやら無駄だったようだ。
 ベンチに腰かけたまま空を仰ぎ見る彼女は、やはり浮かない顔をしている。気持ち良く晴れ渡るこの空も、彼女にとってはどんよりと曇っているのだろうか……?
 縁寿の浮かない顔を見ると、なんだか私まで悲しくなってくる。やはり彼女には笑っていてほしい。
 彼女の生い立ちを聞けば、笑って生きていくことは容易ではないのかもしれない。それでも、悲しい顔で生きていくより、笑って生きたほうが楽しいに決まっている。
 私自身、今までの人生の中でそれなりの辛酸は舐めてきた。それでも私は笑って生きたい。どうせ生きるなら、楽しく生きたい。
 だから私は、縁寿にも笑っていてほしいのだ。
 私がそんなふうに考えている時、不意に縁寿の横に人影が現れた。その人に気付き、縁寿は明らかに表情を強張らせた。
 見憶えがある。いや、忘れるはずもない。私は転入してきた初日に、あそこにいる女の髪を思いっきり引っ張ったのだ。互いに第一印象は最悪。忘れろという方が無理だ。
 確か名は『須磨寺雫』。
 京都では、有名な由緒ある家柄だそうだ。成程、確かに纏っている雰囲気は庶民のそれとは違う。ただのお金持ちのお嬢様という雰囲気ではない。
 高圧的な態度でありながら、相手に有無を言わせぬ強さがある。その上、その言動や所作には庶民とは一線を画す気品が感じられる。
 大抵の人間は、彼女の前では何かしら気後れを感じるのではないだろうか。縁寿も彼女を前にし、明らかに動揺しているようだ。どこか落ち着きがなく目が泳いでいる。もっとも、縁寿の場合は他にも理由があるのだろうが……。
 須磨寺は縁寿の隣に腰掛け、なにやら話しかけている。ここからでは遠すぎて何を言っているかは分からないが、大方縁寿にとって不利なことを話しているのだろう。恐らく何か弱みを握っているに違いない。
 須磨寺は縁寿に向かって何か話しており、縁寿はそれに対し、時折弱々しく頷くだけだった。しばらくの間、須磨寺はそうやって縁寿に話しかけていたがやがて腰を上げる。そして、別れ際に縁寿に軽く挨拶をすると校舎に戻って行った。
 遠目にその顔を見るが、その表情は何処か涼しげに見える。あの女にとって、今縁寿にしたことはその程度のものなのだろう。本当に忌々しい女だ。私はその背中を憎々しげに見つめながら、縁寿の方に目をやる。
 その顔は憔悴しきっており、肩は小さく震えていた。それは、まるで狼に怯えている仔羊の様。いつ狼に食べられるか分からず、小さく震えているように見えた……。
 須磨寺に何を握られているかは分からないが、あの様子だとそれは縁寿にとって大問題らしい。私がいるから縁寿に直接手出しができなくなったので、今度は弱みを握って揺さぶりをかけてきたか。姑息なことを……。
 しかし、これでようやくはっきりした。ここ数日、縁寿の様子がおかしかったのは、須磨寺が元凶だったのだ。もっとも、大方予想はついていたわけだが。
 ……あのアマ。初日にあれだけ痛めつけたのに、まだ懲りていないか。もっと強く引っ張ってやれば良かった。
 いいだろう。そっちがその気なら、こっちも考えがある。私を敵に回したことを後悔させてやる。私は密かにその拳を握りしめた。
 しかし、それと同時にある考えが頭をよぎる。



 …………縁寿、どうしてあなたは…………。










 夕焼けが空を真っ赤に染めていた。私はそれを、誰もいない教室で一人眺めていた。
 クラスメイト達は授業が終わると、仲の良い友達と一緒に教室を出て行った。門限までのわずかな時間を、どうやって過ごすかお喋りをしながら……。
 街へ出かける者、学園内のクラブ活動に励む者、友達とお喋りをして過ごす者。人それぞれだ。しかし、私は他のクラスメイトのように、放課後を楽しむ気分にはなれなかった。
 何故なら―――――。
「右代宮さん」
 その声を聞き、反射的に体が硬くなる。私は恐る恐る、声が聞こえた方を向く。
 そこには予想に違わず、須磨寺さんが立っていた。しかも、昼休みの時のように一人ではない。周囲には彼女の取り巻きが何人もいる。
「……す、須磨寺さん」
 須磨寺さんはにこやかに笑っている。知らない人が見れば、人当たりの良さそうな印象を持っただろう。
 だが、私は知っている。彼女のこの笑顔には、そんな暖かな感情など込められてはいない。『如何に獲物をいたぶってやろうか』そんな嗜虐的な喜びしか込められていないのだ。
 その笑顔を目の当たりにして、私は逃げ出したくなる。しかし、それは無理だ。
 これだけの人間に周りを囲まれ、逃げることなどできはしない。元より、須磨寺さんに弱みを握られている私は、逃げるわけにはいかないのだ。
「準備はいい? お昼にも伝えたように、今日は私達があなたの勉強を見てあげるわ」
 そう。彼女は貴重な時間を割いて、私のために勉強会を開いてくれるそうだ。
 あの時と同じように。
「みんなあなたのことを心配してくれているわ。あなたがこれ以上テストで恥をかかないよう、みんなでサポートしてくれるって。やっぱり持つべきもの友達ね」
 何が友達だ。あの日のことは忘れもしない。あれが友達にすることか? サポートするなど、よく言ったものだ。
 だが、どれだけ不満があろうと、私はその言葉に従うしかない。従わなければ、この人はみんなのことを詩音に話すだろう。それも、可能な限り悪い解釈で。
 恐らく事実を交えながら、私が妄想癖を持ったおかしな人間であると悪意を織り交ぜて話すのだろう。それこそ、私たちの関係が破綻するほどに……。
 それだけは絶対に嫌だ。今の関係が壊れるぐらいなら、この人の言いなりなったほうがマシだ。それで詩音との仲が保てるのなら……。



 例え、仮初めの友情でも。



「さあ、右代宮さん。今日から私達がしっかり勉強を見てあげるわ。これでもう、あなたを落ちこぼれなんて言わせないから」
 落ちこぼれと言っていたのはどこの誰だ? そんな些細な反抗を心の中で言いながらも、私はその言葉に従う。
「……はい。今日からよろしくお願いします……」
 私はのそのそと、気だるそうに机から教科書を取り出す。
「ほらぁ、右代宮さん! せっかく私達が時間を割いて勉強見てあげるんだから! もっとシャキっとしなさいよ!」
「忙しい中来てあげてるんだからね! そこのところ分かってる?」
 早速罵声が飛んでくる。でも、そんなものは慣れたものだ。
 私は学園で一人なのだ。周囲の冷ややかな視線や、陰口など、いちいち気にしていては生きてはいけない。いつものように心を閉ざし、全てを聞き流せばすむことなのだ。私はずっと、そうやって生きてきた。
 …………そのはずなのに。…………聞き流せばすむことだったのに。
 久しく聞いた彼女たちの罵りは、以前よりもずっと深く、私の心を抉った……。
 ……何故だろう? 以前はこんな言葉気にしなかった。
 目を塞ぎ、耳を塞ぎ、心を閉ざせば私は耐えられた。それなのに、今の私の心は、この程度でのことで折れそうになっている。
 ……どうして?
 そこまで考え、私はようやく気が付いた。

 ―――――詩音。

 いつも、彼女は私の前に立っていた。
 私を庇うように、彼女は私の前に立ってくれた。それが当然のように。
 私は彼女の後ろに隠れていた。それが当然のように。
 自らは何もせず、ただ詩音の後ろに隠れてやり過ごすだけだった。
 そして、私は自分の行動に何の疑問も抱かなくなっていった。
 只々、詩音の陰に隠れ、事態が収まるのを待つだけだった。
 私を護ってくれる彼女に、私は縋っていたのだ。
 彼女の後ろに隠れ、誰からも護ってもらえるように。
 そうして、私は束の間の平穏を手に入れたのだ。
 親鳥に護ってもらう、雛鳥のように……。
 …………私は、何て弱い人間なのだろう。
 彼女が私を護るために、その身をどれだけ犠牲にしていたか、ようやく分かった気がする。
 私は、彼女にとって重荷になっているのかもしれない。
 私が彼女の手を離せば、彼女はもっと自由に生きられるのかもしれない。
 ……そうだと分かっていながら、私は彼女の手を放したくなかった。
 ようやく得た友人を、私は失いたくなかった。
 だから、私は彼女に何も話したくなかった。お姉ちゃんのことも、みんなのことも。
「教室を借りる許可はもう取ってあるわ。時間もたっぷりあるから一緒に頑張りましょう」
 須磨寺さんは満面の笑みでそう話す。その笑顔の裏に、悪意に歪んだ顔が潜んでいるのは想像に難くない。それでも、私は黙って彼女の言う通りにする。
「……はい。頑張ってテストの成績を上げます……」
 そう言って、私は教科書を開いた。が―――――
「痛!!!」
 次の瞬間、私は髪を掴まれ悲鳴を上げた。そして、私の目の前には先程とは別人のように、冷たい目をした須磨寺さんがいる。
「…………違うでしょう? テストで点を取ればいいと思っているの? これはね、勉強だけじゃなく、あなたの人間性を養うためでもあるのよ」
 私を見つめるその視線は、まるで物でも見ているかのようだった。そして、私に話しかけながらも、髪を掴むその手は一向に緩めない。
「人間はね、テストの点でその全てが決まるわけじゃないのよ? 社会との関わりや、人との協調性も大切なのよ。あなたはその辺りがまるで分かっていないわね。真っ先にテストの点を挙げるなんていい証拠よ」
 そうして、彼女はようやく私の髪を離した。
「…………うぅ」
 彼女に引っ張られた髪を抑え、私は情けなく声を上げることしかできなかった。
「本当にあなたは何も分かっていないわね。まずはテストの成績より、先に自己反省してもらったほうがいいみたいね」
 彼女はそう言い放つと、机の上に分厚い原稿用紙の束を無造作に置いた。それを見て、私の中で苦い記憶が蘇る。
「こ、これは……?」
「反省文よ。分かるでしょう? こないだと同じように書けばいいんだから」
 …………また、同じ事をさせられるのか。目の前の原稿用紙に手を伸ばし、私は数枚を手元に置く。そして、私は彼女の指示通りに筆を走らせる。
 あの時と同じように・・・・・・・・・
 数行文章を書いた所で、須磨寺さんが声をかけた。
「さあ、まずはそれを朗読して、自分の行いを反省するところから始めましょうか」
 私は原稿用紙に目を落とす。そこに書かれている文は―――――
「どうしたの? 読めないの? 簡単でしょう? そこに書いてある文章を読むだけなんだから。『私、右代宮縁寿は協調性がなく、クラスメートのみんなに迷惑を掛けた、最低のクズ人間です』ね? 簡単でしょう」
 須磨寺さんは、優しく丁寧な口調で私に教えてくれる。でも、どんなに優しく諭されても、それは私にとって、針の筵を歩かされている様な気分だった。
 喉が震える。指先が震える。でも、言わなくては。
「…………わ、私、右代宮縁寿は―――――」
 次の瞬間、私は再び髪を掴まれた。その痛みに私の顔が苦痛に歪む。
「そんな小さな声で話しても聞こえないでしょう? ちゃんとみんなに聞こえるように言わないと。ほら、もっと大きな声で」
 世界が歪む。
 須磨寺さんが、周囲の人間が、教室の風景が、何もかもが歪んで見えた。
 目の奥が熱くなった。涙が溢れそうになる。でも、泣いてはいけない。
 ここで泣いてしまったら、私はこれ以上耐えられなくなる。
 ……そして、私はゆっくりと口を開いた。
「私、右代宮縁寿は―――――」
 私がそう言うと、須磨寺さんはようやく髪を離した。
「協調性がなく、クラスメートのみんなに迷惑を掛けた―――――」
 そして、彼女の顔は満足そうに、歪んだ笑みを湛えていた。
「最低の―――――」
 周りの人間全てが、須磨寺さんと同じような笑みを浮かべていた。それでも、私は言葉を続けるしかなかった……。
「ク―――――」





「言わなくていいですよ。そんなこと」





 教室の後ろから、声が聞こえてきた。
「縁寿の様子がおかしいと思っていたら、案の定こうですか」
 ほんの数時間前一緒にいたはずなのに、何故かその声はひどく懐かしく感じた。
「あんた達、まだそんなことしていたんですか? 懲りないですね」
 教室の後ろのドア。そこに、詩音は毅然と立っていた。
「……し、詩音」
 今まで、散々詩音に迷惑を掛けてきた。ただ彼女の後ろに隠れ、それが当り前のように思っていた。だから、これ以上詩音に迷惑を掛けたくはなかった。
 でも、そんな思いを持ちながら、詩音を目の当たりにした私は喜びを隠せなかった。
 そんな私とは対照的に、須磨寺さんは邪魔が入ったと言わんばかりに、詩音を邪見する。
「あらあら、随分な言いようね、園崎さん。こんなこととは人聞きの悪い。私達は右代宮さんのために勉強会を開いていただけよ。ねえ、右代宮さん?」
 須磨寺さんは私の方に目を向ける。
 ……そうだ、ここに詩音が来たからと言って、彼女に頼るわけにはいかない。私を心配して来てくれたのは嬉しいが、今さら彼女に迷惑を掛けることはできない。
「……ええ。何でもないわ、詩音。私達はここで勉強していただけだから。心配してくれてありがとう、大丈夫よ」
 そう言って、私は須磨寺さんに口裏を合わせる。そんな私を見て、須磨寺さんは満足そうに笑った。
「ね? 右代宮さんの言う通りよ。別にあなたの心配するようなことは何もないわ。だから、勉強の邪魔にならないよう、お引き取り願―――――」
「嘘付くなら、もう少しマシな嘘付いたらどうですか? もっとも、あんたの頭じゃそんなうまい言い逃れも思い付かないか」
 詩音の挑発を聞き、須磨寺さんの顔からは笑みが消えた。その顔には、詩音に対し明らかな敵意が見られる。
「…………とんだ言いがかりね。右代宮さんも、たった今言ったでしょう? 勉強しているだけだって」
「縁寿を脅して無理やり言わせているくせに、よく言いますね。知っているんですよ? あんたが縁寿の弱みを握っていること」
 その言葉を聞き、須磨寺さんは僅かに反応した。しかし、すぐに落ち着くと、詩音にこう言った。
「……何を根拠にそんなことを。仮にそうだとして、あなたはどうするつもり? 『須磨寺さんが右代宮さんを、よってたかってイジメてました』シスターにそう告げ口するつもり? そうしたところで、素行の悪いあなたと私。シスターはどちらを信じるかしら?」
 須磨寺さんは勝ち誇った様に言い放つ。しかし、そんな彼女の様子を見ても、詩音は僅かも動じない。
「そりゃあ、私とあんただったら、先生はあんたの方を信じるでしょうね」
「そうでしょう? だったら、あなたにできることは何も無―――――」
「でも―――――」
 そう言い、詩音はスカートのポケットから何かを取り出した。
「証拠があるなら話は別です」
『どうしたの? 読めないの? 簡単でしょう? そこに書いてある文章を読むだけなんだから。私、右代宮縁寿は協調性がなく、クラスメートのみんなに迷惑を掛けた最低のクズ人間です。ね? 簡単でしょう』
 やや機械的な須磨寺さんの音声が、詩音の手にした機械から流れてくる。その手に握られているのは、テープレコーダー。そこにはしっかりと、先程の私達の会話が録音されていた。
「な!!」
 テープレコーダーから流れてくる会話を聞き、須磨寺さんは声を失った。
「私の家、ちょっと特殊な事情がありましてトラブルが多かったんですよ。だから後々問題にならないよう、こういうのは日頃から持ち歩いているんです。裁判なんかではとても有利になりますからね」
 須磨寺さんは明らかに動揺していた。それはそうだろう。自分達の会話を録音されていたなんて、誰が想像できただろう。
「いいんですか? これを先生に聞かれても? クラスリーダーともあろう方が、まさかイジメの首謀者だったなんて知ったら、先生はどう思いますかね?」
 詩音はテープレコーダーを振りかざし、須磨寺さんを挑発する。
「わ、渡しなさい!! それを!!」
 須磨寺さんは、詩音からテープレコーダーを奪おうと掴みかかる。しかし―――――
 テープレコーダーに手が届く直前、ひらりと身をかわした詩音の足に引っ掛かり、彼女は勢いよく床に転んだ。
「痛ぅ!!」
「行動が分かりやす過ぎますよ。ホントに単純な頭ですね」
「この!」
 無様に床を転がった須磨寺さんは、完全に頭に血が昇っている。そして、それは周りにいる取り巻きたちも同じだったようだ。
「この! 渡しなさいよ!!」
 詩音の近くにいた三人の女生徒が一斉に掴みかかる。しかし、彼女は一向に動じない。
 詩音は最初に掴みかかって来た女生徒を難なくかわし、須磨寺さんと同じように足を引っ掛ける。
「わ!!」
 あっさりと詩音の足に引っ掛かった彼女はバランスを崩す。何とかその場に踏みとどまろうとするが、その背中を詩音が押すとそのまま目の前の机に突っ込んだ。
「この!!」
 間を置かず、後ろから別の女生徒が掴みかかった。しかし、詩音は振り向きざまに右手の甲で女生徒の鼻っ面を軽く叩く。
「痛!!」
 大して力も込めていないだろうが、それだけで女生徒は鼻を押さえ床に蹲る。
「こいつ!!」
 仲間がやられるのを見て、三人目の女生徒は激高する。感情に任せ詩音の右手首を掴み、テープレコーダーを取り上げようとする。
 しかし、詩音は左手で女生徒の手首を捩じり、掴んだ腕を女生徒の背中に回すと、そのまま捩じり上げた。
「い、痛たた! 離して! 離してってば!!」
 腕を完全にキメられた女生徒は、堪らず悲鳴を上げる。
「そんなに離して欲しいなら、離してあげますよ」
 そう言い詩音は捩じり挙げた腕を緩めるが、次の瞬間その背中を思いっきり突き飛ばした。
「「「きゃあ!!!」」」
 完全にバランスを崩した女生徒は、そのまま数人の女子を巻き込んで床に倒れる。
 一瞬だった。あれだけの人数差があり、私を痛めつけていた連中を詩音はいとも簡単に蹴散らしてしまったのだ。
「痛たた……」
「うぅ……」
「痛いじゃない、早くどきなさいよ!」
 床には何人もの人間が蹲り、その場に立ち尽くしている生徒の目にも、怯えの色が見えている。
 その様子を見て、詩音はこう言い放つ。
「言っときますけど、いくら人数集めたところで無駄ですよ。あんた達が私に喧嘩売ろうなんて、兆年早いです」
 詩音の言葉を聞くまでもなく、すでに彼女達には先程の強気は見られなかった。これだけ人数差がありながら、自分達が不利になるなど、誰が予想できただろうか。
 いくら人数がいようと、貞淑なお嬢様として育てられた彼女達など、荒事に慣れている詩音にとって赤子の手を捻るようなものだった。
 彼女達の様子を見て、戦意がないことが分かると詩音は不敵に笑う。
「うん、これまた分かりやすい反応ですね。よろしい」
 そして、詩音は須磨寺さんに目を向ける。
「で、あんたはどうするんですか? お友達はこれ以上続けるつもりは無いみたいですけど、まだ続けます?」
「あ、当たり前でしょう!! 何やってんの、あんた達!!!」
 須磨寺さんは、自分の取り巻きを睨み付ける。しかし、彼女達は目を合わせようとはしない。どんなにリーダーに睨まれても、ただ気まずそうにその目を逸らすだけだった。
「な、何してるのよ! 早くそいつが持っている物を取り上げなさい!!」
 しかし、すでに戦意を失っている彼女達は、どんなにリーダーが声を荒げてもただ下を俯くだけで動こうとはしなかった。
「―――――ッ!!」
 そんな彼女達を見て、須磨寺さんはぎりぎりと悔しそうに歯を食いしばる。
「どうしても続けたいのなら私は構わないですけど。ただ、今度はあんた一人で来て下さいよ」
 そんな詩音に向かい、須磨寺さんは敵意を剥き出しにして睨みつける。
 そんな須磨寺さんの視線を、詩音は正面から受け止める。そして、睨み返すことも、見下すこともなく、強い意志で彼女の目を見つめ返す。
 しばらくの間、二人はそのまま対峙していた。張り詰めた空気が教室を支配する。しかし、先に根負けし、視線を逸らしたのは須磨寺さんの方だった。
 詩音の視線に耐えきれず、目を逸らした彼女はしばらくしてからゆっくりと立ち上がる。そして、憎々しげに詩音を見ると一言こう呟いた。
「…………いい気にならないでよ。所詮この学園で異端なのは、あんた達の方なのよ…………」
 彼女はそう呟き、教室を後にした。残された彼女の取り巻き達はどうしたら良いのか分からず、しばらくの間互いの顔を見合わせ立ち尽くしていたが、やがてリーダーの後を追うように教室から出て行った。
 大勢の人間がいなくなり、再び教室には静寂が戻る。そして、教室には私と詩音の二人が残った。
「………………えっと」
 あまりに突然の出来事で、私はまだ状況に付いていけてなかった。ただ茫然と立ち尽くし、詩音にも声を掛けていない。
 いけない。いつまでも混乱している場合じゃない。まずは詩音にお礼を言わなきゃ。
「あ、あの、助けてくれてありが―――――」



「何でもなくないじゃないですか」



 それは、突き放すような一言。
「……………………え?」
 突然の、予想だにしなかった言葉に、私は言葉を失った。
 ゆっくりと、詩音はこちらを振り返る。そこに浮かんでいた詩音の顔は、私がまだ見たことのない彼女の表情だった。
 そこには私に対する怒りと、どこか悲しげな感情が見えた。
「私、縁寿に聞きましたよね? 『何かあったんですか?』って」
「…………え、えっと、…………その……」
 思ってもみなかった詩音の冷たい口調に、私は動揺してしまう。
 詩音の問いに答えることもできず、ただみっともなく言葉を濁すだけ。
 心の中で『落ち着け、落ち着け』と連呼するが、そんな事で冷静になれるような余裕は、今の私にはなかった。
「縁寿は『何でもない』って言いましたよね? あれは嘘だったんですか?」
「…………そ、それは…………」
 ……どうしよう、どうしよう! 詩音は怒っている。あの時、私が本当のことを言わなかったから……。
 ……何て言えばいいんだろう? あの時、本当のことを言えば良かったのだろうか? でも、私は詩音に―――――
「『詩音に迷惑を掛けたくなかった』ですか?」
「―――――!!」
 まるで、私の心を読んでいるかのように詩音は答えた。
「縁寿、私は連中とのイザコザを迷惑に感じたことは一度もないですよ」
「……………………」
「友達を助けるのは当然のことでしょう? 違いますか?」
「………………違わないわ」
「それとも、私は悩みを打ち明けるに足る人間ではないと?」
「ち、違……!そんなこと………」
「だったら!!」
 詩音は私に向かい、力強くこう言った。
「一人で何でも抱え込まず、私に相談して下さい」
 それは、当たり前のこと。

 困った時や辛い時は、仲間に―――友達に―――相談する。

 それが、もっとも正しく、当たり前のことだったのだ。
 こんな……、こんな簡単なことに、私は気付かなかった。
 いや、本当は気付いていた。でも『迷惑を掛けたくない』とか、『みんなのことを知られたくない』とか、そんな勝手な思い込みで、私は正しい答えを自ら遠ざけていたのだ。
「私は、どんな時でも縁寿の味方でいたいと思っています。でも、私一人が手を伸ばしても意味がないんです。どれだけ手を伸ばしても、縁寿がその手を差し出さない限り、私はその手に触れることすらできないんですよ………?」
「……………………」
 詩音のその言葉に、私は何も返すことができなかった……。
 私は詩音の目を見る。彼女は決して目を逸らさず、真っ直ぐ私を見つめてくれる。でも、私を見つめるその瞳は、どこか寂しげに見えた…………。







 星の綺麗な夜だった。天高く輝く星空の下、風が吹いた。夜風は私の横をすり抜け、うなじに掛かった髪を弄ぶ。私はその髪をそっと押さえ、そこから見える景色を眺めていた。
 ここは寮の3階にあるテラス。そこで、私は一人遠く離れた街の灯りを眺めていた。
 ここは学園の中でも、最も人気のある場所だ。遥か遠くに見える街の灯り。そして、夜空を埋め尽くす満天の星空。ここから街の灯りを見た生徒たちは、遥か遠くに輝く光を見ながら、自分の知らない世界に想いを馳せていたのだろうか?
 将来のこと、外の世界のこと、そして、未だ知らない恋について……。
 私は空を見上げた。そこには満天の星。腕を伸ばせば、今にも手が届きそうだった。
 今夜のような星の綺麗な夜は、沢山の人がここに来ている。でも、消灯時間にこっそり部屋を抜け出してまで来ようとする人はそうはいない。おかげでこの美しい景色を、私は独り占めすることができるというわけだ。
 夜空に輝く満天の星空を見ながら、私は今日のことを思い出していた。
『縁寿がその手を差し出さない限り、私はその手に触れることすらできないんですよ………?』
 あの時、詩音の言った言葉が蘇る。
 ……彼女の言う通りだ。結局、私が良かれと思ってしていたことは、全て裏目に出てしまった。
 詩音に迷惑を掛けまいと、須磨寺さんのことを話さなかったことは、私と詩音の距離を離すだけだった……。
 詩音に知られたくないと、みんなのことを黙っていたことは、私が詩音のことを信じていなかった証……。
 全てが全てが、私の勝手な思い込みだったのだ。
「………………何をしているんだろ、私…………」
 詩音が怒ったのも無理はない。こんな大切なことを、私は彼女に黙っていたのだ。仮に、これが逆の立場だったら、きっと私も怒っていただろう。まして、詩音にそのことを聞かれた時すら、私は黙っていたのだ。
「…………自業自得か」
 今さらながら、詩音に黙っていたことを私は後悔していた。最初から、彼女に相談していれば、こんなことにはならなかったかもしれない。今さら考えても仕方がないと分かっていても、しばらくの間私はそのことが頭から離れなかった。
 そうして、しばらくテラスからの景色を眺めた後、私は後ろを振り返る。そして、後ろのベンチに置いてあるものに手を伸ばした。
 それは、真里亞お姉ちゃんの日記帳。
 私はおもむろに、その日記帳のページを開いた。そこには幼いながらも、可愛らしい文字で日々の楽しい出来事が書かれていた。
 さくたろうと一緒に、良い子でお留守番をしたこと。
 どうやったら楽しい魔法ができるか、二人で考えたこと。
 そしてお休みの日、三人一緒に遊園地へ遊びに行って来たこと。
 そこには、決して恵まれてはいなかったが、毎日を幸せの魔法で埋め尽くしていた彼女の日々が克明に書かれていた。
 もう、以前のようにお姉ちゃんが私の前に現れることはないけれど、そこには確かに彼女がその短い人生を懸命に生きていたことが記されていた。
 この日記帳こそ、彼女が生きた証。そして、たった一人で孤独に生きていた私を励まし、慰めてくれたのもこの日記帳……。いや、真里亞お姉ちゃんなのだ。
 私のかけがえのない友達。その友達を、私は詩音に話さなかった。
 話せばみんなのことを……、お姉ちゃんのことを思い出してしまうから。
 私が彼女達に、どんな酷い事をしたか思い出してしまうから。
 だから語らなかった。彼女達のことを。
 煉獄の七姉妹のことを……、さくたろうのことを……。真里亞お姉ちゃんのことすら、私は詩音に話さなかった。
 語らず、話さず、思い出さず。そうして、私はなかったことにした。彼女達を。
 みんながこの世界に存在したことすら、私はなかったことにしたのだ。
「………………どうして、私はそんなことを」
 友達だった。
 みんな大好きだった。
 私を励ましてくれた。
 慰めてくれた。
 笑わせてくれた。



 ―――――私を幸せにしてくれた―――――



 目を閉じれば、今でも克明に蘇る。
 私と一緒にいてくれる仲間達。
 決して私に触れることはできないけど、私に温かい言葉を投げかけてくれた。
 詩音のように、その温もりを直に感じることはできないけど、彼女達と共に過ごしたあの温かい日々は、紛れもない真実だった。
 私はお姉ちゃんの日記帳を閉じた。そして目を閉じ、それを優しく胸に抱きしめる。
「……真里亞お姉ちゃん」
 とても優しくて、とても暖かで、ちょっと変わっていたけれど、とても大好きだった。
 今はもう、どこか遠くに行ってしまったお姉ちゃんだけど、こうすることでその存在をわずかに感じることができた。
 私はゆっくりと目を開いた。胸にあるのはただの日記帳。でも、これは真里亞お姉ちゃんそのもの。そうして、私はようやくお姉ちゃんのことを、みんなのことを思い出すことができた。
 私は失っていた大切なものを、ようやく取り戻したのだ。
 私は二度と忘れない。
 いなかったことになんてしない。
 私がみんなにしたことから、目を逸らさない。
 そして話そう。詩音に、みんなのことを。
 みんなのことを話して、詩音は何て思うだろうか? 私のことを、変な子だと思うだろうか? そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。
 詩音が私のことをどう思うかは分からない。でも、このまま何も話さないことだけはしない。
 例え、詩音に嫌われたとしても。私は、私の想いを全てぶつける。
 弱かった自分。詩音に嫌われるのが怖くて、みんなのことを隠していた。
 自分の罪から目を背け、ひたすら逃げ続けた。
 でも、それも終わり。私は、私の罪を受け入れる。
 空には満天の星空。この星空の下、どこか遠くにみんなはいるのだろうか?
 いや、きっとどこかにいる。
 私を―――――私の決意を―――――みんなが見守ってくれている。そんな気がした。


(公式掲示板ではここで縁寿イラストあり)


「私は、もう逃げない」







 翌日の放課後、私と詩音は校舎裏にいた。以前は昼休みにここに来て、お姉ちゃんの日記帳を開いて読んでいたものだ。
 しかし、詩音と会ってから昼休みは彼女と一緒に学園を回るようになった。だから詩音をここに連れて来たのは初めてだ。
 元々人気のないこの場所に、学園の人間は滅多にこない。だからこそ、誰にも邪魔されずに話ができると思い、詩音をこの場所に連れて来た。彼女はやや怪訝そうな顔をしながらも、私の方を見つめている。
「どうしたんですか、縁寿? こんな場所に連れて来て」
 詩音は私に尋ねてきた。彼女の顔を見つめ、私は言う。
「詩音。私、あなたに話しておきたいことがあるの」
 私の言葉を聞き、詩音は眉を微かに動かす。こんな場所に呼び出すのだ。彼女もある程度は予想が付いていたのだろう。詩音は小さく頭を縦に振った。
「分かりました。聞かせて下さい、縁寿のこと」
 私達は落ち着いて話をするため、そばに置いてあった資材の上に腰掛けた。私は横目で詩音を軽く見る。彼女はとても落ち着いている。私のどんな話でも、聞いてやると言わんばかりだ。
 後は私の気持ち次第。私が詩音に全てを伝える勇気を持って、一歩踏み出すだけだ。
 私は詩音にみんなのことを話そうと、小さく息を吸い込んだ。しかし……。
 気が付くと、私の左手は小さく震えていた。
 ……どうして。もう、覚悟を決めたはずなのに。私は震えを抑えようと、左手を押さえ付ける。しかし、震えは一向に収まらない。
 ここまで来て、何を今さら!
 自分でもそう思うが、左手は私の不安を現わすように震え続けていた。その時……。
 私の手に、そっともう一つ手が重ねられた。私が驚いて横を向くと、そこにはいつもと同じように笑っている詩音がいた。
「大丈夫ですよ。私がついています」
 詩音は優しく、けれども力強く、私の手を握ってくれる。それが、私の背中を押してくれた。
 気が付けば、左手の震えはもう止まっていた。もう、私に迷いはなかった。
 これで全てを伝えられる。お姉ちゃんのことを。みんなのことを。そして、私は大きく息を吸い込んだ。
 さあ、まずは何から話そうか?



 全てを話した後、静寂が辺りを支配した。
 これで伝えられることは全て伝えた。
 七姉妹のこと、さくたろうのこと、真里亞お姉ちゃんのこと。
 彼女達は、私が魔法で呼び出した存在であること。
 みんな私の大切な友達で、いつも私を励ましてくれたこと。
 そして、私が彼女達に何をしたのかも。
 私は詩音の方を見た。彼女は真っ直ぐ前を見つめたまま黙っている。
 詩音が何を思い、何を考えているのか、その様子からは分からなかった。
「……………………」
 しばらくの間、沈黙が続く。私はその沈黙に居たたまれなくなり、口を開こうとした。その時、詩音が先に口を開いた。
「私は―――――」

























































「魔法なんて全然信じていません」





 それが彼女の答えだった。
 覚悟はあった。私の話が信じられないと、受け入れられないと、詩音がそう答えることは十分に予想できていた。それでも、彼女のその答えを聞いた瞬間、私の心は張り裂けそうになった。
「正直魔女とか魔法とか、そんな非常識的なものがこの世に存在するなんて、私には思えないです」
 期待はしていた。詩音ならば、あるいは私の話を信じてくれるのではないか。みんなの存在を、認めてくれるのではないかと。
 そんな私の淡い期待は、彼女自身の言葉で否定された。
「……そうよね。信じられるわけないわよね。こんな話……」
 須磨寺さんの言うとおりだった。所詮私は他人から見れば、妄想の友達と一人遊びをしているおかしな人間だったのだ。
 友達がいないから、仕方なく妄想の友達と遊んでいる寂しい人間……。
 ……それが、他者から見た私の評価。
 現代のこの世界で、魔法という不確かな存在など認めてはもらえないのだ。
 私は目を閉じる。
 悲しかった。
 大好きな詩音に、それと同じくらい大好きだったみんなを否定されることが……。
 ただ、ひたすら悲しかった……。
 これで、私達の関係は変わってしまうだろう。もう、以前の私達には戻れないかもしれない……。
 …………でも、それでも私は後悔していない。
 私は伝えた。お姉ちゃんのことを。みんなのことを。
 私は逃げなかった。私の罪から。
 私は、今自分にできる精一杯をやり遂げた。
 だから、その結果が何であれ、私はそれを受け入れなければならない。
 私が今日、詩音に全てを伝えたことは、誇って良いものなのだから。
「ごめん詩音、急に変なこと言って。今聞いたことは忘れて」
 そして私は話を切り上げる。これ以上ここにいても意味はない。私の伝えたいことは全て伝えたのだから。
 私がその場から立ち上がろうした時、詩音が声を掛けた。
「でも―――――」
 詩音は私の瞳を見つめこう言った。
「―――――私が信じていないことと、縁寿が信じていることは別の話だと思います」
「………………え?」
 それは、思いがけない言葉だった。
「だって、自分が何を信じて何を信じていないかは個人の自由でしょ?」
 突然のことで、私は詩音が何を言っているのかよく分からなかった。ただ一つ言えることは、彼女がみんなのことを否定しているわけではないということだ。
「…………え、えっと」
「魔法が本当に存在するかどうかは知らないですけど、あると信じているのは個人の自由ですからね」
 詩音は言葉を続ける。
「さっき言ったように、私は魔法の存在なんて信じていません。縁寿には悪いですけど、魔女とか魔法とか、非科学的なものがこの世にあるとは私には思えないです。でも、それは私の考えであって、縁寿の考えではない。だから、私のこの考えを縁寿に押し付けるつもりはありません」
 考えたこともなかった。魔法を信じるのは、個人の自由。
 私の考えでは、魔法はあるかないか。それ以外の考えは存在しない。
 真里亞お姉ちゃんもそうだった。
 私がまだ幼いころ魔法の存在を否定した時、彼女は烈火の如く怒り、私達は大喧嘩をしたのだ。魔法が存在しないという考えは、彼女の中では許されなかったのだ。
 そしてまた私も。魔法の存在を信じない私は魔法の存在を、さくたろうを否定した。私の考えを、彼女に押し付けようとしたのだ。
 魔法の存在を、信じる信じないは人それぞれ。
 魔法が存在するのは、お姉ちゃんの世界。
 魔法が存在しないのは、私の世界。
 でも、お姉ちゃんはまだ幼くて、そしてまた私も幼くて、自分の考え以外を受け入れることができなかったのだ。
 詩音のように、互いの違いを受け入れれば、私達はもっと分かり合えてたかもしれない……。
「いいんじゃないですか? そういう考えがあっても。人それぞれ、考え方があるわけですし。縁寿がどう思おうと、私はそれを否定しようとは思いません。それに―――――」
「……それに?」
 詩音はにこりと笑い、こう答えた。
「縁寿が魔法を信じていようといまいと、私達の友情には何の関係もありませんから」
 その言葉を聞き、私の中の不安が全て消えてなくなった。
 詩音は魔法の存在を信じていない。
 みんなのことを、いるとは言わない。
 でも、みんなの存在を否定はしなかった。
 それで十分だった。
 私は、私の考えを詩音に押し付けない。詩音もまた、自分の考えを私に押し付けない。それだけで、十分私達は分かり合えたのだから。
「ありがとう、詩音」
 私は詩音に感謝を述べる。
 暖かな風が私達の横を吹き抜けた。風に誘われるよう、私は空を見上げる。
 気が付くと、空はいつもの色に戻っていた。もう、どんより淀んでなんかいない。そこにはいつもと同じような、真っ青に澄み渡った青空が広がっていた。
「詩音」
「何ですか?」
 私は詩音の瞳を見つめ、こう言った。
「私、あなたに会えて本当に良かった」
 私がそう言うと、詩音は少し困った顔をして顔を赤くする。
「止めてくださいよ、言ってて恥ずかしくないですか? そんな台詞」
「何で? 本当にそう思っているもの」
「あ~~~、もう!! 真顔でそんなこと言わないで下さい! こっちまで恥ずかしくなります!!」
 そう言って詩音はそっぽ向く。そんな詩音を見て、私は思わず笑ってしまった。
「……縁寿。今私のこと笑いましたね?」
「え? あ~、えっと……」
「ごまかさないで下さい! 縁寿があんな台詞真顔で言うからですよ!!」
 詩音はそう言って私に掴みかかってくる。私はあっという間に詩音にもみくちゃにされてしまった。
 でも、すごく楽しかった。こんな気持ち、本当に久しぶりだった。そして私は思う。
 私は一人じゃない。
 私は家族を失った自分の運命を呪ったが、一つだけ神様に感謝したことがある。
 それは、詩音に出会えたこと。
「私を笑うなんて100年早いです!」
「痛たたた! ゴメンってば、詩音!」
 それはとても暖かな春の午後。
 天気は快晴。春の暖かな陽気がとてもとても、気持ち良かった。



























































































































































 ―――――縁寿さま―――――





「………………ん?」
 …………誰? 今、誰かが縁寿の名前を呼んだような……?
 誰かいるのかと思い、私は辺りを見回すが誰もいない。
「……………………?」
 気のせいだろうか? 首を傾げる私に、縁寿が不思議そうな顔で尋ねてきた。
「詩音?」
「あっ、何でもないです」
 多分気のせいだ。ここには私達以外、誰もいないじゃないか。そんなことより、縁寿に聞きたいことがあったんだ。
「ねぇ、縁寿」
「え? 何?」



「あなたの友達は、本当にいなくなっちゃったんですか?」







「………………え?」
 詩音のその言葉を聞き、私は言葉を失った。
 ―――――あなたの友達は、本当にいなくなっちゃったんですか?―――――
 いなくなったのだ。
 だって、みんな何処にもいないもの。
 私がどんなに探しても、どれだけ呼びかけても、声はおろか気配すら感じない。
 ……何故なら、私がみんなを消したから……。
 でも詩音は言葉を続ける。
「魔法を信じてない私が言うのもなんですけど、縁寿の友達は魔法で呼び出したんですよね? それなら、もう一度呼び出せないんですか?」
 それは一度試した事があった。お姉ちゃんに、みんなにもう一度会えないだろうかと思い、彼女達を呼び出そうとしたのだ。しかし、その時はあんなにも身近に感じられた彼女達の気配は、微塵も感じられなかった。
「……それは前に一度試したわ。でも、みんなの気配は何も感じられなかった……。みんないなくなってしまったわ。だって、私がみんなを消してしまったんだもの……」
 だから私は諦めた。もうみんなは、手の届かないどこか遠くに行ってしまったのだと、私は考えたのだ。
 けれど詩音は言う。
「う~ん、でも―――――」
 詩音は少々納得いかないような顔して、私に言った。
「叶わない願いが叶うからこそ、“魔法”って言うんじゃないですか?」
「―――――あ」
 そうだ。詩音が今言った言葉こそ、魔法の本質。
 絶対に起こりえないことが起こる。
 それが“魔法”。
 そう、そうなのだ。私は、魔法という言葉の意味すら忘れていた。
「お姉ちゃんに……。みんなに……、もう一度会える?」
「それができるかどうかは、縁寿次第ですけどね」
 本当に……、本当にそんなことができるのだろうか? あの日以来、みんなの気配は微塵も感じられない。呼びかけても、どこを探しても見つからなかった。でも、ひょっとしたら……。
 私はしばらくの間その場で考えたが、やがて決意する。
 たった一度の失敗で諦めてなるものか!
「詩音、私もう一度使ってみる。私の魔法を」
 詩音はそんな私を見つめ、軽く微笑んでくれた。
「はい、縁寿の望むように。私は何もできないですけど、そばで見守っていますから」
 もう一度やってみよう。私の魔法を。
 本当にみんなを呼び出せるかは分からない。呼び出せたところで、どうしたら良いかは分からない。あれほどみんなに酷いことをして、今さらどんな顔をして会えば良いのか……。
 でも、それでも私は―――――
「私、もう一度みんなに会いたい」



 私は膝の上にお姉ちゃんの日記帳を置く。少し緊張した指先で、やや擦り切れた表紙に指を掛けページをめくる。開いたページに描かれているのは、煉獄の七姉妹の本来の姿である七本の杭。
 今から彼女達をもう一度呼び出す。一度は諦めた。もう二度と、彼女達に会えることはできないのだと考えた。でも、私が本当に魔法を使えるならばきっともう一度……!
 私は本から視線を外し横を見る。少し離れた木陰に詩音は立っていた。そばにいると集中できないだろうと言い、気を遣ってくれたのだ。彼女のそんな何気ない気配りが今は嬉しかった。
 私は視線を本に戻す。そして、目を閉じ、軽く息を吸い意識を集中させる。魔力を高め、反魔法の毒素をゼロにするには広大な空間のイメージが必要となる。
 私は完全に外界の情報を頭から叩き出し、空間をイメージするのに集中する。私の意識の中に広大な空間が広がっていく。
 果てなく広がった大地。吹き抜ける風を遮るものは何もなく、上を見上げると青い大空が広がっている。
 やがて、私の体は大地からも解放される。私はどんどん空へ上がっていき、今度こそ私を遮るものは何もなくなった。
 私は意識を集中し辺りを見回す。やはりみんなの姿はどこにも見られない。以前、私はここで諦めてしまった。みんなの気配が感じられず、もういなくなってしまったと思い込んだ。だが今は違う。もう一度みんなを呼び出すのだ。
 さあ、ここからが本番だ。いよいよ七姉妹を呼び出す。最初に誰を呼び出すか……。私は少し躊躇ったが、意を決しその名を口にする。
「さぁさ、お出でなさい、罪を赦しなさい。煉獄の七杭が一つ、強欲のマモン!!」
 私がそう叫ぶと、何も感じられなかった空間に人の気配が現れた。その気配は弱々しく、気を抜いたら今にも消えてしまいそうだ。だから私はその気配が消えないよう、魔力を高める。彼女が消えてしまわないよう、目を閉じ意識をさらに集中させる。
 まだだ、まだ魔力が足りない。もっともっと、彼女がこの場に定位するぐらいの魔力を!!
 額に玉のような汗が浮かび、こめかみが痛くなってきた。絶え間ない頭痛が私を襲う。それでも私は集中を切らなかった。ここで諦めてしまったら、彼女には二度と会えないだろう。
 やがて、初めは弱々しく、輪郭も曖昧だったその気配は人の形となりその姿を現わしていく。
 そして、その気配が完全な人の形となった時、私はゆっくりと目を開けた。



「お久しぶりですね、縁寿さま。どういう心境の変化ですか? 私をもう一度呼び出すなんて」



 そこには、依然と何一つ変わらぬ姿で佇むマモンの姿あった。
「………………マモン」
「今さら私に何の用ですか? 使えない家具に用はないんでしょう? それとも、また私達を壊したくなったんですか? それならそれで構わないですけど……。使われてこその家具ですから。ムカついて八つ当たりされても、主人が喜んでくれれば私達は本望です」
「……………………」
 マモンのその口ぶりには、以前のような私に対する親愛はまるで感じられなかった。当然だ。私は彼女に対し、人として許されないような酷いことをしたのだから。
「…………マモン。私、あなたに謝りたくて…………」
「謝る? 何を?」
 彼女は冷たく言い放つ。その言葉に、私は息が詰まりそうだった。
「何を謝るんです? 縁寿さまが謝るようなことは何もありませんよ。もし、縁寿さまがあのことに対して罪の意識を感じているなら、気にすることはありません。所詮私達は家具ですから。主にどう扱われようが、それで縁寿さまの胸の内がスッキリするなら、家具としてこれ以上の喜びはありません。えぇ、どうぞ好きに使って下さい。今度はどうしたら満足なさいます? 足を折りますか? 腕を折りますか? それとも頭をもぎ取りますかぁ? 縁寿さまのどんなご要望にも私達はお応えしますよ? キャハハハハハハハ!!!」
 マモンの自虐的な笑いが、辺りに木霊する。そんな彼女の痛々しい姿を見て、私の心は罪の意識で押しつぶされそうになる。
 でも、目を逸らしてはいけない。彼女をこんな風にしたのは他ならぬ、この私なのだから……。
「マモンお願い、話を聞い―――――」










「うるさい!!!!」










 その瞬間、マモンの怒号が響き渡った。
「うるさい! うるさい! うるさい! 言い訳なんて聞きたくないわ! 今さらどの面下げて謝るってのよ! 謝れば許してもらえると思ってんの!? バッカじゃない! そんなわけないでしょ! アンタ自分がしたこと分かってるの!? 自分が私達に何をしたか! みんなアンタが壊したのよ! アンタの為にずっとそばにいた私達を、否定して、罵って、おもちゃみたいにバラバラにして!! みんなアンタのことを想っていたのに! みんなみんな、アンタのことが好きだったのに!! 」
「……………………そ、それは」
「所詮私達は妄想、幻想、白昼夢!! だったらそれでいいじゃない!! キレイさっぱり忘れてしまいなさいな! ホンモノ・・・・のお友達もできたんでしょ! ああ良かったですね! これで妄想の友達と遊ぶ必要もなくなったわけですから! 壊れた家具なんかさっさと捨てて、新しいお友達とせいぜい楽しく暮らしなさいな!!」
 マモンの言葉が私の胸に突き刺さる。あんなにも大好きだった友達から、容赦ない罵倒が降りかかる。
 でも、逃げてはいけない。本当につらいのはあの時、私から心ない言葉を浴びせられた、マモンの方なのだから。
「好きだったのに……。本当に大好きだったのに………」
 マモンの目には涙が浮かんでいた。
「…………マモン、私は…………」
「何が一番の友達よ!! この嘘つき!! アンタなんか大っ嫌い!!!」
 マモンは、胸の内の怒りを全て吐き出す。そして、私はマモンに何を伝えれば良いのか分からなくなった。
 もう、私達の間には取り返しのない亀裂が生じてしまった。
 許されようとは思わない。憎まれても構わない。私がみんなにしたことは、それぐらい罪深いことなのだから……。でも…………。
 たった一言謝りたかった。せめて、今の私の気持ちをマモンに、みんなに伝えたかった。でも、今の彼女にはその一言すら届かない。私はどうすれば…………。



「もう十分でしょう。いい加減にしなさい、マモン」



 その時、聞き覚えのある声がした。私は驚き、声の聞こえた方を振り向いた。
「マモンの気持ちも分かるけど、主に対してその口の利き方はあんまりだわ。それぐらいにしなさい」
 ああ、良く覚えている。そう、この声は……。
「…………ルシ姉」
「…………ルシファー」
 そこに現れたのは煉獄の七姉妹が長女、ルシファーだった。
「ご無沙汰申し上げます、縁寿さま。我が愚妹の無礼、どうかお許し下さい。姉妹を代表して謝罪します」
 そう言い、ルシファーは恭しく頭を垂れる。しかし、彼女に頭を下げてもらう資格など私には無かった。
「よして、ルシファー。悪いのは私の方だもの、マモンの言う通りだわ。今さらどんな言葉を並べても、私にはみんなに許してもらう資格なんかないわ」
「お止め下さい、縁寿さま。私達はもう、あの日のことは気にしておりません。一人孤独と戦っていた、あの時の縁寿さまのお気持ち察します。縁寿さまがお望みならば、私達は今すぐにでも再び縁寿さまの家具となります。元より、主に使われてこそ家具の喜び。姉妹一同、再び縁寿さまに使われることを望んでおります」
 ルシファーのその言葉は、今の私にとって最も救いとなるものだった。もう一度、みんなと会える。それは、何事にも代え難い私の願い。でも…………。
「認めない!!」
 ルシファーの言葉を聞いて、マモンは声を荒げる。
「そんなの私は認めない!! ルシ姉、縁寿さまが私達に何をしたのか忘れたの!? 私達を傷つけて、壊して、バラバラにしたのよ!! あんなに親身にしていた私達を、八つ当たりのためだけに粉々にして砕いたのよ!! あんなことされて、ルシ姉は許すって言うの!?」
「いい加減にしなさい!! あの時の縁寿さまのお気持ちを察しなさい! それに、縁寿さまは私達に謝りたいと言ったわ。主からそのような言葉を頂けるだけでも、家具の身には過ぎたこと。あなただって十分でしょう?」
 しかし、マモンは頑として首を縦には振らない。
「そんなの口だけならどうとでも言えるじゃない!! 私はまだ、あの日のことを許してなんかいないんだから!!」
 マモンは決して私を許さないと言っている。でも、そんな彼女の気持ちも分かる気がする。
 私は七姉妹全員が好きだったが、マモンとは特に親しかった。姉妹の中で初めて友達になったのが彼女だった。
 まだ私の魔力が弱く、一人しか呼び出せない時からずっとそばにいてくれた。
 私の日々の不満に耳を傾けてくれた。
 魔法の修行をしている時、そばで応援してくれた。
 一人で寂しい夜に、一緒にお喋りをしてくれた。
 だから私にはよく分かる。彼女の気持ちが。
 一番大切にしていた友達に、裏切られた彼女の気持ちが。彼女の純粋な優しさを、私は踏みにじった。
「許さない! 許さない! 許さない! 絶対に許さない!!!」
 マモンは声を枯らして叫ぶ。あの日の出来事を忘れないため。私を罪の意識から逃がさないため。それが、今彼女にできる精一杯の抵抗なのだ……。
「いい加減にしなさい、せっかく縁寿さまに呼び出して頂いたのに!!」
 ルシファーがマモンを咎めるが、マモンの私に対する罵りは一向に止まない。
「申し訳ありません、縁寿さま……。重ね重ね、愚妹の無礼をお許し下さい」
「いいの……。全部私が悪いんだもの。マモンの言うことは正しいわ……」
「本当に申し訳ありません……。ですが、どうか分かって下さい。この学園で、縁寿さまにご友人ができたことを誰よりも喜んでいたのはこの子なんです」
「………………え?」
「ルシ姉!!」
 ルシファーがその言葉を言うと同時に、マモンが食ってかかる。しかし、ルシファーは意に介さずその先を続ける。
「別に隠すようなことじゃないでしょう。縁寿さま、学園で独りぼっちだった縁寿さまに友人ができたことを、一番喜んでいたのはこの子なんです。これでやっと縁寿さまも、学園で一人ぼっちじゃなくなくなる、って嬉しそうに話していたんです」
「…………ほ、本当?」
「言ってない! そんなこと!!」
 ルシファーが今言ったことを、マモンは全力で否定する。でも、それが嘘だということはすぐに分かった。だって、彼女が隠し事をする時は、決まって耳が赤くなるのだから。
「いい加減、つまらない意地を張るのは止めなさい。みんな知っているんだから、マモンがどれだけ縁寿さまを心配していたか」
「マモン……」
「………………」
 私がマモンを見ると、彼女は何も言わずふてくされた子どもの様に横を向く。
 …………マモン。あなたは、そんなに私のことを心配してくれたの?
 あなたに、あんなひどいことをした私なんかを…………?
 その時、今度はたくさんの気配がこの場に現れた。
「でもぉ、強欲なマモ姉はだんだんそれが気に入らなくなったのよねぇ」
 そこに姿を現したのは、末っ子のアスモデウス。
「縁寿さまを独り占めしている詩音に嫉妬しちゃったのよね。嫉妬は私の専売特許なのにぃ」
 次女、レヴィアタン。
「それがだんだん怒りに変わっちゃったんですよ。詩音に縁寿さまを取られちゃったから」
 三女、サタン。
「女の恨みは怖いですね、縁寿さま。食べ物の恨みより怖いかも」
 六女、ベルゼブブ。
「詩音に直接それを伝えられればまだ良かったのですが、彼女は私達を知覚できない。だから、怒りの矛先が縁寿さまに向いてしまったんです」
 四女、ベルフェゴール。
「でも、どうかマモンを怒らないで。マモンは本当に、縁寿のことが好きだったんだよ」
 さくたろうも。
 あっという間に、みんなに周りを囲まれた。それは、私が最も望んでいた光景だった。とても、とても懐かしい……。
 みんなと会えなくなってほんの数週間だろうけど、もう何年も会っていないかのようだった。それだけ私にとって、みんなの存在は大切なものだったのだ。
「みんな……」
 私は、みんなを傷つけた。謝っても許されないような酷いことをしたのだ。それなのに、そんな私に対し、みんなは笑ってくれた。みんなの笑顔が暖かかった。
「さあ、マモン。縁寿さまに言うことがあるでしょう」
 ルシファーがマモンに声を掛ける。
 私はマモンの方を向いた。彼女は気まずそうに私から視線を外していたが、やがてその目が合う。
「わ、私は……」
 そして、マモンは少し気恥ずかしそうに言う。
「……私は、別に縁寿さまを取られたことが悔しかったんじゃない…………」
 マモンの目じりには、うっすらと涙が浮かんでいた。
「……ただ私は、私のことを……、みんなのことを忘れてほしくなかっただけ…………。私達の思い出まで、なかったことにしてほしくなかっただけ…………」
 その瞬間、ようやく私は理解した。マモンは、怒っていたわけではなかったのだ。ただ、悲しかったのだ。私がマモンのことを、みんなのことを忘れていたことが。私が今の生活を謳歌している一方、みんなとの思い出をなかったことにしたことを。
 そして私は、ようやく私の本当の罪に気が付いた。
「ごめんマモン! ごめんみんな! ごめんね、ホントにごめん!!」
「…………縁寿さま。うぅ……、ひぐ……、わぁあああああああああーーーーーーん!!!」
 そうして、私達は抱き合い、そして互いに謝った。
「ごめんマモン! 忘れようとしてごめん! みんなをなかったことにしてごめん!!」
「私の方こそごめんなさい! ひどいことたくさん言ってごめんなさい!!」
 そんな私たちの様子を、みんなは暖かく見守ってくれた。私の罪を、みんなは許してくれた。私は今頃になって仲間の、友達の大切さを知ったのだ。



「ありがとう、みんな」
 私は周りを見渡した。
 みんな笑っている。
 みんな、私がここに帰って来たことを喜んでくれる。
 私はようやく戻ったのだ。
 大切な、みんなのいる世界に。
 そう、そこには私の大切な友達の姿が―――――












































































































 …………………………あれ?





 ………………あれ、あれ、あれ?




 ………………足りない。

 足りない足りない足りない。

 ―――――人数が足りない―――――

 そこには…………、いないのだ……。

 私の最も初めの、最も大切な友達が。

「……………………真里亞お姉ちゃんは?」

 私がその名を口に出した途端、嬉しそうに笑っていたみんなの笑顔に影が差した。
「………………あ、そのマリア卿は…………」
 ルシファーがバツの悪そうな顔して口ごもった。私は他の姉妹を見るが、みんな気まずそうに私から目を逸らす。
 …………どうして? どうして真里亞お姉ちゃんだけいないの……?
「さくたろう、真里亞お姉ちゃんは……?」
 私はさくたろうに真里亞お姉ちゃんのことを聞いてみる。さくたろうはお姉ちゃんの一番の友達だ。お姉ちゃんのことなら彼が一番詳しいだろう。しかし、やはりさくたろうもどこか浮かない顔をしている。
「…………うりゅ。真里亞、いじわるしないで出てきてあげて」
 さくたろうがそう言うと、突如辺りに強い風が吹き荒れた。私は思わず目を閉じる。やがて風は止み、私はうっすらと目を開いた。
 そして、私が目を開いた先、そこには漆黒の衣装を身に纏った、原初の魔女の姿があった。
「…………真里亞、お姉ちゃん…………」
 私の目の前に立つお姉ちゃんからは、以前のような穏やかな雰囲気はまるで感じられなかった。その顔は険しく、彼女が纏う気配には何者も寄せ付けないような威圧感があった。
 それは、初めて見る原初の魔女の姿。真里亞お姉ちゃんは本気で怒っているのだ。
「うりゅ……、真里亞怖い」
 彼女のその雰囲気は、一番の友達であるさくたろうをも寄せ付けなかった。それは七姉妹も同様だった。彼女達はお姉ちゃんに一定の敬意を払いつつも、お姉ちゃんの友人だった。そんな彼女達も、今の真里亞お姉ちゃんには迂闊に声を掛けられないでいる。
 しかし、ルシファーは姉妹の長としてお姉ちゃんに意見を述べる。
「そ、その……マリア卿……。縁寿さまはすでにあの日のことを、深く悔やまれています。どうかそのお気持ちをくみ取って、ここは穏便に―――――」
「駄目だよ」
 ルシファーの意見をお姉ちゃんは一蹴する。お姉ちゃんのその一言で、ルシファーは何も言えずに口を紡いでしまった。
 そして、真里亞お姉ちゃんは私の目を見てこう言った。
「縁寿はマリアージュ・ソルシエールの条約に違反した」
 その言葉の重さが、私の心に響く。
「マリアージュ・ソルシエール、第一条。相互不可侵、不干渉」
 そう、それは忘れてはならない、マリアージュ・ソルシエールの最も大切な取り決め。
「マリアージュ・ソルシエールは、お互いが魔女であることを、互いに認め合う同盟。それが、マリアージュ・ソルシエールの取り決めの第一条。同盟の魔女は、互いを魔女と認め、尊敬し合うこと。それこそが、魔女同盟の一番の、そして唯一の意味。縁寿はこれを覚えている?」
「…………うん、覚えている」
「縁寿はそれを知っていながら、条約を破った。煉獄の七姉妹を自ら傷つけ、あまつさえ自分の家具でもないさくたろうを反魔法の毒素で焼いたんだよ」
「うりゅ……、僕はもう気にしてないよ。だから、縁寿を許してあげて」
「マリア卿! 私からもお願いします、どうか縁寿さまを許して下さい!」
 さくたろうとマモンがお姉ちゃんに訴える。でも、お姉ちゃんは首を横に振る。
「許すとか、許さないとかじゃないんだよ。縁寿は条約を破った、それが真実。相手が許したから、許されるわけじゃない。魔女同盟の条約は、そんな軽いものじゃないんだよ」
「…………うりゅ」
「うぅ………。でも、でも…………!!」
 二人はお姉ちゃんの意見に納得してはいない。でも、お姉ちゃんの意見は変わらない。それは、お姉ちゃんの考えが正しいから。
 魔女における契約や、条約などといった取り決めは、とてつもなく重い意味を持つ。だから人は、安易に魔女や悪魔と契約をしないのだ。安易に契約をすれば、易々と魂を持っていかれる。それぐらい、重要なもの。
 だから、私が条約を破ったことで罰を受けるのは、至極当然のことなのだ……。
「縁寿、君は自分の犯した罪の重さが理解できるね?」
「…………はい」
「なら、君が罰を受けるのも当然のことだよ」
「…………はい、覚悟はできています」
「そんな!!」
 マモンは声を上げる。
「いいのよ、マモン。これは私にとって当然の結果なんだから。ケジメはつけなくちゃいけないの」
「……で、でも」
 やがて、真里亞お姉ちゃんは私に一歩近づく。
「いい心がけだよ。自分の犯した罪から目を逸らさないでいるのは簡単なことじゃない」
 そう言う真里亞お姉ちゃんの言葉には、少しだけいつもの優しさが込められている気がした。
「だからこそ、ケジメはちゃんと取らないといけない。分かるね?」
「はい」
 そうして、真里亞お姉ちゃんはじっと私の目を見つめる。やがて、私の顔を見ながら小さく頷くと、持っていた杖を前に立てた。そして、右手で杖を付き、大きく息を吸う。
「原初の魔女見習い、マリアの名において―――――」



























































「魔女見習いエンジェをマリアージュ・ソルシエール魔女同盟より除名とする!!!!!」









 その瞬間、私とみんなを繋いでいた絆が断ち切られた。これで、私はもう二度とみんなの輪の中に入ることはできなくなった。
 涙が出そうになる。でも、泣いてはいけない。これは私自身が招いたこと。ならば、私はこの結果を受け入れなければならない。それが、私にできる精一杯の贖罪。
 私は辺りを見回す。そこには様々な感情で、原初の魔女の宣言を聞くみんなの姿があった。
 ある者は悲しみ、ある者は怒り、そしてまたある者は涙を流していた。
 しかし、それぞれ想うことがあっても、お姉ちゃんに意見する者は決していなかった。何故なら、お姉ちゃんがたった今宣言したことは、何よりも正しかったのだから……。
 私は、マリアージュ・ソルシエールの条約を破った。
『同盟の魔女は、互いを魔女と認め、尊敬し合うこと』
 その最も大切で、唯一の意味を私は踏みにじった。ならば私は、それを犯した罪を償わなければならない。
 マリアージュ・ソルシエールからの除名。それが、私にできるたった一つの罪滅ぼしなのだ……。
「縁寿さま……、縁寿さまぁ…………」
 マモンは涙を流しながら、私の名を呼び続ける。私が大好きだった可愛らしいその顔は、涙でぐしゃぐしゃになってしまったけど、それが私には嬉しかった。
 私が涙を流せない代わりに、マモンが私の為に泣いてくれる。
「ありがとうマモン、私の代わりに泣いてくれて。もう十分よ、あなたの気持ちは伝わったわ」
「…………うぅ、うぅ。でも……、でもぉ…………」
 マモンは私のために泣き続けている。今の私にとって、彼女のその気持ちが何よりも嬉しかった。そして、彼女その気持ちが私の背中を押してくれた。私はこの現実を受け入れるため、真里亞お姉ちゃんの前に立つ。
「魔女見習いエンジェ」
 お姉ちゃんが私に告げる。
「あなたはマリアージュ・ソルシエールの理念を汚し、踏みにじりました。よって、今この瞬間より、あなたをマリアージュ・ソルシエール魔女同盟より除名とします」
「はい」
「魔女同盟除名という不名誉は、今後永きに渡って魔女の世界に残るでしょう。この先、あなたの魔女として地位は絶望的です。あなたはその結果を、甘んじて受け入れなければなりません」
「はい」
 これで、私の魔女としての未来はなくなった。そして、みんなともここでお別れ。魔女同盟を除名となった私が、みんなと関わる理由はない。



 ―――――ここが私の、夢の終わり―――――



「…………ごめんなさい真里亞お姉ちゃん、こんなことになってしまって……。せっかく魔法を教えてもらったのに……。私、魔女になれなかった…………」
 悔いはある。やり残したこともたくさんある。でも、これは私が招いた結果。だから、私は受け入れる。
「本当に残念です。師として、あなたには期待していました。しかし、これも一つの結果。あなたは心から魔法を信じることができなかった。ならば、遅かれ早かれ、こういう結果になっていたかもしれません」
「…………はい」
「では師として、あなたに最後の言葉を送ります」
 お姉ちゃんの口からその言葉を聞き、これで本当にみんなとお別れだと私は悟る。お姉ちゃんからの最後のメッセージを聞くため、私は耳を傾ける。
「魔女見習いエンジェ―――――」


























































「あなたがこの試練を越え、立派な魔女になれるよう、これからは“友”として一緒に頑張りましょう」










「―――――え?」
「弟子の罪は、師の罪。縁寿がこの結果になったのは、真里亞にも責任がある。だから縁寿が立派な魔女になれるまで、一緒に頑張ろう。マリアージュ・ソルシエールを除名になっちゃったから師弟ではなくなったけど、これからは友達として頑張ろ?」
「……あ、……あ、…………あ」
「魔女同盟除名の不名誉が消えて霞むぐらい、立派な魔女になろ? 真里亞も立派な魔女になれるよう頑張る。きっとみんなも手伝ってくれるよ」
 ………言葉にならなかった。真里亞お姉ちゃんはこんな私を許すと、一緒に頑張ろうと言ってくれる。
「あ、ありがとうございます!! ありがとうございます、マリア卿!!」
「うりゅー!! ありがとう真里亞!!」
 マモンは泣いて喜んでくれる。そして、さくたろうもお姉ちゃんに感謝の言葉を述べていた。
「さぁっすがマリア卿!私は最初から信じていました!」
「よく言うな、アスモ。泣きそうだったくせに」
「そう言うベルフェ姉も泣きそうだったよ」
「ベルゼ!余計なことは言わなくていい」
 ベルフェゴールは照れくさそうに、顔を赤くしている。
「さすがはマリア卿、心が広い! 怒りんぼのサタンとは違いますね! サタンなんか、今にもマリア卿に飛びかかりそうでしたよ」
「レヴィア姉! 何言ってんのよ!! そんなこと思ってないわよ!!」
「ありがとうございます、マリア卿。姉妹を代表してお礼申し上げます」
 みんな喜び、お姉ちゃんに感謝を述べていた。そんなみんなの気持ちが嬉しくて、嬉しくて……。
 でも、嬉しすぎて心がパンクしそうだった私は、その気持ちをうまくみんなに伝えることができなくて…………。
「縁寿」
 真里亞お姉ちゃんが優しく話しかける。
「もう、我慢しなくていいんだよ」
 その言葉を聞いた瞬間、涙が溢れた。
 そして、私は真里亞お姉ちゃんにしがみつき、その胸で子供のように泣いた……。
「……あ、……あ、ああぁあああああーーーーーーーーーーーー!!!!!!」
 泣いて……、泣いて……、泣き続けた。
「あ、ありがとう……。ありがとう、お姉ちゃん……。……ありがと、みんな……」
 嗚咽まじりに、私は感謝の言葉を述べた。声が引きつってうまく言えなかったけれど、それでもみんなには伝わった。
「縁寿さま……、うぇ……、ホントに良かった……」
 マモンはまだ泣いていた。でも、それはもう悲しみの涙じゃない。嬉しくて嬉しくて、私達2人は、共に涙が枯れるぐらい泣き続けた。
 みんなを傷つけた。マリアージュ・ソルシエールの理念を踏みにじった。それは変えようのない事実。でも、お姉ちゃんはそんな私に道を示してくれた。
 いつの日か、私が犯した過ちを償えるような立派な魔女になること。それが、魔女として私にできる償いへの道。
 みんなを傷つけてしまったあの日、あの瞬間から、ようやく私は前に進むことができた。







 縁寿の目から、一筋の涙が零れた。
 本を開いて目をつむり、ひたすらじっとしていた縁寿だったが、急にその目から涙が零れて私は驚いた。
 私はどうしたのかと思い、縁寿に駆け寄ろうとした。しかし、その時気が付いた。縁寿の周りには、大勢の人の気配がする。
 私は目をこする。もちろん誰もいない。でも、何故かそこには、縁寿を優しく包み込む不思議な気配を感じた。
 私は魔法なんて信じない。そんな非科学的なもの、存在するわけがない。
 ……でも、そこには確かに、縁寿を包み込む不思議な存在があった。そんな光景を目の当たりにした私は、ちょっとだけこんなことを思った。
 ―――――ひょっとしたら魔法っていうものは、あるのかもしれない―――――

 そんな詩音の様子を姉妹達は見ていた。
「変なの。あの人魔法を信じていないのに、私達が見えかけている」
 アスモデウスは首を傾げる。
「恐らくそれは、あの方が魔法を否定しないからだ。自らは信じていないが、決してそれを他者に押し付けない。自分以外の世界では、魔法を否定しないから反魔法の毒素が少ないんだ」
「ベルフェ、そんな難しいことじゃないよ」
 そこに真里亞が現れた。ベルフェゴールは真里亞の言葉を聞いて不思議そうな顔をしている。
「と、言いますと?」
「愛があれば、魔法は視える」
 真里亞は詩音を見ながら、そう呟いた。
「彼女には、もう視えはじめているよ」

 しばらくすると、縁寿はそっと涙を拭き立ち上がった。その顔はとても晴れやかで、今まで見たことがないくらい、清々しかった。
 私には、彼女の中で何が変わったのかは分からない。でも、それは縁寿にとって、とても良いことだったのだろう。
 その時、縁寿と目が合った。彼女は少し照れくさそうに、でも嬉しそうに笑った。そんな縁寿の様子を見て、何だかこっちも照れくさくなった。私は笑ってそれを誤魔化しながら縁寿に近付き、声を掛ける。
「……友達とは仲直りできましたか?」
 縁寿は小さく頷いた。
「ええ、あなたのおかげよ」
 そして、私の目を見つめこう言った。





「ありがとう、詩音」





 ―――――それは、花のような笑顔―――――





 ………ああ、そうか。
 縁寿って、本当に嬉しい時はこんな風に笑うんだ。
 そんな彼女を見て、私は一つ分かったことがあった。
 私―――――
「ねぇ、詩音。今から買い物に行かない? この間は結局行きそびれたし」
 縁寿は楽しそうに話す。うん、それはとてもいい考えだ。
「いいですね! 一緒に行きましょう! こないだ話していたプレゼント、まだ縁寿に買ってないですからね」
「ねぇ、何をプレゼントしてくれるの?」
「秘密です。買ってからのお楽しみということで」
「今教えてくれていいじゃない」
「ダメです。教えたら楽しみが減っちゃうじゃないですか。さあ、行きますよ!」
 私は縁寿の手を引いて走り出した。木漏れ日の中を私達は駆け抜ける。
 頬を撫でる風が、とても気持ち良かった。後ろを振り返ると、そこには嬉しそうな縁寿の笑顔。気が付けば、私も一緒になって笑っていた。
 なんだかとても嬉しくて、私は思わず顔を上げた。そこにはとても綺麗な青空。
 そんな空を眺めながら、私はさっき気が付いたことを思い返した。





 ―――――私、今よりもっと縁寿のことが好きになれる―――――






 空はどこまでも高く、青く青く澄み渡っていた。



















【TIPS】 

「ありがとうございましたー」
 店員の挨拶を聞きながら、私達は店を出た。
 今、鏡で自分の顔を見たらどんな顔なのだろう? きっと、嬉しさを隠しきれず笑みがこぼれているに違いない。そんな私の手の中には、綺麗にラッピングされた小さな包みがあった。
「ねえ、詩音。本当にいいの?」
「もちろんです。その為に買ったんですから」
「ありがとう、大切にするわ」
「そうしてもらえると私も嬉しいです。ねえ縁寿、早速着けてみたらどうですか?」
「ううん、いいわ。これは大切にしまっておくから」
「ええ!? じゃあ何の為にプレゼントしたか分からないじゃないですか!」
「だって、今着けたらもったいないもの」
「いいじゃないですか、着ければ。絶対似合いますって!」
「いいの、そのうち着けるから」
  詩音は私がすぐに着けないと言い、不満そうに呟く。でもこれで良いのだ。だって、今すぐ着けるなんてもったいない。
 初めて詩音から貰った、大切なプレゼント。
 だから、大切にしまっておこう。今だけは。
 いつか、いつの日かこれを着ける時が来たら、その時は見てもらおう。
 似合うかどうか分からないけど、きっと詩音に見てもらおう。

 私の大切な友達に。






続く


2009.09.06 Sun l うみねこ l コメント (3) トラックバック (0) l top

コメント

No title
こんばんは!

「そらのむこう」読ませて頂きました。
縁寿と詩音の競演という設定がとても良かったです。
縁寿の学園生活は痛々しかったので、こちらも救われたような
気持ちになりました(^^

続きを楽しみにしてますねv
頑張ってください!
2009.09.22 Tue l ふぢまる. URL l 編集
あたたかい風が吹きましたね
とてもおもしろかったです。
縁寿の抱えた辛さを詩音のあたたかい風を吹き飛ばしていますね。
マモンや煉獄姉妹たちのセリフを読むと彼女たちは縁寿の感情の一種(私はそうとらえています。)
であるにもかかわらず、1つ1つが意思をもっていることがわかります。内面の1つ1つの感情をもっと労らなくてはと思います。例えば悲しい気持ちを誤魔化したり生きているにもかかわらず勝手になきものとして無理をしたら駄目だと。自分の内面と向き合うことって、もっと自分の内面を擬人化させてわかりやすくわかりやすく表出させてあげなくてはいけないということを改めて気づかせてくれました。自分の気持ちや願いをもっと大切にしたいと感じました。
2011.12.31 Sat l 乗組員Z. URL l 編集
二度目を読ませていただきました。
いいお話しですね。詩音の姿に縁寿とともに友情の本当の意味を教えていただきました。
「信用」「忍耐」『尊敬」(合わせてシニソ(^_^;)この3つが友情には不可欠であること、どこまでも確かめ合い信じ合っていく・・・それが本当の友情の姿だと思いました。
それから七杭姉妹の登場は本当におもしろい。七杭は(((((((((((私を幸せにしてくれる私の心たち)))))))))))であるのですね。自分の中にもいるはず・・・思わず自分の心の七杭さんと(七句遺産)と話してみたくなりました。すごい擬人化です。長女ルシファーはさすが、2女レヴァイアタン3女サタン(恨みさん)4女ベルフェゴール5女強欲のマモン6女怒りのベルゼブブそして一人会話文がないと思ったらちゃんと最初の方に登場していましたね。末っ子のアスモデウス・・・
よい物語がよい価値観を育むといいますが、人を信じること、詩音のように(((((((((((今よりもっと縁寿を好きになれる)))))))))))そんな広い心でたくさんの方と接していきたいと思いました。詩音に惚れました!
2012.02.12 Sun l 乗組員Z. URL l 編集

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