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 1986年10月4日 18時07分  

 伊豆諸島 六軒島近海 



 普段は穏やかな海も今日は荒々しく波打ち、大きくうねった波は互いにぶつかりあい、白い波しぶきを上げ再び海の中へと消えていった。
 本州に近づいてきた台風の影響でここ、伊豆諸島海域も先ほどより大きく様変わりしていた。昼過ぎまで数多く空を飛んでいたうみねこ達は姿を潜め、天高く輝いていた太陽は今や沈み、夜の帳が落ちてきた。
 そんな中、1隻の船が海上を航行していた。
 沖合いでの漁を終え、本土へ戻ってきたカツオ漁船である。甲板には3人の男が談笑しており、いずれも真っ黒に日焼けしていた。その身体は過酷な漁で鍛えられ、初老を迎えたとはいえ見事に引き締まっていた。そんな彼らの話題も、今日だけは釣れた魚の自慢話ではなく、近づいてきた台風のことだった。

「だいぶ波も高くなってきたな、早く戻らんと巻き込まれるぞ」

 甲板にいた一人が、心配そうに海に目を向ける。

「心配せんでも、もうじき港につくわい。肝が小さいのう、お前は」

 仲間の心配をよそにもう一人はお気楽そうに答えた。

「何を言っとる、今回の台風はだいぶでかいぞ。巻き込まれたらひとたまりもないわい」
「じゃけえ、今急いで船飛ばしとるじゃろ。わしらはすることないけえ、のんびり構えときゃええんよ」

 男はあくまで楽観的だ。徐々に高くなってきている波をみても我関せずといった感じである。そこに少し離れたところで話を聞いていた男が二人の会話に入ってきた。

「いやあ、急いだほうがいいぞ。もし嵐に巻き込まれたりしたら、あの島に船を着けんといかんぞ」
「あの島ってなんじゃい?」
「あれじゃよ、あれ。もう見えるじゃろ」

 男が指差した先には、海の上に小さな島がぽつんと浮かんでいた。

「ああ、あの島か。名前は・・・・・ええと、何と言ったか?」
「六軒島じゃよ。あの島丸ごと私有地じゃから、わしもずいぶん上がってないがの」
「なんであの島に上がったらいけんのじゃ?ちょっと船をつけるぐらいは、かまわんのじゃないか?」

 男は不思議そうに尋ねる。いくら私有地だからといって、台風のような緊急時ならば船を停泊するぐらいはかまわないはずである。しかし島の話をしていた男は首を横に振る。

「そういうこっちゃない。あの島はの、出るんじゃ」
「出るって、何がじゃ?」
「魔女じゃよ・・・・・」

 はあ?話を聞いていた二人の反応は口をぽかんと開けるだけだった。

「信じとらんじゃろ。でもな、あの島には本当に魔女がいるぞ。わしも昔、少しだけあの島で働いとったんじゃ。だから分かる、あの島は得体の知れない何かがおるんじゃ。あそこじゃな、夜な夜な屋敷の中を奇妙な人影がうろついとる。そして朝になると閉めておいた窓が開いてたり、あるはずの物がなくなっていたり、なかったものが現れたり、奇妙なことがよく起きてたんじゃ。それだけじゃない。夜中に見回りをしていたら、キラキラ光り輝く蝶が夜空を待っていたんじゃ。わしら使用人はそれを、姿を変えた魔女が夜の島を彷徨っている、なんて言ってたもんじゃ」

 話を聞いていた二人は口を開けたまま男の話を聞いていたが、やがて声をあげて笑い始めた。

「わはははは!そりゃいい!あの島じゃ晩飯がなくなっても魔女様の仕業にされるわ!人のおかずを食っても自分は疑われんですむわい!」
「いい年して、まだそんな幽霊話を信じとるんか。お前も肝が小さいのう、はははははは!」

 二人は男の怪談話を聞いても全く意に介さず、男をからかい始めた。そんな二人の様子に、少し腹を立てた男は不満そうに口を開いた。

「ふん、どうせ言ったところで信じはせんがな。魔女様はほんとに“い”るんじゃ。わしはあの島で実際に不思議なことを何度も見たんじゃからな」
「わかった、わかった。魔女はほんとにいるんじゃろ、信じるわい。ああそうだ、なら魔女様に金でもだしてもらおうか。魔女様ならそれぐらいの魔法は簡単じゃろ」
「そういやあの島に金塊が眠っている、なんて話もあったのお。しかも10トンなんてメチャクチャな量らしいぞ」
「わははは、そりゃ夢のある話じゃのお。わしも少しばかり恵んでもらいたいわい」

 二人は魔女の黄金話を肴に話を盛り上げていた。そんな二人の話を男は不服そうに聞いていたが、やがて興味を無くし海に目を戻した。
 波はさらに高くなり、これから来る嵐の大きさを予感させていた。遠くでかすかに聞こえていたうみねこ達の鳴き声も、もはや聴こえなくなっていた。
 やがて、ぽつぽつと雨が降り始め、それは次第に豪雨へと変わった。甲板で談笑していた二人も雨足が強くなると話を切り上げ、船内へと戻っていった。
 もうしばらく海を眺めていようと思っていた男も、雨が一向に止む気配がないため、いい加減中へ入ろうとした。その時、遠くで一瞬うみねこの鳴く声が聞こえた。男は声の聞こえた方を振り向くと、そこには先ほど話していた曰く付きの島があった。



『六軒島』
 伊豆諸島に含まれる、周囲10キロほどの小さな島。元々は東京都の管轄にあったが戦後、とある大富豪にまるごと買い取られてしまった島である。その大富豪の一族というのが、男がかつて使用人として働いていた『右代宮家』である。
 男が右代宮家で働いていた当時日本はまだ貧しく、その中で右代宮家の使用人たちの給金はかなりのものだった。男も始めは給料の多い仕事にありつけたと喜んでいた。
 しかし、いつの頃からか島では奇妙な噂が立ち始めたのである。
「夜の森に見知らぬ人影を見た」
「閉めていた窓が翌朝開いている」
「屋敷の庭を光輝く蝶が飛んでいる」
 やがて、それらの噂を使用人達は「魔女の仕業」と囁き始めた。
 始めは噂を信じていなかった男も時が経つにつれ、やがて何度も目撃するようになった。薄気味悪い噂に、人使いの荒い主人。男が仕事に嫌気がさすのにそう長い時間はかからなかった。もともと好きで始めた仕事ではない、ただ給料が良かっただけである。まとまった金が手に入ったところで男は仕事を止めた。それ以来あの島には足を踏み入れてはいない。



 先程までかすかに見えた島影も、突如降り出した豪雨によってその姿は完全に見えなくなってしまった。それはまるで、魔女が嵐の間だけ島をこの世から消し去ってしまったようにも見える。



――――何人たりともこの島から出ることは許さない――――



 まるであの島の人間を魔女が閉じ込めているようだ、そんな風に男は思った。これからあの島で、何か良くないことが起きるのではないか・・・。
 男は自分の考えが杞憂であること祈りながら船内へと戻っていった。


10月5日 21時14分

 またでかい波が来た。これから来る衝撃に備えてボートの両端を力強く握り締める。大きくボートが揺れ、その度に振り落とされないよう必死にしがみつく。なんとか海に転落するのは免れたが今度は頭から波を被った。ちくしょう!これで何度目だ!もう頭から、つま先まで全身ずぶ濡れだ。10月だからといってこれじゃ風邪をひいちまう!最もそんな心配も生きて帰れればの話だが。
 何でこんな真夜中の海でお前は遭難しているかって?ああ、そうだな。まずはそれを説明しなきゃいけないな。ホント、今回ばかりは自分の馬鹿さ加減に呆れるぜ。
 とりあえず自己紹介から、俺は島崎透(しまざきとおる)。東京在住のごく普通のサラリーマンだ。今どきの若者の例にもれず、特に大きな目標もなく会社で普通に働いて平凡な毎日を送っている。
 そんな生活に特に不満もなかったが、単調な日々が続くと人間退屈を感じるわけだ。そういうわけで、今回の週末はいつもと気分を変えて「ちょっと伊豆の方まで行ってみるか」と思いついたわけだ。
 早速早起きして船に乗り、伊豆諸島まで半日かけてやってきた。まあ、島に着いたからといって何かをしようと考えていたわけじゃない。暇だったんで、単に思いつきでやって来ただけだ。
 これからどうしようかと考えていた矢先、目に飛び込んできたのは釣具屋の看板。せっかくだから海釣りでもしようと思い、安そうな竿と餌を買いボートを借りて俺は海へ出た。
 港から数十メートル沖に出て、釣り糸を垂らすと面白いように魚が食いついてきた。港と沖では、やっぱり魚の食いつきが全然違う。久しく釣りをしていなかった俺はしばらくの間、海釣りを楽しんでいた。
 数時間後。早起きしたせいか、それとも船旅の疲れが出てきたのか、俺は急に眠くなりちょっと船に横になった。それが運のツキだった。
 気がつくと、船は港から遥か沖に流されてしまったのだ!初めのうちは、遠くに港が見えていた。急いで戻ろうとエンジンを回したが、このポンコツ!1キロも進まないうちに煙を上げて壊れちまいやがった!オールも何も積んでいない、あるのは僅かな水と食料だけ。結局俺は、運を天に任せて流される他なかったのだ。
 だが神様ってのは残酷だ。ただでさえ生きて帰れる保証も無いのに、でかい嵐までやってきやがった。ちくしょう、何でよりによってこんな時に台風なんか来やがんだ!ああホントについてねえ!
 まあ、こんなことになったのは自分の無計画さのせいなんだが・・・。思いつきで伊豆まで来たのは良しとしよう。船を借りて海釣りに出かけたのは、まだ許せる。だが船の上でそのまま寝ちまうなんて、間抜けにも程がある!少しぐらい大丈夫だろう、なんて甘い考えがそもそもの間違いだった。もっと海の危険について意識していればこんなことにはならなかったはずなのに・・・。
 だが、今更そんなことを言っても今の状況は何も変わらない。今はとにかく、この危機的状況を抜け出さねば!

「つってもなあ・・・。こんな小さなボート、いつ転覆してもおかしくないし。せめて近くに船でも通ってくれれば・・・・・、ん?あれは・・・」

 この暗闇ではっきりとは分からないが、よく見れば目の前には島影が見えるじゃないか!しかも相当近くだ!振り落とされまいと必死だったから、今まで気づかなかった!

「やった!あの島に着けば助かる!頼む、もう少しでいいから近づいてくれ!」

 神様も捨てたもんじゃない。俺の願いが通じたのか、やがてボートは島の目の前まで近づいていた。

「ようし、ここまで近づけば泳いでいける!いくぞ、どりゃ!」

 岸まで十数メートルのところで俺は意を決し、荒れ狂う海へ飛び込んだ。
 船上にいたときは分からなかったが、大きく波打つ夜の海は予想以上に泳ぎにくい。25メートルプールにも満たない距離がこんなにも遠いだなんて。しかも豪雨に加えこの暗闇だ。視界が遮られるだけでこんなにも泳ぎにくいものなのか。
 嵐の海と、夜の闇は俺の体力を激しく奪っていく。泳ぎ始めて何分もしないうちに、もう手足が動かなくなってきた。せっかく助かったと思ったのに、ここで死んじまうのか?もう息が続かねえ・・・・・。
 意識が無くなりかけたその時、わずかに重力を感じた。つま先が砂浜に着いたのだ。最後の力を振り絞り、俺はそのまま全力で前へ駆け出した。
 初めは微かにつま先が触れるだけだったが、徐々に足が海底をしっかりと捕らえ、俺はようやく荒れ狂う海から抜け出せることができた。そして波が来ないことを確認すると、俺は砂浜に大の字に寝転んだ。

「ハアッ!ハアッ!ハアッ!」

 横になると今までの疲労がどっと押し寄せてきた。普段の運動不足を考慮しても、嵐の海を泳ぐのは想像以上に体力を消耗した。できればこのまま寝てしまいたいが、生憎豪雨はまだ続いている。せめて雨の凌げるところに移動しないと。重たい体に鞭を打って起き上がると、雨の凌げるところを探して歩き始めた。

「・・・しかしここはどこだ?」

 俺のいる砂浜は小さなもので、幅はせいぜい50メートル。目の前にあるのは鬱蒼とした森だけだ。街灯はおろか舗装された道すらない。

「まさか無人島か?まいったな・・・」

 民家でもあれば助けを求めることもできたのだが・・・。無人島となれば今夜は野宿か、とんだ週末になっちまった。
 雨足が強いため、木の下にいても容赦なく雨粒が降ってくる。これじゃ雨を凌ぐこともできやしない。ふかふかのベッドとは言わないが、せめて雨風が凌げて横になれるところを探さないと。
 体が休める場所を探して夜の森を歩いていく。しかし、こう暗いと歩くのも一苦労だぜ。雨のせいで月明かりもほとんどないうえ、森の中じゃますます光が届かない。目を細めて、手探りで前へ進んでいくが、こんなんで休める場所なんか探せるのだろうか。
 しかし、こりゃ本気で無人島っぽいな。舗装道路どころじゃない。この森は人の手が加わった形跡がまるで見れられない。まさに原生林といったところだ。聞こえてくるのは雨音と、微かに聞こえる虫の声。人の気配など全く感じられない。まるで、この森自体が人間を拒絶しているようだ。
 これ以上深く入りすぎると、森から出られなくなる。一旦さっきの浜辺に戻るか?そう考え始めた時、目の前に小さな洞窟が見えた。それほど大きくはないが、休むのには十分な大きさだ。

「やった、これでようやく休める」

 俺はようやく休息場所を得られた安堵感からか、倒れ込むように横になった。
 全く、今日は散々だったぜ。財布は海に落とすわ、借りたボートは失くすは、帰ってからの事後処理が大変だろうなあ。いや、そもそもどうやって帰るのか?本当に、ここが無人島ならどうやって外部と連絡をとるのか?まだまだ問題は山積みだ。だがこの心配も生きているからこそできるもの。今日のところは命が助かっただけでも良しとし、明日のことは明日考えよう。
 そうやって結論づけると急に睡魔が襲ってきた。今日一日いろんなことが起こりすぎた。今は体を休めて明日に備えよう。そう考え眠りにつこうとした瞬間、ただでさえ暗いこの洞窟の中がさらに暗くなった。何事かと思い目を凝らすと、目の前には得体の知れない影が―――――。

「う、うわあああーーーーーー!!」
「きゃあああーーーーーーー!!」

 互いに響く悲鳴。夜の森に二人の叫び声が木霊した。



10月5日 22時05分

 へっ?あれ?ええっとこれは・・・。

「ええっと、あの・・・」

 急に顔面が紅くなる。俺は女の子の影をみて絶叫したのか、恥ずかしい・・・。自分の小心っぷりをこれほど恨めしく思ったことはない。

「あ、いや、ごめんごめん。急に出てきたからびっくりしてさ」

 ははは、と笑いながら何とか誤魔化した。そうでもしなければ、恥ずかしくて死んでしまう。

「ご、ごめんなさい。私も人がいるとは思わなかったら、びっくりしちゃって」

 たぶん、この娘が驚いたのは俺がいたからじゃなく、俺が急に悲鳴をあげたからなんだろうなあ。ああ、自分が情けない。

「あははは、まあそれはお互い様ということで。それより君はこの島の人?実は俺、船が難破しちゃってさ、ちょっと助けて欲しい―――――」

 そこまで話して気付く。女の子も自分と同じく、全身ずぶ濡れということに。

「あの、ごめんなさい。実は私も遭難してこの島に着いたんです。どこか休める場所を探してここまで来て・・・」

 そうだ、冷静に考えればこんな所に人が来るわけがない。仮に、この島に人が住んでいたとしてもこんな人気もない無い森の中、まして台風の夜に出歩くわけがない。

「そうだったんだ。まさか俺と同じような人が他にもいるとはね。とりあえず座りなよ、ここまで歩いてきてへとへとだろ」
「はい、ありがとうございます」

 女の子は俺と同じくふらふらだった。無理もない。男の俺でも根を上げるぐらいだ。女の子にはなおさらキツイ道中だっただろう。
 黙っているのもおかしいので、女の子がひとしきり休んでから、俺たちは互いに自己紹介をした。
 女の子の名前は海内香織(あまないかおり)。東都大学の1年生で、今日はサークルの友達と一緒に伊豆諸島に遊びに来ていたそうだ。昼間友達と一緒にボートでクルージングしていたら、突然のエンジントラブルで動けなくなったらしい。後は俺とほぼ同じ。台風に巻き込まれてこの島に漂着した。ただ彼女の場合は一人海に転落し、気がついたら浜辺に倒れていたそうだ。一緒に遊びに来ていた二人の友達はどうなったかは分からない。

「二人とも無事だといいんだけど・・・」

『なあに、心配ねえよ。きっと大丈夫さ』
 そんな励ましの言葉を掛けようとしたが、すぐに飲み込んだ。俺自身、今日の嵐で死にかけた。軽々しく大丈夫だと励ますことは今の俺にはできなかった。

「そうだな・・・」

 空気が重くなったので、俺は勤めて明るい口調で話題を変えた。

「しかし、俺たちもついていないよな。こんな無人島に着いちまうなんて。せめて人がいる島ならまだ良かったのにさ」
「えっ?この島、無人島じゃないですよ」
「へっ?そうなのか?」

 意外だった。人の手が加わっていない原生林があるこの島に、人間が住んでいたのか。

「はい。と言っても住んでいる人はほんの十数人足らずで、島の大部分はここみたいな原生林だそうですけど。島崎さんはこの島のことはご存知ないんですか?」
「透でいいよ。友達もみんな名前で呼ぶから、苗字で呼ばれるの慣れてないんだ。それでこの島のことだけど、海内さんは詳しいの?」
「はい。あっ、私も名前で結構です。みんなからは香織とか、香織ちゃんって呼ばれてます」
「じゃあ香織ちゃん、この島のことで知ってること俺にも教えてくれないか」
「はい。今私たちのいる島は六軒島っていって、島全部がとある大富豪の私有地なんです。その大富豪は島に屋敷を建ててそこで住んでいるんですけど、島に住んでいるのは大富豪の一族だけ。例外として何人かの使用人もいるそうですけど、それ以外は本当に人のいない島なんです」
「なるほどね、どうりでひと気がないわけだ。そりゃ無人島と間違えるわな」
「その一族って名前がちょっと変わっているんですよ。右代宮っていう苗字なんですって」
「うしろみや?何かすごい名前だな。流石お金持ち様は苗字も違うな」
「何でも明治のころから栄えていた、名のある名家だったそうですよ。一度関東大震災で潰れかけたらしいですけど、戦後に今の当主が大成功を収めて再び栄えさせたらしいです」
「へえー、戦後の焼け野原からよく立て直したもんだ。やっぱそういう家柄の人間は商才があるんだろうな。しかしホントに詳しいね。ひょっとして香織ちゃんは地元の人?」
「はい、実は私の祖父が昔この島で働いてて、小さい頃からよく話を聞かされていたんです」
「ああ、どうりで。人の出入りが少ないわりに詳しいと思ったよ」
「子供の頃から何度も聞かされたんで、もう覚えちゃいました。でもですね、聞かされた話はこれだけじゃないんです・・・」

 香織ちゃんは急に顔をこわばらせ、小さな声で話し始めた。

「これだけじゃないって、他にも何かあるの?」
「この島にはですね、出るんです・・・」

 急に声色を変えて、出るんですって言われたら普通は一つしか思い浮かばない。

「出るって、何が?まさか『幽霊だ~』なんて言わないよな」

 俺は香織ちゃんをからかう様にちょっと軽い口調で答えた。しかし彼女は俺が茶化しても全く表情を変えずに首を横に振った。幽霊以外に出るって一体・・・?やがて彼女は小さく口を開いて呟いた。

「魔女です・・・」
「・・・魔女?」

 普段聞き慣れない単語に俺は目を丸くした。この手の怪談話の定番といえば幽霊と相場は決まっているが、魔女というのは初耳だ。

「この島はですね、幽霊の変わりに魔女が出るんです。これも祖父から聞いた話なんですけど、この島では夜になると不思議なことが起こるんです。夜中に屋敷の庭を得体の知れない影が歩き回っていたり、閉めていた窓が朝になると開いていたり、夜の暗闇を光輝く蝶が飛びまわっているそうです。始めは祖父も信じていなかったんですけど、時が経つにつれ何度も目撃するようになりました。使用人たちはいつの頃からかその不思議な現象を、魔女の仕業だって囁くようになったそうです」

 話を聞けばよくある怪談話だ。こんな薄気味悪い島なら、そういう類の話があって当然だ。この手の話を俺は全然信じていないが、どうやら香織ちゃんは信じているようだ。こんな話を真面目に話している彼女を見てちょっと可笑しくなってしまったが、怪談話を怖がっているほうが女の子は可愛いかもしれない。話の腰を折るのも悪いので、とりあえず俺は話に乗ってみた。

「ちょっと待ってくれ。なんで魔女なんだ?普通そういう話は幽霊だって相場は決まっているだろ。外国ならともかく、ここは日本だぜ」
「それは、右代宮家当主の影響だと思います。今の当主は右代宮金蔵っていう人なんですけど、その人が今の財を築く元となった資本金、どこから調達したと思います?」
「えっ?さあ・・・。どっかの誰かから借りたんじゃないか?」
「当時の右代宮金蔵は右代宮家でも遥か遠くの分家、人脈も信用もまるでなかったんです。そんな人間に大金貸す人がいると思います?」
「ん~、確かに金は信用で借りるっていうからな。そんな見ず知らずの人間に大金貸す物好きはいないか。それじゃあ、その金蔵って奴はどうやってそんな大金手に入れたんだ?」
「実はここでも、さっきの魔女が出てくるんです。金蔵はかなりの西洋かぶれだったそうで、服や家具なんかも全部洋風のものだったみたいです。私は実際には見たことないんですけど、この島の屋敷も典型的な西洋建築らしいですよ。しかもそれだけじゃ飽き足らず、黒魔術の研究なんかもしていたらしいんです。右代宮家を復興させるための資本金が欲しい彼は、自ら研究している黒魔術を用いて魔女を呼び出し、自分の魂と引き換えに10トンの金塊を出してもらったそうです」

 今度こそ空いた口が塞がらなかった。単なる怪談話ならともかく、魔女にお願いして10トンもの金塊を出してもらった?そんな話、今どき小学生も信じないぞ。

「ぷっ、あはははははははは!!」

 彼女には悪いとは思ったが、そこが我慢の限界だった。俺は腹を抱えて笑い始めた。

「香織ちゃん、まさか今の話本気で信じていないよな?いくらなんでも魔女に金塊だしてもらった、なんておとぎ話にも程があるぜ!」

 彼女は不満そうに口を尖らせて俺の方を見ていた。彼女なりに怒った顔をしているのだろうがその顔が可愛らしく、ますます可笑しくなる。

「いいですよお、笑ったって。別に私は気にしてませんから」
 その顔はどう見ても気にしてるって顔だ。だが本人はそんなこと口にできるわけもなく、
せめてその表情で俺への抗議をしているようだ。

「透さん、今の話全然信じてないでしょ。だめですよ、魔女のことは信じなきゃ!」
「あははははは、ごめんごめん。つって言っても『魔女様に金塊をだしてもらいました~』じゃあ、信じるほうが難しいぜ」
「この島の魔女はとっても怖いんですよ。魔女を信じる者には寛容ですけど、信じない者には、それは恐ろしい事が起きるんですから」
「あはははははは。分かった分かった、信じるって。魔女様にお仕置きされたら怖いからなあ。『魔女様ごめんなさい、これからはあなた様のことを信じます~』なっ、これでもう大丈夫だろ?」
「む~、やっぱり透さん信じてないでしょ」

 香織ちゃんは相変わらず不満そうな顔をしていたが、俺が全く信じていないことが分かると小さくため息をつき、そっぽを向いてしまった。やれやれ、怒らせちまったかな。



 雨は一向に弱まる気配は無く、絶え間なく降り続いている。この洞窟が周囲よりやや小高い所にあって良かった。もし、平地だったら雨が中にまで入り込んでいただろう。そうなれば横になって休むこともできなかった。始めはこんな島で野宿なんて嫌でしょうがなかったが、今は休める場所があるだけでありがたい。
 自分のいる場所が安全だということを再確認すると、再び睡魔が襲ってきた。突然の来訪者に驚き一度は目を覚ましたが、疲労はピークに達していた。俺は、そろそろ寝ようかなと思いつつ、香織ちゃんをちらりと見た。
 見ると彼女も目蓋が重くなり、うつらうつらとしている。無理もない。俺より小さな体
でこの森を歩き回っていたのだ。俺とのお喋りも終え、緊張の糸が切れたのだろう。俺は上着を脱ぐと彼女の肩にかけてあげた。

「あっ、すいません!いいですよ、気を遣わなくても」
「いいよ、今の季節シャツ一枚じゃ寒いだろ。俺は全然寒くないから気にしないでくれ」

 彼女は海に落ちたときに上着を流されたのか、10月のこの時期にTシャツ一枚という薄着だった。話をしている時はそうでもなかったが、お互い静かにしていると体が冷えてきたのか、今は肩が小さく震えている。

「俺のことは気にしなくていいよ、これでも寒さには強いんだ。ガキの頃は罰ゲームでパンツ一枚で雪合戦していたからな。まあ、それでも風邪は全然引かなかったな。馬鹿は風邪引かないって言うからな、ははははははは!」

 俺は香織ちゃんに余計な気を遣わせまいと、明るく振舞った。そんな気持ちが伝わったのか、彼女もくすくすと笑った。

「それじゃあ風邪引かないよう上着借りますね。私が風邪を引いたら透さんにおぶってもらうしかないですからね。私重いですから大変ですよ、透さんじゃ無理かもしれないです」
「おいおい、俺を舐めるなよ。女の子一人ぐらい楽々だっての」

 そんな風に軽口を言い合う。出会ってまだ何時間も経っていないのに、何故か二人の間にはすごく親密な雰囲気が生まれていた。なぜだろう?今まで女の子とこんな風にすぐ打ち解けることなんかなかったのに、今はそれが自然にできる。危険を共にした男女は親密になる、なんてどっかで聞いたことがある。これが俗に言う、吊橋効果というやつだろうか?
 その時ふと気付いた。暗くて気付かなかったが、彼女は全身ずぶ濡れのためTシャツが透けていた。そのため、その下の肌や、下着がくっきりと見えていた。
 目のやり場に困った俺は、視線をあさっての方向に向ける。だが俺が急にそんな態度をとったため、彼女はそのことに気付き、あわてて上着で肌を隠す。なんとも気まずい空気が流れたため俺は軽く、「じゃあ、おやすみ」とだけ言って横になった。
 あ~あ、せっかくいい雰囲気だったのにこれじゃ全部ぶち壊しだ。もっと自然に目を離せば気付かれずにすんだのに。もっと上手くやれよ、俺。いやいや、そもそも遭難してまで何考えているんだ。香織ちゃんと俺は偶然島に流れ着いた遭難者、それ以上でもそれ以下でもないんだ。だから変なことなんか考えるな。そうさ、元々がっかりするようなことじゃない、多分・・・。







 暗い。何も見えない。周囲は真の暗闇、一片の光すら許されない。
 自分の手を前にかざす。しかし、それすら見ることができない。何かないかと必死に両手を周囲に伸ばすが何も掴めない。自分が今、どういう状況に置かれているかすら分からない。
 やがて俺の心を恐怖という魔物が蝕んでいく。人間の感覚の七割は視覚に頼っていると、以前何かの本で読んだことがある。視覚が遮断されるだけで、世界はこんなにも変わってしまうものなのか。
 何も見えないという恐怖。自分の置かれている場所さえ、分からないという状況。俺は叫びだしそうになるのを、必死に理性で押さえつける。何かないのか?何でもいい。この暗闇の中、自分がすがる存在が何かないのか?
 その時、小さな明かりが微かに見えた。それは、とてもとても小さく、目を凝らさなけ
れば見失ってしまいそうな程微かな明かりだった。しかし、どんなに小さくとも、それは確かに存在した。
 その明かりに向かって俺は走り出した。暗闇の中、その明かりが近くなのか遠くなのかそれすら分からない。だがそんな事は関係ない。この闇の中、恐怖に押しつぶされそうになっていた俺にとって小さな明かりは文字通り、暗闇を照らす光明だった。
 この闇から抜け出すため、俺は必死で走り続けた。どれくらい走っただろう。暗闇は正常な時間的感覚をも狂わすのだろうか。10分経ったのか、1時間経ったのかそれすら分からなくなっていた。だが小さかった明かりは徐々に大きくなり、確実に近くなってきているという事実が俺の脚を前に動かしていた。
 やがて明かりはすぐそこまでという距離に近づいていた。しかしそこまで来て、ようやく俺はこの明かりがおかしいことに気付いた。
 明かりは無数にあった。それだけなら、おかしくとも何ともない。しかしその明かりは動いていたのだ。いや違う。正確には飛んでいたのだ。ひらひらと、この暗闇の中、宙を舞っていたのだ。
 それは知らない人が見たのなら、とても幻想的な光景だったのだろう。しかし俺は聞いてしまった。
―――――夜の暗闇を光輝く蝶が飛びまわっているそうです―――――
 まさか本当にそんなことが?本当にこの島に魔女がいるとでも?しかしそうでなかったら目の前の光景をどうやって説明できる?俺の自問自答をよそに、光輝く蝶たちは暗闇の中を美しく飛び続けていた。
 しばらく暗闇を舞っている蝶たちを眺めていたが、ばらばらに飛んでいた蝶たちは、やがて一つに集まり始めた。それはただ一箇所に集まるのではなかった。蝶たちは自ら意思があるかのように、人の形に集まっていったのだ。俺はただ、その光景を呆然と見つめることしかできなかった。
 やがてそれは、ぼんやりとした人型から、正確な人間の容姿に集まっていった。そして、それが完全に人の形を成し、やがて光輝く人間へと姿変えて――――――



 10月6日 8時12分

「うわあああーーーーー!!」
「きゃあ!」

 互いに響く悲鳴。気がつくと俺は飛び上がり、目の前には目を白黒させている香織ちゃんの姿があった。

「へ、あれ?」

 周りを見渡すと、そこは昨日の洞窟の中。辺りは既に明るくなり、遠くで鳥のさえずりが聴こえてくる。そこにはさっきまでの暗闇も、光輝く蝶もみられない。

「あの、大丈夫ですか?すごくうなされていたんで、起こそうと思ったんですけど・・・」
「えっ!あっ、ああ。ありがとう」

 さっきまでの光景は全部夢だったようだ。しかし俺は暗闇を抜け出せた安堵感より、恥ずかしさで真っ赤になった。まさかこの年になって夢にうなされるとは。しかも悲鳴を上げて飛び上がるなんて・・・。ちくしょ~、これじゃ昨日とまるっきり同じじゃねーか。ああ、穴があったら入りたい。

「本当に大丈夫ですか?だいぶうなされていましたよ」

 心配するほどうなされていたのか。確かに気持ちの良い夢じゃなかったな。昨日は全然気にしなかったが、心の中では怪談話にビビッていたんだろうか。

「ああ、ちょっと変な夢みてさ。もう大丈夫」
「いったいどんな夢だったんですか?怖い夢?」
「ん~、まあ怖いつったら怖いか。昨日の話が夢に出てきてさ」

 俺は夢の内容を香織ちゃんにも話すことにした。正直今でも気分が悪いし、誰かに話せば気が紛れるかもしれない。

「確かに怖い夢ですね。魔女の使いの蝶が暗闇を飛びまわっているなんて。私だったら泣いてたかも」
「ああ、本当に変な夢見ちまったぜ。きっと昨日の話が頭に残っていたんだな」
 その時、ふと視線を感じた。見ると香織ちゃんがこっちをみてニヤニヤしている。
「・・・何?」
「いえ、ただ透さんも内心私の話を怖がっていたんだなあって。きっとこれは魔女の仕業ですよ。私の話を信じない透さんを見て、魔女が怖い夢を見せたんです。これで少しはこの島の魔女のこと信じました?」

 香織ちゃんは上機嫌に喋っている。それはそうだろう。昨日自分の話を馬鹿にした男が、飛び起きるほど怖い夢を見たのだ。今度ばかりは、ぐうの音も出なかった。

「ああ、そうだな。香織ちゃんの話を信じない俺に、魔女が罰を与えたんだろうな。昨日は悪かった、もう馬鹿にしないよ。魔女のことも信じる」
「はい、よろしい。これで魔女も透さんのこと許してあげますよ」

 香織ちゃんは満足そうに答えた。やれやれ、今日は俺の完敗だな。まあ、これで彼女の機嫌が治れば良しとするか。
 しかしあんな夢を見るとはな。遭難して神経が過敏になっているかもしれない。魔女はともかく、怪談話も馬鹿にできないなあ。

「それじゃ行こうか、疲れはもうとれた?」
「はい、ばっちり寝たんで大丈夫です。透さんこそ大丈夫です?怖い夢見て、熟睡できてないんじゃないですか?」
「ははは、まあ大丈夫だよ。俺も疲れはすっかりとれたから」

 やれやれ、しばらくは今朝の夢のことをネタにされそうだな。

「ああ、そうだ。上着ありがとうございました。おかげで昨日は暖かかったです」
 そう言って香織ちゃんは綺麗に畳んだ上着を渡してくれた。
「ああ、役に立って良かったよ」

 ふと、昨日のことが頭をよぎる。結局あれから気まずいまま寝たんだっけ。ちらりと彼女の顔を見るが、その表情は今朝みたような上機嫌のままだ。良かった、昨日のことはあまり気にしていないようだ。

「よし、それじゃあ屋敷に行こう」

 そうして俺たちは一晩過ごした洞窟を後にした。







「それじゃあ、屋敷ってのは海沿いにあるわけだ」
「はい、祖父の話ではわりと海に近い所に建てられたって聞いてます」

 今、俺たちはこの島に立てられたという屋敷に向かっていた。香織ちゃんの話によると、屋敷はかなり海に近い所に建てられたらしい。海岸の近くに沿って歩けばいつかは見つかるだろう。
 今俺たちが歩いている場所は砂浜などなく、海岸のすぐそばまで森がせり出していた。そのため、昨夜と同じように森の中を木々を避けながら進んでいくことなったが、昨日と比べればはるかに進みやすかった。
 昨日は夜に加え豪雨だったため、ほとんど視界がなく手探りで進むしかなかったが、昼間は比較にならぬほど進みやすい。改めて太陽の偉大さを実感した。森の中はやや薄暗いが、そのおかげ余計な草が少なく楽に進める。
 これなら思ったより早く着くかな。そう思ったとき―――――。

「きゃあ!」

 後ろから香織ちゃんの声が聞こえた。

「どうした!」

 振り返ると香織ちゃんは右の足首を押さえ、地面に座り込んでいた。足元に目をやると地面から木の根が見えていた。なるほど、これに足を引っ掛けたわけか。

「すいません、ちょっとよそ見をしていたら引っ掛けちゃって・・・」
「大丈夫?ちょっと見せて」

 見たところ足が腫れている様子はない。捻挫や骨折はなさそうだ。しかし足首を押さえると痛みを訴え、歩くと足を軽く引きずっていた。

「その足で森の中歩くのはつらいだろ、俺がおぶっていくよ」
「そんな!いいですよ。そこまで迷惑かけられません」

 香織ちゃんは最初のうちは自分で歩くと聞かなかったが、自力で歩くのが難しいと分かると観念して俺に運んでもらうことにした。

「すいません。昨日は冗談で言ったのに、まさかホントにこんなことになるなんて・・・」
「気にするなって、俺も男だからな。これぐらい平気、平気。それに怪我した女の子を背
負って歩く!なんて格好いいことなかなかできないぜ!男だったら一度は経験したいシチュエーションだぜ!」
「くす。じゃあ透さんは私に感謝しなきゃいけないですね」
「全くだ!これでダチに話せる自慢話が1つ増えたぜ!」

 そんなふうに、俺達は軽口を言い合いながら進んでいった。困ったときはお互い様。こういう時は深く考えず、笑い話にするぐらいがちょうどいい。

「でも本当、昨日からお世話になりっぱなしですね。何かお礼を・・・あ、そうだ!」

 香織ちゃんはおもむろにズボンのポケットに手を入れると、小さなペンダントを取り出した。

「それは?」
「これ、私が大学に入るとき、お祖母ちゃんがお守りにってくれたんです。なんでも持つ人をいろんな災厄から守るご利益があるそうですよ。昨日からお世話になっているんで、お礼にあげます」
「おいおい、いいのか。こんな大事な物もらって?お祖母ちゃんからもらった大切な物なんだろ?」
「はい、透さんにあげるんだったら祖母も怒らないと思います。もらって下さい。あっ!でもこれ持ってるのに遭難なんかしちゃって・・・。あんまりご利益ないのかな・・・?」
「いや、きっとこれがあったから香織ちゃんは助かったんだ。あの嵐の中、生還できるならご利益はバッチリだ!これがあったらどんなことがあっても大丈夫!ありがたく頂くよ」
「はい。きっと透さんのことを守ってくれます」



 まさかこんな大切なものを貰うなんてな。昨日会ったばかりなのに、こんなに親密になるなんて全然予想してなかったなあ。人生何が起こるか分からんもんだ。やっぱ吊り橋効果ってのは実際に効くのか?これをきっかけに今後もっと親密に・・・。
 おっと、いかんいかん。香織ちゃんはもっと純粋な気持ちでこれを渡してくれたんだ。お祖母ちゃんからもらったお守りを、俺の身を案じて譲ってくれたんだぞ!邪まなこと考えてる場合じゃない。今は早く彼女を休ませるよう、一刻も早く屋敷に着かなくては!

「透さんどうかしたんですか?さっきから何かぶつぶつ言ってません?」
「へ!あ~~、いやいや何でもない!屋敷はまだかなあ、って思ってさ」

 なんてこった!いつのまにか声が出ていたのか!はっきり聞こえてなくて良かったぜ。馬鹿なこと考えていないで早く進まなくては!



 途中で何度か休みながら、俺達は少しずつ進んでいった。確実に前には進んでいるが、歩く距離はなかなか伸びない。香織ちゃんの前では格好いいこと言ったものの、この森の中、人一人背負って歩くのはかなりキツイ。昨日の晩に比べればずっと歩きやすいとはいえ、そいつは一人で歩いている場合だ。日頃からもっと体鍛えときゃよかった。

「大丈夫ですか?私ならもう大丈夫ですから、一人で歩けますよ」
「いやいや、その足で森を歩くのは危ないぜ。いいから俺にまかせとけって」

 しかし一度男がやると言った以上、半端なことでは止められない。こうなったら疲れてぶっ倒れるまで歩き続けてやる!
 香織ちゃんに漢を見せつけようと気合を入れなおしたその時――――――。

目の前の丘の上に洋風な建物が視界に入った。
「あ!あれって、ひょっとして!」
「ああ!香織ちゃんが話してくれた屋敷に間違いない!」

 遠目で見てもはっきりと西洋風な建物と判断できる外観。こんな無人島のような島で他に似たような建物があるはずがない。あれが香織ちゃんが話していた『右代宮』とかいう一族の屋敷に間違いない。
 俺たちは目の前の屋敷に向かい、緩やかな丘を登っていった。疲労困憊だったが屋敷に暖かい食事と、ベッドがあると考えると、自然と足取りが軽くなった。香織ちゃんは足の痛みも忘れ自力で丘を登って行く。やがて傾斜のあった地面はより緩やかになり、俺達は丘の上へたどり着いた。



 10月6日 10時34分

 そこは、視界一面を覆うほどの見事なバラ園だった。昨夜の嵐でバラが多少乱れたり、折れたりはしていたが、それを補ってあまりあるほど見事だった。
 見る者がみれば、この庭園の管理者がどれほど心をこめてバラを育てているか分かるだろう。赤、白、黄、様々な色に彩どられた庭園は見た者全ての心を奪い、後ろにそびえる屋敷と見事なほど調和していた。

「きれい」
「これはすごいな」

 普段、花を愛でることなど全くない俺でも感嘆の息が漏れる。香織ちゃんはこの美しいバラ園にすっかり心を奪われたようだ。バラ園の端から端までくまなく眺めている。
もう少しこの美しいバラ園を眺めようかと思ったが、安心したら今までの疲労がどっと押し寄せてきた。バラ園は後でも見ることができる。今は腹いっぱい飯を食ってゆっくり休もう。

「香織ちゃん、もういいかい?そろそろ屋敷に入ろうぜ」
「あっ、ハイ。そうですね。行きましょう」

 香織ちゃんをメルヘンの世界から連れ戻し、俺達は屋敷の入り口を探すことにした。


 
 このバラ園は思った以上に広かった。ぱっと見じゃどこが入り口か分からない。

「本当に広い庭だな。庭だけで相当な金持ちだって分かるぜ」
「このバラ園も、すごく手入れされていますからね。とても個人の庭園とは思えないです」

 しかし、こう広いとどこが入り口かも分からない。とりあえず適当に探してみるか。
 俺達はバラ園を右へ抜けしばらく歩くと、程なくして小屋のようなものが見えてきた。ぱっと見、あまり手入れされているように見えない。物置か何かだろうか。
 いくら何でもこの辺りに屋敷の入り口はないだろう。そう考え引き返そうと思った、が――――――――――。





「ひ!!」
「何だよ、こりゃあ・・・」
 
 倉庫はシャッターが降り、入り口が完全に閉ざされていた。それだけではなく、決して人が入れないよう頑丈な南京錠までかけられている。
 中に入ろうとする者を、完全に拒絶するような佇まいをした物置小屋。だが問題はそんなことではない。誰かが勝手に入らないよう、鍵を掛けるくらいは普通だろう。そう、問題は―――――。
 長い間、風雨に晒され薄汚れたシャッター。そこには真っ赤な液体で異様な図形が描かれていた。
 シャッターいっぱいに大きな円が描かれ、その中には十字を連想させるような意匠。円の内側には見たことの無い文字が刻まれていた。その異様な装いから、それは黒魔術か何かの魔方陣を想像させた。
 いたずら・・・にしてはやけに手が込んでいる。これだけでかい図形を描くのは簡単じゃない。一人で描くには数時間はかかるはずだ。そんな手間のかかることを、一体誰が何のために?

「気持ち悪い・・・」

 俺は気味の悪い魔法陣を一瞥すると、早くここから離れるため香織ちゃんの手を引き来た道を引き返そうとした。

 しかし香織ちゃんは顔を真っ青にし、全身をガクガク震わせ動けないでいる。
「おっ、オイオイ大丈夫か。顔が真っ青だぜ・・・」

 俺が話しかけても香織ちゃんは焦点が合わず、真っ直ぐ気味悪い魔法陣を見ていた。

「しっかりしろって。こんなの誰かが描いたイタズラだろ」

 俺は香織ちゃんを落ち着かせようと話しかける。しかし香織ちゃんは、はっきりした口調でこう答えた。

「いいえ。イタズラなんかじゃありません。これはきっと魔女の仕業に違いありません」

 魔女。そういえば、昨日は二人でそんな話をしていたな。しかし、だからと言ってこれが魔女の仕業なんて・・・。子供じゃあるまいし。

「落ち着けよ。魔女なんて、いるわけないだろ。こいつは頭のおかしいどっかの馬鹿が、誰かを驚かそうと描いただけなんだから」
「じゃあ!誰がです!誰がこんな手の込んだイタズラをするっていうんですか!何の目的に!誰のために!こんなのイタズラなんてレベルじゃありませんよ!きっとこれは魔女が誰かを生贄にするための儀式なんです!」

 駄目だ、香織ちゃんは完全に錯乱している。昨日の話でも彼女は魔女の話を信じている様な節があった。しかし、だからと言ってこんなに取り乱すなんて。

「だから落ち着けって!こいつは人間の仕業だ、魔女なんていやしないんだよ!」
「いいえ!これは絶対、黄金の魔女の仕業なんです!この魔法陣を書いて島の人間を生贄として一人一人殺していくんです!もう他の人間は殺されていますよ!誰も逃れることなんてできるわけがない!そして次に殺されるのは私達なんだ!最後の生贄として黄金の魔女に殺されるんだ!!!!」





「いい加減にしろ!!魔女なんて“い”ねえんだよ!!!」





 俺の怒声が静かな島に響きわたった。しまった・・・。香織ちゃんがあまりにしつこく騒ぐもんだからこっちまで熱くなってしまった。香織ちゃんは静かになったがその顔には怯えの色が浮かんでいる。

「ごめん・・・。ちょっときつく言い過ぎた。謝るよ」
「い、いえ・・・。私も取り乱しちゃって、ごめんなさい」

 それから俺達はその場を離れ、屋敷の入り口を探し始めた。
 会話も無く、ただ黙々と歩く。
 空気が重い。いまさらながら、あんな大声で怒鳴ったことを後悔している。
 沈黙に耐えられず、俺はとにかく話かけてみた。

「香織ちゃんはさ・・・、信じてるの?黄金の魔女ってやつをさ」

 香織ちゃんはうつむいたまま答えない。さっきのことで完全に怖がらせてしまったか・・・。俺は軽くため息をついて香織ちゃんから視線を外そうした。すると香織ちゃんは小さな声で呟いた。

「いえ、信じるとか信じないとか、そういうことじゃないんです・・・。ただ―――――」
「ただ?」
「黄金の魔女は“い”るんです」

 それは疑いの余地のない、断定した答えだった。信じる、信じないとかの話ではなく、存在するのが当然のような口調。俺の抱く疑問など最初から問題ではないかのように。

「私も祖父から話を聞かされた時は半信半疑でした。よくある、地方の怪談話か何かと考えていました。でもこの島に来てから祖父の話が本当だったって分かったんです。島に来た時からずっと変だったんです。誰もいないのに人の気配を感じたり、誰かにじっと見られている感じがするんです。最初は気のせいかと思いました。でも段々その気配が強くなってくるんです。この屋敷に着いてからは一層その気配を強く感じます。今でも感じるんです。どこか分からないけど、誰かに見られているような感覚。多分この島の魔女は初めからから、私達のことをどこかで見張っているんです。透さんは何か感じませんか?誰かに見張られているような、そんな気味の悪い感じを」

 知らなかった。まさか香織ちゃんが、この島に来てからそんなことを感じていたなんて。魔女のことになるとやけにムキになると思っていたけど、そういう理由があったのか。しかし霊感など何も持っていない俺は、今まで何も感じることはなかった。

「いや、俺にはそういうのは分からないなあ」
「そうですか・・・。ごめんなさい、何でもないです。今言ったことは忘れてください」

 香織ちゃんは少しだけ残念そうな顔をして、そこで話を打ち切った。
 こんなオカルトじみた話をしたところで、大抵の人は信じないだろう。そこを敢えて俺に話したということは、俺も似たような感じをしているのではないかと期待していたんだろう。俺が何にも感じていないということに、少なからずショックを受けているようだ。だからと言って「俺も感じる」などと嘘を言ったところで仕方がない。とにかく今は入り口を探すことにしよう。

 俺たちは来た道を引き返し、今度は逆方向へ進んで行った。しばらく進むと次第にこの屋敷の全容が見えてきた。
 どうやらこの屋敷は本館と別館の二つに分かれているらしく、さっきまで俺たちが見ていた建物は別館のようだ。本館は別館よりもかなり大きく、別館とは中庭を挟んでいる。

「あそこから入れそうだな」

 屋敷に目を向けると小さなドアがあるのに気付いた。俺たちはそこから屋敷の中へ入ることにした。



 ドアノブをゆっくり引き屋敷の中へ入った。
 屋敷の中は外から見たときと同じよう典型的な洋風建築だった。正面玄関から入ったわけでもないのに廊下には高価な絨毯が敷かれ、部屋のドアには見事な装飾が施されている。俺たち庶民には縁のないような格式高い洋館だった。
 しかし奇妙な違和感。これだけ大きな屋敷なら、ある程度の人間が住んでいるだろう。それなのに全く物音がしない。まるで無人のようだ。
 いいようのない不安にかられ、俺は声を上げた。

「すいません!誰かいませんか!」

 しかし何の反応もない。

「何も返ってきませんね。留守なんでしょうか?」
「そうかもしれないな」

 これだけ大きな屋敷を、鍵もかけずに留守にするなんて普通じゃ考えられない。しかし
現に何の返事も返ってこない以上、俺はそう答えるしかなかった。

「仕方ない。勝手に上がらせてもらおう」
「そうですね」

 このまま突っ立っているわけにもいかない。俺達は家人に断ることなく上がらせてもらうことにした。もし本当にただの留守だったら後で謝っておこう。
 しばらく廊下を進むと大きめのドアが見えてきた。部屋の大きさから考えると、客間か何かだろうか。ここなら誰かいるかもしれない。
 ドアをノックし「すいません、誰かいますか?」と声をかける。少し待ってみるが、やはり返事はない。
 ドアノブに手をかけると鍵は掛かっていない。俺はドアを引いて中に入った。



10月6日 10時50分

「きゃああああああーーーーーーーーーー!!!」

 絶叫が木霊する。絹を裂くような悲鳴は屋敷の隅々に響いた。

「あ・・ああ・・な、なん・・・ッ?!」

 俺は悲鳴を上げることもできず、その言葉を吐き出すだけで精一杯だった。
 こんなのどこでだって見たことある。漫画やテレビ、アニメに映画、いくらでも腐るほど見てきたぜ・・・。ただ、そういうちょいと刺激的な映像が現実に目の前に現れたってぇだけのことじゃねぇか・・・。そうだよ、それだけなんだ・・・。それなのに・・・それだけなのに・・・何でこんなにも体が震える!何でこんなに息が苦しくなる!何でこんなに吐き気がするんだ!!
 赤!赤!赤!赤!眼前に広がるは赤一色!そして赤い池の真ん中には三人の人間が横たわっていた。いや、正確には人間だったものだ。
 三つの死体は客間の中央に倒れ、真っ赤な血溜りを作っている。
 しかもその死に方は普通じゃない。三人とも顔面をぐちゃぐちゃに潰されて死んでいる!!どうやったら、こんな真似ができるってんだよ!!さらに死体には異様なものが突き刺さっている。三人が三人とも、体に大きなアイスピックのような物を刺されている。
 スーツ姿の男は腹に、白衣の老人は膝に、割烹着姿の老婆はふくらはぎに巨大なアイスピックが突き刺さって死んでいた。

「あ・・・あああ・・・、ひ、ひ、人が・・・死、死んでる!」

 目の前に広がる光景はまるで現実感がない。自分の目の前でこんな事が起こるなんて、夢にも思わなかった。だが鼻をつく血の匂いが紛れもない現実だと訴える。

「うっ、うえ・・・」

 こみ上げてくる吐き気を必死で堪える。
 俺はパニックになりそうな頭を理性で押さえつけた。
 分からない!分からない!分からない!
 一体ここで何があった!何で三人もの人間が殺されているんだ!
 俺達は運悪く遭難し、この島に流れ着いた。それで助けを求めてこの屋敷を探してたんだ。そしてようやく屋敷にたどり着いて、この最悪な遭難劇が終わったと思った。けど俺達はもっと最悪な場所に自分達から、のこのことやって来ただけなんじゃないのか?!
 なんで俺がこんな目に!助かったと思ったのに!

「一体何だってんだよ!何で三人も人間が死んでんだよ!俺達は助かったんじゃなかったのかよ!何があったんだよこの島で!」

 ちくしょう!ちくしょう!ちくしょう!わけが分からない!何なんだこの島は!一体何が起こったんだ!!
 俺はもう、感情のまま喚くしかなかった。





「え?」

 ふと気がつくと、さっきまでそばにいた香織ちゃんがいない。

「え?あれ?香織ちゃん?」

 周囲を見渡す。だが誰もいない。部屋の中を隅から隅まで調べ、廊下まで出た。だが香織ちゃんの姿はどこにもない。
 そんな馬鹿な。今の今までおれのすぐそばに居たはずだ。この部屋に入ってからまだ1分も経っていないはず。それなのに俺に一言も言わず、どこかに行ってしまったっていうのか?ありえない。こんな異常事態に俺に黙って一人でどこかに行くなんて。
 ふと想いだす。さっき香織ちゃんが言っていた言葉は確か・・・。



『島の人間を生贄として一人一人殺していくんです!そして次に殺されるのは私達なんだ!最後の生贄として黄金の魔女に殺されるんだ!!!!』



 背筋が凍りつく。

『島の人間を生贄として一人一人殺していく』

 だとすると他の人間はすでに全員殺されて、俺達は最後に残った生贄なのか?
 最初は馬鹿馬鹿しいと聞き流した。魔女の生贄として殺されるなんて、ありえないと思っていた。しかし、現実に三人の人間が殺されていた。それも魔女の仕業を連想させる残酷な殺し方で。
 もし誰かが魔女の生贄に見立てて、島の人間を順番に殺しているとしたら?そして後から、のこのこやってきた俺たちを、最後の生贄にしようと考えていたら?

 ガチガチガチ。

 歯の根が合わない。

 足が震える。

 ひょっとしたらさっきの三人を殺した殺人鬼は、今もどこかで俺の行動を監視しているのでは?そしてすでに香織ちゃんもそいつに■■■■いるとしたら?

「う、うわああああああーーーーーーーー!!!!!!」

 後はもう、ひたすら走るだけだった。俺は殺人鬼から逃れるため、やって来た道を全力で引き返した。







 走った。ただただ走った。恐怖から逃れるため。今起きた現実から逃れるため。殺人鬼から逃れるため。俺はひたすら走るしかなかった。
 後ろを振り返る余裕もない。一刻も早くこの場から離れるため、俺は息をするのも忘れひたすら走った。
 だが俺の逃亡もすぐに終わりを告げた。屋敷から抜け出し、バラ庭園に出て屋敷の角に差し掛かったところで、突然出てきた人影にぶつかった。
 今やこの島で生き残っているのは、俺と殺人鬼のみ。ということは、今俺とぶつかった人間は―――――。

「うわあああああああーーーーーー!!!!!」
「な、何だあ!」
「何この人?」

 気の抜けた声。とても殺人鬼とは思えない声に俺は我に返った。

「あ、あれ?」

 よく見るとそこに立っているのは普通の男女。年の頃は二十歳そこそこだろうか。とにかく殺人鬼ではなさそうだ。

「た、助かった~」

 すっかり気が抜けた俺は、しばらくそこから動けずにいた。



 気持ちを落ち着かせてから、俺はこの屋敷で見たことを二人に話した。この島に危険な殺人鬼が潜んでいること、香織ちゃんが突然俺の前からいなくなったことを。ところが、この二人は俺の話を半信半疑で信じようとはしなかった。

「殺人鬼~?それホントなんスか?」
「あっ、ひょっとしてこれドッキリ?島に来た人を驚かす余興なんじゃない?」

 俺がいくら懇切丁寧に説明しても、二人は本気で聞いていない。だがそれも仕方ないのかもしれない。俺自身、さっき見たことが未だに信じられない。だがこれは現実だ。とにかく二人に信じてもらうしかない。
 さっきは気が動転して香織ちゃんが死んだと決めつけていたが、まだ死んだと決まったわけじゃない。彼女を助けるためにも、二人に協力してもらわなければ。

「とにかく、連れの女の子を捜すのに協力してくれ。まだ殺されたと決まったわけじゃない。年の頃は君たちと同じくらいだ」

 そうだ、確か香織ちゃんはサークルの友達と一緒にやって来たって言ってたはずだ。この二人がその友達かもしれない。

「ひょっとして、君たちは東都大の学生さん?」
「え?まあ、そうですけど」

 良かった。やっぱりこの二人は香織ちゃんと一緒に難破したっていう仲間なんだ。無事にこの島にたどり着いたらしい。

「なら話は早い。俺の連れの女の子ってのが、君らの友達の海内香織なんだ」
 その瞬間、二人の表情が固まった。今までどこかチャラついてた二人が、初めて真剣な顔になった。

「ちょっと、ちょっと!それ何の冗談スか!」
「何なのよ、それ!一体何の冗談よ!!」

 急に二人の口調が厳しくなる。今までまともに話も聞いてもなかった二人の態度が突然真剣になった。

「な、何だよ。だから冗談なんかじゃないって。本当にこの島で殺人事件が・・・」
「そうじゃなくて、何でアンタがそんなこと知ってんだよ!」
「何なのこの人!どこでそんなこと知ったのよ!気持ち悪い!」

 わけが分からない。この二人は何に対して怒っているんだ?殺人事件の関して怒っているわけではなさそうだが、一体何を?

「そ、そっちこそ何怒ってんだよ。俺が何を知って――――――」

























「何でアンタが私の名前知ってんのよ!!」





「―――――――――――――――――は?」
 

え?   


       え??


              え???


 どういうことだ?


『私の名前を知ってんのよ』って――――――。


 じゃあ君は?


「何でアンタが香織の名前知ってんだよ」


 香織?コイツが?


「だいたい私達は二人で旅行してたし、そんな女知らないわよ」


 ナニヲイッテルンダ、コイツラハ。


「海内なんて苗字そうそうないぜ。単なる同姓同名とは思えねぇな」


 じゃあ俺と一緒にいたあの娘は一体誰?


「どういうことか説明してもらうぜ」


 誰  誰  誰  だれ  だれ  ダレ  ダレ――――――――。







俺は昨日から起こったことを、全てそのまま伝えた。 
 いや、伝えたわけではない。もうまともに考えることができなかった俺は、ただ聞かれたことに対して口を動かしただけだ。

「ふーん、なるほど。じゃあその女が怪しいな」
「人の名前を勝手に語るなんてどういうつもりよ。捕まえて何が目的か吐かせてやる」

 俺にはもう、二人の会話は頭に入っていなかった。頭の中にあるのは昨日から俺と一緒にいた自称『海内香織』。
 この二人は『海内香織』とは何の関係もなかった。二人は単なる旅行者で、この島にやって来たのもついさっき。興味本位で島に上陸しただけだった。俺は昨日から一緒にいた『海内香織』のことを話したが、二人は会ったことも、見たこともないと言う。
 一体何故、彼女はそんな偽名を使ってまで俺に接触したのか。しかも、わざわざこんな離れ小島で遭難したふりまでして・・・。理由が思いつかない。
 俺はごく平凡な家庭に生まれ、平凡な人生を送って生きてきた。スパイ映画みたいに誰かにマークされるような謂れはない。考えれば、考えるほど分からなくなってくる。

「しかし偽名と経歴使ってまで、アンタに接触したんなら格好も相当似せていたんじゃないのか?どうよ?最初、香織とその女見間違えなかった?」

 馬鹿を言うな。似ても似つかない。あんな目立つ容姿の娘を見間違えたりするものか。

「ようし!それじゃあ、さっそくそのニセ女を捕まえに行こうぜ」
「え~、でも本当に死体があったらどうすんの?そんなの見たらごはん食べられなくなっちゃうよ」
「ダイエットにはちょうどいいだろ。面白そうだから行ってみようぜ」
 二人は厭くまで俺の話を信じていないようだ。だが、それもどうでもいい。俺には関係のないことだ。





 二人は俺達が使ったドアからは入らず、屋敷の正面にまで回り玄関までたどり着いた。
「お邪魔しますよ~」
 男は軽い口調で重厚なドアを引き、扉を開いた。



「きゃあああああああーーーーーーーーーーー!!!!」
「ひ、ひいいいいーーーーー!!!!!」

 そこは映画ですら見たことの無い凄惨な光景だった。俺が最初に見た光景が可愛く見えるほど正視できない惨状。
 玄関前はホールとなっており、そこはさっき見た客間とは比べ物にならないほど巨大な赤い池となっていた。
 その池の中心には、額に穴の開いた女性の死体。その周りは何百という、赤く小さな肉の塊が散らばっていた。それはもはや、原型が何か想像すらできないほどバラバラになっており、肉片が体のどの部位なのか、全く分からない有り様だった。

「げえええええーーーーー!!!!うおえええええええ!!!!」
「な、何だよこれ!これ本当に人間がやったのかよ!!ひいいいいーーーー!!」

 一人はこの惨状に耐え切れず吐しゃ物を撒き散らし、もう一人は恐怖のあまり一歩も動けずにいた。まともな人間なら当然の反応だろう。
 だが俺はその光景を見ても何も感じなかった。俺の精神が異常というわけではない。すでに惨状を見てきたので、多少感覚が慣れたこともあるだろう。
 しかしそれ以上に、今の俺はこの光景よりも、さらに恐ろしいものに支配されていた。



















 玄関ホールにある二階への階段。

 その真正面にそれは飾ってあった。

 巨大な肖像画。

 描かれている女性は見事な金髪で、中世を思わせるような豪奢なドレスに身を包んでいる。

 肖像画の下には長々と文章が書かれており、その冒頭にはこう書かかれていた。

『我が最愛の魔女ベアトリーチェ』

 その肖像画から、俺は目を離すことができなかった。


 ハッ     ハッ     ハッ     ハッ


 目蓋を閉じれない


 ハッ    ハッ    ハッ    ハッ


 喉がはりつく


 ハッ   ハッ   ハッ   ハッ


 息ができない


 ハッ  ハッ  ハッ  ハッ


 こんなのありえない


 ハッ ハッ ハッ ハッ


 ありえないありえない


 ハッハッハッハッ


 ありえないありえないありえない


 ハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハ


 ありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえない





























































































『香織ちゃんはさ、ハーフなの?』
『はい。父は日本人ですけど、母はイギリス人なんです。私自身は生まれも育ちも日本ですし、戸籍上も日本人なんです。でもこの髪と目ですから、どうしても外国人と思われるんですよ』
『そうだよなあ。金髪碧眼だったら誰でもそう思うよ。』
『だから始めて会う人にはまず、名前から言うようにしてるんです』
『そうそう。俺も名前聞くまでは日本語の上手い外国人かと思ったもん、はははは』







 目の前にある肖像画。

 それは俺と一緒に“い”た『海内香織』そのものだった。

 ありえない、こんな事。

 でも確かに俺と一緒に“い”た。

 それじゃあ、肖像画の人物が勝手に絵から抜け出して歩き回っていたとでも言うのか?

 そんな馬鹿な。それこそありえない。

 じゃあこの肖像画は何なんだ?

 もう、俺には何ひとつわからない。

 一体何なんだこの島は。

 正体不明の女。

 死体の山。

 女と瓜ふたつの肖像画。

 この島では俺の知る常識が何ひとつ通じない。

 昨日この島に来た時から俺は人間の世界ではなく、魔女の支配する世界に入り込んでしまったのか。





 チャリ





 その時、ポケットの中で小さな音がした。
 それは『香織ちゃん』からもらったペンダント。
 彼女が俺の身を案じ、贈ってくれたもの。
 最初にもらった時は、ただ嬉しかった。
 会って間もない俺の身を、こんなにも案じてくれた。
 それなのに、今はそれを手に取るのが恐ろしい。
 俺は震える手でポケットからペンダントを取り出した。
 それは鳥の片翼を象ったものだった。
 そしてそれは、肖像画の女のドレスに装飾された模様と同じだった。


 体が震える。


 これ以上は見てはいけない。


 知ってはいけない。


 だが俺はそれを確かめずにはいられなかった。


 ペンダントの裏に何か彫ってある。


『見るな! 見るな! 見るな!』


 これは香織ちゃんが俺を案じてくれたものだ。


『見るな! 見るな! 見るな!』


 だから絶対にそんなことはありえない!


『見るな! 見るな! 見るな! 』


 だから確かめる必要なんかないはずだ!!


『見るな! 見るな! 見るな! 』


 俺の本能が見るなと叫ぶ。
 だが動き出した手は止まらない。
 やがて俺の手は自分の意思とは関係なく手のひらをゆっくり返す。
 そしてそこには、・・・こう彫ってあった。


















































Golden witch beatrice





 






















「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!」





―――だから言ったであろう。黄金の魔女は“い”ると。くっくっくっくっくっく―――







 嵐が過ぎ去って、・・・あれだけ長いこと島を包んでいた重苦しい雲が、晴れていきます。
 雲からは木漏れ日が差し、・・・昨日までの嵐がまるで嘘だったかのよう。



 船着場には、誰かが望んだとおりに、再びうみねこたちが帰ってきて、にぎやかな鳴き声を聞かせてくれました。



 その後やってきた警察により、現場検証が行われました。



 最後まで生き残っていたと思われる子どもたちの遺体はついに発見されませんでしたが、発見された遺体の一部や、想像を絶する凄惨な現場状況に、警察は子どもたちを含めた18人全員の存命は絶望的だと思わざるを得ませんでした・・・



 魔女の宴がどれほどに凄惨なものだったのか。
 そして、黄金郷が如何に美しいところだったかは、彼らのみに語られる物語・・・。
 宴が終わった後にやってきた人間たちに、語る物語などありはしない。ただただ、この二日間の間に何があったかを想像するほかはありません。



 しかし、・・・魔女は気まぐれでした。
 この、語る必要の無い物語を、あえて、残し、語ることを許されたのです。



 それから数年後。
 近隣の島の埠頭にて波間を漂う不思議なワインボトルが、漁師によって引き上げられました。

 その中にはびっしりと細かい文字で書かれ、細く丸めたノート片が詰め込まれておりました。

 それこそが、・・・・・・・この、物語。
 謎に包まれた1986年10月4日からの謎と怪異に満ちた二日間の正体を、人々はこのノート片によって始めて知ることになります。



 この事件はその後「六軒島大量殺人事件」「六軒島18人殺し」等と呼ばれますが、世の好事家たちは「魔女伝説連続殺人事件」と呼び伝えていきました。



 オカルトを好む者は、島を閉ざしての背徳的な儀式の成れの果てであると主張しており、謎に満ちた二日間を各々の解釈で残虐に修飾しては、広めていきました。

 しかし、どのような解釈であったにせよ、それらは事実の真相に至るものではありません。



 そして、ワインボトルのノート片は、この謎に満ちた事件を語りつつも、その真相については語っていません。

 いや、ノートの書き手も、真相を知らなかったのかもしれません。

 ・・・・あるいは、真相を、知りたいのかも。



 書き記した人物の自書によれば、・・・彼女の名は、右代宮真里亜。



 なお、警察による懸命の捜査の結果、右代宮真里亜については、身体の一部、・・・顎部の一部が発見されています。
 歯科の治療記録により誰の遺体の一部か特定できた貴重な例でした。

 ・・・その凄惨な状況に、誰の身体の一部か特定できない部位も多数あったのですから、その顎は非常に幸運な一部だったでしょう。

 警察は、顎部が欠損しているという状況から、それ以外の部位が発見されない、あるいは特定できないにせよ、その存命は絶望的だろうと見ています。





 そして、・・・もう一つ。



 気まぐれな魔女は、もう一つ、残し、語ることを許されました。

『島崎透』

 彼こそが、物語を語ることを許され、凄惨な魔女の宴が繰り広げられた島で、唯一生き残った人間。

 彼はこの島で見たこと、起こったことを人々に伝えました。
 しかし、誰一人彼の声に耳を傾ける者はいませんでした。

 警察は、彼の証言が事件後の精神的ショックから来るものと考え、時間を置いてから事情聴取するつもりでした。しかし彼らの目的が達せられることはありませんでした。

 事件から3ヵ月後、島崎透は病院で謎の急死をしてしまいます。

 彼の部屋には死の直前に書き記したノートがありました。
 しかし彼のノートも、ワインボトルのノート片と同様、この謎に満ちた事件を語りつつも、その真相については語っていませんでした。



 それでは、この物語は、島崎透の残したノートの最後の一文で結ぶといたしましょう・・・。





これをあなたが読んだなら、その時私は死んでいるでしょう。死体があるか、ないかの違いはあるでしょうが。
これを読んだあなた。どうか真相を暴いてください。
それだけが私の望みです
                             

島崎透



―――今日でも「魔女伝説連続殺人事件」の真相は、暴かれていない。




1st game “Legend of the golden witch “Result

右代宮 蔵臼
 第一の晩に死亡。
 黄金郷の鍵によって選ばれ、生贄に捧げられました。

右代宮 留弗夫
 第一の晩に、死亡。
 黄金郷の鍵によって選ばれ、生贄に捧げられました。

右代宮 楼座
 第一の晩に、死亡。
 黄金郷の鍵によって選ばれ、生贄に捧げられました。

右代宮 霧江
 第一の晩に、死亡。
 黄金郷の鍵によって選ばれ、生贄に捧げられました。

使用人 紗音
 第一の晩に、死亡。
 黄金郷の鍵によって選ばれ、生贄に捧げられました。

使用人 郷田
 第一の晩に、死亡。
 黄金郷の鍵によって選ばれ、生贄に捧げられました。


右代宮 絵羽
 第二の晩に、死亡。
 眉間を“アスモデウスの杭”にて貫かれました。

右代宮 秀吉
 第二の晩に、死亡。
 眉間を“ベルゼブブの杭”にて貫かれました。

右代宮 金蔵
 第四の晩に、死亡。
 眉間を“マモンの杭”にて貫かれました。

使用人 嘉音
 第五の晩に、死亡。
 胸を“サタンの杭”にて貫かれました。

使用人 源次
 第六の晩に、死亡。
 腹を“ルシファーの杭”にて貫かれました。

主治医 南條
 第七の晩に、死亡。
 膝を“ベルフェゴールの杭”にて貫かれました。

使用人 熊沢
 第八の晩に、死亡。
 足を“レヴィアタンの杭”にて貫かれました。

魔女 ベアトリーチェ
 第九の晩に、復活。
 彼女はついに黄金郷への扉を開きます。

右代宮 夏妃
 第九の晩に、死亡。
 魔女は高潔さを讃え、決闘の名誉を賜れました。


右代宮 譲治
 第十の晩に、行方不明。
 魔女は、存在を認めて平伏した彼を黄金郷へ招かれました。

右代宮 朱志香
 第十の晩に、行方不明。
 魔女は、存在を認めて平伏した彼女を黄金郷へ招かれました。

右代宮 真里亜
 第十の晩に、行方不明。
 魔女は、存在を認めて平伏した彼女を黄金郷へ招かれました。





右代宮 戦人
 第十の晩に、行方不明。
 魔女は、存在を認めず否定する彼を黄金郷へ招くでしょうか。





島崎 透
 魔女の宴の後に、死亡。
 魔女は、舞台に紛れ込んだ観客にすぎない彼を黄金郷へ招くでしょうか。





 魔女は賢者たちを讃え、黄金郷にて四つの宝を与えるでしょう。
 彼らはそこで、死者の魂を蘇らせ、失った愛を蘇らせることを選びます
 なぜなら、彼らが欲していたものは、どれほど山を成す黄金であろうとも、得られないものだったから。



 譲治は失った婚約者を。
朱志香は失った想い人を。
真里亜は失った母の愛を。

安らかに眠れ、ベアトリーチェ。
二度と妨げられることのない眠りの中で。

勝者は、黄金の魔女、ベアトリーチェ。
19人の誰も、黄金の碑文の謎を解けず時間切れ。
うみねこのなく頃に、生き残れた者は唯一人。

けれど魔女は気まぐれでした。
残しておいた最後の一人も、結局は他の18人と同様、魔女の生贄に捧げました。





そして、19人は全員死亡。














うみねこのく頃に
























 カーテンコールも幕を閉じ、今宵の舞台は全て終わり。


 此度の舞台はいかがでしたか?


 皆々様に少しでも楽しんで頂けたのなら幸いです。
 
 
 これにて、当劇場はしばらくの間お休みとさせて頂きます。


 しかしそれも束の間の事。


 魔女はすでに、次なる舞台の準備を始めております。


 皆様方に再びお会いできる日も、そう遠くはございません。


 その日が来るまで、少しの間お別れでございます。


 次なる舞台が開かれる時、再び皆様方にお会いできるよう節に願っております。





2009.07.16 Thu l うみねこ l コメント (0) トラックバック (0) l top

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