久しぶりに長編を投下。六軒島の花嫁 第十三話です。
今回は自分が担当しました。楽しんで頂いたら幸いです。
ではどうぞ。







 気に入らない。あの女が気に入らない。

 机に向かっていた絵羽は先程から落ち着きなく、人差し指で机をトントンと叩いている。学校の宿題を片付けようと思い机に向かったのだが、さっきから一向にペンは進まない。目の前の数式をどれだけ眺めていても、頭には入って来なかった。代わりに頭に浮かんでくるのは、忌々しいあの女の顔……。
 月ノ部―――、否。

 右代宮夏妃。

 その顔が頭に浮かぶ度、イライラが募る。あの女が『右代宮』だと考えること自体、不愉快だった。私はあの女が『右代宮』だなんて認めていない。あんな女が、栄光ある右代宮家に相応しいわけがない。
 家柄だけで、実際は没落同然だった家の娘。そんな家だから、政略結婚程度にしか使い道のなかった女。あの不出来な兄には分相応な相手かもしれないが、長男の嫁というだけでこの屋敷を闊歩されるのは我慢ならない。ほんの数カ月前まで、縁もゆかりもなかった女が右代宮の屋敷を歩き回っている。それは絵羽にとって到底我慢できるものではなかった。だから最初からあの女を追い出すつもりでいた。初対面の時から、徹頭徹尾夏妃を拒絶した。あの女が同じ屋敷にいること自体、虫唾が走る思いだった。だから、途中で夏妃が島を出て行くと思った時は上手くいったと彼女は思った。しかし、現実は思うようにいかないものだ。
 島を出て行ったと思ったあの女は、蔵臼と二人で新婚旅行に行っていたという。しかも島に戻ってきてからの夏妃は、使用人や家族の信頼を次々と勝ち取っていく。おかげで夏妃を拒絶する自分のほうが蚊帳の外だ。何なのだ、これは?
 何故、栄えある右代宮家の長女である私が、実家で肩身の狭い思いをしなくてはならないのだ?
 何故、家に嫁いで来たばかりのよそ者が、我が物顔で我が家を闊歩しているのか?
 彼女にはそれが我慢ならない。
「……………………」
 絵羽は落ち着きなく、人差し指で机を叩いている。しかし…………。



 ドンッ!!!



 それまでの鬱憤が堰を切ったかのように、彼女は机を叩きつけた。
「何なのよ!! あの女はッ!!!!」
 彼女のその叫びは、この広い屋敷では誰の耳にも届きはしなかった…………。





  六軒島の花嫁

 第十三話 「絵羽の想い 夏妃の想い」





 カチャ、カチャ、カチャ。
 静かな食堂に食器を動かす音が響く。皆、黙々と食事を進めている。金蔵がいる時でさえ、少ないながらも会話がある夕食の席が、今日は完全に冷え切っていた。
 会話らしい会話もなく、皆黙々と箸を進めている。新婚である夏妃と蔵臼の間にも何の会話もない。兄妹の中では大人しい楼座も、今日は輪を掛けて大人しくなっている。さらに、いつもは率先して話題を振る留弗夫ですら、今日は口を塞いでいる。夕食は重苦しい雰囲気に包まれていた。この耐え難い沈黙の原因は彼女―――。
「……………………」
 ―――右代宮絵羽。彼女は夕食に来てから一言も発していない。
 いつもは夏妃に反発し、ほとんど部屋で食事を取っている彼女なのだが、その態度に業を煮やした蔵臼が今日は無理矢理食堂に連れて降りたのだ。しかし、無理強いして連れて来ても結果は同じ。彼女は自分に話を振られてきても、全く答える素振りを見せなかった。最初の内は彼女を会話に引きも入れようと努力していた彼らだったがやがて無駄だと分かり、今は皆沈黙を貫いている。
「ごちそうさま」
 ようやく言葉を発した絵羽の台詞は食事を終える為のもの。一秒でも早く、この場から立ち去りたいようだ。そんな絵羽に蔵臼は声を掛ける。
「待て」
「…………何よ?」
 絵羽は不愉快そうに蔵臼を睨みつける。
「何故夏妃が作った料理だけ食べない?」
 絵羽が手を付けた料理。それはいずれも熊沢や、他の使用人が作った料理ばかり。彼女は夏妃が作った料理には一切手を付けていなかった。自分の料理だけ意図的に残されていることに対し、夏妃は悲しそうに俯いていた。
「せっかく夏妃が作ってくれたんだ。少しでいいから食べたらどうだ?」
 蔵臼は絵羽の非礼を非難する。しかし…………。
「何を食べようと私の勝手でしょ」
 そう言い、絵羽は蔵臼の言葉を一蹴する。そして、彼女はそれだけ言うと食堂の扉を乱暴に開けその場を出て行った。しばしの間、静寂が続く。しかし、すぐにその静寂は破られた。
「はぁああ~~~。姉貴のやつ、やっと出て行ったよ。ったく、こっちまで息が詰まるぜ」
 留弗夫はやれやれと、ため息をつく。
「すいません、夏妃姉さん。姉貴ってホント子どもで。あまり気にしない方がいいッスよ?」
 そう言って、留弗夫は夏妃に気を遣う。
「……いえ、いいんです。きっと絵羽さんの口に合わなかったんでしょう……」
 夏妃は何でもないかのように呟く。しかし、それは嘘。一口も手を付けなかったのだから、口に合う合わない以前の問題である。絵羽の明らかな拒絶の意志を突きつけられ、夏妃は傷ついていた。
「……すまんな夏妃。少しだけでもと思い連れて来たが、逆効果だったようだ」
 蔵臼は申し訳なさそうに夏妃に言葉を掛けた。
「いえ、そんなことありません。御心遣いありがとうございます、蔵臼さん」
 結果はどうあれ、蔵臼が夏妃と絵羽の仲を憂い行動してくれたのは確かだ。彼女は夫のその心遣いに感謝した。とはいえ、絵羽が残した殺伐とした空気はその後も食堂に残った。結局、その晩はデザートもそこそこに、皆自室へと戻って行った……。



「………………はぁ」
 食後、台所で食器の片付けをしていた夏妃はため息をついた。皆の前では気丈に振舞っていた彼女だったが、やはり一人になると気持ちが沈んできた。今日は絵羽を食事に連れてくると蔵臼から聞いていたので腕によりをかけていたのだが、結局彼女は夏妃の料理には一切手を付けなかった。
 右代宮家に嫁いで2カ月。最初は何処かギクシャクしていた蔵臼との仲も、あの新婚旅行から帰ってからはすこぶる順調だった。何処かよそよそしかった楼座とも仲良くなれたし、留弗夫とも先日の一件以来、実の姉弟のように親しくしている。家事も覚え、使用人はもちろん、源次や金蔵からも一定の評価を得るに至った。にも関わらず、未だに絵羽との関係は冷え切ったまま……。自分なりに努力はしているのだが、彼女との距離は一向に縮まらない。
「………………はぁ」
 彼女は再びため息をついた。すると……。
「ほっほっほ。お疲れですか、夏妃さま?」
「…………熊沢さん」
 そこに、食堂を片付けていた熊沢が現れた。
「残念でしたねぇ。絵羽さまは気難しいお方ですから」
「少しでも喜んでもらおうと腕を振るったんですが……。絵羽さんは一口も手を付けてはくれませんでした……」
 夏妃はそう小さく呟いた。
「なかなか難しいですねえ。絵羽さまも、もう少し心を開いてくれるといいんですけど……」
「……私の接し方が良くないのでしょうか?」
「いいえ、そんなことはありませんよ。夏妃さまは頑張っておられます。ただ、島に来られたタイミングが悪かったのでございます」
「…………え?」
 熊沢が口にした言葉を聞き、夏妃は疑問に思う。島に来たタイミングが悪いとは、どういうことなのか? 彼女はそのことについて熊沢に聞いてみる。
「熊沢さん、私がこの島に来たタイミングが悪かったというのは、どういうことなのでしょう?」
「いえいえ、何でもございません」
 そう言い、彼女ははぐらかす。しかし夏妃は食い下がった。
「熊沢さん、はぐらかさないで下さい」
 熊沢が不用意に口にした言葉。それは、絵羽が夏妃を毛嫌いしている理由なのかもしれない。いつもなら他愛ないお喋りなど聞き流すところだが、さっき彼女が口にした言葉は、今の自分にとって重要なことなのかもしれない。夏妃は熊沢を問い質す。
「熊沢さん、何を隠しているんですか?」
「そ、そんな……。隠しているなんてとんでもない……」
 熊沢はそう弁明するが、彼女があることに対し口を閉ざしているのは明白だった。普段はお喋りが好きで、口が立つのを生かしてしばしば屋敷の殺罰とした空気を和ましている。しかし、お喋り好きな彼女でも、家人に対することはむやみに話したりはしない。それが原因で、主や家人の不興を買うようなことは絶対にあってはならない。まだ独り立ちするには程遠い一人息子を持つ彼女にとって、職を失うことは息子の未来を閉ざしてしまうことになる。だから右代宮家に仕えて今日まで、どれほど理不尽な目に合っても、その不満を他人に漏らすことは決してなかった。人の口に戸は立てられぬ。自分が不用意に口にしたことが、何処で家人の耳に入るか分からないからだ。
「……夏妃さま……。私は別に隠していることなど……」
 だから彼女は口を閉ざす。特に、機嫌の悪い多感な年頃の少女のことは。しかし……。
「ならばどうして話してくれないのですか?」
 夏妃はあくまで食い下がって来る。熊沢の生い立ちを考えれば、彼女が絵羽のことをひた隠しにするのも仕方がないのだが、夏妃はそこまで考えが回るほど人生の荒波にもまれてはいなかった。
「……な、夏妃さま……」
 これ以上はぐらかしては、逆に彼女の不興を買ってしまう。絵羽のことを口にするのはこの家では最大のタブーで、主である金蔵よりも気を付けなければならない。とはいえ、夏妃は次期当主の妻。未来の当主夫人なのだ。ここで彼女の怒りを買ってしまっては元も子もない。
「…………わ、分かりました。お話します……」
 熊沢は観念したように呟く。しかし、それでも念を押す。
「ですが、このことはくれぐれも内密に……。もしこれから話すことが絵羽さまの耳に入ったら、私は一体どうなることやら……」
 熊沢は心底震えあがる。彼女のその様子を見た夏妃は大きく頷く。
「分かりました。今からお聞きすることは、全て聞かなかったことにします」
 夏妃が口にしたのを確認すると、熊沢はようやく重い口を開いた。
「…………絵羽さまは、蔵臼さまのことを快く思っておりません……」
「はい、それは知っています」
 この家に来た者ならば、そんなことは一目瞭然だ。蔵臼と絵羽の不仲は、使用人はもちろん、親類縁者の誰もが知っている。しかし、次に熊沢が口にしたことは夏妃が知らないことだった。
「……それは、絵羽さまが次期当主の座を狙っているからでございます……」
「…………え?」
 熊沢の言葉を聞き、夏妃は少なからず驚いた。絵羽と蔵臼の不仲は最初から分かっていたことだが、彼女がそこまで考えていたとは……。
「…………絵羽さんは、本気で?」
「はい。元々絵羽さまは、蔵臼さまがお館さまの後継ぎになることに不満を持っておられました。勉強もスポーツも、自分の方が蔵臼さまよりずっとできると言い、自分の方が次期当主に相応しいと主張しておられました。ですが、当然お館様は絵羽さまの意見など聞く耳持ちませんでした」
 熊沢の話を聞き夏妃は納得する。プライドの高い彼女にとって、次期当主の座を狙うのは当然のことなのだろう。男尊女卑の思想を頑なに持っている金蔵を前にしても、彼女が自分の意見を変えないことは、不思議ではなかった。
「元々お館様は蔵臼さまを次期当主にするおつもりでしたが、蔵臼さまが帰国されてからはその考えを一層表に出してこられました。お仕事や出張の度に、蔵臼さまをお連れしたのです。全ては蔵臼さまに自分の仕事を学んで頂く為なのですが、絵羽さまにとってはそれが面白くないようで……」
 出会った当初から、あまり仲の良い兄妹ではないと思っていた。しかし、彼女が兄を毛嫌いするにはそんな理由があったのか……。夏妃は熊沢の話を聞き納得した。
「…………ちょうどその頃に、私がこの島に来たのですね?」
「はい。今の絵羽さまの振る舞いは、夏妃さまを迎え次期当主としての足場を固めていく蔵臼さまに反発してのことでしょう……」
 熊沢の言うことは一理ある。突然島にやって来た余所者を絵羽が嫌うのはある程度分かるが、果たしてそれだけでここまで嫌われるのだろうか? ずっと疑問に思っていたことが今の話でようやく分かった。
「……夏妃さま。このことはくれぐれも内密にお願いします……。もし誰かの耳に今話したことが入れば私は…………」
 熊沢はさらに念を押す。そんな彼女を見て、夏妃は頷いた。
「はい、今の話は他言無用にします。話しにくいことを聞かせて頂きありがとうございました」
 夏妃は熊沢に一礼をする。しかし、彼女を見つめるその瞳にはほんの少しだけ、絵羽に対し過度に卑屈になっている熊沢に対しての憐れみが込められていた……。熊沢にお礼を述べた夏妃はサロンへと戻って行く。そんな彼女の背中を、熊沢は複雑な表情で見つめていた。しかし、夏妃が今の自分に対して憐れみ感じていたとしても、それを情けないとは思わない。絵羽に対し過度に卑屈になっていることは、自分でも分かっている。それを他人に指摘されるのも、今に始まったことではなかった。
 大勢いる使用人の中には、熊沢に対し面と向かって非難する者もいた。しかし、それらの多くがすでに島を離れ、あるいは辞めざるを得なかった。それに対し、彼女は今でも残っている。遠く離れた息子の為なら、何と言われようと今の生き方を変えるつもりはない。彼女のその生きざまを理解するには、夏妃はまだ若すぎたのだった……。



「……ふぅ」
 一仕事終えた夏妃は、サロンで一息ついていた。今しがた熊沢に聞いたこと。それは、何故絵羽が夏妃を毛嫌いするかを明らかにはしてくれたが、今の状況を改善させるようなものではなかった。彼女はため息をつく。思っている以上に、体が疲れているようだ。食事の後片付けで疲れたということもあるが、一番大きいのは手料理を絵羽に拒否されたことだ。多少予想していたとはいえ、腕によりをかけて作った料理を一口も食べてもらえなかったのは、少なからずショックだった。夏妃は疲れた顔でソファに腰掛ける。その時……。
「お姉さん」
 その声に顔を上げると、そこには楼座の姿があった。
「楼座ちゃん」
 楼座はソファまで来ると、夏妃の横にちょこんと座った。
「残念だったね」
 彼女は傷心の夏妃に労いの言葉を掛ける。
「…………そうね。せっかく作ったんだから、絵羽さんにも食べてもらいたかった……」
「……絵羽姉さんはああいう人だから……。あまり気にしないほうがいいよ」
「…………そうね」
 夏妃は少し悲しそうにそう呟いた。しばしの間、ソファの上で脱力していた夏妃だったが、やがて楼座に声を掛けた。
「……楼座ちゃんは、絵羽さんとはあまり仲が良くないの?」
 夏妃にそう聞かれた楼座は表情を曇らせる。
「絵羽姉さんは嫌い。いつも私をいじめるんだもの」
 そう言う楼座の顔からは、絵羽への不満がありありと見えた。以前、熊沢から聞かされたが、やはり絵羽の楼座へのいじめは相当ひどいものらしい。
「お姉さんも、もっと優しくしてくれたら良いのにね」
「…………うん」
 そう言う楼座の表情は、何処か悲しそうに見えた。姉妹とは本来助け合うもの。つらいことや困難に対し、お互い助け合うことこそ姉妹のあるべき姿である。しかし、この2人はそんな当たり前なことすら難しかった……。そんな右代宮家の兄妹達に対し、夏妃は率直な感想を述べる。
「ねえ楼座ちゃん、怒らないで聞いてくれる?」
「…………何?」
「私ね。最初に会った時、あなた達兄妹があまり仲良くないなあって思ったの」
「……………………」
「私は一人っ子だから兄妹のことはあまり分からないのだけど、あなた達の間に暖かみだとか、思いやりとかいうのをあまり感じられなかったの」
「…………うん」
「あなた達を見て、こういう兄妹もいるんだなあ、っていうのを知ったわ」
「……………………」
 そんな夏妃の言葉を聞き、楼座は複雑な顔をする。しかし…………。
「でも、あなたは蔵臼さんと仲直りできたわ」
「………………!」
 そう言葉を続ける彼女の顔を、楼座は思わず見上げた。
「今のあなたと蔵臼さんを見て、やっぱり兄妹なんだなあっ、て思ったの」
 そんな風に、夏妃は2人のことを自分のことのように喜ぶ。
「楼座ちゃん、留弗夫くんとも仲直りできた?」
「うん」
 夏妃の言葉に楼座は即答する。
「……それじゃあ、お姉さんとも仲直りしたい?」
 そう聞かれ、楼座は一瞬戸惑ったように間を空けたがやがて……。
「……うん」
 そう答える。そんな彼女の言葉を聞き、夏妃はにっこりと笑う。
「それなら、頑張ってお姉さんと仲直りしないとね」
 そう言い、夏妃はとびきりの笑顔を楼座に送った。





 バタンッ!!!

 部屋に戻ってきた絵羽は乱暴にドアを閉めた。それぐらいでは彼女の怒りは収まらず、ベッドに置いてあった枕を掴むと壁に投げつけた。
「くだらないことに呼び出してッ!! あの馬鹿兄貴ッ!!」
 彼女は兄に対し毒を吐く。いつもは夕食など、使用人に自室に持って来させるのだが、今日はあまりに蔵臼がしつこかったので仕方なく食堂に降りてやったのだ。さっさと食事を済ませて部屋に帰ろうと思った絵羽だったが、席について違和感を覚えた。
 熊沢も他の使用人も作ったことがない、かれいの煮つけ。自分の知らない料理がわざわざ目の前に置いてあった。それがなんの為に置いてあるのか察しがついた彼女は、夏妃の方に目を向ける。一瞬目が合った夏妃は、何処か気恥ずかしそうな顔して絵羽に微笑んだ。彼女のその顔を見た瞬間、絵羽はこめかみに青筋が浮かぶ思いだった。
 詰まる所、兄は自分の嫁の手料理を妹に食べさせる為、わざわざこんな所に呼んだのだ。いつまで経っても夏妃と仲違している自分に対し業を煮やしたのだろうが、余計な御世話だ。絵羽は蔵臼の浅はかな行動にますます腹を立て、夏妃の手料理には一切手を付けなかった。
「ムカツク! ムカツク! ムカツクッ!!!」
 彼女は拾い上げた枕を何度もベッドに叩きつける。本当に腹が立つ。蔵臼も腹が立つが、夏妃はもっと腹が立つ。一体何様だ、あの女は!?
 ついこの間まで縁もゆかりもない人間だったくせに、今では右代宮の台所まで任されている。おまけに留弗夫も、楼座も、あまつさえあの父ですら今では夏妃を一目置いている。一体何なのだ、あの女はッ!!
 片翼の鷲を持たないような人間に、家の中を好きなようにされている。彼女にとってそれは許容できるものではなかった。
「馬鹿留弗夫!! 馬鹿楼座!! 馬鹿蔵臼ッ!!!」
 絵羽はありったけの怒気を込めて兄妹を罵る。留弗夫は最初からあの女に鼻の下を伸ばしていたうえ、最近では一緒に買い物にまで出かけている。楼座も最初は関心がなかったくせに、旅行から帰ってからは、やたらあの女を慕うようになっていた。蔵臼など論外だ。どいつこいつも皆、あの女に籠絡されている。
 長い間、何の変化もなかった右代宮の兄妹関係。それが、たった数カ月で変わってしまった。何故? どうして、こうも容易く変わってしまったのだろうか? あの女に、一体どんな魅力があるというのか?
「何なのよ! 一体何なのよ、あの女はッ!!!!」
 絵羽は幾度となく、枕を叩きつける。何故あの女はこんなにも簡単に私の周囲を変えることができるのか? 一体私に何が足りないと言うのか? 答えのない疑問に、絵羽は苛立ちを募らせていった……。





 翌朝。カーテンの隙間から朝の木漏れ日が差し込んできた。その光に絵羽は思わず顔を歪める。朝の柔らかな日差しも、今の彼女にとっては不快以外の何物でもなかった。
「………………ッ」
 不機嫌そうな表情で彼女は目を開けた。結局昨日は散々物に八つ当たりした後、疲れて寝てしまったのだ。しかし、どれだけ物に当たろうと、彼女の気持ちは晴れはしない。むしろ滅茶苦茶に散らかった部屋を見て余計気分が悪い。最悪の目覚めだった。
 時計を見ると時刻はすでに8時半。朝食の時間はとうに過ぎている。絵羽は小さく舌打ちしたが、構うものかと開き直る。夕食だって別々にとっているのだ。朝食に遅れるぐらい知ったことか。そう考えた彼女はのろのろと着替えた後、一階へと降りた。
 一階に降りサロンへ入ると兄、蔵臼の姿が見えた。昨日のことが頭に浮かび、絵羽は再びイライラする。どうせなら嫌みの一つでも言ってやろうと思い、彼女は兄に近づいた。
「あら兄さん、こんな所で何をしているのかしら?」
「…………絵羽か。今朝は随分と遅いな」
 蔵臼は読んでいた経済紙から目を離す。
「ふん、余計なお世話よ。それよりまだそんな物を読んでいるの? 朝から勉強熱心ねえ、兄さん。無駄な努力、御苦労さま」
「……………………」
「兄さん才能ないんだから、そんな物どれだけ読んだって無駄よ。いい加減気が付いたら? 私の方が兄さんよりずっと優秀なんだから、さっさと次期当主の座を私に譲ればいいのよ。くすくすくす」
 絵羽は蔵臼のしていることを、無駄な努力だと扱き下ろす。しかし…………。
「才能か。確かに私には親父殿のような才覚はないのかもしれない」
「…………え?」
 蔵臼は絵羽が皮肉のつもりで言った言葉を真摯に受け止める。
「自分でも薄々気付いていたことだ。どれだけ努力しようと、私には親父殿の様な圧倒的なカリスマは持っていない。しかし、だからと言って自分には才能がないと努力を放棄することが良いとは私は思わない」
 蔵臼は絵羽を見据え、自分の考えをはっきりと述べる。そんな蔵臼の態度に彼女は思わずたじろぐ。
「確かに私には親父殿のような才覚はない。しかし、それでも私は長男として、次期当主として何処に出ても恥ずかしくない様な人間に成らねばならない。以前はそれをつらいとも思っていたがね。しかし、今は違う。純粋にそうなりたいと願っている。右代宮家次期当主として、親父殿にも負けないような男になりたいと思っている。その為には、お前が無駄だと思う事だろうと何だろうとやってみせるさ」
 蔵臼は次期当主としての想いを述べる。そんな彼の言葉に絵羽は圧倒された。以前の兄はこんなことは言わなかった。自分の弱いところを絵羽に突かれると必ず反論し、あるいは彼女を女だということだけで扱き下ろした。今のように、自身の弱さを認めることなど絶対になかったのに……。兄のその変わり様に、彼女は唖然とした。
 蔵臼にそんな風に返されるとは思わなかった絵羽は、思わず黙り込んでしまう。その時…………。
「蔵臼さん、少しお話が―――」
 サロンに夏妃が入ってきた。その姿を見て、絵羽は眉をひそめる。

 …………ああ、そうだ。兄が変わったのはこの女が来てからだ。

 以前は弟妹達に対し、傍若無人に振舞っていた兄。それが、この女が来てからというもの、妙に態度が優しくなった。いや、優しくなったというより、棘が無くなった。前は何に対しても余裕が無く、私の皮肉に頑固に反論するしかなかったあの兄が……。
 何故、この女はこんなにも変えられるのか? 何故、私の言葉には一切耳を傾けず、この女の言葉には向き合うのか?

 イライライライラ。

 絵羽の苛立ちは更に募る。一方、部屋に入ってきた夏妃は夫が絵羽と話しているのを見ると思わず言葉を詰まらせる。しかし、蔵臼は気にせずに夏妃に声を掛けた。
「何だ、夏妃?」
「……いえ、その……。ここでは…………」
 夏妃は絵羽を気にするように、彼女を横目で見る。夏妃のその態度に、自分がいると話しにくい事だと絵羽は察する。
 ふん、私がいると邪魔なわけか。朝から仲の良いことで。こっちこそ夫婦の会話など願い下げだ。絵羽は小さく舌打ちするとその場から離れた。
「………………あ」
 そんな絵羽の態度を気にしたのか、夏妃は彼女に声を掛けようとする。しかし、絵羽は夏妃のそんな気遣いなど無用と、すぐにサロンから出て行くのだった。



「…………チッ、朝から面白くないわね」
 絵羽は忌々しげに呟く。先程のことが頭にちらつく彼女は機嫌が悪かった。昨日のことについて蔵臼に文句の一つでも言ってやろうと思っていたのだが、ああまで正論を言われると文句の言いようがない。おまけに朝からあの女の顔を見ることになるとは……。昨日からイライラが一向に収まらない彼女は、勉強も手につかない。気分転換に何か甘いものでも飲もうと思い、彼女は部屋を出た。台所に向かい廊下を進んでいた彼女だが、曲がり角で再び夏妃と出会ってしまった。
「………………あっ」
「……………………ッ」
 また会いたくもない人間と……。今日は本当にろくな事が無い。絵羽は夏妃を睨むと、彼女を無視しその場を去ろうとする。しかし…………。
「……あの、絵羽さん!」
 後ろから夏妃に声を掛けられた。絵羽は不愉快そうに後ろを振り向く。
「………………何よ?」
 彼女は露骨に不快そうな顔をして夏妃を見る。そんな絵羽の態度に夏妃は思わずたじろぐが、言葉を続けた。
「…………いえ、その……。さっきはすいませんでした……」
「………………何がよ?」
「……その、蔵臼さんとお話ししているところをお邪魔してしまって……。すいません……」
「………………はあ?」
 どうやらこの女は、自分が蔵臼とお喋りをしていたと勘違いしているようだ。おめでたい女だ。私があの兄と仲良く談笑などするものか。
「くだらないこと言ってんじゃないわよ。馬鹿馬鹿しい」
 絵羽は夏妃の勘違いを一蹴し、その場から離れようとする。しかし、ふと足を止めた。今この場にいるのは、自分と夏妃の2人だけ……。絵羽には、前々から夏妃に対し疑問に思っていたことがあった。それを思い出した彼女は、夏妃に声をかける。
「…………私さ……。アンタに聞きたいことがあったのよ」
「……え? はい……」
 絵羽に急に話をふられ、夏妃は戸惑う。そんな彼女を無視するように、絵羽は話を進める。
「あんた……、前に『お兄さんのこと好き?』って訊いたわよね。あれどういう意味?」
「………………え?」
 それは、夏妃が島に来てまだ間もない頃。彼女が島に来た翌日に、本土に出張に出かけた蔵臼が、1週間ぶりに島に帰って来た日。落ち着きなく夫の帰りを待っていた彼女に絵羽が話しかけたのだ。彼女と2人きりで話したのはこの時が初めてだった。そこで、夏妃は絵羽に、蔵臼がどういう人物なのかを聞いた。夏妃が期待していた答えを絵羽が持っていなかったので、彼女はやや落胆してその場を離れようとしたが、夏妃は去り際に絵羽にひとつの質問をした。

『あなたは、お兄さんのこと…………好き?』

 その言葉が、絵羽の心の中で引っかかっていた。嫌いに決まっている。そんなこと、見れば分かるだろうに。何故、夏妃はそんな分かりきったことを聞いてきたのか? 彼女には分からなかった。だから絵羽はこの場で夏妃に聞いてみる。しかし…………。
 夏妃は顎に手を当て、思案していた。しかし、しばらくして顔を上げるとこう呟いた。
「…………そんなこと、あったでしょうか?」
 その言葉を聞いた瞬間、絵羽の怒りは頂点に達した。





ドガァアッ!!!





 彼女は思いっきり横の壁を叩きつけた。壁に穴が空かんばかりの勢いで叩きつけた轟音に、夏妃は思わず身を竦ませる。
「………………ッざっけんじゃないわよ…………」
 絵羽は臓腑から絞り出すような声で呟く。



「忘れるくらいなら最初から聞いてんじゃないわよッ!!!!」



 彼女は夏妃を突き飛ばすように撥ね退けると、大股でその場を離れて行く。
「あ、あのッ!!」
 夏妃が絵羽に声を掛けるが、そんなことは知ったことではない。彼女は夏妃の声が聞こえない場所に足を進める。
 ふざけるな!! ふざけるなよッ!!! 自分で話をふっておいて、何が忘れただッ!!!
 部屋に戻って来た絵羽は乱暴にドアを閉めると、再び枕をつかむと思いっきり壁に投げつけた。
「あのッッ!!! 女ァアアアアーーーーーーッ!!!!!!!」
 彼女はそこらじゅうにある物を掴むと無造作に放り投げる。今まで散々我慢してきたが、今度こそは我慢ならない。絶対に追い出してやる!! 彼女は溜飲が下がるまで、部屋にある物を叩き壊す……。
 しばらくの間、暴れ回っていた彼女だが無限に体力が続くわけがない。やがて、息を切らしながら、彼女は呟いた。
「…………ふざけんじゃないわよ……。自分でふっておいてなに忘れてんのよ…………」
 呼吸を乱しながら、彼女は呟く。本当にふざけている。話をふっておいて、当の本人が忘れただなんて……。許せるわけがない。徐々に呼吸を落ち着かせながら、彼女はそう思う。しかし、その時気が付いた。
「………………あれ?」
 当の本人までが忘れた事を、何故自分は覚えているのか? ここまで激昂する程、あの質問は自分にとって大切なことだったのか?
「……………………」
 蔵臼は、兄は自分にとって、どういう存在なのか? 彼女は考える。しかし、どれだけ考えようと、その答えは見つからなかった……。





「……………………」
 カチ、カチ、カチ。秒針を刻む時計の音が、やけに耳に残る……。誰にも邪魔されない自分だけの空間。そこで絵羽は何をするでもなく、ベッドの上で横になっていた。気だるい様な、眠たい様な……。そんなはっきりしないまどろみのような意識の中、彼女は夏妃が言っていたことを考えていた。
『あなたは、お兄さんのこと、…………好き?』
 その言葉が頭から離れなかった……。そんなわけ…………。そんなわけ……、あるわけがない……。繰り返し、自分にそう言い聞かせる。しかし、頭の片隅で何故かそれを否定しきれない自分がいた。
「…………どうして?」
 ずっとずっと幼い頃……。兄と一緒に遊んだ記憶。蔵臼をお兄ちゃんと言い、その後ろを歩き回ったことをうっすら覚えている。しかし、そんなことはとうの昔だ。今の自分とは何の関係もない。いつの頃からだろう? 兄をこんなに毛嫌いするようになったのは……。
 成長するにつれ、弟妹に対し横柄な態度を取るようになった兄。それを嫌い、いつしかその感情は憎しみ変わった……。
 何故兄が次期当主なのか? 女というだけで、兄より優れている私が何故選ばれないのか? 何故兄ばかりが父に期待されるのか? そんな、嫉妬と憎しみが入り混じった感情が私を支配するようになった……。
 兄よりも強く。
 兄よりも高く。
 兄よりも優秀に。
 唯それだけを求め……。



 ―――でも、本当は―――



 トントントン。
 その時、不意に扉をノックする音が響いた。絵羽は驚いて体を起こすと、ドアの向こうにいる人物に声を掛けた。
「…………誰?」
 返事はない。不審に思った絵羽だが、程なくして扉が開いた。そこにいたのは……。
「…………なんだ、アンタなの……」
 扉を開けたのは妹の楼座。彼女は体を半分隠したまま絵羽の部屋を覗いている。
「……何よ。何か用?」
 絵羽は突然訪れた楼座に対し、不機嫌そうな表情で応える。そんな彼女の様子を気にしてか、楼座は遠慮がちに絵羽に声を掛けた。
「…………あのね……、えっと……。……ちょっと、下に降りて来て欲しいの……」
「はあ? 何でよ。まだ夕食の時間じゃないでしょうが」
 妙なことを言い出した楼座に対し、絵羽は不快そうな表情を見せる。そんな彼女の様子に、楼座は小動物のように体を縮こませた。しかし、それでも彼女は言葉を続ける。
「……ちょ、ちょっとだけでいいから…………」
 楼座は懇願するように絵羽に声を掛ける。彼女は仕方無いと言いたげに、軽くため息をつく。いつもなら、にべもなく断るのだが、何故か今はそんな気分ではなかった。
「くだらない用ならすぐ戻るわよ」
 用があるならさっさと連れて行け、と言わんばかりに絵羽は言う。それでも姉が自分のお願いを聞いてくれたことに、楼座はわずかに安堵の表情を見せる。
「こっち」
 彼女は姉を引きつれて一階へと降りる。階段を下りて、さらにその先。ホールの向こうにあるサロンの前まで来ると、足を止めた。楼座は後ろを振り返ると、絵羽に声を掛ける。
「開けるよ?」
 彼女は絵羽に確認する。何故扉を開けるのに、いちいち私の確認を取るのか? 絵羽は疑問に思いながらも口を開いた。
「さっさと開けなさいよ」
 姉の口からその言葉を聞くと、楼座はゆっくりと扉を開いた…………。














































 扉の先。そこにあったのは、いつもの見慣れたサロンではなかった。
 美しく彩られた飾りの数々。舌だけでなく見た者の目すら満足させるような豪華の料理。そして、彼女を祝福する暖かな拍手。そこには兄妹はもちろん、屋敷の使用人、右代宮の縁者、さらには学校の友人まで、大勢の人がいた。皆一様に、彼女に祝福の言葉を投げかけている。
「…………え? なっ…………」
 全く予想だにしていなかった光景に、絵羽は目を白黒させている。そんな彼女に、留弗夫はからかうように声を掛けた。
「いっひっひ!! やっぱり驚いてやがる! どうだ姉貴、今の気分は?」
「え? ……あ」
 留弗夫に声を掛けられても、絵羽はまだ状況を飲み込めていないようだった。そんな彼女の様子を見て、留弗夫はますます喜ぶ。
「はははは! 驚いて声も出ないってか!」
 そうして彼女はようやく気が付く。

 ……ああ。そういえば、今日は私の誕生日だったっけ……?

 ここ数年、誕生日をまともに祝ってもらったことなどなかった。学校の友人はともかく、冷え切った我が家の兄妹関係では何かを祝う気になどなれなかった……。私が祝ってもらうことなどなかったし、私も誰かを祝うこともなかった。でも、小さい頃はこんな風に祝ってもらったこともあった気がする……。
「「「誕生日おめでとう!」」」
 そう言って、友人達にプレゼント渡された。
「……みんな、どうしてここに?」
 彼女は不思議そうに友人に尋ねる。
「ホントはね、プレゼントだけ渡すつもりだったんだけど、留弗夫くんがうちでパーティーするからって、誘われたの」
「留弗夫が?」
 絵羽は驚き、弟を見つめる。
「大変だったぜ、姉貴に気付かれないよう準備を進めるのは。まあ、都合良く部屋に引きこもっていてくれて助かったぜ。いっひっひ!」
 そう言い、彼はいたずらっぽく笑う。姉を喜ばすことなどには、とんと無縁な弟がこんなお膳立てをしてくれるとは……。彼女は素直にそう思った。その時。
「姉さん」
「え?」
 振り向くと、楼座が綺麗にラッピングされた包みを抱えて立っていた。そして、彼女は少し遠慮がちながらも、姉にその包みを渡す。
「お誕生日おめでとう」
「……あ、ありがとう……」
 少し戸惑いながらも、彼女はおずおずとプレゼントを受け取った。そして彼女はパーティーの参列者から、代わる代わるプレゼントを受け取る。次々と起こる予想外の出来事に、彼女は未だに目を白黒させている。
「ほほほほ。さすがにそれだけ沢山のプレゼントを一度には渡せませんよ。さあ、皆さん。一度落ち着かれたらどうです? おいしい食事もたくさんご用意しましたので。特製の鯖ケーキもご用意させて頂きました。どうぞ食べていってください」
 熊沢の言葉を聞き参列者達は苦笑いするが、やがて各々好きな料理へと向かって行った。しばしの間、人垣から解放された絵羽は、山のようなプレゼントを傍らに置き息をつく。
「…………ふぅ」
 彼女はすぐ傍のソファに腰を下ろした。全く予想していなかった分、嬉しさよりも驚きのほうが大きかった。プレゼントの山を眺め、少し戸惑いながらも彼女は人々の好意を素直に受け取ることにした。すると……。
「絵羽、誕生日おめでとう」
「……兄さん」
 一息ついている絵羽に蔵臼が声を掛けてきた。
「どうだ、少しは楽しんでいるか?」
「楽しむどころか疲れたわよ。やるならやるで、一言声を掛けなさいよ」
「それではサプライズの意味がないだろう? お前には一切伝えないという予定だったのでな」
「……ふん、それはどうも。十分驚いたわよ。今になって、こんな誕生日を迎えるなんて思ってもみなかったわ」
「たまには悪くないだろう? ここ数年、兄妹で誕生日を祝うこともなかったからな」
「……まあね。正直忘れていたわ。今日が自分の誕生日だってこと……」
「……それだけ希薄だったということだな。私達の関係も……」
「だからどうってわけじゃないけどね。これから先だって、たいして変わりはしないわよ……」
「そうかもしれん。だが、それでも悪い気はしないだろう?」
「…………まあね」
 そう、絵羽は呟く。たまにこんなパーティーを思いついただけで、今までの関係が劇的に変わることはないだろう。それでも、今この瞬間だけは、ほんの少しだけ仲の良かった兄妹に戻れた気がした……。
「……兄さんも留弗夫もよくやるわね。こんな大掛かりなこと、それなりの手間もかかるでしょ?」
「まあな。私が会場の指揮を。顔の広い留弗夫には、お前の友人を集めてもらった。楼座にも会場の飾り付けを色々と手伝ってもらったよ」
「御苦労さま。人が頼んでもないのに、ずいぶんと派手なパーティーを開いてくれて」
「全くだ。いつかお前にはこのパーティーの費用を請求しよう」
 互いに悪態をつく2人。しかし、そこにはいつもの険悪な雰囲気はなかった。お互いに、軽口を言い合える今の状況を楽しんでいるようにも見えた。互いに普段の不満を言い合っていた2人だったが、やがて蔵臼は席を立つ。
「さて、私はそろそろ向こうへ行く。お前の友人にも挨拶をしておかないとな」
「はいはい。次期当主さまは人脈作りに忙しいわね」
 最後まで皮肉を言い続ける絵羽に、蔵臼はおかしそうに笑った。やがて、彼は会場の中心に足を運ぶ。そんな彼に絵羽は声を掛けた。
「……最後にひとつ教えて。このパーティーを企画したのは誰?」
 そう言う絵羽の言葉には、ほんの少し棘があるように感じられた。
「……………………」
 そんな彼女の雰囲気を感じ取ったのか、蔵臼はほんの少し押し黙る。しかし、やがて彼は口を開いた。
「…………夏妃だ」
「…………そう。やっぱりね…………」
 そう絵羽は呟く。彼女の視線の先、そこには大勢の人に挨拶をして回る、夏妃の姿があった…………。





 その夜。夏妃は一人、サロンにいた。パーティーの後片付けは使用人一同がすでに済ませたのだが、何処かに見逃した所はないか彼女は入念にチェックをしていた。一通り目を通し夏妃は満足する。
「よし、綺麗に片付いたわ」
 気になる所を全て綺麗にした夏妃は、ようやく一息ついた。その時……。
「こんな遅くまで精が出るわね」
 不意に声をかけられた夏妃は驚いて後ろを振り向いた。
「……絵羽さん」
 いつのまにか、サロンに入って来た絵羽に夏妃は驚く。
「兄さんに聞いたわよ。今日のパーティー、アンタが企画したんですって?」
「……え? あっ、はい……」
 問い詰めるような絵羽の口調に、夏妃は思わず委縮してしまう。
「アンタも色々考えるわね。そんなに私のご機嫌を取りたいの?」
「そ、そんな!! 私はそんなつもり―――」
 そこまで言い、夏妃は言葉を詰まらせる。そんなつもりは全くなかったのか? 彼女を喜ばせようと思った気持ちに嘘はない。しかし、今日のパーティーで彼女との関係を進展させたいという打算があったのも事実……。絵羽にそう問われ、夏妃は肩を落とす。
「…………いえ、絵羽さんの言う通りです。誕生パーティーを開けば、あなたの機嫌も良くなるかと思いました……」
「…………ふん、正直じゃない…………」
 夏妃の殊勝な態度に、絵羽はこれ以上毒を吐くのを止めた。代わりに夏妃に問い掛ける。
「まあ、そんなことはどうでいいわ。それより、私アンタにもうひとつ聞きたかったことがあるのよ」
 絵羽は夏妃を真っすぐと見つめ、彼女に尋ねる。
「……アンタ、何でウチに来たの?」
「………………え?」
 絵羽の唐突な言葉に夏妃は声を失う。どうして今頃になってそんなことを聞くのか? しかし、彼女は言葉を続ける。
「家の為だか何だか知らないけど、自分を物みたいに差し出されて何とも思わないの?」
 そう言う彼女の言葉には、ある種の怒りが込められていた。
「今まで大切に大切に育てられて、両親の愛を精一杯受けてきて。それなのに、ある日突然見知らぬ男に差し出されて、アンタなんとも思わないの?」
 彼女の口調は、徐々に激しくなってくる。
「今まで大切に育てられていたのは幻で、全て政略結婚の為だけに準備されていたことだと分かって、アンタはそれで我慢できるの? アンタにとって、自分の人生なんてそんなものなの?」
「……………………」
「私は違うッ!!! 例え相手が誰であろうと、御父様の指示だろうと、私は絶対に我慢できない!!! 女だからって、物みたいに扱われて、見ず知らずの男に嫁ぐなんて死んでも御免だわッ!! 自分の相手は自分で決める!! 自分の人生は自分で決める!! そして絶対に右代宮家の当主になってみせるわ!! 兄さんより、御父様より立派な人間になって、絶対に当主になってみせる!! 誰かに決められた人生なんて、死んでも御免よッ!!!」
 絵羽は自分の想いを一気に捲し立てる。それは彼女の奥深くにしまい込んだ想い。父に言っても、兄に言っても、無駄だった。彼らは同じことしか口にしない。


“女のくせに生意気だ”


 だから彼女は言う。同じ気持ちが分かる相手に。女であるが故に、不遇の境遇に見舞われた夏妃に。
「……………………」
 絵羽の悲痛なまでの告白を聞き、夏妃は声を失った。いつもいつも自分に対し、辛辣な言葉しか投げつけない義理の妹。そんな彼女が、こんな想いを抱いていたとは……。夏妃は、苦しんでいたのは自分だけではないということを今知った……。そして、彼女もまた、自らの想いを告げる。
「…………確かに、私の実家が抜き差しならない経済状況だったのは本当です。私の家の事情で、縁談を持ちかけられたことも事実です…………」
 そう言う夏妃の顔には、わずかに悲しそうな表情が見えた。しかし、彼女は面を上げ毅然と言う。
「でも、私はそれを両親に強要されたことはありません。私は自分の意志で此処に来ました。決して、人身御供として差し出されたわけではありません」
 彼女は絵羽の顔を真っすぐに見つめる。
「両親は私を愛してくれました。私も両親も愛していました。父や母に大切に育ててもらったこと。良い教育を受けさせて頂いたことに感謝しています」
 夏妃はほんの少し、昔を懐かしがるように呟く……。やがて、彼女は優しく微笑んだ。
「そして、この家に来れたこと。蔵臼さんに会わせてくれたことに、本当に感謝しています」
 そう話す彼女の表情には、微塵の憂いもみられなかった。
「……………………」
 そんな夏妃の表情を見て、彼女が本当に、心の底から両親に感謝しているのが絵羽にも分かった。
「私は幸せです。それは、絵羽さんの望む人生をとは少し違うかもしれません。でも、これが私の人生です。誰かに強要されたわけじゃない。自分で選択し、自分で手に入れた、私の幸せなんです」
 そう言い、夏妃は絵羽を見つめる。
「……………………」
 そんな彼女を見る絵羽の表情は複雑なものだった。
「…………さっぱり分からないわね。私には…………」
 絵羽は不服そうに呟く。
「私はどんな形であろうと、家の為にお膳立てられた縁談なんかには応じない。自分の相手は自分で見つける。アンタとは違うわ」
「…………そうですか」
 絵羽の言葉を聞き、夏妃は残念そうに呟く。しかし…………。
「…………まあ、でも……」
 そして絵羽は小さく呟いた。
「アンタがただの箱入り娘じゃないってことは分かったわ。下賤な実家って言ったこと取り消すわ……」
「……え? あっ……」
 絵羽にそう言われ、思い出した。右代宮家に嫁いできて、初めて弟妹達と顔合わせをした時、確かにそう言われた。あの時、彼女に紅茶をかけられたんだっけ……? 何だかとても遠いことのように感じる……。
「…………あの時は……、悪かったわね…………」
 絵羽は夏妃から視線を外し、ほんの少し恥ずかしそうにそっぽを向きながら呟いた。
「…………絵羽さん…………」
 絵羽はそっけなく言う。しかし、それは夏妃がこの家に来てから初めて耳にした、彼女に対する肯定的な発言。夏妃は絵羽のその発言に少々驚きつつも、ほんの少し、嬉しそうに笑った……。
「言いたいことはそれだけよ……。じゃあ」
 彼女は気恥ずかしそうに、部屋を出て行こうとする。そこに、夏妃は声を掛ける。
「あ、絵羽さん待って下さい」
「何よ?」
 不意に声を掛けられた絵羽は怪訝そうな顔をする。
「パーティーの時は忙しくて渡す暇がなくて……。これ、受け取ってもらえますか?」
 そう言って夏妃が絵羽に差し出したのは、小さな桐箱。
「……何よコレ」
 絵羽は少し躊躇いながらも、それを受け取った。そして、彼女はその蓋をゆっくり開ける。
「何コレ、扇子?」
 絵羽が桐箱から取り出したのは見事な京扇子。見る者が見れば、名のある職人が作ったものだと分かるだろう。
「意味分かんない。なんで誕生日プレゼントが扇子なのよ?」
 そう聞かれた夏妃はほんの少し苦笑いをする。
「何故でしょう? どうして扇子を選んだのか、自分でもよくわからないんです。でも…………」
 少々照れながらも、彼女ははっきりと言う。
「何故か、絵羽さんには扇子が似合う気がしたんです。あなたには、これがぴったりなんじゃないかって」
 そう言われた絵羽は、受け取ってまじまじと眺める。
「…………ふぅん」
 しばらくの間、扇子を眺めたり開いたりしていた絵羽だったが、やがて扇子をパチンと閉じると夏妃に向かってこう言った。
「いいじゃない。気に入ったわ、貰ってあげる」
「本当ですか? 気に入ってもらえて良かったです」
 そして、絵羽は夏妃に向かってこう言う。
「この扇子、長く使えそうね。これから先、これと一緒にアンタがこの家に相応しいか見届けてあげる。すこしでも相応しくなかったら、追い出すわよ?」
「御心配なく。周囲に咎められるような粗相する心配は、絵羽さんよりは少ないと思います」
 それを聞いた絵羽のこめかみにはおもわず青筋が浮かぶ。
「…………でかい口叩くじゃない。言っとくけど、例えこの家に残れたとしても、次期当主は私がなるんだから。アンタにも、兄さんにも大きな顔はさせないわよ」
「そうですか。ならば私は妻として、蔵臼さんが次期当主になれるよう、この先も支え続けて行きます」
 両者は互いに一歩も引かない。しかし、二人の周りに漂う空気は緊張しながらも、何処か心地の良いものだった。しばしの間、緊張した空気が漂っていたが、やがて絵羽は力を抜き小さく呟いた。
「…………もう寝るわ。せいぜい綺麗にしておきなさいよ」
「はい、おやすみなさい」
 そして絵羽は静かに出て行く。サロンの扉を静かに閉めて、彼女は自室へと戻って行った。部屋への帰り道、彼女は夏妃のことを考えていた。
 …………あの女、ただの箱入り娘と思っていたのに……。親に言われるがまま、右代宮家に差し出されたのかと思っていたが……。少し認識を改めなければいけないかもしれない。絵羽は夏妃から受け取った扇子をじっと見つめる。

“私は妻として、蔵臼さんが次期当主になれるよう、この先も支え続けて行きます”

 彼女が言っていた言葉を思い出した。そして、絵羽はパチリと扇子を閉じると不敵に笑う。
「……ふん、面白いじゃない。アンタの覚悟がどれほどのものか、見届けてやるわ」
 妻として、夫を支え続けて行く。そう口にする夏妃は、次期当主の座を狙う絵羽にとって、敵以外の何者でもなかった。しかし、そんな夏妃の言葉を聞いたにも関わらず、絵羽の心は晴れやかだった。ここ数日のイライラが嘘のよう。今の彼女の表情は、何処か楽しそうにも見えた……。




2011.04.02 Sat l うみねこ l コメント (0) トラックバック (0) l top

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