交差座標のスターダスト β 第8話です。
真帆、紅莉栖、まゆり。それぞれの想いを書いてみました。
 しばらくの間、俺は真帆を優しく抱きしめる。最初は嗚咽を漏らしていた彼女も、徐々に落ち着きを取り戻してきた。
 やがて、彼女は顔を上げ俺に話しかける。
「……ありがとう、岡部さん。もう大丈夫」
「落ち着いたか?」
「ええ、ごめんなさい。私、あなたの前では泣いてばかりね」
 真帆は少し顔を赤らめながら、恥ずかしそうに言う。
「気にしないでくれ。俺で良ければ、いつでも胸を貸すから」
「そ、そこまでしてくれなくてもいいから! も、もう大丈夫よ!」
 何故かさらに顔を赤くしながら、真帆はそう言う。
「先輩、可愛いです」
「な、何言ってるのよ、あなたは!」
 どうやらすっかり元気を取り戻したようだ。いつもの調子で紅莉栖とじゃれあっている。
「もう大丈夫みたいだな」
「あ、ごめんなさい岡部さん、引き止めてしまって。もう帰った方がいいわね、まゆりさんが心配するわ」
「ああ、そうだな」
「先輩、何なら泊まってもらったらどうですか?」
「な! だ、だから! さっきから何を言ってるのよ!」
 真帆は紅莉栖の冗談を真に受け、慌てている。
「はは、そんな事になる前に追い出されそうだな」
「え? べ、別にそんな事しないわよ……。岡部さんが泊まるのが嫌なわけじゃなくて、その……」
「え? 何だって?」
「ああ、何でもないの、何でも! ほら、まゆりさんやみんなが心配するわよ」
 真帆に背中を押され、半ば強引に部屋の入口まで歩かされる。
「それじゃあ、また明日迎えに来るよ」
「ええ、よろしく」
 そう言い、俺は彼女の部屋を後にした。

「ふう」
 真帆は倫太郎が部屋から出ると、安心したように息をつく。
 両手で頬を触ってみると、なんだか熱を持っているようだ。ひょっとしたら顔が赤くなっているかもしれない。
 あれ以上倫太郎が一緒にいたら、本当に真っ赤になりかねない。
 思えば、倫太郎に抱きしめられたのはこれで2回目。自分よりはるか年上になったとはいえ、思い出したら本当に顔が赤くなってきた
「急接近のチャンスだったじゃないですか。帰しちゃって、良かったんですか?」
「な、何を言い出すのよ、この子は!」
「はあ……。まあ、でもいきなり泊まりはさすがに早いか。まずはデートから―――」
「いい加減にしなさい! 私、シャワーで頭を冷やしてくるから!」
「もう、先輩ったらもっと素直になったらいいのに」

 蛇口を捻り、真帆は大粒のシャワーを全身に浴びる。火照った体が冷やされ、心地が良い。思えば、シャワーを浴びるの自体久しぶりだ。
 ストラトフォーに捕らえられている間は、満足に体を洗うことすらできなかった。真帆は今更になって、自分の汗の匂いが気になり始める。倫太郎に汗の匂いを嗅がれなかっただろうか? 入念に体を洗っておこう。
「って、私ったら何を考えているのかしら。全く、紅莉栖の影響だわ」
 何かと、自分と倫太郎をくっつけようと企んでいる紅莉栖のせいで、少なからず彼を意識してしまっている。とは言え、紅莉栖にいい様にからかわれるのは、癪に障る。
 とにかく、紅莉栖の言うことは真に受けないようにしよう。
 シャワーを浴び、気分転換をした真帆は浴室を上がる。服を着替え、冷蔵庫からペットボトルを取り出し、彼女は口をつける。
「ふぅ」
 シャワーを浴び、冷たいものを飲んでようやく落ち着いた。
「火照った顔は冷めましたか、先輩」
「あなたね、私を先輩と呼ぶなら、いい加減からかうのをやめなさい。年長者を敬うのは日本人の美徳でしょう」
「だって、先輩が可愛いからつい構いたくなっちゃうんですよ」
「か、可愛―――! そんなお世辞言っても、騙されないわよ!」
「お世辞なんかじゃないですよ。先輩、ホントに可愛いじゃないですか」
「ああ、もう! 恥ずかしいからもう止めて!」
「ええ~? どうしようかな~?」
 真帆は顔を赤らめながら、そっぽを向く。そんな真帆を見て、紅莉栖はますますからかいたくなるのだった。

 しばらくの間、そんなやり取りを続け、2人は笑いあう。
 倫太郎の事を聞いたり、真帆の恋愛感について根掘り葉掘り聞いたり、あるいは他愛もないことでお喋りをしたり、久しぶりに話に花を咲かせた。
 こんなふうに、2人でお喋りに興じるのは、本当に久しぶりだった。
「あはは、久しぶりね。こんなにお喋りするのは」
「本当ですね。近頃は先輩も忙しかったし、私も岡部と話すことが多かったから」
 久しぶりに、話に花を咲かせた2人は、しばし休憩する。心地良い沈黙が2人の間に流れた。
 少しの間、一息入れた2人だったが、しばらくすると真帆が先に口を開いた。
「また、あなたとこんなふうに話ができるなんてね。ラジ館からあなたと連絡つかなかったから、消されてしまったと思ったわ」
「本当ですね。私も、ストラトフォーを敵に回した以上、それぐらいの覚悟はしていました。運が良かったです」
「あなたとまた話ができて嬉しいわ、紅莉栖」
「ふふ、私もです」
 2人の間に、和やかな空気が流れる。久しぶりのお喋りを通じ、互いの再会を改めて感謝する。
 しかし、にこやかな表情をしていた真帆が少し真面目な顔をする。
「ねえ紅莉栖。少しだけ真面目な話をしてもいい?」
「真面目な話? 何ですか?」
「うん……。今聞いておかないと、多分一生聞けそうにないから……」
 真帆のその口ぶりに、紅莉栖は少しだけ身構える。そして……。
「分かりました。いいですよ、先輩」
 彼女も真面目な表情をして、真帆を見つめた。
「ありがとう」
 真帆も紅莉栖に聞くための覚悟を決める。

 ずっと紅莉栖に聞きたかった事があった。
 でも、聞くのが怖かった。
聞いてしまえば、2人の関係が壊れそうな気がして。
 だから、聞くのを先送りにしていた。
 いつか聞こう。いつか、尋ねてみよう。そう思っていた。
 そうしているうちに、あの日がやって来た。2010年7月28日。
 あの日を境に、私が紅莉栖にそれを聞く機会は、永久に失われた。







 アマデウスとサリエリ。
 紅莉栖と私。
 その2つは、私にとって特別な意味を持った対応だった。

 ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト。
 誰もが知っていて、誰もが認める天才音楽家だ。
 正式な名前は、ヨハンネス・クリュゾストムス・ヴォルフガング・テオフィールス・モーツァルト。
 テオフィールスは、ギリシャ語で“神に愛された”という意味。
 モーツァルトはその言葉を気に入り、同じ意味のラテン語“アマデウス”を通称にしたのだという。
 彼は、35年という、その才能に対して悲劇的に短い生涯の中で、600曲以上の傑作を後世に残した。
 アマデウスは、文字通り神に愛され、天賦の才を与えられた、特別な存在だったのだろうか。
 私は、そうは思わない。確かに彼は天才だった。けれど、アマデウスはアマデウスなりの努力と苦労があったに違いない。
 どんなに素晴らしい原石を持って生まれたところで、磨き上げなければ宝石にはならない。
 彼の功績を天賦の才による物と片付けてしまっては、その努力と苦労に対して失礼だ。
 しかし、それは同時に、モーツァルトになる為には、彼と同等の原石を持って生まれなければならないという事ではないだろうか。
 この世界には、そういう原石を持っている人が沢山いる。
 
 牧瀬紅莉栖。

 私にとって、牧瀬紅莉栖がそういう人物だった。
 彼女の佇まいを見れば、彼女の才能を感じる事ができた。
 彼女の中から溢れ出るアイデアの数々に、いつも刺激をもらっていた。
 彼女と共に研究ができる事が、私には誇らしかった。
 ……けれど。
 彼女にとって、私がどういう存在だったのか、私は知らない。
 改まって聞くのも気恥ずかしかった。いつか何かのついでに聞ければいいなと思っていた。
 けれど、2010年7月28日。
 牧瀬紅莉栖は、この世を去った。
 彼女にとって、私がどういう存在だったのか。それを知る機会は、永久に失われた。
 ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト。
 生前、彼を終生のライバルだと考えていた人物が、彼のすぐ傍で生きていた。
 その人物の名は、アントニオ・サリエリ。
 ヴィクトル・コンドリア大学の学内ネットワークでの私のアカウント名―――“Salieri”は、彼の名から取っている。
 紅莉栖が亡くなった数週間後、研究所のネットワークシステムが更新され、その時に付けた名前だ。
 生前、紅莉栖と共に開発したソフトウェアの名に対応させたかった。それ以上の意味はない。
 そのソフトウェアの名前は、『Amadeus』。
 このニューラルネットワーク型人工知能に天才作曲家の名前を与えたのは、レスキネン教授だ。
 当時私は、そのネーミングをとても良いアイデアだと思った筈だし、今でもそう思っている。
 ……そう、思っている。
 アマデウスとサリエリ。
 紅莉栖と私。
 その2つは、私にとって特別な意味を持った対応だった。
 私は、牧瀬紅莉栖が大好きだった。
 私は、紅莉栖を尊敬していた。
 私は、紅莉栖に憧れていた。
 私は。
 私、は―――。


 ※


「……ねえ紅莉栖。私は、あなたの事を尊敬しているわ。科学者として、あなたが脳科学研究所に来てからずっと憧れていた。あなたは誰もが認める天才で、私もそう思っている。けど、同時こう思ってしまうの……。あなたに比べたら、私はただの凡人で才能という意味では、あなたに遥か及ばない……。私も、自分が天才だって思っていた時期があったわ。最年少で、脳科学研究所に入って、周囲からちやほやされて。でも、それはとんでもない思い上がりだった。あなたが来て、私の評価は一気に変わった。あなたがアマデウスと名付けられたことも、今思えば当然だった。あなたに比べれば、自分がごくごく平凡な人間だということが分かったわ。あなたが来なければ、私の天才のままでいられた。そんなふうに、思う時もあった……」
「先輩……」
「ねえ、紅莉栖。私、怖いの。あなたに、どう思われているのか。あなたにとって、私がどういう存在なのか、それを知るのが怖い……」
 真帆は、思いの丈を一気に打ち明ける。紅莉栖は、そんな彼女の思いを只々聞くことしかできなかった。
「紅莉栖……。あなたにとって、私はどういう存在……?」
 真帆のその問いかけに、紅莉栖はすぐには答えない。彼女はしばらく目を瞑り思案する。しかし、おもむろに目を開けると、こう答えた。
「先輩。私がアマデウスだとしたら、先輩はサリエリだと私は思っています」
 紅莉栖のその言葉に、真帆は言葉を失った。
 紅莉栖は、そう思っていたのだ。
 紅莉栖にとって真帆は、サリエリだと……。
 神に愛されたアマデウスとは違う、凡人にすぎないと、紅莉栖はそう思っていたのだ……。
 紅莉栖の言葉に、真帆は少なからずショックを受けていた。
 自分がサリエリだと割り切っていても、心のどこかでは紅莉栖と対等でいたかった。
 紅莉栖に、認めて欲しかった。
 しかし、そんな彼女の淡い期待は、紅莉栖自身の言葉で否定された。
「……そう。ありがとう、答えてくれて……」
 これ以上、何も考えたくなかった。真帆は、そこで話を終えようとする。しかし、紅莉栖は言葉を続ける。
「先輩、誤解しているようだから言っておきますね。モーツァルトはサリエリに嫉妬なんかしていなかったと思います」
「……え?」
「モーツァルトが亡くなる2ヶ月前に、サリエリが書いた手紙が残っています。そこでサリエリは、モーツァルトから招待された『魔笛』のオペラを、大絶賛しているんです。2人は、お互いの事をとても尊敬しあっていたんですよ」
「モーツァルトも、サリエリを尊敬……」
 それは、真帆が知らない事実だった。
 サリエリは、モーツァルトの才能を嫉妬していた。音楽家としての成功を約束されていたはずなのに、モーツァルトが持つ天賦の才に嫉妬し、絶望してしまう。その果てに、モーツァルトを毒殺したと言われているが……。
「確かに、サリエリがモーツァルトから盗作したり、毒殺しようとした噂は当時からありました。ただし、それらは何一つ立証されてはいないんです。サリエリは身に覚えのない噂に心を痛め、弟子のモシェレスに自分の無実を訴えたんです。でもそれが、かえってモシェレスの疑念を呼び、彼の日記に『モーツァルトを毒殺したに違いない』と書かれてしまった……。映画ではサリエリが精神病院で余生を閉じたり、モーツァルトを死に追いやったと告白する場面がありますが、それは当時のスキャンダラスな風聞を元にしただけで、事実ではないんです。実際の彼は経済的にも成功し、慈善活動にも熱心だったそうです。弟子からは一切謝礼を取らず、才能ある弟子や生活に困る弟子には支援を惜しまなかった。職を失って困窮する音楽家や、その遺族のために、互助会を組織して慈善コンサートを毎年開いていたんです。教育者としても熱心で、彼の弟子には、ベートーベンやシューベルト、リストといった、世界的な音楽家が名を連ねています」
「そうだったのね……」
 サリエリは、当時から根も葉もない噂に、心を痛めていたのだ。そして、死してなお、現代まで続いた噂によって、辱められている。実際は、生涯をかけて、音楽のために尽力したのに……。
 真帆は、自分が恥ずかしくなった。事実を確かめもせず、映画の内容を鵜呑みにして、故人の名誉を傷つけてしまった。
「それに、サリエリにはこんなエピソードもあります」
「え?」
「1791年のモーツァルトの死に際して、サリエリは葬儀に参列しています。その後、モーツァルトと親交のあったスヴィーテン男爵の依頼により、サリエリはモーツァルトの遺作『レクイエム』を初演したんです。サリエリは、モーツァルトの死後も、彼のために尽力したんです」
「モーツァルトのために……」
「モーツァルトとサリエリはライバルでした。でもそれは、相手を蹴落とすような事ではなく、互いの才能を認め合い、自らを高めるような間柄だったんです。私は、真帆先輩とは、そんな2人のような関係でありたいと思っています」
「紅莉栖……」
 紅莉栖は、モーツァルトとサリエリのような関係でありたいと―――互いを認め合う関係でありたいと―――、そう言ってくれた。
 それは、真帆がそうありたいと思い続けていた関係だ。
 彼女は、紅莉栖もそう思っていてくれた事が、何よりも嬉しかった。
「それに、先輩は私を天才と言いますけど、私はそうは思っていません」
「え?」
 それは、意外な言葉だった。彼女は紛れもない天才だった。彼女を知る者なら、誰もが認める。
 飛び級でヴィクトル・コンドリア大学へ入学し、最年少で脳科学研究所へ入り、わずか17才にして、サイエンス誌に論文が載る、若き天才科学者。
 もし彼女が存命なら、ゆくゆくは人類史に名を残すような功績を残していただろう。
 いや、実際に彼女は遺しているのだ。タイムマシンという、人類史に名を残す大発明の論文を。
 それほどの偉業を遺していながら、自身が天才ではないと言う彼女の言葉の真意が分からなかった。
「先輩は、どうして今の道に、科学の世界へ入ったんですか?」
「え? それは……」
 急に話を振られ、真帆は戸惑う。どうして、自分が科学の世界に身を投じたのか。それは……。
「……科学が好きだから。世界の真理をこの目で確かめたいから、私はこの世界に入ったわ」
 子どもの頃から、科学が好きだった。色んな実験をするのが楽しかったし、科学に関する様々な書籍を読み漁っていた。
 そんな自分だったから、この世界に入るのは当然だと思っていたし、今でもこの仕事を続けたいと思っている。
 それ以上の理由はない。ただ好きだから、科学の世界を追求したいのだ。
「そうですよね。科学者なら、それが普通だと思います」
「あなたは、違うの……?」
 真帆がそう尋ねると、紅莉栖はちょっと困ったような顔をして答える。
「私も、科学が好きです。子どもの頃から色んな科学雑誌を読んでいたし、色んな実験をするのが楽しかった。でも、純粋に科学が好きで、この世界に入ったかと聞かれれば、少し違います……」
 紅莉栖はそこで、少し悲しそうな顔をする。
「私が科学の世界に入ったのは、父の影響が大きかったんです」
「………………」
 話には聞いたことがある。紅莉栖の父親も、科学者だという事を。
 しかし、幼い頃から両親は別居し、紅莉栖と父親の関係は今でも良くないと聞いていた。
「私はただ、父に褒められたかった。その為に父の論文を読み漁り、内容を理解する為に、独学で物理を勉強しました。そうすれば、父は私を褒めてくれる。そう、信じていたんです。でも、あの日、私の11才の誕生日に、こう言われたんです……」



『満足か! その歳で私の論文をことごとく論破して満足なのか! ふざけるなッ!! お前などこの世に生まれて来なければ良かったのだ! 私はお前が否定したタイムマシンを絶対に完成させてやる! そしてお前と言う存在を、この世から消し去ってやるからな!!』



「……たくさん勉強して、科学の知識を深めれば父に褒めてもらえる、そう思っていました。でも、きっとそれがいけなかったんです……。プライドの高い父にとって、娘の私に自分の論文を論破されるなんて、あってはならない事だったんです。その日を境に、両親の不和は決定的になり、やがて母は私を連れて渡米しました。私がアメリカに渡ってからはますます疎遠になり、ほとんど連絡をとることもなくなりました……」
 紅莉栖と父親の仲が良くないことは聞いていた。しかし、それは彼女がアメリカに渡った事により、自然と疎遠になったのだと思っていた。だが問題はもっと根の深いものだったのだ。
「それでも、諦め切れなかった……。もっともっと勉強して、誰にも認めてもらえるような科学者になれば、いつかきっと父も認めてくれる。そう思って、大学へ入り研究を重ね、論文に打ち込みました。……でも、駄目でした。私の論文がサイエンス誌に掲載された時も、父からは何の連絡もありませんでした。しばらくして、父から日本で講演をするから見に来いと連絡がありましたが、オリジナルがあんなことになって……。結局、私の願いは叶うことはありませんでした……」

 牧瀬紅莉栖は天才だ。
 彼女は神に愛された。
 だが、父親には愛されなかった。

 彼女は、あまりにも天才過ぎた。
 わずか11歳にして、物理学者の父親の論文を論破した。それが、父親の怒りを買ったのだ。
 科学に対し、天賦の才をもつ彼女も、当時はまだ子どもに過ぎなかった。自分の考えが、父の自尊心をどれだけ傷つけるかが、理解できなかった。そして、周りもそれを許さなかった。
 幼い頃から神童と崇められ、より高い教育を求められた。普通であることが許されなかった。彼女がごく普通の子どもであれば、父親とここまでの確執が生じることはなかっただろう。
 彼女がもっと早くその事に気付けば、あるいは周りが彼女に普通の子どもである事を許せば、間に合ったのかもしれない。
 だが、全ては遅すぎた。失われた時間を取り戻すには、彼女は歳をとりすぎた。
 彼女はもう、子どもではなくなったのだ。成長しきった彼女に対し、父は子どもの頃に見せたような優しさは持ち合わせてはいなかった。
 7年という歳月は、父親を狂わせるには充分だったのだ。
「父との仲を修復したい。研究をする上で、そんな不純な動機があったのは事実です。でも、先輩は違います」
 真帆を真っ直ぐに見つめ、紅莉栖ははっきりと答える。
「私の考える天才は、純粋に自分の目指す道を真っ直ぐに向いている人だと、私は思っています。先輩は、初めて会った時から、ひたむきに自分の道を進んできました。実証実験で、何回も、何十回も、何百回失敗しても、諦めなかった。ただひたすら、自分の信じる道を突き進んで来た。そんな先輩を見て、私もこの人のようになりたいって、思ったんです」
「……紅莉栖」
「きっと、世界を変えるのは先輩のような人です。真帆先輩は常に私にとっての目標なんです。私は、自分のことは凡人の代表だと考えています。あなたこそが正に、私にとってのアマデウスなんです」
 紅莉栖は、私のことをアマデウスと……、自分にとっての目標だと……、そう言ってくれた……・。
 紅莉栖には遥か及ばない自分の事を、尊敬していると、そう言ってくれた……。
 私は、紅莉栖に嫉妬して……。それ故、彼女の死を心から悼むことができなかった……。
 そんな自分を、彼女は尊敬していると、目標だと言ってくれた。
 言葉にならなかった。
 父親の事で心を傷めているはずなのに、そんな事は臆面にも出さず、私を励ましてくれる。
 そんな彼女の気遣いが、何より嬉しかった。
「ありがとう、紅莉栖。私、あなたに会えて、本当に良かった」
 真帆は紅莉栖を見つめ、感謝を述べる。
 そんな彼女に、紅莉栖も最高の笑顔で応えた。
「私もです、真帆先輩」
 2人は見つめ合い、そして互いに出会えたことを感謝する。
 真帆は、紅莉栖に出会えた事を。
 紅莉栖は、真帆に出会えた事を。
 2人の間には、もう不安も疑念も存在しない。
 そこには、互いに認め尊敬し合った、偉大な音楽家たちのようになれた、2人の姿があった。
























「………………」
 夜、俺は毛布をかぶりながら寝付けずにいた。ちらりと時計を見ると、時刻は0時を回った所。
 ラボで夕食を終えた後、皆疲れただろうから、早めに寝ようということになり、俺は開発室で毛布をかぶって横になったのだが……。
 色んな事がありすぎて、すっかり目が冴えた俺は眠れずにいた。
「……眠れないな」 
 俺は寝るのを諦めて、体を起こす。隣ではダルが机に向かい、PCで何やら作業をしていた。
 俺は立ち上がり、ダルに声をかける。
「ダルも眠れないか」
「お、オカリン。起こしちゃった?」
「いや、目が冴えて眠れないだけだ」
「僕もなんだよね。何だか眠れなくてさ」
「今日一日で色々あったからな。すぐ寝るというのは無理だったのかもな」
 ふとPCに目を向けると、そこには何かの図面らしきものが映っていた。よくよく見ると、どうやらそれはタイムマシンのようだった。
「もうタイムマシンの開発をしているのか?」
「まあね。鈴羽とまゆ氏を助けるためにも、一日でも早く完成させたほうがいいっしょ」
 ダルの意志の強さに恐れ入った。この頃の俺は、紅莉栖を助けられなかった現実から目を背けてきた。
 紅莉栖の研究を引き継ぎたいと、勉強に勤しんでいたものの、タイムマシンに関することには目を背け続けた。鈴羽が、あれほど未来について語り、説得しても……。
 しかしダルは、テロのあった日から前を向いていた。この世界線の俺が全てを投げ出しても、たった1人でタイムマシンを作ろうとしていた。
 普段はふざけていても、信念の強さは俺とは比べ物にならない。だからこそ、人類初のタイムマシンを完成することができたのだろう。
「参った、ダルには頭が上がらないな」
「ふふん、もっと褒めてくれても良いのだぜ」
「ああ。大した男だよ、お前は」
 その時、机に置いてあるラジオから何やら音楽が流れてきた。しかし、はっきりと音が聞こえず、何の音楽が流れているか分からない。
「そのラジオ、聞けるのか?」
「ラジオ自体は壊れていないんだよね。ただ、この辺りまだ電波状況が良くなくて。眠気覚ましになると思って置いてるんだけど、あんまし意味ないかな」
 秋葉原自体、まだ封鎖中だ。この辺りはまだ電波状況が改善されていないのだろう。
「そうか。あまり無理はするなよ」
「オーキードーキー」
 そう言って、俺は開発室のカーテンを開ける。
 部屋にいるのは鈴羽1人。彼女は銃をばらばらに分解し、入念に手入れをしていた。
 鈴羽は手を動かしながら、顔だけこちらに向ける。
「おじさんも起きてたんだ」
「ああ、何だか眠れなくてな」
「父さんは寝ないの?」
「画面の向こうの女の子たちが眠らせてくれないお」
「……また変なゲームを……。言い加減にしないと取り上げるよ」
 小学生のゲームを取り上げる母親のような事を言う。実際、鈴羽の方がよほどしっかりしているのだろうが……。
 俺はダルの名誉の為に、こっそり鈴羽に耳打ちする。
「鈴羽、ダルは本当はタイムマシンの開発をしているんだ」
「え、そうなの?」
 俺の言葉に鈴羽は驚く。
 ダルは周囲の雰囲気が重苦しい時は、わざとふざけてその場の空気を軽くする。普段おちゃらけていても、そういう気遣いができる男なのだ。
 問題は、普段のHENTAI発言が多すぎて、そういう時でも白い目でみられることか。まあ、女子からそういう目で見られても『我々の業界ではご褒美です!』とか言うのだろうが。
「頑張りすぎると、お前に心配をかけてしまうから、わざとあんな事を言ってるんだ。察してやれ」
「そうだね、ありがとう」
 ダルのため、俺たちはそれ以上触れないことにした。
「ところで鈴羽、ストラトフォーのアジトを襲撃してからだいぶ時間が経ったが、ここは大丈夫なのか?」
 ここは連中のアジトと違って、ごく普通の雑居ビルだ。襲撃を受けたらひとたまりもない。
「もちろん襲撃の可能性はなくはないけど、それほど心配はないと思うよ。アジトの主要施設や武器庫は爆破したから、できることは限られていると思う。あれほどの騒ぎだから、警察や自衛隊も介入しているだろうし、今までみたいな動きはできないと思うよ。おじさんが帰ってくる前に、父さんに頼んで警察の内部情報を調べてもらったけど、どうやらレスキネンは拘束されたみたいなんだ」
「本当か?」
「うん、父さんが裏を取ったから間違いないよ。トップが捕まったから、連中はこちらに人員を裂いてる余裕はないと思う。もちろん、ここに踏み込んで来た時のための備えはしてあるけどね」
 鈴羽はテーブルのPCを操作する。画面には、いくもの固定カメラの映像が映っている。
「監視カメラか」
「この辺りのカメラはまだ生きていたからね。父さんの手を借りて、こっちでモニターできるようにしたんだ。あと、ラボの周囲も赤外線センサーを設置したから。ここが秋葉原で良かったよ。おかげで部品の調達には困らなかった」
 店が開いていないのに、どうやって部品を調達したかは気になる所だが、そこは触れないでおこう。非常時なのだ、大目に見てもらうしかない。
「ここまで備えをしていれば大丈夫だと思う。後は、ほとぼりが冷める前にラボの場所を移動すればいい」
 さすがはワルキューレの戦士だ。俺が心配するまでもなかった。俺が安堵すると、不意に鈴羽が尋ねてきた。
「私も、おじさんに聞きたい事があるんだ」
「聞きたい事?」
 俺が聞き返すと、鈴羽は少し間を空けてこう聞いてきた。
「……かがりは、あれからどうなった……?」
「…………っ」
 かがりの名前が出たとたん、俺は真帆と話した事を思い出した。
 かがりは、この世界ではもう……。
「あれからずっと気になっていたんだ……。かがりは、無事なの……?」
 かがりは無事だ。未来では、ラボの一員となっている。俺の世界線では……。
「ああ。怪我は負ったが、無事にラジ館から脱出できた。未来では、ラボメンとして活躍している」
 俺の言葉を聞き、鈴羽の表情が明るくなる。
「良かった! ずっと心配していたんだ。かがりのやつ、私と対立していたから、おじさんの言う事を聞いてくれるか心配だったんだけど、無事だったんだね」
「ああ、ずっとお前やまゆりの心配をしていたよ」
「そっか。なら、早く未来に戻って安心させないとね」
 そう、鈴羽もまゆりも、未来に戻ればかがりと会える。未来では……。
「かがりのやつ、一体どこにいるんだろう? こっちじゃどこにいるか全然分からないんだよね」
「きっと、無事だろう。心配ないさ」
「そうだね。私と互角以上に渡り合ったんだから、簡単に死ぬはずないよ」
 俺は勤めて明るく言う。鈴羽に悟られてはならない。それが、彼女の最後の願い……。
 ダルは、来年には本物の阿万音由季と会う事になる。その時は、否応なく真実を知る事になるだろう。
 きっとその時には、真帆が真実を話してくれる。しかし、今はその時ではない……。
「ありがとう、おじさん。教えてくれて」
「いいさ。まゆりにも伝えてくれ」
「うん、分かった」
 鈴羽にも、ダルにも、まゆりにも、真実は伏せていたほうがいいだろう。
 俺は心の中で、この事についてそっと蓋をする。
「……ところで、まゆりはどこに行ったんだ?」
「まゆ姉さんなら、屋上に上がったよ」
 屋上か。星が好きなまゆりらしいな。
「ありがとう。ちょっと上に上がってくる」
「うん」
 鈴羽にそう告げ、俺はラボのドアを開ける。そして、まゆりがいる屋上への階段を俺は上がる。



 階段を上りきり、屋上への扉を開ける。
 扉の先。そこには、遥かな天へと向け、その右手を伸ばしているまゆりの姿があった。
 まゆりのその姿に、俺は懐かしさを覚える。
「久しぶりに見たな、それ」
 俺の言葉に、まゆりはこちらを振り返る。
「あ、オカリン」
「スターダスト・シェイクハンド」
 俺が昔、まゆりの空に向かって手を伸ばす癖に付けた名前。
 随分と懐かしい。まゆりがタイムマシンと共に消えて以来、14年ぶりだった。
「また、星を見ていたのか?」
「うん。今夜は星がよく見えるのです」
 俺も空を見上げる。確かに、今夜は月も雲もなく星がよく見えた。
 天気だけではない。今の秋葉原は封鎖されているため、夜でもほとんど電気は付いていない。その為、地上の光に邪魔されることなく、今夜は星がとてもよく見えた。
「本当に、ここからは星がよく見えるな」
「うん、ほらあそこ」
 まゆりは夜空に向けて指を差す。
「ここからなら、夏の大三角がよく見えるよ」
 東の空に目を向けると、三角系をした明るい3つの星が見える。
「確か……、ベガ、アルタイル、デネヴ、だったか」
「そうそう、オカリンよく知ってるね~」
「何を言う。子どもの頃にお前に教えてもらったんじゃないか」
「あれ? そうだっけ?」
「そうだとも。全く、本人が覚えていないんじゃしょうがないな」
「あはは~」
 そう言い、まゆりは笑ってごまかす。そんなふうに、まゆりの笑顔を見るのもひどく懐かしい。14年という歳月は、それだけ長いものだった。
「あ、でもこれは知らないんじゃないかな? ベガはね、海外じゃ空のアークライトって、呼ばれているんだよ」
「アークライト……。アーク灯の事か」
「オカリン、知ってるの?」
「要するに、電灯だな」
「ああ、そうなんだね~」
「お前……、知らずにその言葉を使っていたのか?」
「あはは。でも、前にるかくんに聞かれた時は、白くて綺麗なライトだよって答えたよ」
「まあ、間違ってはいないかな」
「なら大丈夫だよ~」
 相変わらずのまゆりに、俺は思わず苦笑する。
「ベガはね、織姫様の星でもあるんだよ」
「もちろん知っているぞ。彦星はアルタイルなんだろ?」
「そうそう」
 オペレーション・アークライトと、オペレーション・アルタイル。
 どちらも俺が名づけた作戦名だ。まゆりが好きだった、2つの星からちなんだものだ。
 シュタインズゲートに到達するための方法と、時空へ消えた2人の織姫を救出するための任務。
 作戦名を付けた時は、途方もない事のように思えた。しかし、今こうしてまゆりを目の前にし、ミッションが成功に近づいているのを感じる。
 まゆりと鈴羽と無事再開し、オペレーション・アルタイルはほぼ達成した。
 今この瞬間、まゆりと話ができる事を、俺は仲間に感謝する。
「オカリン、ありがとう」
 不意に、まゆりがそんな事を言う。
「どうしたんだよ、急に」
「まゆしぃとスズさんを、迎えに来てくれて。私ね、もうオカリンには会えないかもしれないって、思っていたから……。だから、こうやってオカリンが迎えに来てくれて、すごく嬉しいの」
 そう言って、まゆりは優しく微笑む。
「約束だからな」
「……約束?」
「メールで、手紙書いてくれたろ? お前は俺には伝えられなかったけど、タイムリープする前の世界では、お前から携帯を渡されて読んだんだ……」



『オカリンはきっと心配すると思うけど、大丈夫だよ。それに、もしも何かあったとしても……、必ず助けに来てくれるって信じているから。私の大好きな鳳凰院凶真が、新しく作ったタイムマシンに乗って、必ず……』



「……迎えに来たぞ、まゆり……」
「……オカリン」
 そして、まゆりは俺を見つめる。
「ありがとう、オカリン。オカリンは、私にとっての彦星様だよ」
 まゆりは嬉しそうに笑う。
「俺が彦星なら、まゆりが織姫だな」
 しかし、俺のその言葉に、まゆりは首を横に振る。
「……え?」
「まゆしぃはね、オカリンの織姫様じゃないのです」
「……まゆり」
「私の力じゃね、オカリンを支えきれないの……」
「そんな事―――」
 俺がそう言い終える前に、まゆりは俺の言葉を遮る。
「オカリンにとっての織姫様が誰なのか、それはまだ私にも分からない。でも、きっと現れてくれるから。だから、それまでは、まゆしぃがオカリンを支えるから……」
 そう言うまゆりの顔は、悲しそうな……、寂しそうな……。しかし、どこか達観したような……。
 言葉には言い表せない感情が、まゆりの表情から感じられた……。
「でもね……。離れ離れは、やっぱり怖いな……。ねえ、オカリン……。それまでは、オカリンの傍にいても、いいですか……?」
 まゆりは、不安そうな顔で俺を見つめる。そんな彼女に、俺は答えた。
「当たり前だろう。お前は俺の、人質なんだから」
 俺のその答えに、まゆりは優しく微笑む。
「ありがとう、オカリン。今までも、これからも、オカリンが無事に帰って来れるよう、まゆしぃはお祈りしているよ……」
 そうして俺たちは見つめ合う。夜空に浮かぶ織姫と彦星の下、俺たちはいつまでもそうしていた……。



 開発室の机に向かい、至はPCのキーボードを叩いている。1日でも早くタイムマシンを作る為、彼は日夜研究を重ねていた。
 しかし、どうしても夜中は睡魔に襲われて仕方がない。そこで最近は、眠気覚ましにラジオを聞きながら作業をするのが日課になっていた。
 だが秋葉原に戻ってきてからは電波状況が悪いらしく、ラジオの音が入りづらくなっていた。
 至が諦めてラジオを消そうとした時、急に音がクリアになる。
「お、やっと電波状況が改善されたかな?」
 至はボリュームを上げる。ラジオからは軽快な音楽と共に、番組DJの声が聞こえてきた。

「―――というわけで、最近は東京も物騒になってきました。しかし、当番組は放送が続けられる以上、リスナーの皆様に音楽を届けたいと思います。どうか、これからもよろしくお願いします。というわけで、本日最後のナンバーになります。ラジオネーム『織姫』」
さんから。『私の大切な人にこの曲を送ります』と言う事です。それではお送りします。Zweiで、『ライア』」





 いつだって誰かを想う 優しい嘘だって みんなちゃんと知ってる
 ずっと一緒にいたいよ ほんとうの気持ち これは愛なのかな?

 奇跡と、運命の出会いから 僕らはまた あの場所へと―――

 きらめく星 夜空に 手を伸ばせば
 よみがえるね 想いも 温もりの日も
 溢れ出すよ あの時 あの場面で
 君の言葉 泣いて笑った
 記憶の全てが 書き換わるとしても
 デジャヴみたいに 心の奥で揺れてる

 織姫様にはなれない 私の力じゃ 支えきれないけど
 離れ離れが怖くて お祈りをするよ それも愛なのかな?

 全ての、場面が恋しすぎて 僕らはまた あの場所へと―――

 どんな眩しい 光の世界線も
 悲しみとか 喜び 別れもあって
 泣いたままで あなたの頬を叩く
 その瞬間 何かが変わるよ
 目には映らない 守るべき何かへ
 命さえ捧ぐ それがみんなの選択

 大いなる海渡って 次なる大切な分岐点
 新しい未来の 物語の主人公へ いつか会えるね その日まで

 きらめく星 夜空に 手を伸ばせば
 よみがえるね 想いも 温もりの日も
 溢れ出すよ あの時 あの場面で
 君の言葉 泣いて笑った
 記憶の全てが 書き換わるとしても
 デジャヴみたいに 心の奥で揺れてる

2016.10.29 Sat l シュタインズゲート l コメント (0) トラックバック (0) l top

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