交差座標のスターダスト β 第3話です。
よろしくお願いします。


 あの日、私の彦星さまが復活していたら、全ては変わっていたのかもしれない。
 でも、あの日の私は、悲しいぐらいに無知な傍観者でしかなくて……。
 手を伸ばせば、空のアークライトにだってきっと届くと、無邪気に思っていた……。



「オカリンおじさん。その世界線、シュタインズゲートは未知って言うぐらいだから、どんなことが起こるかは誰も知らない。もしかしたら、第3次世界大戦が集結したあとで、ディストピアが構築されるかもしれない。もしかしたら、牧瀬紅莉栖は、オカリンおじさんが助けた2日後とかに死んじゃうかもしれない。もしかしたら、オカリンおじさんは、2025年じゃなくて、1週間後とかに死んじゃうかもしれない……。でも同時に、もしかしたら、2036年まで、第3次世界大戦も起こらないかもしれないし、ディストピアも構築されないかもしれない。牧瀬紅莉栖も、他の誰も死なないかもしれない。素晴らしい未来が待っているかもしれない。少なくとも、私がいた2036年でもなく、α世界線の私がいた2036年でもなくなるのは確か。先は見えない、完全な未知。それでも、行ってくれるなら、それでも私と一緒に7月28日に飛んでくれるのなら、この手を握って」
 鈴羽はその手を差し出す。倫太郎は一瞬考え、躊躇う。しかし、すぐにその手を鈴羽に差し出した。
「……やるよ。結局、俺がお前の手を握るように、運命は収束するんだろ」
「ありがとう、オカリンおじさん。じゃあ乗って!」
 鈴羽はタイムマシンのハッチを開けると、中に乗り込む。倫太郎も鈴羽に続き、タイムマシンに乗り込もうとする。そんな彼に、まゆりが声をかける。
「オカリン、絶対帰ってきてね! 行ったまま戻ってこないなんて嫌だよ!」
「別に違う世界に行くわけじゃない。過去にちょっと戻ってくるだけだ」
「うん……」
 そう言い、倫太郎はタイムマシンに乗り込んでいった。まゆりと至の2人は、倫太郎の背中を見つめたまま彼を見送る。
 タイムマシンに吸い込まれていく倫太郎を見ながら、至が口を開く。
「なんか変な感じじゃね? これがタイムマシンと言われても、まだ実感が沸かないわけだが。人工衛星っていわれたほうが、まだ信じられるつーか……」
「……うん」
 至とまゆりは、複雑そうな顔をしてタイムマシンを見つめる。
 至の言う事はもっともだ。急に自分たちの前に現れた女が、タイムマシンで未来かやって来たと言われ、信じるほうが無理だというものだ。
 倫太郎の話を信じてここまで来た2人だが、頭の中ではまだ事態の整理ができていない。そんな中、半ば呆然とタイムマシンを見つめていた2人に向かって何かが飛んできた。
 タイムマシンの中から飛んできたものは、まゆりの足元に転がった。
「ちょ! なんかタイムマシンの中から携帯が飛んできた件について!」
「え? あ、これオカリンの携帯だ。オカリーン! これどうするの!?」
「ええと、預かっておいてくれ!」
 タイムマシンのハッチが閉まる直前、倫太郎の声だけが聞こえる。
「分かった!」
 まゆりは落ちていた携帯を拾い上げ、姿の見えない倫太郎に向かって返事をする。
 やがて、タイムマシンのハッチは完全に閉まる。倫太郎の声すら届かなくなり、まゆりは一抹の不安を感じる。
「ねえ、ダルくん……。タイムトラベルしたら、まゆしぃたちから見たオカリンはどうなっちゃうのかな?」
「ど、どうって?」
「今この世界から、電気のスイッチを消すみたいに、プツンっていなくなっちゃうだよ? なんだかそれってね……、すごく怖いな……。まゆしぃはその間、オカリンの事ちゃんと覚えていられるのかな……?」
「うーむ、よく分からんけど、タイムマシンが存在する時点で、その問題は解決してるんじゃね? それに、戻ってくる時間も自由に決められると思われ、タイムトラベルした1秒後とか指定すれば、世界から消えてる時間は、1秒だけってことになるお?」
「……そっか、そうだよね……。何も心配いらないよね……」
 至の説明を聞き、まゆりは一応の納得はする。しかし、その胸には漠然とした不安が残ったままだった。
 その時、タイムマシンが動き出す。機体全体が小刻みに揺れ、青白い燐光がタイムマシンを包み込み。
「うぉおおお! なんか光だしたお! いよいよか! いよいよなんか!?」
「オカリン……」
 一瞬、タイムマシンはさらに強い光を放ち、周囲の空気を吹き飛ばす。
「きゃあ! はう~、すごい光、帽子飛ばされちゃうかと思った」
 まゆりは慌てて帽子を押さえる。その時、至の慌てた声が聞こえてきた。
「ちょ! ちょ、ちょ、ちょ! まゆ氏、あれ!」
「え?」
「……タ、タイムマシンが……。タイムマシンが……、2台に増えてるお!」
 至が指差す先。倫太郎たちの乗り込んだタイムマシンのすぐ隣、そこにはもう1台の新たなタイムマシンが忽然と現れていた。
「え……?」
 事態が飲み込めないまゆりは、呆然と2台目のタイムマシンを見つめる。
 その時、聞きなれたメロディーがまゆりの耳に入ってきた。
「え? この着信音……、オカリンの携帯?」
 まゆりは自分の手の中で鳴っている、倫太郎の携帯電話に目を落とす。
「いや、携帯のことなんか今はどうでもよくてさ。なんでタイムマシン分裂したん? 中にいたオカリンたちも2人に増殖しちゃったりしたんかな? まゆ氏、どう思う? まゆ氏、聞いてる?」
 至はまゆりに意見を求めるが、まゆりの耳には届いていない。彼女はただじっと、倫太郎の携帯を見つめている。
「……ねえ、ダルくん。オカリンの携帯が鳴ってるの……」
「いや、だからそれはどうでもよくて」
「……でもね、電話を架けてきているのは、まゆしぃみたいなんだ……」
「……え? なんぞそれ……? まゆ氏の自作自演?」
「まゆしぃの携帯はね、ちゃんとここに持ってるよ。ほら、架けてないでしょ……?」
 まゆりは自分の携帯を取り出すと、至にそれを見せる。2人はこの場で起きている状況を理解できず、困惑していた。
「一体、何が起きてるんだ……?」
 携帯は鳴り続ける。まゆりは手の中にある携帯を見つめ呟いた。
「これ、出たほうがいいのかな……?」
「いや分かんね。つーか、タイムマシンも増えたし、混乱してきたお!」
 理解不能なことが立て続けに起こり、至は頭を抱える。
 その時、倫太郎たちの乗り込んだタイムマシンが再び振動し始めた。
「あ、また動き出した!」
「オカリンたちが乗り込んだほうだ!」
 タイムマシンは目もくらむような光を放ち―――。
「うおおおお!」
「きゃあ!」
 2人は堪らず目を閉じる。
 そして、再び2人が目を開いた時、タイムマシンは忽然とその場から消え去った。
「……消えた。1台消えたお……。ええと、1台が2台になって、また1台になった……」
 2人の前から最初のタイムマシンが消滅した。しかし、まゆりの手の中の携帯は、そんなことは意に介さず、音を鳴らし続ける。
 やがて、まゆりは意を決する。
「……電話、出てみる」
「……え、マジ? なんか、やば……、やばくね?」
 至は不安そうに聞いてくる。まゆりは至の制止を振り切り、応答ボタンを押した。
「……もしもし……。……あなたは、誰ですか……?」
 一瞬の沈黙。電話の相手はすぐには出なかった。
 電話の向こうの人物は息を飲む。若い女性のようだった。彼女もまた、電話に出ることを躊躇するように感じた。
 しかし、すぐにその人物はまゆりの問いかけに応えた。

『……どうか、お願い……。落ち着いて、私の話を聞いて……』































 あの日、忘れもしない8月21日。オカリンはね、タイムトラベラーの阿万音鈴羽さんと一緒に、7月28日へタイムトラベルしたの。牧瀬紅莉栖って言う人を助ける為に。
 オカリンはその人の事が、好きだった……、みたい……。でも、タイムトラベルして戻った時、オカリンは……。



「うお! もう帰って来たお! まだ、一分もたっていないのに」
「オカリン……? オカリン!」
 タイムマシンのハッチが開かれ、鈴羽に腕を抱えられながら倫太郎が出てきた。だが、彼のその白衣は真っ赤な鮮血に染まり、倫太郎は膝から崩れ落ちそうなほど、力なくタイムマシンから出てきた。
「ちょ、オカリン血まみれじゃん! どうしたん!?」
「父さん、タオルと水、あと服も! 今すぐ手に入れてきて!」
「え? え? どういうことか説明プリーズ!」
「いいから早く!」
「わ、分かったお!」
 鈴羽に促され、至はビル内へ続くドアへ駆け込んで行った。
 一方まゆりは倫太郎に近づき、心配そうに声を掛ける。
「オカリン大丈夫……? しっかりして……、死なないで……」
「大丈夫、ケガしてるわけじゃないよ」
 しかし、倫太郎は鈴羽の腕を振り払うと膝から崩れ落ちた。
「無駄だったんだ……、何をやっても、無駄だ……。は、はは……。全部、決まってしまっていることなんだよ……。同じだ……、まゆりの時と、同じなんだ……。どれだけもがいたって……、結果は同じになる……。無駄だよ……、無駄なんだ……。何もかも無駄なんだよ! 俺はやっぱり、紅莉栖を助けられないんだ……。は、はは、ははは……。分かってた……。分かってたんだ……。こうなるって、予想してたんだ……。もう疲れた……。ずっと休んでないんだ……。だから、もういいよ……。はは、は……」


 1.129848


「オカリン……、一体何が……」
「俺が……、俺が、殺した……、殺してしまった……。馬鹿みたいだ……、全部、俺のせいだ……!」
 倫太郎は殺したと、自分のせいだと言う。彼のその言葉の意味が分からず、まゆりは困惑する。そんな彼の言葉を補足するように、鈴羽が口を開いた。
「牧瀬紅莉栖をさ、刺し殺しちゃったんだ」
「殺した……? ウソ……、そんな……」
「でも安心して。まだ、タイムトラベルはできる」
 鈴羽はまだタイムトラベルは可能だと言う。倫太郎を連れて、再び過去に跳ぼうと彼女は促す。だが、倫太郎は首を縦には振らなかった。
「ほっといてくれ……、俺のことなんか……。何度やったって、結果は同じだ……」
「なに言ってんの!? 諦めるつもり!? オカリンおじさんの肩にはさ、何十億人っていう人の命がかかってるんだよ!? たった一回の失敗が、なんだって言うんだ!」
「紅莉栖はどうやったって、助けられない……! 世界線の収束には逆らえない……」
 倫太郎は頑として、首を縦には振らない。そんな彼に、鈴羽は苛立ちを覚える。
「く……! こうなったら、ビンタしてでも気合入れ直して―――」
「だめだよ……! 無理強いするのは、よくないよぅ……! こんなボロボロになってるオカリン、見てられないもん……」
 まゆりは倫太郎に喝を入れようとする鈴羽を止めに入る。彼女は倫太郎を鈴羽から守るように、2人の間に割って入る。
「でもさ……、このままじゃ、未来を変えられない」
「どうして? どうして未来のことを、オカリンひとりに押し付けるの? そんなの重すぎるよ……」
「オカリンおじさんには、世界の観測者としての能力があるからだよ」
「オカリンが……、望んだわけじゃないのに……。それに、もう一度やったって、またオカリンが傷つくだけだって思うな……。未来のことを、人ひとりで変えようなんて、きっと無理なんだよ……」
「だから、そのためのシュタインズゲートで……。ん……、気持ちは分かるよ。でもさ、あたしも未来をかけて、ここまで来てるんだよね。どっちにしろ、2036年には戻れないんだ。そう簡単に諦めるつもりはないから」
「…………」
 未来をかけてここに来ている以上、鈴羽も簡単に諦めるわけにはいかない。彼女は倫太郎に向かい、忠告をする。
「オカリンおじさん。1つだけ、忠告しとく。このタイムマシンに残されている燃料は、有限なの。さっきは往復2回分しか残っていないって言ったけど、実は、まだそれなりに余裕はある。それでも移動できる時間は、およそ344日分。片道のタイムトラベルだとしても、今から1年と経たないうちに、7月28日には届かなくなる。覚えといて。その日になったらさ、あたしは、たとえ1人でも跳ぶよ」
「………………」

 その時の私は、あんな状態のオカリンに向かって、もう一度頑張ってなんて、言えなかった……。私にできたのは、ただ名前を呼んであげることだけ……。昔、私がおばあちゃんを亡くした時に、オカリンがそうしてくれたみたいに……。

「オカリン……? オカリン……、ねえ、オカリン……。もう、頑張らなくていいからね? 泣いてもいいんだよ、オカリン……。まゆしぃは、そばにいるからね……、オカリン……」





























 それからの3ヶ月は、とっても長かったような気もするし、とっても短かったような気もする……。私の中で、あんなにもキラキラと輝いていた秋葉原も、最近はなんだか色褪せたように感じるんだ……。



 しとしと、と細かい雨が降り続く。11月になり、秋雨も終わったと思っていたが今日は生憎の雨。
 季節は秋を迎え、もうじき冬になろうとしている。雨の中、かじかんだ手に息を当て暖めながら、まゆりは雨の中を歩いていた。雨粒が細かいとはいえ、傘があってもこの雨の中を歩くのは一苦労だ。
 そんな雨の中、まゆりはいつもの日課をこなすため、道を歩いていた。そんな彼女に声をかける者がいた。
「まゆりちゃーん!」
 遠くから呼び止められ、まゆりは後ろを振り返る。彼女の視線の先、そこには見知った顔があった。
「あれ、るかくん。どうしたの? 何かまゆしぃに用事だったかなぁ?」
 雨の中、傘なしで走ってきたるかは、息を切らしながらまゆりに話しかける。
「そういうわけじゃ、ないんだけど。あの、僕、今日、傘を忘れちゃって」
「そうなの? 傘に入れて行ってあげたい所なんだけど……、でもでも、まゆしぃは秋葉原には寄らないのです」
「あ、そっか……。今日も、神田まで歩くの? 電気大って、神田だよね?」
「うん。あ、じゃあこうしよう! 御茶ノ水の駅まで送ってあげる。あ、その先は、えっと……、どうしよう……?」
「そこまで行ければ大丈夫。家に電話して、秋葉原駅まで、迎えに来てもらうから。でも、まゆりちゃんは迷惑じゃない?」
「そんなことないよ、大歓迎だよ!」
「良かった、じゃあ、お言葉に甘えることにするね」
「うふ、はいどうぞ そうして、まゆりは傘の半分にるかを入れる。
 2人は肩を寄せ合い、雨の中を歩いていく。
「えへへ、るかくんとあいあい傘だ~」
「なんだか、照れちゃうな」
 2人は楽しそうにお喋りをしながら歩いてく。
「今日は、あいにくの雨になっちゃったね」
「うん、さすがに今日はお星様は見えないね~」
「まゆりちゃんはお星様、好きだもんね」
「うん、こうやってね。空に向かって手を伸ばすと、お星様が掴める気がするの」
「そうなんだ。まゆりちゃんは、ロマンチックだね。まゆりちゃんは、どんなお星様が好きなの?」
「うん、まゆしぃはね、織姫様と彦星様が好きなのです」
「わあ、七夕の星だね。やっぱり、まゆりちゃんはロマンチストだなぁ」
「えへへ。織姫様は、ベガっていう星なんだけど、白くて明るくて、とっても綺麗なの。海外だとね、空のアークライトって呼ばれているんだ」
「さすがまゆりちゃん、お星様博士だね」
「あはは、それほどでも~」
「でも、アークライトって、どういう意味なの?」
「え? うんとね、詳しくは分からないけど、白くて綺麗なライトだよ、きっと」
「そ、そうなんだ……。あはは……。僕は今年は短冊は書かなかったけど、まゆりちゃんは短冊書いたの?」
「うん、今年も書いたよ。まゆしぃは子どもの頃からね、ずっと同じ願い事を書いているんだ。……きっと、叶うことのない願い事……」
「え……?」
「織姫様に、なれますように、って……」
「まゆりちゃん……」
「えへへ、まゆしいは、ロマンチストの厨二病なのです」
 まゆりは努めて明るく言う。しかし、その表情はどこか寂しいものだった。
 まゆりの悲しげな顔を見て、るかは声をかける。
「……ねえ、まゆりちゃん」
「ん? なあに?」
「きっとなれるよ。岡部さんの、織姫様に」
「……え? や、やだなあ。まゆしぃは、一言も、相手がオカリンだなんて言ってないよ」
「僕だって、3ヶ月前に岡部さんに何かがあったことぐらいわかるよ」
「……ん」
「それ以来ずっと心配で、僕なりに岡部さんのこと、見てきた。岡部さんのそばにいた、まゆりちゃんのことも。それで分かったんだ。まゆりちゃんが、どんなに岡部さんのことを、想っているか……。」
「…………」
「弱音ひとつ吐かず、岡部さんを支えているまゆりちゃんを見て、すごいって思ったよ。岡部さん、とっても明るくなった。別人だと思えるくらい……。それは間違いなく、まゆりちゃんのおかげだから。だから、まゆりちゃんなら絶対、織姫様になれるよ」
「……違うよ、るかくん」
「……え?」
「オカリンの心の中にいるのはね、まゆしぃじゃないの……。夜空に浮かぶ星みたいに、どれだけ手を伸ばしても、届かない人……」
「それって、どういう……」
「オカリンにとっての織姫様は、もう二度と、輝くことはないんだ……」





 あの夏の日から、私はすっかりラボに足を運ばなくなった。あの日、8月21日までは、毎日みたいに通っていたのにね……。
 その代わり、学校が終わったら毎日大学までオカリンを迎えに行くのが日課になってたんだ。

「ふんふふんふふーふ、ふんふふんふふー♪」
「おーい、まゆり! まゆり!」
「あ、オカリン!」
 大学の構内から倫太郎がこちらにやってきた。倫太郎は雨の中、小走りでまゆりに駆け寄る。
「今日も待っていたのか。全く、律儀なやつだな」
「えへへー。あ、ねえねえ、テスト終わった?」
「ああ、ヤマがうまい具合に当たってな。今日は絶好調だったよ」
「ふふ、オカリンはもともと頭いいもんね」
「はは、よせよ。褒めても、何も出てこないぞ」
 そう言いつつ、倫太郎はまんざらでもない様子だった。
「まあ俺も、今は本気で勉強しているからな。何しろ、ヴィクトル・コンドリア大学に行こうと思ったら、並大抵の努力じゃ行けないからな。できることは、本気で取り組まないと」
「そっかー、オカリンも海外留学かー。オカリンもすっかりリア充さんだね」
「何でそこで寂しそうな顔をするんだよ。大体、留学するなんて決まってないぞ。本当に留学するかは、これからの頑張り次第だな」
「最近のオカリンはとっても充実していて、まゆしぃも嬉しいな。もう、電話に向かって独り言を言うこともないんだね……」
「あのなぁ、俺の黒歴史を思い出させるな」
「……黒歴史、かあ……」
 まゆりのその言葉に、倫太郎は少々不満そうな顔をする。
「……なんだよ、何か言いたそうだな」
「ううん、何でもない……」
 そして2人は駅に向かって歩き出す。先ほどのやり取りから、気まずい空気が2人の間に流れる。そんな空気を変えようと、まゆりは倫太郎に話しかける。
「そうだ、一昨日ね、ダルくんから面白い写メが送られてきたの」
「へえ、どんな?」
「見る? 見る?」
 まゆりは自分のスマホを取り出し操作する。
「スズさんが白衣を着ているだけの写真なんだけど、全然似合ってないんだよ。スズさんは筋肉質すぎると思うな。なんとね、腹筋が割れているのです」
「……鈴羽って、まだラボで寝泊りしているのか?」
「うん、ベッド買ったらって、言ってるんだけど、相変わらずソファで寝てるの。前はよく、オカリンもあのソファで寝ていたよね。あ、あった、あった! この写真」
 倫太郎はまゆりのスマホを覗き込む。そこには、恥ずかしそうに白衣を着る鈴羽の姿が映っていた。
「はは、確かに、似合ってないな」
「あ、ちなみね、この白衣はオカリンが普段着ていたやつだよ。ダルくん用にって、オカリンが昔買ってきた白衣は使ってないからね。ちゃんと保管しているから」
 まゆりは楽しそうに倫太郎に話しかける。しかし、倫太郎からは返事がない。
「……オカリン?」
 まゆりが倫太郎を振り返ると、彼は足を止め悲しげな表情をしていた。
「……オカ……、リン……?」
 まゆりの呼びかけに、倫太郎はようやく答えた。
「……あの白衣、まだ取ってあったんだな……」
「……あ、うん……」
 倫太郎はまゆりの言葉を聞くと、再び歩き出す。しかし、彼の表情は晴れない……。
「……なあ、まゆり。あの白衣、鈴羽にやってもいいんだぞ」
「え……? だって、前、スズさんが開けようとしたら、オカリンすごく怒ったよ……」
「……ずっと使われないでホコリをかぶっているより、使ってやったほうが白衣も喜ぶだろう……」
「…………ん」
 倫太郎にそう言われ、まゆりは何も言えなくなる。しかし、彼女はたまらず倫太郎に尋ねる。
「……ねえ、オカリン。ひょっとして、あの白衣、牧瀬さんと関係があるの……?」
 まゆりのその言葉を聞き、倫太郎は再び足を止まる。そして、彼女の顔を見つめ答える。
「…………ないよ」
「……でも―――」
「まゆり!」
 まゆりの言葉を遮るように、倫太郎は言葉を続ける。
「……もう、終わったことなんだよ……」
 そう言う、倫太郎の表情は、あの夏の日……。
 8月21日に見た表情と、同じものだった……。





「おーい、鈴羽た~ん。ラブリーマイドーター、いるー?」
 ラボの扉が開くなり、野太い声が室内に響く。聞きなれたその声を耳にし、鈴羽はソファから体を起こした。
「……何その、ラブリーマイドーターって……」
「愛しき我が娘って意味だお」
「そういう事を聞いているんじゃない……」
「何、寝てたん?」
「ちょっと寝不足でね。朝から寝てた」
「最近ちょこちょこ出かけているみたいだけど、何をしてるん?」
「……ん、ちょっとね」
「ふーん。深くは聞かんけど、困ったことがあれば、もっとお父さんを頼ってもよいのだぜ」
「まあ、本当に困ったらお願いするよ」
「お父さん、そんな疲れた鈴羽のために、大好きなショートケーキを買ってきた」
「大好きとか言わないでよ……」
「毎日欠かさずケーキを買い食いしていることぐらい、お、お、お父さんお見通しだお」
「ん……」
「じゃあ、皿とケーキと、あとコーラも用意しないとな。鈴羽はケーキ、出しといて」
「……オカリンおじさんは、今日も来ないの?」
「相変わらずだお。最近のオカリンは勉強ばっかりして、ラボに寄り付きもしない」
「説得は無理か……。やっぱ銃を突きつけてでも、連れてくべきかな……」
「それは止めとけって。前にそれやって、警察沙汰になったじゃん」
「銃一丁であそこまで大騒ぎになるとは思わなかったんだよ。全く、やりにくい時代だな」
 鈴羽は、不満そうにため息をつく。
「んふふふ、じゃあいただくお」
「……なんでケーキが4つもあるの? 2つずつ食べろってこと?」
「いや、鈴羽は1個、僕は3個」
「…………なんで?」
「それは、可愛い娘のためにわざわざケーキを買って来た自分へのご褒美っつーか」
「そんなことばかりしているから太るんじゃないか!」
 鈴羽の抗議など目もくれず、至は早くもショートケーキを貪り始める。父のそんな自堕落な食生活に、鈴羽は何百回目のため息をついた。
 その時、ふいにラボの扉が開いた。
「あ……」
 そこには、まゆりの姿があった。
「あれ、まゆ氏久しぶりじゃん」
「久しぶりだね、まゆねえさん。どうしたの?」
「……あ、うん。ちょっとね……」
 そう言い、まゆりは遠慮がちにラボに上がる。
「待ってて、まゆねえさん。今お茶を入れるから。父さん3つもケーキあるんだから、ひとつまゆねえさんにあげなよ」
「はいはーい。まゆ氏、ちょっと待ってて」
「あ、いいよ2人とも。それより、ちょっと確かめたいことがあって……」
「確かめたいこと? どうしたの」
 鈴羽が不思議そうに言うと、まゆりはラボ奥の開発室に入っていく。そして、研究室のロッカーを開けると、中から新品同然の白衣を取り出した。
「まゆ氏、どうしたん?」
 至の問いかけにもまゆりは応じず、その手の中の白衣を見つめている。
 しばらくしてから、彼女はようやく口を開いた。
「……ねえ、スズさん。この白衣ね、ひょっとしたら、牧瀬さんが着ていたのかな……?」
 まゆりのその言葉を聞き、鈴羽は思い出した。以前、倫太郎の目の前であの白衣を着ようとした所、烈火の如く彼が怒ったことを。
「……私は、牧瀬紅莉栖に会ったことはない。彼女がどんな人物だったかも知らない。でも、オカリンおじさんの話では、α世界線ではこのラボにいたらしいから、もしかするとその白衣を着ていたのかもしれない……」
「…………そう、だよね…………」

 今日のオカリンを見て、そうだという気はしていた。
 白衣の話をしてから、オカリンはすごく悲しい顔になった……。
 るかくんは、オカリンが明るくなったと、元気になったと言ってた。
 確かに、あの夏の日からは、いくらかは元気になったのかもしれない。
 でも、オカリンの心の傷は、胸の奥底では、ほんの少しも癒えてはいないんだ……。





 その後もしばらくの間、オカリンはラボに来ることはなかった…。
 オカリンのいないラボは、なんだかすごく寂しくて、まるで火が消えたようだった……。
 ラボにはダルくんも、スズさんもいるのに、何かが足りない気がして……。前は、もっと賑やかだったのになあって、感じてしまう……。
 あのラボにはもっと沢山の仲間がいた気がするの…。
 それでも私は、オカリンを待ち続けた。いつか、またオカリンがラボに戻ってきてもいいように、私は待っていたんだ。
 そしたら、年の暮れも差し迫った頃、オカリンがまたラボに来てくれるようになったの。
 嬉しかった。オカリンがいるだけで、ラボは以前の活気を取り戻したみたいだった。
 どうしてオカリンがまた来るようになったのかは不思議だったけど、私はオカリンが戻ってきただけで嬉しかった。
 でも、クリスマスパーティーの日、その理由はすぐに分かった。

「ええと、それともう一人、比屋定真帆さんだ」
「どうも、はじめまして」

 比屋定真帆さん。オカリンが、クリスマスパーティーに招待したお客様。
 オカリンが元気になったのは、きっとこの人のおかげなんだって、何となく分かったの。

「はじめまして~、真帆さん。ラボにようこそ~」
「あ、はじめまして。ええと……」
「椎名まゆりです。今日は来てくれてありがとう~」
「こちらこそ、こんな素敵なパーティーに呼んでくれてありがとう」
「いいんですよ~、パーティーは沢山人がいたほうが楽しいですから」
「本当ね。実は、私もレスキネン教授も、今日は何の予定も入ってなかったの。ここのパーティーに招待されていなかったら、今頃一人寂しくクリスマスを過ごしてところね」
「良かった~。何か予定が入っていたら、悪いと思ってたから」
「まだ日本にてきて間もないから、友人も少なくてね。岡部さんに誘ってもらって良かったわ」
「それじゃあ、ここで沢山友達を作って下さいね。きっと日本での生活も楽しくなりすよ~」
「ええ、ありがとう」
 そう言い、真帆は微笑む。最初はパーティーには行かないと言っていた真帆だったが、今はここに来て良かったと心から思っていた。
「あの、真帆さんはオカリンとはどこで知り合ったんですか?」
「岡部さんとは、アキハバラ・テクノ・フォーラムで知り合ったの。たまたまそこで、レスキネン教授が講演をしていたのだけれど、岡部さんがその講演のスタッフだったのよ」
「ああ、そうだったんですね~。オカリン、そんなこと全然言わないから知らなかった~」
「私も教授の助手兼通訳として、講演に参加していたんだけど、会場が分からなくてね。たまたまスタッフとして参加していた岡部さんに場所を聞いたんだけど、いきなり中学生と間違われてね……。はあ、せめて身長があと10、いや5センチでもあれば……」
「そ、そうだったんですね…。あ、でもでも、真帆さんってすっごく可愛いですよ~。まるでお人形さんみたい。今度来た時に、真帆さん用の甘ロリコスを準備しておきますね~」
「……そ、それは遠慮しておくわ……」
 まゆりの全くフォローになっていない慰めを聞き、真帆は笑顔を引きつらせる。
「とにかく、それで岡部さんとは知り合ったの。でも、その後に面白いエピソードがあってね」
「面白いエピソード?」
「教授が講演に対する質問を受け付けたんだけど、そこで意地の悪い質問があってね。教授の研究を否定するみたいな質問がね。正直、私も頭に来ていたんだけど…。そこで、聴講していた岡部さんが…、どうしたと思う?」
「ええと……、う~ん、まゆしぃには分からないのです……」
「“異議あり”って言ってね。大声で立ち上がったの」
「ええーー!? オカリンがそんなことを?」
「ええ、私もびっくりしちゃったわ。会場中の視線が一斉に岡部さんに集まったもの。でも、岡部さんは少しも動じず、その質問者に言い返したわ。私も、ちょっといい気分だった」
 そう言い、真帆は楽しげに話をする。
「そうだったんですね~。やっぱりオカリンはすごいな~」
「岡部さんって、普段からそんな感じなの?」
「う~ん、ちょっと前まではそうだったけど、最近は全然かな…。でも、その話を聞くと昔のオカリンみたい」
「昔は今とは違っていたのね。昔の岡部さんも見てみたいわね」
「…うん、私も見てみたい」
 そう言うまゆりの表情は、どこか寂しそうに見えた。そんなまゆりを心配し、真帆が声をかける。
「まゆりさん……?」
「あ、ううん、何でもない。それにしてもすごいね~、真帆さんって。教授先生の助手さんなんだ。真帆さんも大学に通っているんですか?」
「ええ、私は普段アメリカの大学に勤務しているの。知ってるかしら、ヴィクトル・コンドリア大学って言うんだけど」
「……ヴィクトル・コンドリア大学」
「ええ」
 その言葉を聞き、まゆりは言葉を失う。
 ヴィクトル・コンドリア大学。現在、倫太郎が留学を目指し猛勉強をしている大学だ。そして、その大学にはかつて……。
「真帆さん……。その……、こんなことを聞いていいか分からないけど……」
「え?」
「……ひょっとして、真帆さんは……、牧瀬紅莉栖さんと、知り合いなんですか……?」
「…………ッ」
 急に紅莉栖の名が出て、真帆は言葉を詰まらせる。
「まゆりさん……、あなた、紅莉栖と面識が……?」
「ううん……。私は、紅莉栖さんと会ったことはないんだ……。でも、オカリンは仲が良かったみたいだから……」
「……そう、なのね……」
 しばしの沈黙。2人は何を話したらいいか分からず、沈黙が続く。しかし、その沈黙を真帆が破った。
「……紅莉栖は、私と同じ研究室でね……。私より年下だったから、あの子、いつも私のこと、“先輩”って呼んでいたわ。アメリカじゃ、年上をそんな風に呼ぶ習慣はないから、何度も注意したんだけど……。日本に住んでいたあの子にとっては、そっちのほうが馴染みがあったのかもね……」
「………………」
「岡部さんには、感謝しているわ。私、日本にいた時の紅莉栖のことは、ほとんど知らなかったから……」
 真帆は、寂しそうな顔をして遠くを見つめる。そんな真帆を見て、まゆりも思う所があったのだろう。彼女に自分の思いを伝える。
「オカリンも、真帆さんには感謝していると思います。紅莉栖さんが亡くなって、ずっと元気がなかったから……。でも、最近はちょっとずつ元気になって、このラボにもまた来てくれるようになったの。きっと、真帆さんのおかげです。ありがとうございます」
 まゆりは真帆に向かい、深々と頭を下げる。
「そんな、私のほうこそ、岡部さんにお礼を言わなきゃ。あなたにもね、まゆりさん。ありがとう」
 2人は、互いに感謝の言葉を伝える。そんな、まゆりと真帆の胸には暖かいものが広がった。
「ごめんなさい、せっかくのパーティーなのに、なんだかしんみりしちゃったわね」
「そんなことないですよ~。真帆さん、今日はいっぱい食べて楽しんで下さいね!」
「ありがとう」

 やがてパーティーは進み、プレゼント交換の時間となる。
 参加者は皆、当たったプレゼントを見て一喜一憂する。そんな中、真帆に回ってきたプレゼントはオルゴールだった。
 デフォルメされたクマの形をしていて、ネジを巻くとカタコト手足や口を動かしながら、音楽が鳴る仕掛けとなっているようだ。
「いいのかしら。こんな素敵なものをいただいてしまって」
「いいんですよ~。どうぞどうぞ~♪」
「どんな音? 聞きたい!」
「そうですね。ボクも聞いてみたいです」
 綯とるかが、オルゴールを聴いてみたいとせがむ。
「じゃあ……」
 真帆はネジをカチカチと巻き始めた。
 真帆がネジから手を離すと、オルゴール特有の、金属音ではあるけれど柔らかな音色が流れ出した。
 ひたすら騒がしかった空気がゆったりと収まっていき、代わりに、ホッと一息つくかのような雰囲気がラボに満ち始める。
「……まゆしぃね、この曲大好きなんだぁ」
「ボクもです」
「ポカポカした気持ちになるね♪」
「ええ、そうね」
「あ、そうか。この曲だ」
 突然、鈴羽がなにかを思い出したように立ち上がった。
「由季さん、ほら、覚えてない?」
「えっ! はいっ?」
「あたしが寝込んでたときに、由季さんがここで歌ってたよね」
「ああ、そういえば」
「うん、確かにこの曲だよ」
 鈴羽は懐かしそうに目を細めた。
「ね、まゆねえさん。これ、なんていう曲?」
「うんとね、これは―――」

 まゆりが言いかけた―――その時、だった。
 突然、室内に激しい音がした。フブキがテーブルをひっくり返しながら床に倒れたのだ。
「フブキちゃん!」
 まゆりが慌ててフブキに駆け寄る。しかし……。
「うぐぅ!」
 今度は倫太郎が苦しそうな声を上げ、床にうずくまる。
「オカリン、どうしたん!?」
「岡部さん!」
 慌てて至と真帆が駆け寄るが、倫太郎はそのまま意識を失ってしまった。

 それからは大変だった。急いで救急車を呼んで、2人を病院へ搬送。当然、クリスマスパーティーはお開きとなった。
 皆、2人を心配し病院へ行きたがっていたが、時間も時間だったので、病院へ行く人数をしぼり、後の者は家へ帰らせた。

「まゆりちゃん、今フブキちゃんのお母さんが来られたわ。後は、ご家族の方に任せましょう」
 病室で、倫太郎の付き添いをしていたまゆりに、カエデがそう伝える。
「うん、ありがとうカエデさん」
「オカリンさんの様子はどう?」
「先生の話では、倒れた理由は分からないけど、今は眠っているだけだって。そのうち目を覚ますって言っていた……」
「フブキちゃんにも、同じことを言っていたわ。とりあえず、心配はなさそう」
「そう、良かった……」
 ベッドの中で眠っている倫太郎を見て、まゆりは呟く。しかし、そうは言っても倫太郎が目を覚まさないうちは安心はできない。
 まゆりは不安そうに倫太郎を見つめる。
「オカリンもフブキ氏も、一体どうしたんだお? 何もしていないのに、なんで急に倒れたん?」
 至の当然の疑問に、まゆりもカエデも答えられない。医師から詳しい説明を聞いていない現状では、答えようがなかった。しかし、ダルの疑問に真帆が答える。
「……もしかしたら」
「え? 真帆たん、何か分かるん?」
 真帆の言葉に、まゆりもカエデも注目する。
 彼女は少しためらいながらも、自分の意見を3人に述べる。
「もしかしたら、2人の症状は、新型脳炎に関するものなのかも」
「……新型脳炎って、今テレビで騒がれている、あの病気ですか……?」
「ええ。レスキネン教授は、新型脳炎に関しても研究を行っているのだけれど、患者には共通の症状がみられるの。記憶の錯乱や、夢と現実の混同。そして、複数の患者が同時に起こす、突然の意識消失……」
「……突然の意識消失」
 真帆の説明に、まゆりは言葉を失う。
 “複数の患者が同時に起こす、突然の意識消失”
 真帆が説明した、新型脳炎患者の症状は、倫太郎とフブキの症状に一致していた。
「もちろん、私は医師じゃないから断定なんかできない。でも……、症状だけ聞くと、新型脳炎の特徴にそっくりなの……」
「……そんな」
 まゆりは不安そうに、眠っている倫太郎を見つめる。
 倫太郎がラボに戻ってきた。それだけで、あの夏の日からまゆりが抱いていた不安は払拭されていた。
 しかし、倫太郎とフブキが倒れた今、その不安は別の形として現れ始めていた。
「……なんだか、怖いな……」
 眠り続ける倫太郎を見つめ、まゆりは不安そうに呟いた……。





 それからしばらくの間、フブキちゃんは入院することになった。でも、オカリンはすぐに意識を取り戻し、無事退院になったの。
 フブキちゃんも、新型脳炎の疑いで入院はしていたけれど、経過観察として間もなく退院となった。
 真帆さんは、しばらくしてからアメリカに帰国してしまったけど、私が抱いていた不安は杞憂に終わった。
 私が心配することなんて、何もなかった。オカリンもフブキちゃんも、その後も元気に過ごして、私はまた楽しい日々を取り戻したの。
 それから、少し時間が流れ、季節はすっかり夏になった。そして、今日この日、私たちは待ちに待った、あの人と再開をした。

「比屋定さん」
「……へ?」
「久しぶり。無事、入国できて良かったな」
「あ、あ、あ、あなたっ?」
 突然の倫太郎の登場に、真帆は分かりやすいくらい動揺している。
 前もって日本に来ると聞いていた3人は、サプライズで真帆の迎えに空港に来ていたのだ。
 倫太郎と一言二言、言葉をかわした後、まゆりとフェイリスも真帆に声をかける。
「真帆さ~ん♪ トゥットゥルー♪」
「会いたかったニャ~! まほニャ~ン!」
「まゆりさんもフェイリスさんも、お久しぶり。2人とも、わざわざ迎えに来てくれたのね。ありがとう」
 そうして4人はしばしの間、談笑をする。しかし、真帆が東京にあまり滞在できないことを知ると、まゆりは残念そうな顔をする。
「真帆さん、今回はすぐに沖縄に行っちゃうんですね~。まゆしいは悲しいのです……」
「ごめんなさい、まゆりさん。でも、数日は東京に滞在するつもりだから、その間なら大丈夫よ」
「本当? じゃあ、その間、秋葉原を案内してあげるのです」
「ありがとう。まだ行ってみたいジャンクショップもあるから、お願いするわ」
「それから、メイクイーンニャンニャンも体験入店させてあげるニャ~」
「それは結構です」
「えー! ニャンでー!?」

 それから数日間、まゆしぃたちは真帆さんを連れて秋葉原を案内したの。真帆さんの好きなお店を沢山回って、一緒に遊んで。
 それから、メイクイーンにも来てもらいました! なんと、真帆さんも渋々ながら猫耳をつけてくれたのです。はあ~、オカリンにも見せてあげたかったよ~。でも、真帆さんが―――。
「岡部さんと、あのHENTAIには絶対見せないで!」
 って言うから、結局写真は写せなかったのです……。残念……。でも、とっても楽しかったな~。
 数日後には、真帆さんは沖縄に行っちゃったけど、とっても楽しい思い出ができました。

 去年の夏、8月21日からその年の冬まで。
 オカリンがラボに来なくなってからは、私の時間は止まっていた……。
 ダルくんがいても、スズさんがいても、なんだかラボには寂しい空気が流れていた。
 前は、1人でいても、そんなことを感じることなんてなかったのに……。
 1人でラボにいても、オカリンを待ってるだけで、幸せだった……。
 ……オカリンがいないラボは、それだけで、別の場所のようだった……。
 だから、オカリンがまたラボに来るようになったのが嬉しかった。
 オカリンは自分からは決して言わないけど、きっと、オカリンがラボに戻ってきたのは、真帆さんのおかげ。
 真帆さんと会ったことで、オカリンは以前の自分を取り戻した。
 だから、真帆さんにはとっても感謝しているの。
 オカリンが、また元気を取り戻してくれて。
 オカリンが戻ってきて、真帆さんっていう新しい友達ができて、私の日常は、また輝きを取り戻した。
 ……でも、変なの。オカリンが戻ってきたのに……。
 ……何も、不安なんかないはずなのに……。
 ……何かが足りない気がするの……。
 ……私は、以前の日常を取り戻したはずなのに……。
 ……何かが、欠けている気がして……。
 ううん、本当は分かっていたんだ……。
 何が足りないかは、分かっていたはずなのに、私はそれを認めたくなくて……。
 大切なものを無くしたのは、自分のせいなのに、私はそれを認めたくなくて……。
 だから私は、自分の日常を、楽しいことで満たそうとした。
 失ってしまった、大切なものを忘れるため、他の何かで埋めようとした。
 ……でも、それは、他の何かで埋められるようなものじゃなかった……。
 私の、大切な……、大切な人……。
 あの日、おばあちゃんのお墓の前で、私を抱きしめてくれた人……。
 あの日から、私の日常になった人……。

 そして私は真実を知る。
 この世界が存在する理由を。
 私と、紅莉栖さんの関係を……。





「ふんふふんふふーふ、ふんふふんふふー♪」
 まゆりは鼻歌を歌いながら歩いている。ラボに向かうその足取りは軽い。
 最近はコミマに向けて新作のコスを作っていたので、ラボに行く余裕がなかったのだ。
 昨日ようやくコス完成の目処が立ったので、今日は久しぶりにラボに行くことにしたのだ。
 好きでしている事とはいえ、それでも何日も作業が続くと疲れが溜まってくる。
 そこで、今日は久しぶりにラボに行き、息抜きをするのだ。
「オカリンもう着いたかな~」
 今日はラボに行くと、倫太郎から聞かされていた。なんでも、至に話があるとかで倫太郎も久しぶりにラボに行くとか。
 倫太郎が今日ラボに行くことを、さきほどまゆりは至に伝えたところだ。倫太郎のことを考えると、まゆりの足取りは自然と軽くなる。
 夏の日差しもなんのその、彼女はラボに鼻歌混じりに向かう。
「到着~♪」
 ほどなくして、まゆりはラボの目の前まで来た。彼女はビル2階のラボに向かい、階段を小気味よく上がっていく。
 しかし、階段を上っている途中、ラボから聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「…………あれ?」
 まゆりは耳を澄ます。ラボから聞こえてくるこの声は……。
「……真帆さん?」
 何故、真帆がここに……?
 彼女は先日、東京を離れ沖縄に行ったはずなのに……。
 それだけではない。聞こえてくる彼女の声は、誰かと言い争っているようだった。
 まゆりはただならぬ気配を感じ、ラボの扉まで来ると、息を潜めて中からの声に耳を澄ます。

「君は……、まさか世界線をαに戻したいのか?」

「……オカリン?」
 真帆と言い争っているのは倫太郎だった。
 何故、倫太郎と真帆が?
 当然の疑問をまゆりは浮かべるが、それよりも、次に倫太郎が口にした言葉を、まゆりは聞き逃すことができなかった。

「紅莉栖が生きていて、まゆりが死んでいる世界を、望むのか?」

「…………え?」
“紅莉栖が生きていて、まゆりが死んでいる世界”
 どういう意味なのか、全く分からなかった。
 しかし、とても聞き流せる言葉ではなかった。
 まゆりはドアに耳を当て、彼らの会話を頭に刻む。


「俺の主観で言えば、この世界は、紅莉栖の選択のおかげで存在しているんだ。紅莉栖がいたから、まゆりは無事でいられる。幸せに暮らしていられる。それを俺も守らなくちゃいけない」

「“タイムマシンで牧瀬紅莉栖を救おうなんて、絶対に考えるな”」


「岡部さんっ。シュタインズゲートは、実在すると思う? まゆりさんが死ぬ事なく……、そして、紅莉栖も犠牲にならない、そんな狭間の世界線が、あると思う?」

「あんなのは、下らない妄想だよ」


「何回も、何十回も、何百回も失敗した? だからなんだと言うの? そんなの科学の世界では当たり前の事よ。それで失敗したのなら、何千回、何万回、何億回も挑戦すればいい。そうすれば、必ずそこに解法は見つかる」

「君は……! 君は何も知らないし、経験してないから、そんな無責任な事が言えるんだ……!」


 目の前が真っ暗になった。
 話の全てを理解できたわけではない。
 しかし、会話の端々から分かったことがある。
 自分が今生きていることは、当然のことではない。
 そして、自分が助かるために、牧瀬紅莉栖が犠牲になったこと。
 そのために、倫太郎が何回も、何十回も、何百回も失敗し、つらい思いをしたこと……。

「………………ッ!」

 言葉にならなかった。
 自分が今の幸せを当然のように享受していた裏で、倫太郎が苦しんでいた……。
 そして、自分が助かるために、牧瀬紅莉栖が犠牲になった……。


『無駄だよ……。無駄なんだ……。なにもかも無駄なんだよ……』

『俺は、やっぱり、紅莉栖を助けられないんだ……』


 あの時、倫太郎が言っていた言葉が、ようやく分かった……。
 あの時、牧瀬紅莉栖が死んだのは、自分のせいなのだ……。
 押しつぶされそうな罪悪感に耐え切れず、まゆりは駆け出した。
 ラボの階段を駆け下り、がむしゃらに走る。
 涙を流し、自己嫌悪に潰されそうになりながら、声にならない声を上げる。
 どうして、自分が生きているのだろう。
 どうして、自分ではなく、紅莉栖さんが死ななければならなかったのだろう。
 どうして、オカリンが苦しまなくてはいけないのだろう。
 そんな自問自答を繰り返しながら、まゆりは秋葉原の街を走り続けた。

 ―――紅莉栖さんじゃなく、私がいなくなれば良かったのに!―――

「まゆりちゃん?」
 そんな、まゆりに声をかける者がいた。
「……え?」
 顔を上げると、漆原るかが、心配そうにまゆりを見ていた。
「ど、どうしたの、まゆりちゃん……? なんで、泣いているの……」
「るかくん……」
 旧知の仲のるかが目の前に現れても、まゆりの心が落ち着くことはなかった。
「……るかくん。紅莉栖さんが死んだのはね、まゆしぃのせいなの……。オカリンは、そのせいでこの一年、ずっと苦しんでいたの……」
「え……?」
「紅莉栖さんじゃなくて、私がいなくなれば良かったのに……。そうすれば、オカリンだって、こんなに苦しまなくてすんだのに……」
「ど、どういうこと、まゆりちゃん……? 僕には、まゆりちゃんが言ってることが―――」
 それだけ言うと、まゆりは再び駆け出した。
「あっ! 待って、まゆりちゃん!」
 まゆりを呼び止める、るかの声が聞こえたが、今の彼女にるかの声は届いていなかった。
 まゆりの足は、あの場所に向かっていた。

 ―――スズさんに聞いてみよう。スズさんなら、きっと全てを知っているはず―――

 まゆりはひたすら、ラジ館を目指し走り続けた。





 夕方とはいえ、真夏の午後。じっとしているだけでも汗が湧き出てくる気温の中、まゆりは走り続けた。
 身なり何て気にしていられなかった。
 先ほど聞いてしまった、倫太郎と真帆の会話。
 真実を知った今、彼女は聞かずにはいられなかった。
 恐らく、まゆりが知らない全ての事実を知っているであろう人物。
 彼女は自分が知らない真実を知るため、阿万音鈴羽の元を訪れた。
 まゆりはゆっくりと、ラジ館屋上の扉を開いた。
 重たい鉄扉が音を立てて開く。その先、タイムマシンに目を向けると、中から鈴羽が現れた。
 彼女はやや緊張した面持ちをしていたが、やって来たのがまゆりだと分かると緊張を解いた。
「まゆねえさん。珍しいね、ここに来るなんて」
 柔らかくまゆりを出迎えてくれた鈴羽に、まゆりは自分の思いをぶつける。
「……スズさん」
「……? 泣いてるの? 何があった?」
「……どうして、みんなは教えてくれなかったのかなぁ?」
「……え?」
「紅莉栖さんっていう人と、まゆしぃとの……、本当のこと……、教えてくれなかったのかなぁ?」
「……っ!」
 まゆりのその言葉を聞き、鈴羽は言葉を詰まらせる。
 まゆりの生存のためには、牧瀬紅莉栖の犠牲が必要だったという残酷な事実。
 それだけは、絶対にまゆりに知られるわけにはいかなかったのに……。
 まゆりからその言葉を聞き、鈴羽は聞かずにはいられなかった。
「……誰に、……聞いたの?」
「オカリンと……、真帆さんが話しているのを、聞いちゃった……」
 まゆりは事実を伝える。
「………………」
 その言葉を聞き、鈴羽は何も答えることができない。
 真実を知る者たちは、まゆりのため、今までその事実を彼女にだけは決して明かさなかった。
 しかし、偶発的な事故ならば誰も責めることなどできない。
「……ねえ、スズさん。お話……、聞いてもいい? 2036年の、まゆしぃとオカリンの事」
「…………」
 まゆりのその問いかけに、鈴羽はすぐに答えることができなかった。
 彼女にとって、未来の話は救いのある内容ではない。
「未来の事は、知らない方が幸せだよ」
 まゆりの頬を、また一筋の涙が伝い落ちていく。
「……まゆしぃなんてね、この世界にいても、何の役にも立たないよ。だったら、紅莉栖さんの方が、世界のためにも、オカリンのためにも、ずっとずっと必要なんだよ」
 鈴羽はふと、未来のまゆりと今のまゆりが交錯していくような、そんな錯覚にとらわれた。
 鈴羽が幼少時代から見てきた、あの“まゆねえさん”に収束してしまうと考えたら……、もう、まゆりの頼みを断れなくなってしまった。
「あたしの知ってる未来のまゆねえさんも……、時々、そう言ってた……。そんな時は、決まって、ぼんやりと空を眺めてるんだ。すごく寂しそうで、切なそうだったよ」
 そうして鈴羽は語る。かがりの事。未来のまゆりの事。
 そして、2025年に、岡部倫太郎が命を落とす事を。
「オカリンおじさんは最後にこう言っていたって、父さんに後から聞いた」
「“まゆりの命を助ける事ができて、本当に良かった。自分は、まゆりを守るために生きてきたんだから”」
「……そ、そんな……」
 まゆりは、両の手のひらで口を覆った。
「でも、まゆねえさんはその事をずっと引きずっていたんだろうな……。あたしたちに見えないところで、こっそり、七夕の空を見上げて、つぶやいていた」



 ―――あの日、私の彦星さまが復活していたら、全てが変わっていたのかな?―――



「…………あの日? ……私の彦星さま……。私の……」
 まゆりは、その言葉を口の中で反芻している。
 その瞳からは、まだ涙がポロポロと落ち続けている。
 しかし、悲痛な慟哭はいつしかおさまり始め、まだ悲しみに震えてはいたが、声音は静かなものに変わりつつあった。
「どういう事なの、かなぁ……?」
「あたし、今なら、分かる気がする。1年前……、あたし、オカリンおじさんの態度に本気でムカついたんだ。チャンスが目の前にあるのに、なんで諦めるんだって。そんなオカリンおじさんを庇って甘やかしているまゆねえさんの事も、本当は許せなかったんだよね。でもさ、ここ1年、ここで暮らしてみて感じたんだ。あの時、間違っていたのはあたしの方だったって。今なら、あの日のオカリンおじさんと、もっとちゃんと話せるかもしれない」
「あの日……」
「……それで上手く説得できるかどうか……、そこまでは自信ないんだけどね。あたしに残されたチャンスは、あと一度だけ。それなら、未来のまゆねえさんの言葉に賭けてみようと思う。牧瀬紅莉栖が殺された日じゃなく……、まゆねえさんの言ってた、あの日に跳んで……。まゆねえさんの“望み”を、叶えられるかどうか試してみる」
「まゆしぃの、望み……」
 鈴羽は、自分よりずっと華奢なまゆりの肩を、優しく撫でた。
「それが、シュタインズゲートへ向かう鍵だって……、信じてみる。シュタインズゲートを開く事が出来るのは、彦星をやめちゃった普通の星じゃなくって―――“まゆねえさんの彦星”しかいないような気がするからさ。つまり、あたしが新たに考案したミッションは―――」

「彦星の復活」

「…………っ」
「父さん流に言うなら『オペレーション・アルタイル』とか『オペレーション・アークライト』とか。それとも、アルタイルとアークライトを結ぶって意味で、『オペレーション・デネブ』かな? ……父さんほどのセンスは、あたしにはないみたいだ」
 鈴羽の話をずっと聞いていたまゆりが、不意に弱々しく立ち上がった。
「ねえ、スズさん。そのオペレーション……、まゆしぃにやらせて」
 鈴羽は耳を疑って、目の前の少女をまじまじと見た。
「これは危険な賭けだ。あたしの考えが間違ってて、失敗するかもしれない。タイムマシンにも限界が来てて、いつ制御不能になるか分からない。そのまま消滅してしまうかもしれない」
「それでも……、お願い。まゆしぃだって、ラボメンなんだよ。オカリンとダルくんに助けてもらってばっかりはなのは、もうイヤだよ……」
 まゆりは、自分の腕でぐしぐしと目を強くこするようにして、涙を拭った。
 弱々しかった彼女の身体に、ゆっくりとゆっくりと、生気が戻り始めている。
「まゆしぃね……、オカリンの事が……、好き。多分、紅莉栖さんと同じくらいに……。ううん、違う、絶対に、紅莉栖さんに負けないくらい、ずっとずっと大好き。……けど、だけど……」

「“私”はっ、“鳳凰院凶真”が、もっともっと、大好きなの……っ」

「私がおばあちゃんを亡くして、この世界から消えてなくなっちゃいそうになってた時……。そんな私に向かって、“この世界にずっといろ”って言って、救ってくれたの」



 ―――ま、まゆりは、俺の人質だ! 人体実験の生贄なんだ! どこにも逃がさないからなっ!! フハッ、フハハハハ!!―――



「それが彼なのっ。私の彦星さまなのっ。私……、私ね……、もう一度、彼に会いたい……。あの偉そうな高笑いを、また聞きたい……。たとえ私が、“織姫さま”にはなれないって分かってても……。それでも、私にとっての“彦星さま”は……、これまでも、これからも、ずっとずっと、彼以外にはいないんだもん……」

「鳳凰院凶真に、会いたいよぅっ……!」

 “織姫”になれない少女が、それでも思いの丈を全て紡いで、喉がかれんばかりに叫んだ。
 その―――瞬間、だった。
 鈴羽の携帯電話が、これまでに聞いた事のない、初めての音を響かせた。
「えっ!? こ……、これは!?」
 それは、ムービーメールが着信した音。
 そこに書かれた発信者名と件名を見て、鈴羽は、思わず息を呑んでいた。
「これ……、未来からのムービーメール……」





 鈴羽が未来から受け取ったムービメール。それは、2025年の未来の至から送られたものだった。
 ムービーメールの内容、それは―――

『オペレーション・アークライト』

 2025年の至も、鈴羽と同様の見解に達していた。
 つまり、牧瀬紅莉栖が死亡した、7月28日に跳ぶのではなく、8月21日に跳び、ミッションに失敗した岡部倫太郎を立ち直らせること。
 倫太郎を立ち直らせるための布石はすでに打ってある。
 2025年の至たちは、あの日の倫太郎にもムービーメールを送り、牧瀬紅莉栖を救う手段を伝えるらしい。そのための事前段階として、『オペレーション・アークライト』が必要なのだ。
 鈴羽は、父に自分の考えが正しいと背中を押されたようで、気持ちが高揚していた。
 鈴羽本人の準備は万端。鈴羽はまゆりにも確認をする。
「それじゃあ、まゆねえさん、準備はいい?」
「うん、ありがとうスズさん」
 鈴羽の問いかけに、まゆりは力強く。
 オペレーション・アークライトにはまゆりの協力が必要不可欠だ。しかし、彼女は自らミッションへの同行を申し出た。
 不安要素は何もない。鈴羽はミッションの成功を確信する。
「よし、それじゃあタイムマシンに乗って―――」
 その時、屋上の扉が勢いよく開かれた。
「鈴羽! まゆり!」
 そこに現れたのは倫太郎。予期せぬ倫太郎の登場に、鈴羽は驚く。
 そして、倫太郎の姿を見たまゆりは、慌ててタイムマシンの陰に隠れた。
「オカリン……」
 真実を知ってしまったまゆりは、どう接して良いか分からず、倫太郎の顔をはっきり見ようとしない。
 そんなまゆりに、倫太郎は声をかける。
「まゆり……、タイムマシンで、過去へ戻るつもりか?」
「えっ……、どうして……」
 何故、まゆりと鈴羽が過去に跳ぼうとしていることを知っているのか。
 倫太郎に、自分たちのこれからの行動を言い当てられ、まゆりは驚きを隠せなかった。
 そんな彼女に、倫太郎が答える。
「俺は、48時間後からタイムリープしてきた。全部知っている」
「なっ……、それ、ホント?」
 倫太郎の驚くべき答えに、鈴羽も動揺を隠せない。
「ここはあと30分もしないうちに戦場になる」
「え!? まさか、タイムマシンのことが、どこかから漏れるの?」
「ああ」
「まずい。だったら今すぐに跳ぶしかない」
 鈴羽はマシンのコックピットに飛び乗ろうとする。
「いや、ちょっとだけ待ってくれ。ダルと比屋定さんが、今、先手を打っているところだ。優秀な2人だ、必ずうまくいくだろう。でも……、もし仮に、思い通りにいかなかったら……」
「いかなかったら?」
「…………。お前たちは、死ぬかもしれない」
「かもしれないって、どういう意味? オカリンおじさんがタイムリープする前の世界で、あたしたちはどうなったの? ……というか、おじさんがタイムリープしてきたってことは、何か致命的な失敗があった。そうなんだね?」
「…………」
 倫太郎は事実を2人に言うべきか迷う。しかし、時間がないと判断し2人に真実を話す。
「鈴羽とまゆりが乗っていたタイムマシンは、時間跳躍の直前に、ロケットランチャーの直撃を受けた……」
「……!」
「……!」
「でも……、乗っていたお前たち2人の死体は、マシンの残骸からは見つからなかったんだ……」
「なるほど……、だから、かもしれないか……。それなら未来は確定してない。まだ成功の可能性は残されている」
「……鈴羽なら、そう言うと思った」
「止めないでよ、おじさん」
 鈴羽は決意に満ちた眼差しで、倫太郎を見る。倫太郎は、そんな鈴羽を止める気はないようだ。
 しかし……。
「……なあ、まゆり。本当に行ってしまうのか?」
「…………」
「お前に隠し事をしていたことは、謝る。でも、俺も、紅莉栖も、みんなが……、お前の事を、大好きなんだ。そんなお前を助けたくて、この世界線に、辿り着いたんだ。なのに、お前が行ってしまったら……、俺は……、俺たちは……」
「オカリン……」
「いや、お前の気持ちは痛いほど分かってる。けど……」
「ねぇ、オカリンおじさん?」
 そこで、鈴羽が静かに口を開いた。
「『オペレーション・アークライト』が、発動したんだよ」
「オペレーション……、アークライト?」
「あたしが聞かされていた当初の計画とは違う。戻るのは去年の7月28日じゃなくて、8月21日になった」
「8月21日!?」
「そのオペレーションには、まゆねえさんが必要なんだ。未来の父さんから、あたしはそう指示を受けた。ついさっき」
「なん……、だって……?」
 鈴羽の予想だにしない言葉に、倫太郎は激しく動揺する。
 そんな倫太郎に、まゆりが優しく話しかける。
「オカリン……」
 まゆりは倫太郎に抱きつけるほど近づいて、優しく彼の手を握りしめた。
 その表情は、少しだけ泣きそうで。それなのに、どこか晴れ晴れとしているようで。
「まゆり……」
「行かせて。……ね?」
「…………」
「まゆしぃも、ラボメンなんだよ? 落ち込んじゃってる“彦星さん”を、まゆしぃが、ひっぱたいてきてあげるから」
「…………っ」
「お願い」
 そんなまゆりを見て、倫太郎の心が動いた。
「……俺、は……。俺一人で、何もかも背負っていると、勘違いしていたんだな……。周りのことが、見えてなかったんだな……。まゆりだけじゃない、俺の近くには、たくさんのラボメンたちがいるのにな」
「オカリン……」

 その瞬間、屋上に銃声が響き渡る。

「ぐあっ!」
 いきなり足を撃ち抜かれた倫太郎は、激痛に悶えうずくまる。
「オカリンっ!?」
「オカリンおじさん!?」
 激痛に呻く倫太郎のふくらはぎは、出血により赤く染まっていく。
 鈴羽は倫太郎を撃った襲撃者を睨みつけた。
「お前……、かがり……!」
 鈴羽に視線の先に、ライダースーツの女が立っていた。
 かがりは右手に拳銃、左手には、それが脅しであるように爆弾らしきものをぶら下げていた。
「鈴羽、マシンに乗るんだ! 今すぐ跳べ!」
「え!?」
「くだらないことを言って悪かった! お前を護るためなら、ダルはどんなことでもやってのける! 失敗なんて、するわけないよな!」
「オカリンおじさん……!」
「だから、マシンは無事跳べる! だろ!」
「もちろん!」
「まゆりも行け! 早く!」
「で、でも、オカリンは!?」
「俺の事なら心配ない。14年後までは、絶対に死なないからな」
「……っ」
 倫太郎のその言葉の意味を理解し、まゆりは悲痛な表情をする。
 しかし、そんなまゆりの気持ちとは裏腹に、襲撃者は待ってはくれない。
 かがりがまた発泡してきた。弾は倫太郎が倒れている場所から30センチと離れていないところに着弾した。
「誰も動いちゃダメ! じゃないと、その人を殺しちゃうよ! マシンに乗らないで! それは“教授”に渡すの! その後、使い方を教えてもらって、かがりが、未来へ帰るのに使うんだから!」
「…………」
 かがりの脅しに、まゆりと鈴羽はマシンに乗り込むのを躊躇する。しかし、そんな2人を倫太郎は一喝する。
「構うな! ここは俺がなんとかする! 早くしろ! 鈴羽もだ! かがりのことは俺に任せてくれていい!」
「分かった! まゆねえさん、中へ!」
「え!? あ、待っ―――」
 まゆりは鈴羽に押し込まれるようにして、マシンの中に消えた。
「オカリンおじさん! かがりのこと、頼んだよ!」
「了解だ!」
 鈴羽もまゆりに続いてマシンの中に消える。

 鈴羽はマシンに乗り込むと、即座にタイムマシンを起動させた。しかし、マシンが動いてもすぐに時間跳躍できるわけではない。
 起動してからマシンの全システムが動くまでは、どうしても時間のロスがある。
「くそ、早く動いて!」
 焦る鈴羽に追い討ちをかけるよう、外からかがりの声が聞こえてきた。
「降りろ! じゃないと、この爆弾でマシンを壊す!」
 かがりのその言葉に、鈴羽は凍りつく。しかし……。
「やめろ!」
 かがりを止めようとする倫太郎の声が聞こえてきた。今は倫太郎を信じるしかない。
 その間に、鈴羽はまゆりに指示を出す。
「まゆねえさん、正面のコンピューターの奥に、PCの外付けハードディスクがあるからそれを取って!」
「え!? ええと……、これ!?」
 まゆりは指示された通り、奥からハードディスクを引っ張り出す。
「それを外に投げておじさんに渡して!」
 まゆりは言われた通り、ハードディスクをハッチから外に放り投げた。
「オカリン、これ!」
 まゆりが投げたそれは、屋上の床に転がる。
 それは、真帆から預かっていた“紅莉栖の遺産”だった。
「こ、これは、紅莉栖の!? どうしてここに!?」
 紅莉栖の遺産であるハードディスクは、以前秋葉原でロシアの工作員に破壊されたはずだった。
 倫太郎のそんな疑問に、鈴羽が答える。
「父さんを怒らないでやって。これからのタイムマシン研究に必要なものだと思うから」
 これがあれば、ラボのタイムマシン研究は飛躍的に早まるだろう。倫太郎は、鈴羽と至に感謝する。
 やがて、閉じゆくハッチからまゆりが顔を覗かせる。
「それじゃあ、オカリン! 行ってくるね!」
 倫太郎とまゆりの視線が交わる。
 そう。これは、一時的な別れ。
 きっと、また会える。
「頼んだぞ、ラボメンナンバー002、椎名まゆり! 『オペレーション・アークライト』を完遂しろ! 情けないこの俺を……、ひっぱたいてきてくれ!」
「うん、任せて! オカリン、私ね! オカリンの事―――大好き!」
「……ああ」
 倫太郎が笑顔で見送る中、ハッチが完全に閉まった。
 タイムマシンが徐々にうなり出す。
「……オカリン、元気で……」
 完全にハッチが閉じたタイムマシンの中、まゆりは堪え切れず、涙を流す。
 そして、彼女は涙を拭くと、コックピットのシートに座る。 
 やがて、マシンの内部が青白い燐光に包まれる。時間跳躍が始まるのだ。
「跳ぶよ! まゆねえさん!」
 鈴羽の声がコックピットに響き渡る。
 タイムマシンを包む燐光はより輝き、振動はさらに増した。
 まゆりは目を瞑り、タイムマシンの振動に身を委ねる。

 行こう、あの日へ。
 会おう、あの日の自分に。
 変えよう、私たちの未来を。
 そして、取り戻そう。鳳凰院凶真を……。



























「……もしもし……。……あなたは、誰ですか……?」
『……どうか、お願い……。落ち着いて、私の話を聞いて……』
「……どうして、まゆしぃの携帯持ってるの……? 誰なの……?」
『……それは……、言えない……。ごめんね……。ねぇ……、あなたは、鳳凰院凶真の事……、好き?』
「えぇ!? い、いきなり言われても……、困っちゃうよ……」
『これから1分後に、オカリンは牧瀬さんの救出に失敗して、戻ってくるの……』
「……え? 嘘……」
『……その時に、どんな事をしてでも、あなたにとっての彦星さまを、呼び覚ましてほしいんだ』
「……彦星さまって」

『「鳳凰院凶真」』

『このままじゃ、オカリンの中から、鳳凰院凶真の思い出で消えちゃうから……。だから、オカリンの折れた心を、蹴っ飛ばしてでも立ち直らせて! ただ名前を呼ぶだけじゃ届かない……。鳳凰院凶真が生み出された時の事を、思い出して』
「……生み出された、瞬間……」
『あと30秒! そろそろ退散しないと!』
『26年と、1年分の私の想い、あなたに託したからね!』
「ね、ねぇ! 一つだけ聞かせて! シュタインズゲートはあるよね! あるんだよね!?」
『跳ぶよ! 掴まって!』
『うん、きっとある。私はそう信じている。あなたも信じて。オカリンと……、仲間と……、そして、自分自身のことを、信じて……。後はよろしくね! トゥットゥル―――』
 その瞬間、2台目のタイムマシンが激しく光る。
「きゃあっ!」
 まゆりは思わず目を閉じる。
 そして、次に彼女が目を開けたとき……、そこには先ほどまで目の前にあったタイムマシンは、忽然とラジ館の屋上から消え去った。
「ちょ、に、2台目も消えた!? い、一体何が起きているんですぅ!? 誰かー、説明プリーズ!! つーか、まゆ氏、まゆ氏! 今の電話、誰からだったん!?」
 至はワケが分からず、まゆりに説明を求める。
 しかし、まゆりは全てを分かっていた。彼女はタイムマシンが残した光の残滓を見つめながら、小さく呟いた。
「信じるよ……。ありがとね、未来の、まゆしい……」





 タイムマシンのコックピット内から、耳障りな警告音が鳴り続ける。
 先程から2人を乗せたマシンは激しく揺られ、機内の照明も消えたり、点いたりを繰り返している。
 鈴羽はせわしなく計器類を操作しているが、どうやらそれも限界のようだった。
「くっ! ごめん、まゆねえさん。やっぱ、無事には戻れそうにないみたい……。タイムパラドックスを避けるために、あそこから跳んだのはいいけど、1年後まで帰れる燃料は、もう残っていない……。かと言ってさ……、一度タイムトラベルに入ったら、途中下車もできない……。……カー・ブラックホールが作り出した特異点内からどこに弾き出されるかは、運次第だね……。1日後なのか……、1年後なのか……、100年後なのか……、1億年後なのか……。とりあえず言えるのは、このタイムマシンは今、制御不能状態ってこと……。ごめんね、まゆねえさん。父さんのムービーメールによれば、この後、未来のオカリンおじさんが別のタイムマシンで私たちを追いかけて、救出してくれる手はずにはなっているんだけど……。私のいた2036年でさえ、そんな技術はなかった。2025年の不完全なタイムマシン技術じゃ、到底それができるとは思えない……」
「……それでも、ありがとう、スズさん。あの日に連れて行ってくれて……。後は、向こうのまゆしぃと、私の彦星さまがね、なんとかしてくれるはず」
「あ~あ、リーディング・シュタイナーが、私にもあれば良かったのに……。世界線の変動を観測できないのがさ、もどかしいよ……」





 ねえ、オカリン。
 世界が真っ暗闇になって、無限の影に怯えても、目を閉じないで。
 諦めないで。
 鳳凰院凶真を、殺さないで。
 そうすれば、想いはきっと届くよ。
 何百年、何千年っていう時間を旅してきた、あの星の光みたいに。
 ……オカリン。次は、シュタインズゲートで、会おうね。
 まゆしぃはあのラボで、いつだって、あなたを、みんなを、待っているから。
 



































































































 ピー、ピー、ピー。

 タイムマシンのコックピットに、聞きなれた電子音が響く。
 鈴羽はその音を聞き、目を覚ました。
「…………あれ?」
 わずかな記憶の混乱。一瞬、鈴羽は自分が置かれている状況が分からなかった。
 しかし、彼女の脳はすぐにフル回転を始める。
(そうだ、私たちは制御不能になったタイムマシンの中で気を失ったんだ)
 制御を失ったタイムマシンは時空間の嵐で激しく揺さぶられ、強烈なGに襲われた。その時、2人とも意識を失ってしまったのだ。
 状況を確認すると、鈴羽はすぐに行動に出る。
 素早くシートベルト外すと、すぐさまコックピットのコンソールを動かす。
「……制御不能なのは、変わらずか……。それより、この音は……」
 タイムトラベルの中で、幾度となく聞いた音。時空間から、通常空間に出現する際の合図だ。
 制御不能となったタイムマシンだが、どうやら通常空間には出られるようだ。
「一体、どの程度時間移動したのか……」
 まゆりに説明したように、制御を失ったタイムマシンがどこに出るかは全く分からない。
 極端な話、100億年後に出現することだって、ありえるのだ。
「せめて、地球がありますように」
 鈴羽は自嘲気味に、そう呟く。そして、向かいの席に座るまゆりに声をかけた。
「まゆねえさん、大丈夫?」
「……ん、うん……」
 鈴羽に肩を揺らされ、まゆりは声を出す。まゆりが無事であることを確認し、鈴羽は安堵する。
「まゆねえさん、起きて。どうやら、タイムマシンが通常空間に出るらしいんだ」
「…………え?」
 まゆりはまだ混乱をしているようだ。鈴羽の話に、すぐに答えることができない。
 それでも、しばらくすると、徐々にその目が見開いていく。
「……私たち、帰ってこれたの……?」
「……それは分からない。タイムマシンが何年後に出現するかは、運次第だから……」
 それでも、通常空間に出られるだけマシかもしれない。最悪、時空間を永遠に漂流することだって、ありえたのだから。
「まゆねえさん、この機体はこれからすぐに通常空間に出る。少し衝撃があるから、シートベルトはそのまましておいて」
「……うん、分かった」
 まゆりにそう説明すると、自身もシートに座り再びシートベルトで体を固定する。
 次の瞬間、タイムマシンが激しく揺さぶられる。
「きゃあ!」
「まゆねえさん、シートに掴まって!」
 まゆりは言われた通り、シートの肘掛を握り込む。そして……。

 ズズン!!

 どこかに着陸したような衝撃が、タイムマシンに伝わる。
 しかし、その後は振動もなく、あの電子音も消えた。
「……スズさん、着いたの?」
「うん、無事通常空間には出られたみたいだ。私は外を確認してくるから、まゆねえさんはここで待ってて」
 まゆりにそう伝えると、鈴羽はシートを下り、コックピットのコンソールを動かす。
「………………」
 そして、緊張した面持ちでタイムマシンのハッチの開閉ボタンを押した。
 機体の気密が解除され、ハッチから空気の抜ける音がする。そして、音を立てながら、ゆっくりとハッチが開いていく。
「…………よし」
 鈴羽はためらいながらも、タイムマシンの外へと出た。
 マシンのハッチから見えた景色、それは―――。



 ―――見慣れたラジ館の屋上だった。





2016.09.03 Sat l シュタインズゲート l コメント (0) トラックバック (0) l top

コメント

コメントの投稿












トラックバック

トラックバック URL
http://umiumimak02.blog114.fc2.com/tb.php/257-01374938
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)