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 ついに完結です。ここまで付き合って頂き本当にありがとうございました。








 ……静かな夜だった。人の声はもちろん、風の音も、草木が揺れる音もしない。耳が痛くなるほどの静寂……。
 唯一の音は、刻々と時間を刻む時計の秒針だけ……。やがて、その秒針は時計盤を一周し、0を指す。

 24時を告げる鐘が鳴る。

 ……再び訪れる静寂。しかし、先程まで誰もいなかったはずの廊下に二つの人影が見えた。
「さあ、ここから先は洒落じゃ済まないです。引き返すなら今のうちですよ?」
「今さら? 言うのが遅すぎるんじゃない? もっとも、最初から引き返すつもりなんてさらさらないけど」
「あは、そうこなくちゃ。それでこそ私のパートナーです!」
 軽口を叩き合いながら、自室を出た二人は深夜の寮を進んでいく。
『聖ルチーア学園脱走計画』
 午前0時を回り、ついにそれは決行された。いまだかつて誰も成し得なかった、学園からの脱走。その難題に、今夜二人は挑む。
 成功する確率は未知数。過去の失敗を考えれば、分の悪い賭け。それでも二人は計画を止めようとはしなかった。
 全ては、本当の自由を手に入れる為。危険を承知の上で、二人は夜の寮を進んでいく。



 そらのむこう 最終話
「右代宮縁寿」



「………………っ」
 廊下を進んでいく途中、詩音が無言で足を止め、右手で私を制止する。私は彼女の指示に従い、廊下の陰に身を潜める。しばらくすると、廊下の向こうから小さな明かりが見えた。やがてその明かりは徐々に明るくなり、足音と共に近づいてくる。詩音と私に緊張が走った。
 足音は私達のすぐそばまで近付くが、2・3度その場を見回すとやがて去って行った……。足音が完全に消えるまで私達は息を潜めていたが、やがて大きく息を吐く。
「ふう、分かっていても緊張しますね。すぐ傍まで来たときは心臓がバクバク言ってましたよ」
「でも、ここまでは予想通りね。やっぱり、巡回ルートは完全に固定されているわ。事前の下調べが活きているわね」
「当然です! 入学当初からコツコツと下調べをしていましたからね。私の頭の中には教員のシフトと、全ての巡回ルートが入っています」
「よくもまあ、そんな昔から計画を練っていたものね。脱走前提で入学したっていうのは本当だったみたいね」
「むしろ、私から言わせれば、どうしてみんな調べないんですかね? 人間、可能性が少しでもあるのなら、それに挑戦しないと!」
 詩音は誇らしげに胸を張る。さも当然のように話す彼女を見て思わず笑ってしまったが、今はそれがとても頼もしい。この学園でのシフトや巡回ルートにおいて、彼女の右に出る者はいないだろう。彼女がいれば、難攻不落のこの学園からの脱出も夢ではない。
「さあ、それじゃあ行きましょうか。モタモタしていたら、次の巡回が来てしまいます」
「そうね、行きましょう」
 彼女の指示通り、私達はその場を離れ先を急ぐ。

 夜の廊下を私達は慎重に、しかし可能な限り早く進む。巡回ルートは完璧に把握しているが、その頻度は割と早い。あまりのんびり進むと次の巡回と鉢合わせしてしまう。私達はそれも考慮し、できるだけ足早に進む。
 やがて、しばらく進むと詩音が再び足を止めた。もう次の巡回が来たのだろうか? 私は先を伺うが、どうやらその気配はみられない。私が訝しげに思い詩音を見ると、彼女はすぐ横の部屋をじっと見ている。
 ……ああ、そうか。ここは詩音と仲の良かった子の部屋だ。詩音と同じクラスの、美咲という子。この学園では珍しく、詩音と同じ活発で明るい子だ。似た者同士の二人はよく一緒にいたっけ……。私も、ついこないだ一緒に遊んだのに、何だかそれがとても懐かしい……。きっと想う所があるのだろう。彼女の部屋をじっと見つめる詩音は、複雑な表情をしていた。
「……詩音」
 心配になり声を掛けたが、私を振り返った彼女の顔は、何かが吹っ切れたように爽やかな顔をしていた。
「大丈夫ですよ、ちょっと今までのことが懐かしかっただけです。さあ、行きましょう」
 それだけ言うと、彼女は何でもなかったかのように先を急ぐ。この脱走計画は当然、私達以外誰も知らない。もちろん、美咲にも何も言ってないのだろう。さっきのは、別れも告げられなかった、彼女なりのサヨナラなのだ……。
 ……私も、須磨寺さんのことが気にならないと言えば嘘になる。あれから、彼女とは一度も言葉を交わしていない……。結局、私と彼女の溝は埋まらないまま、今日に至ってしまった……。
 それでも私は前に進む。詩音と共に、本当の自由を手に入れる為……。それぞれの想いを胸に秘めながら、私達は夜の闇の中を進んでいく……。



 途中、もう一度巡回とすれ違ったが、私達は順調に歩みを進めて行った。そして、私達はついにたどり着く。
 古びた職員用出口。この先に、私達の自由があるのだ。
「ついに着きましたね。ここまで来るまで、下調べも含めて約半年。長かったです」
「本当に、よく一人であれだけ調べたものね」
「大きな事をするには、それだけの準備が必要ですからね。でも、なかなかスリルがあって楽しかったですよ」
「天草と同じね。あなたが此処で満足しない理由が、ようやく分かった気がするわ」
「結局、私ってこういうことにカタルシスを感じる女なんです♪」
「これからのあなたの人生、それがプラスになることを祈っているわ」
「さあ、それじゃあ縁寿」
「ええ、分かっているわ」
 そう言い、私はスカートのポケットから合鍵を取り出す。先日私が取った鍵型を元に、葛西さんが作ってくれた鍵。例の雑貨屋さん経由で、今日手にしたばかりだ。
 あの雑貨屋さんがなければ、今回の計画は成し得なかっただろう。学園内の店に、規律に縛られない融通の利くお店があって助かった。無論、お店には合鍵ではなく箱の中身はお菓子だと言ってある。まさか自分が扱っている物が脱走に使われるなど夢にも思わないだろう……。なんだか運び屋をさせてしまったようで少し後ろめたいが、お代は払っているのだからギブ・アンド・テイクだろう。
「それじゃ……、いくわよ?」
「……はい」
 私は緊張した面持ちで、鍵穴に合鍵を差す。そして、ゆっくりと鍵を回し……。


「………………あれ?」


 …………鍵が、…………鍵が開かないッ!!?
「……え? 嘘、何で!?」
 私は焦って、強引に鍵を回そうとするがびくともしない。おかしい、何でッ!!?
「縁寿、落ち着いて下さい。作ったばかりの合鍵は硬くて開きにくいものです」
 そう言い、詩音は私と代わる。
「大丈夫ですよ、落ち着いてゆっくり回せば……」
 そして、詩音は鍵をゆっくりと丁寧に回す。しかし……。
「…………え? おかしいな……」
 ……やはり鍵は開かない。
「……そ、そんなはずは……」
 詩音は幾度となく鍵を回そうとするが、何度挑戦しても鍵は微動だにしない。鍵が硬い、等という問題ではない……。鍵自体合わないのだ!!
「……そんな、嘘でしょ!!?」
 詩音にも焦りの表情がみられる。……そんな、全くの想定外だ。鍵が合わないだなんて……。……でも、一体何故……?
 私は間違いなく、キーボックスから職員用出口の鍵を選んだ。間違えたなんてありえない。最も重要な作業なのだから、何度も確認した。
 では、鍵型が運ぶ途中で崩れてしまったのだろうか? いやいや、私は型を取った後、形が崩れないようすぐにケースにしまったのだ。それこそありえない! では、一体何故……?

 その時、私は気が付いた。……あの時感じた、微かな違和感……。キーボックスに掛けられていた職員用出口の鍵を見て、私はほんのわずかな違和感を感じていた……。
 私は改めて、目の前にある職員用出口を見る。古いドアだ。年季が入り、見た目もボロボロ。使われなくなったのも頷ける。そして、その鍵穴も所々錆付いておりボロボロだった。そこまで見て、私はようやく違和感の正体に気付いた。
 ……綺麗すぎたのだ、あのキーボックスに掛けられていた鍵は……。
 鍵穴もボロボロなこのドアには、あまりに不釣り合いな綺麗な鍵……。いや、あれは新品同然……。どう考えても、何十年も使われているような鍵ではなかった。


 …………すり替えられた…………。


 ……誰が、何の為に……? …………決まっている。
 須磨寺さんだ。彼女しかいない。気付いていたのだ、最初から全て。その上で、敢えて知らないふりをして、私が偽の鍵を取るのを眺めていたのだ……。

『何もかも、アンタ達の思い通りになると思わないでよ』

 ……あの時、彼女が言った言葉の意味が今ようやく分かった。
 ……やられた。今頃彼女は笑っているのだろう。偽の合鍵をまんまと手にした間抜けな私達が、ドアの前で四苦八苦しているのを……。

「あぁ、くそ……。この鍵、さっきまであんなに硬くて冷たかったのに、いつ間にか熱く
なって、ゴムみたいにぐにゃぐにゃになってる……。あぁ、もう落ち着け! 鍵がぐにゃぐにゃになったりするもんか、ぐにゃぐにゃしてるのは私の手先だ!」
 焦りから、詩音は先程から意味不明なことを口走っている。
 この状況はまずい。詩音は一度暴走すると、周囲が見えなくなってしまう。今からでも部屋に引き返すべきか……? だが…………。

 コツ、コツ、コツ。

「―――――ッ!!」
 遠くから足音が聞こえてきた。巡回の職員が回って来たのだ。もう悠長なことは言ってられない。一刻も早く此処から離れなければ。
「詩音、早く此処から離れないと……」
「……もうちょっと待って下さい、きっとあと少しで……」
 完全に鍵に意識が向いている詩音は、足音すら気に掛けない。まずいまずい、このままでは見つかるのも時間の問題だ!
「違うの詩音、この鍵は……」
「あぁくそ……、さっきからぼたぼたぼた、汗が落ちる音がうるさい!」
 完全に気が動転している詩音は、私の言葉など耳に入らない。そして……。

 ジャリーーンッ!!!

「「……………………ッ!」」
 二人とも、息が止まった……。詩音の手の中から、鍵が床へとすり抜けたのだ。
 夜の静寂を引き裂くような高音が廊下に響き渡る……。私も詩音も、その音を耳にした途端、微動だにできなくなった……。
 息が止まる……。心臓の音すら止めてしまいたかった。それぐらい、致命的なミス……。私達の存在をこの場から消してしまいたかった。
「……………………」
「……………………」
 私達は身を硬くして、何か変化が起きなかったか辺りを慎重に伺った。……何も変化はない。ということはつまり、安全ってこと……?

 ……ちょっと待って、何も聞こえない……? さっきまで聞こえていた、あの遠い足音はどうして消えている……?
 まずいまずいまずい……! 向こうもあの音に反応して、こちらの様子を伺ってるのだ。致命的だ、ここには身を隠すような場所は何もない!

 コツ……、コツ……、コツ……。

 案の定、足音は再び聞こえ始めた。さっきよりも慎重に、しかし確実にこちらに近づいてくる。
 万事休す……。追い込まれた詩音は、ポケットの中に隠しているスタンガンにまで手を伸ばしている。脱走だけでもマズイのに、学園内で傷害沙汰など起こしたら、どんな仕打ちが待っているのか想像すらできない……。
 しかし、ここまで追い込まれたら、私も止めろとは言えない。私はその様子を、固唾を呑んで見守ることしかできなかった……。

 コツ、コツ、コツ。

 足音は私達のすぐ近くまで来る。私は息を潜め、詩音はスタンガンのスイッチに手をかけた、が…………。

 コツ……、コツ……、コツ……。

 足音は、そのまま何事もなく通り過ぎて行った。しばらくの間、私達は様子を伺っていたが、足音が完全に聞こえなくなって初めて安堵の息を吐いた。
「…………ハアッ、ハアッ、ハアッ!!」
「……ハアッ、ハアッ……、心臓が止まるかと思ったわ……」
 息も絶え絶えに、私は言葉を吐き出す。
「危なかったです……、本当に見つかるかと思いました」
「気を付けてよ、詩音。ああいう時は一度深呼吸して、周りを見ないと」
「す、すいません……」
 珍しく詩音がしおらしく反省している。それだけ、さっきの状況が危険だったということだ。
 しかし、一体何故見つからなかったのだろうか? 絶対に気が付かれたと思ったのに……。私が首を捻っていると、すぐ後ろから声が聞こえてきた。

「縁寿」

 気が付くとすぐ後ろに真里亞お姉ちゃんが姿を現していた。
「真里亞お姉ちゃん? どうしたの?」
「大丈夫、さっきの人には認識阻害の魔法をかけておいたから、君達の存在には気が付かない。もうしばらく効果は持続するから、そう簡単には見つからないよ」
「そうだったの、ありがとう」
「うん、でも真里亞にできるのはここまで。後は君達で何とかしないと」
「うん、分かっている。ありがとうお姉ちゃん」
 それだけ言うと、真里亞お姉ちゃんは姿を消した。そうだ、此処にいるのは私達だけじゃない。真里亞お姉ちゃんもさくたろうも、煉獄の七姉妹達も私達を見守っていてくれる。私は心の中で、改めてみんなに感謝する。
 そして、私は再び詩音の方を振り返る。
「詩音、その鍵の事なんだけど……」



 私は改めて、私達が持っている鍵が偽物だったということを詩音に告げた。その事実を知り、彼女は絶句する。
「……………………」
「……どうする? 他に手がない以上、もう部屋に戻るしか……」
 私は客観的に事実を述べた。しかし、詩音は小さく呟く……。
「…………諦めろって言うんですか?」
 心底悔しそうに彼女は言う。
「今日、この脱走計画を実行する為に、今までどれだけリスクを冒したと思っているんですか!? 危険を承知で、職員のシフト表や巡回ルートを調べて! 脱出経路を確認する為に、誰もが敬遠する庭掃除を率先して行って! それでも止めなかったのは、此処から出て自由を得る為! 縁寿だってそうでしょう!? だから一番危険な、鍵型の入手を自ら買って出たんでしょう!? ここで諦めたら、今までの努力が全部無駄になるんですよッ!!」
 詩音は一気に捲し立てる。そうだ、この計画がどれだけ大変だったかは、詩音が一番良く知っている。
 入学した時から、人知れず地道に下準備を続けてきた彼女。ここまで来るのに、彼女はどれだけの苦労をしてきたのだろう……。そんな彼女が、軽々しく諦めるなど、口にできるはずもなかった……。
「…………こんな事……、ここまで来て、諦めるなんて…………」
「詩音……」
 どうしても諦めきれない彼女は、悔しそうに呟く……。しかし、現実に今の状況を打破することなどできるのだろうか……?
 窓からは出られない。正面玄関の暗証番号は分からない。肝心要の職員用出口の鍵は偽物だった……。こんな絶望的な状況を突破するなど、不可能だ……。





 …………お兄ちゃん。お兄ちゃんなら、こんな時どうするの…………?





『あ、また負けちゃった~。お兄ちゃんはやっぱり強いね!』
『はは、縁寿にはまだチェスは早かったな』
『ねえ、お兄ちゃん。お兄ちゃんはどうしてそんなに強いの?』
『ん? まあ、お兄ちゃんが強いかどうかは知らないが、いつも心掛けていることはあるな』
『なあに、それ?』
『ピンチの時や、危ない時はチェス盤をひっくり返すのさ』
『……チェス盤をひっくり返す……?』
『ああ、困ったときほど冷静になって、相手の視点から物事を見るのさ。それこそ、チェス盤をひっくり返したみたいに。自分側からじゃなく、相手側から見るとそれまで気付かなかった一手に気付くもんさ』
『……そうなの?』
『ああ、困った時こそ、発想を転換させるんだ』
『ふ~ん』
『覚えておけよ、縁寿。困ったときは、チェス盤をひっくり返すんだ』



「…………チェス盤を……、ひっくり返す…………」



 …………お兄ちゃんが教えてくれた言葉を、私は思い出す…………。
 ……発想を転換させる。それが、新たな視点を気付かせてくれる……。
 そうだ……。お兄ちゃんなら、きっと諦めない。チェス盤をひっくり返して、最後の最後まで、道を探す!
 諦めるな。チェックはすでにかけられた。でも、チェックメイトには至っていない。リザインするにはまだ早い!
 私は今一度考える。チェス盤をひっくり返して……。絶望的な状況をひっくり返す、最後の一手を。





 ……………………あッ!? ああッ!!
 そうか……、そうだったんだッ!!!
 ……分かった……、分かったよお兄ちゃん……。
 …………チェス盤を、ひっくり返した!!





「出られるわ」
「………………え?」
 詩音がきょとんとした顔で、私を見上げる。
「…………縁寿、今なんて……?」
「此処から出られる」
「そんな!? 鍵は開かないんですよ! 出られるわけが―――」
「鍵は必要ないわ。無くても出られる」
「どうやって!?」
 詩音はわけが分からないと言いたげに、私を見つめている。そんな彼女に、私は一言こう言った。
「正面突破!」





 リーン、リーン、リーン。
 深夜の庭に虫の声が響く。寮の外、学園敷地内の道をシスターは歩いている。いつものなら今頃ベッドの中でぐっすり眠っているのだが、今日は夜の見回り。あくびを噛み殺しながら彼女は夜の園内を歩いている。
 この学園から脱走する者などいるはずがないのだが、規則は規則。無駄とは思いつつも、彼女は夜の務めを律儀に果たしていた。
 やがて見回りの時間は終わりに近づく。今日の仕事はこれで終わり。後は部屋に戻ってぐっすり寝よう。彼女は寮へと足を向ける。
 しばらくすると寮の扉が見えてきた。今の時間はロックされているので、彼女は扉横のパネルに手を伸ばす。毎回毎回暗証番号を打ち込むのが面倒だが、規則だから仕方がない。彼女はパネルのボタンを押し、8桁の暗証番号を打ち込む。カシャリ、という音がして扉が開いた。さあ、後は部屋に帰ってぐっすり眠ろう。彼女は扉を開く。その時……。


 チャリーン。


 ……遠くで、何かが響く音がした。
「………………何?」

 彼女は不審に思う。今まで幾度となく夜の見回りを行ったが、こんなことは初めてだ……。
 …………まさか……、不審者……? 彼女の額に嫌な汗が浮かぶ。
 ……どうしよう、誰か他の人を呼ぶべきか……? でも、もしその間に不審者が姿を消してしまったら? ……ここで不審者の侵入を許してしまったら、学園にとって由々しき事態。
 何より、大切な生徒達の身に危険が及ぶかもしれない。聖職者たるもの、身を挺して生徒達を護らなければ! 彼女は意を決し、音のした方へ向かった。

 しばらくの間、彼女は音がした付近を徹底的に調べた。しかし、不審者はおろか、怪しい痕跡は何一つ見つからない。どうやら自分の気のせいだったようだ。彼女は心底ほっとした。
「良かった、気のせいだったみたい」
 安堵した彼女は、今度こそベッドで熟睡する為に寮へと戻って行った。
 ……しかし、彼女が去った後、少し離れた草むらからガサガサと音が……。やがて、そこから二人の不審者の姿が……。
「どうやら上手くいったみたいね」
「まさか、こんなに上手くいくとは思いませんでした。さすが縁寿!」
 草むらからひょっこり姿を現したのは、縁寿と詩音。シスターがこの場から離れるまで、草むらの中で身を潜めていたのだ。
「いや~、面白いほど上手く行きましたね。盲点でした」
「だから言ったでしょ? 鍵がなくても外に出られるって」
「はい。でも、よくあの土壇場で思いつきましたね。すごいです」
「チェス盤をひっくり返したのよ。要するに発想の転換」
 縁寿は少し誇らしげに言う。
「私達では扉を開けられない。なら、向こうに扉を開けてもらえばいいのよ」
 縁寿が詩音に提案した脱出の方法。それは、自分達で開けるのではなく、職員に扉を開けてもらうこと。
 夜間の巡回は寮内も外も行われている。なので、巡回の職員は寮の内と外を行き来する際、必ず扉を開ける必要があるのだ。
「巡回ルートのパターンは把握している。問題は、どうやって職員に見つからずに扉を開けてもらうか」
「もちろん、そのまま突っ込んだら見つかるに決まっています。そこで……」
 そう言うと、詩音は屈んで地面に落ちている何かを拾い上げた。
「こいつが役に立ちました」
 詩音が手にしているのは500円玉。それを見て、縁寿はコクリと頷く。
「まず、詩音がコインを持って寮の庭に面している廊下の窓際に待機。一方、私は正面玄関の扉の前に立つ。そして、巡回の職員が扉を開けてくれるのを待つ。正面玄関の扉は建物内へ向かって開く、内向きへの開き戸だから、扉が開いた瞬間、私の姿は扉に隠れている。もちろん、その後すぐ扉を閉められたら見つかってしまうけど……」
「私が窓の隙間からこいつを外に放り投げて、職員の注意を逸らす。窓は体が通れるほどは開かないですけど、腕ぐらいなら出せますからね」
「コインの音に気が付いた職員は、音のした方に向かい再び庭に戻る。その際、私はオートロックが掛からないよう、扉を僅かに開けておく。そして、職員がコインに注意を逸らしている間に、詩音と合流。私達は扉を抜けて外に脱出」
 他方が注意を惹きつけ、もう一方は扉を開けておく。一人だけでは、絶対に成し得なかった作戦。しかも、ただ注意を惹きつけるのではない。コインを投げるタイミングが早ければ扉は開かれないし、遅ければ縁寿が見つかってしまう。扉を開けた、その瞬間に合わせなければならない。
「本当、よく上手くいきましたね。流石は私達、息はピッタリですね!」
「ともかく、最大の難関はクリアしたわ。正門まであと少し、注意して進みましょう」





 その後、何ヵ所か監視カメラはあったものの、すでにその死角を把握している私達にとっては、物の数ではない。私達はするりとカメラの死角を縫って先へ先へと進む。
「あはは、ここまで来たら出たも同然です!」
「ほら詩音、油断しない。出口はまだよ」
 そう言いつつも、私は先程の緊張が嘘にように抜けていた。詩音の言う通り、監視カメラなど、今の私達にとっては何の障害にもならない。やがて、庭の道を抜けて視界が広がる。
「着きましたね……」
「ええ……」
 私達の目の前には、大きな正門が姿を現した。名門にふさわしい立派な門構え。思えば、この門を目の当たりにしたのは、入学以来二度目だ。外に出ることが皆無の私達にとって、この門の前に立つことはほとんどない。入学する時と、出る時だけ。
 私達にとって、入学する時は地獄の門。しかし、外に出る今は天国への扉。ここを潜れば、ついに自由に……。
「さあ、感傷に浸っている暇はないですよ。さっさと此処を出て、自由に!」
「そうね、行きましょう」
 そうして、私達は門に手を掛ける。さあ、ついに自由を―――



「何処に出るって言うの?」



 ……瞬間、背筋が凍りついた。聞き間違えようのないその声を聞いて、私はゆっくりと後ろを振り向く……。
 美しく長い銀髪。切れ長で、凛々しい目元。誰が見ても羨むような、整った顔立ち。そして……、私達に向けた敵意に満ちた眼差し……。
「…………須磨寺さん…………」
 …………どうして……、彼女が此処に……?
 何故……、彼女がこんな場所にいるのだ……?
 そう考えたのは、詩音も同様だった。
「な……、何でアンタが此処に……?」
「それはこっちの台詞よ。アンタ達こそ、どういうつもりよ」
 詩音の質問に、彼女は淡々と答える。
「随分前から二人でこそこそして。脱走なんて浅はかなこと考えるなんて、アンタ達らしいわね。ばれていないとでも思ったの?」
 その言葉を聞いて、私は確信する。
「職員用出口の鍵を換えたのはあなたね……?」
「そうよ。アンタ達の考えていることなんてお見通し。案の定、引っ掛かってくれたわ。ホント分かりやすいわね、アンタ達」
 その言葉聞き、私は思わず奥歯を噛みしめる。確信犯。やはり、彼女の仕業だったのだ。分かっていながら、敢えて知らないふりをして、私がどう反応するか楽しんでいたのだ……。
「もっとも、まさか鍵を使わずに外に出るなんてね。悪知恵だけは働くようね」
「……アンタ、私達が脱走するかどうか確かめる為だけにこんな所に来たわけ?」
「そうよ」
 詩音の言葉に彼女は平然と答える。一体、彼女は何を考えているのだ……?
 夜間に外出しただけでも大事なのに、こんな所にいるのを見られたら、脱走の共犯者と間違われても不思議ではないのに……。
「……どうして、脱走するのがこの日だって分かったんです?」
「今日が一番警備が手薄だったから。だからアンタ達もこの日を選んだんでしょう?」
「……正面玄関は? ロックが掛かっていたはずです」
「生徒会執行部は17時以降も学校へ戻れるよう、例外的に暗証番号を知らされているわ。そんなことも知らなかったの?」
 彼女の飄々とした態度に、詩音は歯ぎしりする。私達のしていたことは、最初から最後まで彼女に筒抜けだったのだ……。
「自分達だけで逃げ出すなんて……。アンタ達、恥ずかしくないの?」
「…………え?」
「…………何ですって?」
 須磨寺さんのその言葉に、私と詩音は耳を傾ける。
「この学園にいる生徒は、みんな理由があって此処に入れられているわ。家督や、一族のしがらみのせいで入れられている子がほとんど。アンタ達がどんな理由で此処に入れられているかは知らないけど、此処の生活に不満を持っているのはアンタ達だけじゃないのよ。それでも皆、不自由な生活の中でも懸命に生きている。家族の為、一族の為、自分の為。それを、自由が無いから外に出る? 馬鹿も休み休み言いなさいッ!! 此処を出たいと思っているのはアンタ達だけじゃないのよッ!!」
 彼女のその剣幕に、私は思わず後ずさる。
「今ある現実から逃げ出して、アンタ達は恥ずかしいと思わないの!? だからアンタ達はクズなのよッ!!!」
 須磨寺さんは、思いの丈を打ち明け激昂する。……その姿に私は驚いた。いつも冷静に、理知的に振る舞っている彼女の中に、これだけ己を熱くさせる想いがあったなんて……。
 誰よりも規律を重視し、生徒たちの模範になるよう振る舞っていた彼女にとって、私達の取った行動は許し難い暴挙なのかもしれない……。彼女にとって、この学園から抜け出すことは、此処で生活する全ての人間に対しての冒涜なのかもしれない……。
 ……それでも、例え私達の行動が許し難い暴挙だとしても、私は自由を掴む為、前へ進む。そんな私の想いを代弁するように、詩音が反論する。
「ふざけるなッ!! 逃げているのはアンタ達でしょう!! 与えられた偽りの自由に満足して、今の生活で妥協する! 自分達で考えることもせず、ただ与えられたエサを貪り、緩慢に日々を過ごすだけ! お前達は家畜と同じだ! そうやって、周りの大人に飼い慣らされ、いつの日か、何処かの誰かに利用される! 私は違う!! 飼い慣らされてたまるか、戦ってやる! 自分の未来は自分で掴む、私は籠の中の鳥なんかじゃないッ!!!」
 次の瞬間、詩音は近くの木の枝に掴まると、一気に体を樹上へと上げる。そして、軽々と正門を飛び越え、学園の外へと脱出する。
「さあ、縁寿も早く!」
 詩音は門の向こう側から私を急かす。あまりに急な出来事に、私は一瞬躊躇したが、すぐに詩音の後を追う。
「待ちなさいッ!!」
 後方から須磨寺さんの制止する声が聞こえた。しかし、私はその声を振り切り門へ向かう。彼女の言う事も分かる。しかし、それでも私は、大切な友人と一緒に外の世界へ―――










 …………ここはどこだよ……? ……暗ぇよ……、……帰りてぇよ……。
 ……俺の家族は、みんなは、……どこなんだよ…………。










 ……………………え?

 …………何? 今のは……?





「…………縁寿?」
 ……ふいに足を止めた私を、詩音が見ている……。彼女は、心配そうに私を見つめている。しかし、そんな彼女に私はこう答えることしかできなかった…………。
「…………ごめん、詩音……。私は……、行けない…………」











































「嫌だ、……もう魔女は嫌だ……! ベアトも嫌だ、……どいつもこいつも嫌だ、お前も嫌だ、お前だってどうせきっと、魔女の仲間だ……。いつまた裏切るかもわからない……!! 何も信用できない、赤くない言葉は何も信用できない……!! 俺に構うなぁああああああああ!!!」
「早く帰って来て、お兄ちゃんッ!! 私を独りぼっちにしないでッ!!」
「…………え、…………お前、…………誰……?」
「私よ、縁寿よ……!! お父さんもお母さんもお兄ちゃんも、誰も帰って来ないッ!! 寂しいよ!! お願いだから、早く帰ってきてッ!!」
「……え、……縁寿……。…………お前、…………縁寿だったのか…………」
「そうよ、縁寿よ!! 誰も帰って来ない世界の右代宮縁寿……!! …………私の家族は全て、あの日の六軒島から帰って来ない……!! 目の前のあの魔女が、家族を全て、お兄ちゃんさえも奪い取ってしまった……! ……お兄ちゃんだけが、あいつをやっつけられる!! あいつをやっつけて……!! そして、家族を取り戻して!! そして、……私のところに帰って来て……!!!」





「…………何、…………これ……?」
 ……私の目の前に、スクリーンのように次々と現れる光景。そこにいるのは、紛れもなく私だった……。そして、そこには夢にまで見、それでも会うことの叶わなかった、最愛の兄の姿……。
 あれ程までに会いたいと願った兄が、映像とはいえ目の前にいる。……しかし、何故そこに私がいるのか……? そして、何故二人はこんなにも悲しそうにしているのか……。二人は、そして私は一体何処にいるのだろうか……? その時、不意に声が聞こえた……。
「……珍しいね、こんな所にお客さんだなんて……」
 次の瞬間、周囲が急に白い光に包まれた。強烈な光に、私は思わず目を瞑る。そして、目を開けた私の目の前にいる者、それは―――
「…………わ、私……?」
 それも、今の私ではない……。私の目の前にいるのは、紛れもなく幼い頃の、私自身……。
「……今日はカケラの海が不安定だね。私のカケラと、あなたの世界のカケラがリンクするなんて……」
 目の前にいる幼い私は、何だか意味の分からないことを口走っている……。一体……、彼女は……?
「……あ、あなたは……、私なの……?」
 私がそう質問すると、彼女は少し躊躇いながらもこう答えた。
「……そうだよ。私は紛れもなく、右代宮縁寿。君とは違う世界のね」
 …………違う世界……? 一体この子は何を言ってるの……? 彼女の答えに、私はまだ思考が追い付いていない。
「無理に理解しなくていいよ。君の世界とこの世界は、すぐにリンクが切れるから」
「…………リンクが切れる……?」
「稀にあるの。カケラの海が不安定になると、本来繋がるはずのないカケラ同士がリンクすることが」
「…………ちょっと待って、……まだ頭が混乱してる……。つまり、私とあなたは違う世界の右代宮縁寿で……、此処は…、えっと………」
「カケラの海、って私は呼んでいる。君の言う通り、私達は元々違う世界の人間。その私達が出会う事なんか、本来なかったはず。でも、今は君の世界のカケラが揺らいで不安定になっているから、私のいるこのカケラにリンクしちゃったみたい」
「……カケラが揺らいだ?」
「うん。君のいた世界は今、大きな分岐点にいる。ほら、見て」
 そう言い、彼女は私の後ろの方を指さす。私の遥か後方、そこに明るい光が見える。
「……あれは?」
「あっちは君が元いた世界。家族を失った縁寿が、学園に閉じ込められて、つらく苦しい日々を送った世界」
 次に、彼女は反対側を指さす。そこにもやはり同じように、明るい光が見えた。
「こっちは、君がこれから向かおうとする世界。君の仲良しの友人と一緒に、彼女の故郷で楽しく生きる世界。こっちの世界に行くと、世界線が大きく変わり、もう元の世界には帰れなくなる。でも、こちらの世界では、もう君を悲しませることは何もない」
 もう一人の私は、私の先にある明るい光を指さしている。あの先に、私が目指した世界が……。詩音と一緒に、いつまでも仲良く幸せに過ごすことができる……。
「私は……、あっちに行けばいいの?」
「そうだよ、君が向かう世界はあっち。その為に君は今まで頑張ってきたんでしょ? つらいことも、苦しいことも、全てはこの先の未来の為に」
 ……そうだ。10年前……、家族を失って始まった、私の地獄の日々……。筆舌し難いほどの苦しみを味わってきた……。それでも、夢見ていた……。いつか、この地獄のような日々が終わる日を……。
 そして、その日々は終わりつつある。詩音が私の前に現れたあの日から、私の辛い日常は薄らいできた。そして、その終焉は今、私の目の前にあるのだ。
「……あの先が、私の望んだ未来」
「そうだよ縁寿、お疲れ様。君の苦労は、ようやく報われた。」
 そして私は踏み出す。私の待ち望んだ未来に向けて。
「そう……、それでいい。もうこんな所に迷い込んだらダメだよ。六軒島のことはみんな忘れて、幸せに生きて……」
 白い光は徐々に強くなってくる。私は一歩ずつ、その光へと近づいて行った。そして、遥か遠くにあった光は、今や私の目の前にある。
 ……ここを抜ければ、私の望む未来が待っている……。そうして、私はその光へと手を伸ばした……。
「…………さようなら、もう一人の私。どうか、私の分まで幸せに…………」



 ……そう、寂しそうに呟いた彼女の言葉が、私の手を止めた……




「…………どうしたの?」
 幼い私が、不思議そうに尋ねてきた。私は後ろを振り返り、彼女にこう質問した。
「……あなたは、どうしてこんな所にいるの?」
 私がそう質問すると、彼女は複雑そうな顔をする。
「……そんなこと聞いてどうするの? 私の事は、あなたには関係ないでしょ」
 彼女はそっけなく答える。しかし……。
「……そんなことない。だって、あなたは私なんでしょ?」
 私はそう言う。
「六軒島のことは忘れろって、どういう意味……?」
「……どうもこうもない、そのままの意味だよ。過去の事は忘れて、今を生きなきゃ……」
「なら、さっき私が見たのは何?」
「……………………」
 私の質問に、彼女は答えられない。彼女は、まだ私に何かを隠している気がする……。
「さっき、私が見たあのイメージ。あれは、あなたの記憶なの……?」
「……そうだよ。不安定になったカケラの海で、私の記憶がイメージとして流れ出したもの」
「なら、私が最初に聞いたお兄ちゃんの声……。あれも、実際にあったことなの……?」
「そう、私はお兄ちゃんを助ける為、1986年の六軒島に行ってきた。お兄ちゃんはそこで、家族を取り戻す為、たった一人で黄金の魔女と戦っていた」
「……お兄ちゃんが、私の助けを……」
「でも、それは今の君には関係ない」
 彼女は私の言葉を遮るように言い放つ。
「それは私の世界での出来事。今の君には関係ない。君はそんな事に関わってはいけない。過去の事は忘れ、友達と一緒に楽しく幸せに、これからの人生を送ること。それが君の使命。君の家族は、これ以上君が苦しむことなんて望んでいない。だから君は、君の幸せだけを考えればいい」
「…………でも、……でも!! お兄ちゃんが私の助けを待っているッ!!!」
 ……お兄ちゃんが……、お兄ちゃんが私を必要としている!! だったら、私は兄の助けに応えなければ! あれほど渇望し、もう一度会いたいと願った兄が、私の助けを待っている。なら、私は他の何を犠牲にしても、兄に会わねばならない!!
 しかし、そんな私の態度に、幼い私は明らかに不機嫌な顔をしていた。
「…………分かってない。君は何も分かっていない!! 自分がどれほど恵まれているか!! 自分が今、どれほど幸せか!! 今君が手にしかけている未来は、絶対に、どんなことをしても手放してはいけないものなんだよッ!!!」
 私の態度に激昂し、彼女は声を荒げる。
「教えてあげるよ、今の君がどれほど幸せか。君が手にしかけている未来が、どれ程手放し難いものか。詩音に会えなかった私が、どんな末路を辿ったか」
 次の瞬間、彼女の強烈なイメージが私の頭の中に入ってきた。












「………………あとの3人も同じ答えなの…? 反魔法力が高いから出来ないって言う? 私に魔力が足りないから出来ないって言う? ……全員を殺せとは言わないわ。たった一人でいいから殺してみなさいよ。今すぐこの場で…!!」
 睨みつけられたアスモとベルゼは、抱きあいながら竦み上がってしゃがみ込む。
「ぃ、…嫌だぁ嫌だぁ…!! ベルゼ怖いよベルゼー!!」
「縁寿さまぁ、許して下さい、許して下さい…!! 死にたくないぃいいぃ!!」
「死になさいよ、使えない家具ッ! どうして生きているの、あんたたち? 死ねばいいじゃん。死になさいよ。というかむしろ死ねッ!! 使い道のない家具を置いとく馬鹿がいると思うッ?!」
「「ひィイイィ!!ッッッ、がッ!!!」」
「やめてください、縁寿さまッ!!」
「……なぁに、マモン。あなただけは私の命令を遂行してくれるの? そうよね。私の一番のお友達だもんね。…………あなただけは、やってくれるわよね。こいつらを!」
「…………い、今の縁寿さまには、……私達を使役しても人殺しはできません!! 主に出来ることを手伝うのが家具の役目…! 主にすら出来ないことを、私達にはすることが出来ない…!! 縁寿さまはこいつらが憎いですか? 憎いですよね? 殺したくなる気持ち、よくわかりますッ!! えぇ、どうぞ、ならば殺しましょうよ、縁寿さま! 縁寿さま自らがその手を血に染めるならば、我ら煉獄の七姉妹、どこまでもお供しましょうとも! どこまでもッ!!」
「……私に出来ないから、………あんたたちに頼んでいるんでしょう……。……私に出来ない事を出来るから、あんたたちは家具なんでしょう!!」
「えぇ、家具です。使われてこそ家具です…!! どうぞ我らを使って殺して下さい! 殺すのは貴方の役目です、縁寿さまッ!! 縁寿さまが殺したいというのならどうぞご自由に! 躊躇うことはありません、どうぞ今すぐそれを実行を!! そこまでの覚悟が伴って初めて! 自らの手を汚す覚悟があって初めて、我らはそれをお手伝いいたしましょう! でも縁寿さまはそれに至っていないんです!!」
「ふっ、……くっくっくっく、あっはっはっはっは…。あっはっはっはっはっはっは、語るな家具が。妄想がッ!! もうわかってるわよ、皆まで言わせないでよ。…あんたたちには何も出来ない。…あんたたちは所詮、私の妄想、幻想、白昼夢…!私には初めから友達なんて一人もいないわ。孤独な私が心の中に生み出した、お友達ごっこの幻想でしょう? 知ってたのよ、最初ッから!!!」





「…………ベルンカステルが、…………嘘?」
「あなたはベルンに、ベアトを倒せば兄が帰ってくるような、そんな言い方をされたんじゃないの?」
「…………さあ。……あなたに話す気はないけど」
 兄が帰ってくる、なんて。そこまで夢のある約束はされていない。運が良ければ一人くらいは……、なんていう、かなり望みの低い約束だった。
 でも、私にとってはそれで十分。……永遠の孤独が約束された私には、わずかではあってもゼロではない確率は、それだけで眩しいくらいに光輝いているのだから。
「ある意味、ベルンのその約束は嘘ではないわ。……ベルンがそう約束したのならきっと、あなたがベアトを倒せば、戦人も両親も解放されてあなたのところへ帰ってくる」
「何の問題もないじゃない」
「…………本気で? …………あの子は案外残酷よね。わかってて、騙すなんて」
「私がどう騙されているというの」
「今は何年?」
「……このゲーム盤の世界のこと? ……ならば、1986年10月4日よ」
「その通り。ならば、あなたがベアトに打ち勝ったなら、台風が去った10月6日に、島に囚われていた人々は帰還する。……1986年10月6日にね?」
「…………だから何」
「あなたの1986年の10月6日はどうだった? …………親戚の家に居たんじゃなかったかしら?」
 ……母が唯一心を許していた、須磨寺の、お祖父ちゃんの家にいて。…………連絡を受けた。
 畳の部屋で積み木を遊びをしている時に、その連絡を受けた……。
 私がそれを思い出したらしい様子を見届けてから、……ラムダデルタは、嫌らしく笑いながら、…………言う。
「ネェ。アナタノ1986年10月6日ニ、戦人オ兄チャン、帰ッテキタァ?」





「………血…、……え、縁寿?! だ、大丈夫か?! お、おい……?!」
「お兄ちゃんは帰らなきゃ……お家で、あなたの妹が待ってるもの……」
それは、ぼたりぼたりと、ぼたぼたと。
 戦人には振り向けないからわからないが、きっとこの背中全体に染みるこの熱い雫は全て、……血なのだ。
「…………お兄ちゃんを助けるために、ここに来るために、唯一守らなきゃいけないルールが、……あったの…。……それが、………これ。……お兄ちゃんに、……私が縁寿だと知られてしまう、……こと…………」
 ……辛かったよ……。
 お兄ちゃんが目の前にいるのに、……それを口に出来ないなんて……。
 このルールさえ守れば、……ずっと永遠にお兄ちゃんの側にいられるはずだった。
 ……お兄ちゃんと一緒に、…魔女と戦うゲームを、……永遠に遊べるはずだった………。
「でも、……それじゃ駄目。……お兄、……ッ、……ちゃんは、……帰らなきゃ。……お家で、……あなたの妹が待っているもの……。……それは私のことではないけれど、………それで、あなたの妹は、……救われる………」
「縁寿?! 縁寿!! こんなに血が…!! こんなに、こんなに!!」
 振り向きたいが、縁寿に力強く頭を抱えられ、振り向けない。
 しかし、その溢れ出す血と縁寿の辛そうな息遣いで、彼女が今、大変なことになっていることは理解できた。
「…………気にしないで………。……私は所詮、……駒だから……。……あのね、チェスではね、……サクリファイスって、言うんだって………」
「サクリ、……何だって?! そんなことはどうでもいい!! 早く手当てを!! この手を一度離すんだ、縁寿…!!」
「…………サクリファイスとは、捨て駒のことよ。戦略的展望のために、わざと損を承知で駒を見捨てることを言う…」
 チェスにおいての至上目的は相手に勝利すること。
 ……だから、最終的にそれに結びつくならば、個々の駒の犠牲は問題にならない。
 縁寿は、冷静に判断したのだ。
 ……繰り返し、自分はプレイヤーではなく駒だと教えられてきた。
 ……駒らしく振舞い、戦人を救うには、今、自らが捨て駒とならねばならないのだ。
 …………戦人は、知らなければならない。
 この魔女のゲームの目的は、魔女をやっつけるなんて抽象的なものであってはならない。
 ゲームに打ち勝ち、自らを解放し、家族を連れ帰らなければならないのだ。
 なぜ? ……帰りを待っている、妹という家族がいるから。
 右代宮縁寿の声を届けるために、生み出された存在。
 それが私、エンジェ・ベアトリーチェ…!!
 私という駒を生贄に、お兄ちゃんに戦う意思を、目的を!
 私の目的はお兄ちゃんと永遠に魔女のゲームで遊ぶことじゃない!
 私は右代宮縁寿の嘆きと悲しみを、あなたに届け来たッ!
 それこそが私の揺るぎ無い目的!
「……縁寿!! 縁寿!! うおおおぉおおおおぉ!!!!」
 戦人を抱きしめるその白くか細い腕は、……まるで蝋のように白く透き通っている。
 …なのに鮮血が、あまりに残酷に、それを染めている……。
「……私は……、……もう消えちゃうけれど……。……お兄ちゃんは、がんばって戦って、……きっと、私のところへ…………帰ってきてね……。……待ってるよ、……ずっと…………。……お兄ちゃんをもっといっぱい、手助けしてあげるつもりだったのに、……何も出来なかった。……ごめんね………………」
「い、いいんだ……! お前は俺に、……教えてくれたじゃねぇか……!! どうして俺が、勝たなくちゃならないか…! そして俺が、…絶対に勝って、お前のところに帰ってやらなくちゃ、って……!!
 俺は、……何をこんなところでぼんやりを遊んでいたんだ……!? あぁ、もうこんなところで遊んでなんかいないぞ…!! 帰るからな、帰るからな!! お土産もって、きっと帰るからな、約束する……!!」
「……………いらないから、…………ひとつだけ約束して………」
「何だよ、何でも約束する…ッ!!」
「……この手を……今から離すね……。痛かったでしょ……? ぎゅっとしてて、ごめんね……。……私は大丈夫だから、……振り返らなくていいから…。……だから最後にお兄ちゃんの、……一番かっこいいところを、……見せて……。……席を立って、……目の前の魔女を指さして、……ゲームの再開を宣言して…………」
 縁寿の手が、……するりと、……後ろへ消える。
 そこには、彼女の爪から滲んでいた血の跡がくっきりと残されていた…。
 しかし俺はすぐに振り返る。
 縁寿の怪我を手当するために…!
「縁寿ええぇええぇッ、ぇぇぇ…ぇ……、…………………………。縁寿…?」


















「いやぁあああああぁああああああああーーーーーーーッ!!!!!!」

 凄まじい絶叫を上げて、私はその場に崩れ落ちた……。
 …………あまりに壮絶な……、彼女の最後…………。これが彼女の……、詩音と出会うことのできなかった……、私の末路……。
 ……なんて、残酷で…………、あまりに報われない……、最後なのか…………。
「…………う……、うぅぅ……、あぁああ…………」
 ……正視することすらできない……、彼女の最後を目の当たりにし……、私はその場に泣き崩れるしかできなかった……。
「……これで、分かったでしょう? あなたのこれからの未来が、どれだけ掛け替えのないものか……」
 彼女は私を諭すように言う。
「君は本当に幸せだよ。私がどれだけ望んでも手に入らなかったものを、たくさん持っている。君のような人生を送れたら、私もこんな末路は辿らなかったかもしれない……」
 彼女は寂しそうに呟く。
「魔女に利用され……、弄ばれ……、挙句の果てに、こんな世界の狭間に捨てられて……。私は多分、永久に此処から出ることはできない。今の私にできることは、幼い日の自分に戻って、楽しかったお兄ちゃんとの思い出に浸るだけ……。ただひたすら、過去の思い出を繰り返す……。永遠に……、私という存在が摩耗し、消滅するその日まで…………」
 ……そう、寂しそうに呟く彼女の姿は、今にも消えてしまいそうな程儚いものだった……。
 彼女は一体、どれだけの時をこの中で過ごしてきたのだろうか……?
 そしてこの先……、永遠とも思えるような時の中を、たった一人で生きていくのだろうか……?
「……さあ、これで分かったでしょ。君は、君の家族の為にも、幸せにならないといけない。だから早く、先に行って……」
彼女はそう言い、私を諭す。でも…………。
「…………あなたは、後悔している……?」
 ……最後に、私はそれだけ彼女に聞いてみた。
「あなたは後悔しているの? お兄ちゃんを助けに行って……。自分一人だけ、こんな世界の果てに置き去りにされて……」
「…………………………」
 ……彼女は答えない。しばらくの間、沈黙が続いた……。しかし、やがて彼女は静かに答えた。
「…………いいえ。後悔なんかしてない」
 彼女ははっきりと、力強く答えた。
「私は後悔なんかしてない。例え、永久にこの世界に閉じ込められようとも……、例え、2度とお兄ちゃんに会えなくても……。……お兄ちゃんは、きっともう一度立ち上がってくれる。もう一度立ち上がって、戦ってくれる。それだけで、私があの場所に行った価値はあった……」
 彼女は小さく、けれど、はっきりと力強く答えた。
「…………なら、きっと私も後悔しない」
 私は、私の答えを出す。
 お兄ちゃんが、私の助けを求めている。ならば、私はそれに応えなければならない。
 私は、お兄ちゃんを助けたい。例え、その先にどんな辛い未来が待っていようとも。
「…………いいの? きっとお兄ちゃんは、自分の事より、君の幸せを願うよ」
「……きっとそうね。お兄ちゃんなら、多分そう思う。でも、この先に私が望む未来は存在しない。お兄ちゃんを犠牲にして得られる未来は、私が本当に望むものじゃない」
「……君がお兄ちゃんを助けても、お兄ちゃんは君の下には帰って来ない……。お兄ちゃんが帰って来るのは君じゃなく、1986年10月6日の縁寿の下…………。君は何一つ報われない」
「…………でも。それでも、お兄ちゃんと、あの日の私は救われるわ」
 私は報われない。それでも、意味はある。お兄ちゃんと、あの日の私が救われるのなら、私が行く意味はあるのだ。
「……それが、君の出した答えなんだね。なら、私はこれ以上何も言わないよ。君は君の信じた道を行くといい……」
「うん、ありがとう……」
 そして、私は元来た世界の方へと足を向ける。そんな私に、彼女が声を掛けてきた。
「……きっとそう遠くない未来、君は長い長い旅に出ることになる。恐ろしい力を持った魔女達との戦い……。私は、その魔女達に勝てなかった……。でも、ひょっとして君なら……。だから希望を捨てないで。あなたと、あなたのお兄さんの幸せを願っているよ」
「……ありがとう。私、あなたに会えて良かった」
「私も同じだよ。君のおかげで、ほんの少し勇気をもらえた。私も、もう少しだけ頑張ってみる」
 次の瞬間、彼女の体が白い光に覆われる。そのあまりの眩しさに、私は目を閉じた。そして、次に私が目を開けた時、そこには…………。
「私も、もう一度だけ戦うわ。どうやったらこの世界から抜け出せるか。もう、過去の思い出に浸るのは止める」
 そこにいたのは、紛れもない私自身。彼女はもう、幼い姿はしていない。本来の、あるべき姿に戻っていた。
 そして、今度は私の方が輝き始めた。この世界を去る時が来たのだ。全てが白くなっていく中、彼女の声が聞こえた。
「さようなら、もう一人の私。最後に一つだけ、あなたに伝えておきたいことがある。此処ではごく稀に、今日みたいに別のカケラに繋がる時があるわ。そして、遠い遠い昔、一度だけ、そのカケラに繋がったことがあったわ……」
 もはや視界はほとんど見えない。私は目を閉じ、彼女の話に耳を傾ける。
「……あれが夢なのか、現実なのか、今ではもう分からない。……でも、ひょっとしたら、あなたのお兄さんはまだ―――」
「………………え?」
 やがて彼女の声も聞こえなくなる。意識が遠のいていく。元の世界に戻るのだ……。
 私の視界は完全に真っ白になる。自分という存在が、遠くになっていく感覚。最後に、彼女の声が聞こえた気がした。



 ありがとう。



 ……さようなら、もう一人の私……。私も頑張るから、あなたも頑張って……。















「………………縁寿、今……、何て……?」
 柵の向こう、……詩音が、信じ難いものでも見るように、私を見つめる……。彼女のその視線に耐えきれず、私は口を開いた。
「…………私は行けない。ごめんなさい…………」
 私が口にした言葉を聞いて、詩音は言葉を失う。やがて、私を見つめるその瞳には怒りすら見えてきた。
「何言ってんですか今更!! ここまで来て、怖気づいたんですか!? 出口はもう目の前なんですよ!!」
 しかし、そんな彼女の言葉に私は首を横に振る。
「……違う、そうじゃないの。行けない理由が私にはあるの……」
「どうしてッ!!」
 詩音は私に向かって声を荒げる。そして私は、彼女に言った。
「お兄ちゃんが、私の助けを待っている」
「………………なっ」
 私のその答えに、彼女は絶句する。そして、今度こそ彼女の怒りが頂点に達した。
「ふざけないでッ!! また魔法なんて言うつもりですか、いい加減にして下さいッ!!!」
 彼女は怒りのあまり、正門の柵に掴み掛かる。
「いつまでそんな夢物語見ているつもりですかッ!! いい加減目を覚ませッ!!!」
 そして詩音は真実を告げる。
「死んだ人間は、生き返ったりしないッ!!!」
 ……詩音の言う、残酷な現実に私は耳を傾ける。
「…………けど、……だから人は、死んだ人の分まで精一杯生きなきゃいけないんでしょう……?」
 彼女は精一杯の想いを私に伝える……。分かっている、彼女の言っていることは正しい。……でも、それでも私は……。
「……本当にお兄さんを大事に思っているなら、縁寿がお兄さんの分まで幸せにならないと……」
「…………詩音」
「ねえ縁寿、一緒に行きましょう! あなたは、お兄さんの分まで、幸せになる義務がある! だからそれを掴む為、此処から出るんでしょう!?」
 ……そうやって、彼女は必死に私に語りかける。
「約束したじゃないですか、一緒に綿流しに行こうって! 二人で屋台を回って、おいしいものを食べ歩こうって! ねえ、行きましょう、雛見沢に! きっと楽しいですよ、綿流しも二人なんて言わずに、お姉やその友達と一緒に行って! みんなでたこ焼きを食べて、射的や金魚すくいをして、綿流しをして! 最後はみんなで河原で花火をして! 冬になったら雪合戦をして、かまくらを作って! きっときっと楽しいです。ねえ、楽しい事はこんなにもあるんですよ! 此処から出れば、毎日が楽しいです! 縁寿がちょっと手を伸ばせば、すぐそこに幸せな日々があるんですよ!!」
 そう言い、彼女は鉄格子の隙間から私に向かって手を伸ばす。しかし、その手は決して私には届かない。まるで、この鉄格子が二人の距離を現すかのように、その手は決して私に届くことはないのだ……。

「縁寿ぇえええーーーーーッ!!!」

 そんな彼女に、私は手を差し出す……。詩音の顔が僅かに綻ぶ。しかし……。
「…………え?」
 私は彼女に何かを握らす。それは…………。
「………………縁寿……、これって……」
 ……詩音の手に握られているもの。それは、かつて詩音が私にプレゼントしてくれたお揃いのリボン……。
「……それ、返すね……」
 …………そう言った瞬間、今度こそ彼女の心が折れた…………。
「……………………っ」
 私を見つめるその表情……、それは、何と形容することができるのだろうか……? 今にも泣きだしそうな……、信じられないものでも見るような……。
「…………え、縁―――」
 そう言いかけた彼女に、私は告げる……。





「…………さようなら…………」





 …………それ以上、言葉はいらなかった…………。
 ……詩音は何かを言いたそうに、口を開きかける。……しかし、すぐにその口を閉じる。
 ……やがて、彼女は2・3歩後ろに下がると、私に背を向ける。そして、後ろを振り返ることなく、彼女は夜の闇へと走り去って行った…………。
 …………ああ、やっぱり詩音はすごいな…………。最後の最後まで、彼女は涙の一滴も見せなかった。なんて強い人なんだろう…………。
 ……私はダメだな……。さっきから、熱い雫が頬を伝うのが止まらない…………。
 涙は見せまいと思っていたのに、止めどなく溢れてくる涙を、私は止めることができなかった……。



 聖ルチーア学園正門。そこからやや離れた山道に、一台の車が止まっていた。詩音が逃走用に、葛西に手配した車。葛西は運転席に座り、詩音が来るのを待っていた。
 その時、ドアミラーに人影が……。詩音がやって来たのだ。彼は詩音を迎える為に体を起こす。やがて、助手席のドアが勢いよく開かれ、詩音が入ってきた。
「お勤めご苦労様です、詩音さ―――」
「…………出して」
「…………は?」
「…………車出して」
「……いえ、しかし、まだご学友が―――」
「いいから出してッ!!!」
「…………ッ、……了解しました」
 詩音のあまりの剣幕に、葛西は車を出す他なかった。そして、車は彼女の友人を待つことなく走り去っていく……。
 車の中、詩音は葛西に背を向け横になる。そして、声を押し殺し泣いた……。
「…………何で……、何でよぉ…………」
 納得できなかった。理解もできなかった。どうして、彼女があそこまで兄にこだわるのか……。死んだ兄に、何故そこまで思い入れするのか……、詩音には分からなかった。
 ……学園が遠ざかって行く。あれ程までに、外に出たかった学園での生活。しかし、何故か今はとても懐かしく感じる……。
 ……声を押し殺し、詩音は泣き続ける……。
 その右手には、ただの一度も身に着けることのなかった、縁寿にプレゼントしたリボンが握られていた…………。





 詩音が去った正門で、二人は立ち尽くしていた。しかし、その沈黙を破って、雫が縁寿に声を掛ける。
「…………アンタ、馬鹿なの?」
 雫は縁寿にそう呟く。
「何でアイツだけ逃がして自分は残っているわけ。兄が自分の助けを待っている? 馬鹿言ってんじゃないわよ、アンタの兄はもちろん、家族全員死んでいるでしょうが!」
「……そうね。でも、少なくとも、お兄ちゃんは今でも私の助けを待っている」
「何わけ分かんないこと言ってんのよ! アンタに家族なんていない、此処を卒業しても、待っているのは、あの悪名高い右代宮絵羽だけ。アンタは誰にも必要とされていないのよ!!」
「……そんなことない。……あなたの方こそ、どうして此処に来たの?」
「……………………」
「本当に私達の邪魔をしたかったら、他にいくらでも方法があったはずよ。それなのに、どうしてそうしなかったの?」
「…………アンタには関係ないでしょう」
 彼女は口を濁し、はっきりとは答えない。だから私は、彼女にこう聞いてみた。
「本当はあなたも、此処から出たかったんじゃないの?」
「…………はぁ? そんなわけないでしょ、なんでそうなるのよ」
「だって、今のあなた、とてもつらそうだもの……」
「………………ハッ」
 私がそう言うと、彼女は自虐的に笑う。
「何それ、同情してんの? アンタが? 私に?」
 彼女は心底嫌悪するように、私を睨みつける。
「冗談じゃないわよ、何で私がアンタなんかに同情されなきゃなんないのよ。同情されるのはアンタでしょう? 可哀そうなのはアンタでしょうッ!!」
「…………なら、あなたは今幸せなの?」
「私は幸せよッ!!! 少なくとも、アンタよりはねッ!!」
「…………私は幸せではないのかもしれない。でも、少なくとも、私を必要としてくれる人はいる…………」
「……………………」
 彼女は忌々しそうに、私を睨みつける。そして、私は彼女にこう聞いた。
「……あなたには、帰りを待ってくれる人はいるの……?」



 パンッ。



 ……乾いた音が夜の庭に響いた。……左の頬が熱かった……。



「アンタに何が分かるのよッ!! アンタ達親子のせいでメチャクチャにされた、私達の人生が!!」
 ……ポロポロと、涙を流しながら彼女は叫ぶ……。
「お母さんの人生がメチャクチャになったのは、アンタの母親のせい!! 私の人生がメチャクチャになったのは、あの日アンタに会ったせい!!」
 ……彼女は私の胸ぐらを掴みながら、絶叫する……。
「返してよッ!! 私の人生を! お母さんの人生を! 私達の幸せをッ!! 返して! 返して! 返して! 返して! 返して! 返せぇえええええーーーーーーーッ!!!!!!!」
 悲痛なまでの、彼女の叫びが木霊する。やがて、彼女は力なくその場に座り込む……。
「………………う……、……うぅ…………。返して…………、返してよぉ…………」
 ……そうして、彼女はその場に蹲り泣き続ける……。
 ……そして、私の頬にも涙が流れていた……。
 ……どうして、こうなったのだろう……。どうして私達は幸せを願いながら、こんなにもすれ違っていくのだろう……。
 ……詩音は、私の幸せを願っただけ。
 ……私はお兄ちゃんを助けたかっただけ……。
 ……そして須磨寺さんは、お母さんとの幸せを願っていただけ……。
 みんなみんな、誰かの幸せを願っているだけなのに、どうしてこんなにも涙を流しているのだろう……。
 誰かが悪かったわけじゃない。でも、ちょっとしたすれ違いで、誰かが泣いている……。
 どうして私達の世界は、みんなが笑顔でいられないのか……?
 きっと、もう一人の私はこうなることが分かっていた……。……だからあんなにも、私を引き留めたのだ。
 …………でも、それでも……。例え詩音と離れることになったとしても、私は私の選んだ道を信じる……。きっとこの道が、正しかったと信じて…………。
 そうして、私の夢のような半年は、終わりを告げた…………。






























 昼休み、私は一人食堂で昼食を取っていた。いつもなら、当たり前のように隣にいるはずの友人……。当然、その姿は何処にもない。
 詩音がいなくなって、すでに数日。脱走という、前代未聞の不祥事を学園は隠したがっているが、人の口に戸は立てられない。彼女が学園からいなくなったという事実は、すでに生徒達の間では噂になっている。
 私は先生から様々な詰問を受けたが、知らぬ存ぜぬを貫いている。何一つ語ろうとしない私は、すでに教師の中で問題児扱い。生徒達も無用のトラブルを恐れて、極力私を避けている。そんなわけで、私はまた学園の中で居場所を失っていた。
 カチャカチャと、ただ事務的に私は食器を動かす。食堂のごはんって、こんなに味気ないものだったっけ……? 詩音と一緒に食べていた時は、あんなにもおいしく感じたのに……。
 そんな私を心配して、お姉ちゃん達が声を掛けてきた。
「…………縁寿」
「うりゅ~、縁寿元気出して」
「縁寿さま、しっかり。私達は、いつでも縁寿さまの傍にいます」
「大丈夫、ありがとうみんな。詩音がいなくなっても、私にはみんながいるもの」
 私は彼女達にそう言う。しかし、我ながら強がりだと思った。こうなることは分かっていた。それを覚悟で、私はこの道を選んだのだが、やはり彼女がいないことに、私は一抹の寂しさを感じる……。
 その時、私の目の前に誰かが座った。
「…………須磨寺さん」
「情けない顔しているわね」
 誰もがトラブルを恐れて私を避けている中、彼女はこれまでと変わらない横柄な態度で、私の目の前の席に座る。しかし、誰にも声を掛けられない私にとって、そんな彼女の遠慮のなさが、ほんの少し嬉しかった……。
「予想通りね、こうなる事は。どう、お友達がいなくなって寂しい?」
 彼女は皮肉たっぷりに言ってくる。
「……そうね、確かに寂しいわ。でも、これは私が自分で選んだこと。後悔なんかしてない」
「……ふん。で、アンタはこれからどうするつもり? 先生はすでにあなたを問題児扱いしているわ。生徒達も、無用のトラブルを恐れてあなたを避けている。あなたはまた一人ぼっち。そして、あなたを助けてくれるお友達も、もういない」
 彼女は残酷な現実を私に突きつける。でも……。
「あなたの言う通りよ。でも私はこの半年、ずっと詩音に甘えていたわけじゃない。彼女から、どんな時でも自分の意思を貫く強さを学んだわ。もう昔の私じゃない。例え、どんな苦難が待ち受けようとも乗り越えてみせる。あなたにだって、絶対に負けない」
 そうだ。私は詩音から色々なことを教えてもらった。運命は、ただ待っているだけじゃ変えられない。だから、自分の力で運命を変えるのだ。彼女の持っていた、あの力強さを私は学んだのだ。
 私は須磨寺さんから目を逸らさず、彼女を見つめる。彼女も私をじっと見て、決して目を逸らそうとはしない。やがて、彼女はゆっくりと目を閉じた。
「……勝手にすれば」
 そっけなく、彼女はそれだけ言うと私の前から立ち去って行った。彼女が去り、私はふぅ、と息をつく。さっきはああ言ったが、やはり一人というのは心細いものだ。それでも物怖じせず、彼女を相手に引かなかったのは、まずまずと言ったところか。
「すごいです、縁寿さま! あの女、何も言い返せずに向こう行っちゃいましたよ!」
「うりゅー、すごいすごい!」
「はいはい、二人ともありがとう」
 そう、私にはみんながいる。そして、今は一人でも、いつかもう一度友達を作ろう。詩音のように、たくさん友達を作って、もう一度素敵な学園生活を送るんだ……。



「ただいま」
 私は部屋の扉を開け部屋へと入る。そして、詩音の机を見る。ほとんど手ぶらで脱走した為、彼女の荷物はそのまま。
 ついこの間まで、彼女がいるのが当たり前だった。それはほんの数日前なのに、何だかひどく遠い日のように感じる。彼女がいない部屋は、それだけで寂しい気がした……。
「この部屋、こんなに広かったっけ……」
 私はベッドに腰を下ろし、部屋を見渡す。まるで火が消えたよう……。彼女がいるのが当たり前の生活になっていた私にとって、一人で過ごすのは随分久しぶりだ。
 かつて、一人の時はお姉ちゃんの魔導書を読んで過ごしたものだが、今はそんな気にはなれない。彼女の存在が、私という人間を大きく変えたようだ……。そして私はベッドから立ち上がり、窓際に立つ。
 大きく窓を開け、私は空を見上げた。そこには澄み渡るような青空。
 ……ねえ詩音。あなたは今どこで何をしていますか? この空の続く場所にいますか…?
 この青空の下、彼女は何処かにいるのだろうか? いや、きっといる。そう思うと、なんだか彼女が近くに感じられた。
 ……ねえ、詩音。私、あなたがいなくても頑張るから、だからあなたも自分の幸せを見つけて。そして、いつの日か、また逢う日が訪れたら、その時はまた一緒に遊びましょう……。
 だから、その時までどうかあなたも元気で……。



「ありがとう、詩音」











あなたは今どこで何をしていますか?
この空の続く場所にいますか?

今まで私の心を埋めていたモノ
失って初めて気づいた
こんなにも私を支えてくれていたこと
こんなにも笑顔をくれていたこと

失ってしまった代償はとてつもなく大きすぎて
取り戻そうと必死に 手を伸ばしてもがくけれど
まるで風のようにすり抜けて届きそうで届かない

孤独と絶望に胸を締め付けられ
心が壊れそうになるけれど
思い出に残るあなたの笑顔が
私をいつも励ましてくれる

もう一度あの頃に戻ろう
今度はきっと大丈夫
いつもそばで笑っていよう
あなたのすぐそばで・・・

あなたは今どこで何していますか?
この空の続く場所にいますか?
いつものように笑顔でいてくれていますか?
今はただそれを願い続ける
























「はろろ~ん☆ お久しぶりです!!」



「……………………は?」



「よっ!」
 そう言い、詩音はひょいと窓を乗り越え部屋の中へと入って来た。…………え~と、これは一体?
「いや~、数日ぶりとはいえ、何だか懐かしいですね~。やっぱり落ち着きますね、自分の部屋は」
 さも当然の如く現れた詩音はのほほんとしている。突如現れた詩音に、私は目を白黒させるしかなかった。
「…………えっと、あの……。詩音……、どうして此処に?」
「いや~、地元に帰ったのはいいですけど、速攻で鬼婆に見つかっちゃって。あっという間に学園に戻されちゃいました、あははは!」
 何でもないかの様に詩音は言う。もちろんそれは嘘だと分かった。そんな程度で戻るつもりなら、危険を冒してまで脱走なんて企てないだろう。じゃあ、彼女は私の為に……? そう思うと何だか胸が熱くなった。
「…………ぷっ、あはははは! 何その理由!? そんな事で戻っちゃったんだ」
「そんな事とはひどいですね。それもありますけど、縁寿が心配でわざわざ戻ったんですから」
「うん、ありがとう詩音」
 学園の外に出ても私のことを心配してくれていた。そんな彼女の優しさが嬉しかった。
「……良かったの、詩音。学園に戻って来て」
「ん~、まあちょっとは惜しい気もしますけどね。でも、よくよく考えれば私らしくないかなって思って」
「……私らしくない?」
「はい、此処がつまらない所なら自分で面白くしなきゃ。あいつが言ってたことじゃないですけど、やっぱり脱走って逃げてるみたいじゃないですか。どうせならコソコソ出るんじゃなく、正面から堂々と出ないと!」
「ええ!? 流石にそれは無理なんじゃ……」
「できるできないじゃなくて、やるかやらないかです! 面白くないなら、自分達で面白くしないと! その為に学園を変えるんです! いつまでも大人達の都合の良いようにしてちゃいけないです。体育祭や、学園祭がないなんて、人生損してます。もっともっと、青春しないと! こんな鳥籠みたいなつまらない所じゃなく、もっともっと楽しい所に! 自分達の学校は自分達で作る! そして、いつの日か自由に外に出られるようにするんです!」
「生徒主導での学校作りを? そんなこと……」
「やってみないと分からないじゃないですか。戦う前から諦めるなんて、私達らしくないですよ!」
 詩音は学園を内部から変えると息巻いている。本当に、彼女にはいつも驚かされる。私はそれに振り回されてばかり……。でも、その方が私は嬉しいのだ。
「そうね、詩音の言う通り、諦めるなんて私達らしくないわね。私も手伝うわ」
「はい、お願いします」
 彼女はそう言って、ニッコリ笑う。そして……。
「というわけで、これからもよろしくお願いします、縁寿」
 そう言い、彼女は右手を差し出す。
「ええ、こちらこそよろしく、詩音」
 そうして私はその手を握り返す。
 一度は終わったと思った、詩音との学園生活。けれど、私と彼女の物語はまだまだ終わらない。
「あっ、そうそう忘れていた」
 そうして、彼女はポケットの中をまさぐる。
「縁寿に渡したいものがあったんです」
「…………私に?」
 そうして彼女はポケットから取り出したものを、そっと私の手に握らせた。それは……。
「……え、これって?」
 私が詩音を見ると、彼女は優しく笑う。私の手の中にあるもの。それはあの日、詩音に返したお揃いのリボン……。
「……詩音」
「今度は着けてくれますよね?」
 目頭が熱くなる。あの日、詩音と別れる為に渡したリボン。それを、彼女は大切に持っていてくれた。
 ついに着けることができなかった、大切な私の宝物。それを、彼女は再び私に渡してくれた。
 それは、彼女からの2度目のプレゼント。
「ありがとう、詩音」
 涙で霞む私の視界に、優しく笑う彼女の顔が見えた。その時……。
「良かったですね、縁寿さま」
 不意にマモンが姿を現した。
「これで、ひとりぼっちじゃないですね。縁寿さまの隣にいるのが私じゃなくてちょっと癪ですけど、まあ良しとします」
「マモン……」
 そう言い、マモンは私のことを気遣ってくれる。そして……。
「良かったですね! また一緒にいられて」
「縁寿さまが一人じゃなくてなくて、安心しました」
 レヴィアタンとベルフェゴールも姿を現した。そして……。
「ほらアンタ達、もっと祝ってあげないと」
「なんだか妬けちゃ~う! 私ももっと縁寿さまとラブラブになりたいです」
「また一緒にご飯食べられますね、縁寿さま!」
「おめでとうございます、縁寿さま。姉妹を代表してお喜び申し上げます」
「うりゅー、良かったね、縁寿!」
「縁寿、君はもう一人じゃないよ」
 みんな来てくれた。みんな、自分のことのように喜んでくれた。みんなみんな、私の大切な友達。
「ありがとう、みんな」
 そうして皆、私の喜びを分かち合ってくれた。
 今の私がいるのは、みんなのおかげ。そして、今の私の幸せは詩音のおかげ。
「本当にありがとう、詩音」





「……………………」
「…………詩音?」
 ……何だか詩音の様子がおかしい。私の方を見ながら、口を開けてぱくぱく動かしている。一体どうしたのだろう?
「詩音どうしたの?」
「う、後ろ……」
「…………え」
 そう言われ、私は後ろを振り向く。
 ……何もない。一体何だというのか。見えるものと言えば、煉獄の七姉妹がいるだけで…………。
「……って、え? 詩音、ひょっとしてあなたみんなが見えて―――」



「出たーーーーーッ!!!」



言うや否や、詩音が絶叫と共に扉を開け放ち走り去って行った。
「ちょ、ちょっと詩音ッ!!?」





「ヒッ、ヒィ!!」
「ちょ、ちょっと待って詩音! あなた本当にみんなが見えているの!?」
 私がそう声を掛けると、彼女は走りながら私の方を振り返る。しかし……。
「いやーーーーッ!! まだ憑いて来るーーーーッ!!!!」
 そう叫び、彼女はさらに加速していく。
「ちょ、ちょっと!!」
「いやーーーーッ!! 神様仏様オヤシロ様ッ!! もう悪いことしません!! 授業サボったりしません、縁寿のおやつをこっそり食べたりしません! だからあの悪霊を退治してください!!」
「ちょっと、詩音落ち着いて! っていうか、私の知らないうちにそんなことしてたの!? 待ちなさい!」





「……………………」
 穏やかな午後の昼下がり、雫はベッドに横になりながら天井を眺めていた。
 緩やかに、穏やかに、時間は過ぎていく。こんな風に、穏やかな時間を過ごすのは久しぶりだった。
 ……何故だろう? 以前は常に何かにイライラし、心休まる事なんか無かったのに、何故だか最近は心が落ち着いている。
「…………どうしてかしらね」
 ……心当たりがないわけではない。あの日の夜、右代宮に思いの丈を全てぶつけた。あんな風に、誰かに自分の本音をぶつけたのは初めてだった。
 あの日以来、いつもより穏やかな自分がいた。心の中のもやもやを全て吐き出して、心が軽くなったのだろうか……?
「…………まさかね」
 とりあえず、その考えは置いておこう。なんだか右代宮のおかげで心が軽くなったみたいで、ちょっと癪に障った。
 それより今は、この穏やかな時間を静かに過ごし…………。

「…………何?」
 何だか外が騒がしい、誰かが騒いでいるのだろうか? もう少しこうして寝ておきたかったが、無視するわけにもいかない。雫はベッドから体を起こすと、廊下に顔を出した。



「いやぁああああーーーー!! 憑いて来ないでーーーー!!!」
「ちょっと詩音、いい加減止まりなさい!」



「…………なっ!!」
 開いた口が塞がらなかった。…………どうして、あの女がまた此処に戻っているのだ?
 しかも、戻った早々右代宮と大声で叫びながら寮内を走り回っているなんて……。二人の騒ぎっぷりに、周りの生徒達も何だ何だと集まってきた。
 ……相も変わらず問題行動を起こしてばかりの二人に、雫は眩暈がする。しかし生徒会として放っておくわけにはいかない。こめかみを押さえつつ、彼女は二人を追いかける。
「あなた達、止まりなさい! 誰の許可を取って廊下で騒いでいるんですッ!!」



「全く、詩音ったら何処に逃げたのかしら……」
 彼女を追いかけて中庭まで出てきたが、姿を見失ってしまった。しょうがない、お菓子の件は後でみっちり問い詰めよう。
 私が諦めて部屋に帰ろうとした時、不意に後ろから声を掛けられた。
「アンタ達はまた騒ぎでも起こす気?」
 その声を聞き、私は後ろを振り返る。
「須磨寺さん」
「寮内を大声で走り回るなんて、そんなに生徒指導室に行きたいのかしら? 大体あの女はもう此処にはいないはずでしょ? 何でまたいるのよ」
「え~と、まあ色々と事情があって……。」
「……ふん。何かは知らないけど、どうせまた下らない理由でしょ」
「別に下らないってわけじゃ……。この学園を変えるんだって息巻いていたけど」
「……何ですって?」
「あなたに、逃げたって思われるのが嫌みたい。生徒主導で学園を運営して、自由に外出できるようにするって」
「はあッ!!? そんな事できるわけないでしょ!!」
「私もそう思ったんだけどね、どうやら本気みたい。彼女、一度決めたらてこでも動かないから」
「…………どうかしているわ、生徒主導で学園を運営するなんて。理事会で承認されるわけがない……」
「そうね、そうだと思う。でも、やれるとこまではやってみるわ。私も協力するつもりだから」
「……また問題が起こりそうね。本当に、アンタ達は面倒事を増やすわね」
「止めるなら今のうちよ。もっとも、止まるつもりはないけど」
「……別に、止めないわよ」
「…………え?」
「どうせ止めたって無駄なんでしょう? だったら、好きなようにやってみたら。せいぜい頑張りなさいな。……アンタ達がどこまでやれるか、見届けてやるわ」
 そう言い、彼女はそっぽ向く。でも、その言葉は、私にとってどこか心地の良いものだった。
 気持ちの良い風が私の頬を撫でる。私は思わず空を見上げた。とてもとても気持ちの良い青空。何だか今日は、良いことが起こりそうだ。
 学園に新しい風が吹く。園崎詩音という、新しい風が。
 その風はこの学園の全てを巻き込むだろう。多くの人にとってその風は、はた迷惑なつむじ風になるかもしれない。鳥籠の鳥に、風など必要ないのだから。
 でも、もしも籠から出たい鳥がいるなら、その風は鳥を乗せて、どこまでも高く舞い上がらせてくれるだろう。
 私もその風に乗る。これからもずっと、私は彼女と共に在り続ける。
 それから、多分、須磨寺さんも。
 私達は飛べる。どこまで高く。そう、きっと―――





 ―――あの、そらのむこうにだって。





















閉じた瞳を そっと開いてごらん
見渡せば あたたかい光
ひとりでは出来ないことばかりでも
みんながいればきっとできるから
いつもの町並み いつもの声も
瞳に映るもの 全てが揺らぎ
手探りで ひとりで探していた
分かるはずない 答え
信じられずに また迷い込む未来なら
僕は君に この手を差し伸べられるから
そらのむこうから呼びかける声
どうか気づいて その顔上げて
優しい世界を 夢に描いた
あの場所に戻ろう
ここにいる すぐ傍にいるよ
どんな時でも
君のことを信じているよ
そらのむこうまで広がる未来
手を取り合って 飛び立って行こう
笑顔でいたいと そう願ってた
あの頃に戻ろう みんなで












 チクチクチク。
 静かな部屋の中、雫は黙々と手を動かしていた。
 その右手には糸を通した針が握られている。そして、左手で優しく抱きかかえられているのは小さなライオンのぬいぐるみ。
 それは、かつて彼女が自身の手で引き裂いたお気に入りのぬいぐるみ。無残に引き裂かれていたはずのぬいぐるみは、今やかつてと同じ形を取り戻しつつあった。



 ……ごめんねリオ、あんなひどいことして……。

 大丈夫だよ、雫。僕はもう平気だから、気にしないで。

 ……ごめんね、ごめんね。痛かったよね……?

 平気さ、こうして雫が治してくれたもの。他のみんなも言ってるよ、ありがとうって。

 ……みんなにもひどいことしちゃった……。私…………。

 ストップ、そこまで。君はもう十分悔いたよ。ちゃんと反省して、こうして僕らを治してくれた。それで僕らは十分さ。だから、これ以上自分を責めるのは止めなよ。僕らはみんな、そんなことは望んでいない。

 ……うん、ありがとう……。

 今は過去を悔いるより、これからの事を考えよう? せっかく友達もできたんだから、もっともっと楽しいことを考えなきゃ。

 ……友達。でも、私、上手くやっていけるかしら……?

 ……不安?

 ……うん。私、友達なんて、持ったことないもの……。

 そんな事ないよ、あんなに沢山いたじゃない。

 ……子どもの頃の話よ……。人付き合いなんて、今更……。どうやって接したら良いか、分からないし……。

 難しく考える必要はないよ。ありのままの君を出せば。

 ……本当に? ……いえ、きっと無理だわ。私みたいな人間、好きになってくれる人なんかいないもの……。

 そんな事ないよ。君を理解してくれる人は、すぐ傍にいる。

 ……人は怖いわ。私は動物や、あなた達の方が……。

 雫、人は人との繋がりの中で生きている。その繋がりを、自ら断ち切ったらいけないよ。大丈夫、あの子達ならきっと君を受け入れてくれる。

 …………私を、受け入れて…………?

 うん、大丈夫。自信を持って、君なら上手くやれるよ―――



 そして、彼女は最後の一針を縫い終える。
 かつての姿を取り戻したぬいぐるみ。引き裂かれたはずの布地は上手に縫われ、その後はほとんど目立たない。
 しばらくの間、彼女は彼を見つめていたが、やがてそっと、机の上に乗せた。
 そして、彼の隣にある小さな写真立て。そこにはかつてと同じように、幸せそうな母子の写真が飾られていた……。
 雫は窓を開ける。そこには、気持ちの良い青空。出かけるには絶好の天気だ。
 彼女は大きく息を吸い込み、空を見上げた。





 気持ちの良い青空の下、そこには縁寿と詩音が先に待っていた。
「遅い! 30秒も遅刻ですよ、何してたんですか!?」
「何言ってんのよ、アンタなんかこの前30分も遅刻したでしょ」
「私はいいんです! 誰も私の時間厳守なんか期待していないでしょ? でも、アンタはダメ!」
「……どういう理屈よ」
「……詩音も30秒前に来たばかりでしょう? 人の事とやかく言う前に、まず自分の方を直しなさい」
「縁寿まで!? 誰も私を理解してくれない!」
「……はぁ、ホントにこの子は…………」
「……………………」
「……どうしたの、須磨寺さん?」
「……その髪、どうしたの?」
「ああ、これ? 今日は詩音とおそろいリボンだから、髪型も同じにしてみたの。このリボンも可愛いと思うんだけど、どう?」
「相変わらず、子供っぽいの着けてるわね」
「何でアンタはそんな事しか言えないんですか!! ここは嘘でも、似合ってる、って言う所でしょう!」
「……詩音、あなたそんな風に思っていたの?」
 3人の賑やかな声が学園に響く。
 以前は私と詩音、二人で騒いでいた。それだけでも十分賑やかだったが、彼女を迎え、もう少しだけ賑やかになった。
 私達の生活は、以前とあまり変わらない。相変わらず敵は多いし、詩音が目指している学校作りには程遠い。それでも、須磨寺さんを仲間に加え、ほんの少し何かが変わった気がする。
 これからも、私達は変わり続ける。今よりも、より良い未来を目指して、私達は前に進むだけだ。
「さあ、それじゃ行きますよ! 買い物して、ご飯を食べて、それから何をしましょうか?」
「後で考えればいいんじゃない? 時間はまだあるんだし」
「そうですね、じゃあ行きましょうか」
 そう言い、詩音は先陣を切る。どんな時でも、彼女は私達を引っ張って行く。相変わらずのその行動力に、私は思わず苦笑する。あの行動力があるなら、いつか本当に学園を変えられるかもしれない。
 そんな風に思いながら、詩音の背中を見つめていると、須磨寺さんが声を掛けてきた。
「何しているの? 早く行くわよ」
「――――――」
 その言葉を聞き、私は思わず彼女の顔を見つめる。
 ついこの間まで、いがみあっていた私達。それなのに、今は私に気さくに話しかけてくる彼女。彼女とのその関係が、何だか不思議に感じた。
「何?」
「ううん、何でもない。さあ、行きましょう」
 そうして、私達は詩音の後を追う。
「さあ、まず何処に行こうかしら?」
「任せるわ、アンタ達の方が買い物はよく行くんでしょ?」
「そうね、それじゃあまず服を買いに……」
「二人とも何やってんですかーー、置いてきますよーー!」
 遠くで詩音が早くしろと急かしている。
 天気は快晴、絶好のお出かけ日和。空はどこまでも高く、青く青く、澄み渡っていた。
 少しずつ変わり始めた、私の日常。
 これからも、私はこの二人と共に在り続ける。
 私の新しい日々は、今始まったばかりなのだから。


























全ての人に、ありがとう。









fin


2012.06.30 Sat l うみねこ l コメント (1) トラックバック (0) l top

コメント

おもしろかった。
おもしろかった。はらはらどきどきの展開が続きました。戦人の登場が懐かしかったです。「困った時こそ冷静になって相手の視点から物事を見るのさ。・・・相手側から見るとそれまで気づけなかった一手に気づくもんさ。・・・ああ、困った時こそ発想を転換させるんだ。」これがチェス盤をひっくり返すことなんですね。苦しんでいる戦人を置いては幸せになれない縁寿を見捨てられない、そしてそれだけではなく、新たな志をもって戻ってきた詩音も最高にかっこよかったし、二人を追う雫もかっこよかった。(((与えられた偽りの自由に満足して今の生活に妥協する・・・飼い慣らされてたまるか・・・戦ってやる。))))この生々しさが詩音なんだ。好い未来を目指して前へ進むだけ・・・縁寿にとって最良の展開になったので大満足。私以上にうみねこの登場人物皆心から喜んでいると思います。
2012.12.31 Mon l 乗組員Z. URL l 編集

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