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六軒島の花嫁第九話です。今回は僕が担当です。
それではどうぞ。




「ハア……、ハア……、ハア……」
 苦しそうに蔵臼は息を吐く。まるで激しいスポーツをした後のように彼は肩で息をして、その額にはうっすらと汗が浮かんでいる。
 しかし、その顔にはスポーツをした後のさわやかさはまるでなく、只々不快そうな表情だけが浮かんでいる。顔を見れば誰もが彼の不快な気分が分かるだろうが、そのことを隠そうともせず、蔵臼は露骨に不愉快な顔をしていた。そんな彼の気分をますます苛立たせるように声を掛ける者がいた。
「ほら、蔵臼さん情けないですぞ。それぐらいで息を切らすなんて。留学中はアメフトで鍛えたのでしょう? 私が徴兵された時はこんなものではありませんでしたぞ」
「ほほほ、本当ですねえ。いい若い者がこのくらいで音をあげるなんて。お館様のほうが体力があるんじゃないですか? ねえ、南條先生」
「まったくですな。これだから最近の若者は……」
 涼しそうな顔をしながら南條と熊沢は他愛のない会話をしている。そんな2人の会話を聞き、蔵臼のイライラはさらに募る。なぜ体力的に勝る蔵臼が疲労困憊し、年長の2人が涼しい顔をしているのか? それは…………。
「二人ともいい加減にして下さい!! どれだけお土産を買うつもりですかッ!!!」
 蔵臼のイライラの原因。それは南條と熊沢の買ったお土産だった。蔵臼の右手、左手、はてには背中にまで2人の買ったお土産でいっぱいだった。今のご時世旅行に出ることが難しいとはいえ、2人のお土産の量は尋常ではなかった。半ば無理やり連れて来られたうえ、なぜ自分が荷物持ちなどしなければならないのか? 蔵臼のイライラはますます募るばかりだった。
「ほらほら、夏妃さまも頑張ってください」
 熊沢は後ろを歩く夏妃にも声を掛ける。蔵臼は後ろを振り返る。そこには、蔵臼ほどではないにしても、両手にいっぱいのお土産を手にした夏妃の姿があった。
「ハア……、ハア……、ハア……」
 夏妃も蔵臼と同じく息を切らしている。しかしそんな2人の様子を見ても熊沢も南條も気にも止めない。
「ほほほほ、頑張って下さい。若いんですからこのくらいわけないでしょう?」
 身軽な2人は涼しい顔をして笑っている。呑気なものだ。蔵臼はマイペースな2人に辟易する。その時、ふと夏妃と目が合った。
「……………………」
 目が合った瞬間、夏妃は目を逸らす。そんな夏妃の態度に、蔵臼は僅かにイラつく。熱くなっていたとはいえ、思わず手を上げたことは悪かったと思っている。しかし、あの時夏妃が口にしたことは、蔵臼は今でも許せない。夏妃は自分と冬花が男女の関係などと、下世話な想像をしていた。自分のことだけならまだいい。だが、冬花まで侮辱するのは我慢ならなかった。だから、夏妃の軽薄な発言に熱くなり思わず手を上げてしまった。殴ったことは悪いとは思っているが、夏妃の発言は未だ許していない。
 だからこそ、2人の企みが気に食わなかった。強引に自分たちをこんな所まで連れて来て……。今さら夏妃とどう和解しろと言うのか? 2人が気を利かせてお膳立てした新婚旅行。しかし、今の蔵臼にはそんなものを楽しむ気にはなれなかった…………。
 ため息をつきながら、蔵臼は空を見上げる。天気は快晴。秋とはいえ、日本よりはずっと暖かい。大量のお土産を抱えながら、蔵臼は額の汗を拭った。



 台湾最大の都市、台北。



 そこに、4人の姿はあった。









 数日前。


「夏妃さま、お待ち下さい! なにもそこまで思いつめなくても……」
「いいえ、いいんですッ!! もうこの家に私の居場所はないんですから……!」
 制止する熊沢の声に聞く耳を持たない夏妃はスーツケースに自分の荷を詰めていく。先程薔薇庭園で蔵臼に出て行けと言われた夏妃は、その言葉通り六軒島を出て行くつもりだった。あんな言葉をぶつけられて、これ以上この島に残るつもりなどさらさら無かった。悔しさと悲しみで、目に涙を浮かべている夏妃は乱暴にスーツケースに荷物を積める。
「蔵臼さまも熱くなりすぎて、つい口走ってしまったんですよ……。今頃はきっと後悔しているはずです」
「いいえ!! あの言葉があの人の本音だったんですッ!! 蔵臼さんは私よりも冬花さんが大切なんですッ!! …………初めてこの島に来た時から、あの人は私よりも冬花さんを…………、うぅ…………」
 そう言って夏妃は涙を零す。そんな夏妃をなんとかして説得しようと、熊沢は声を掛け続けるのだった……。

 一方、蔵臼の自室には南條の姿があった。
「……久しぶりに金蔵さんとチェスを指しに来たのですが……。何やら大変なことになっていますな……」
「……申し訳ありません。せっかく来て頂いたのに十分なおもてなしもできずに……」
「いえ、私はかまいませんが……。蔵臼さんはそれでよろしいのですかな?」
「…………はい。元々、この結婚自体無理だったんです……。所詮親が決めた結婚です。上手くいくはずがなかった……。これが一番良かったんです……」
「…………そうですか。しかし、蔵臼さんの顔を見ると、そのようには思えませんが?」
「……………いえ、もういいんです。それに、これは我が家の問題です。南條先生にこれ以上ご迷惑を掛けるつもりはありません」
「……………………」
 そう言って、蔵臼は遠回しに南條の言葉を拒絶する。蔵臼の頑なな態度に、南條は小さくため息をついた……。



「困りましたねえ……」
「困りましたなあ……」
 その夜、応接間のソファに座りながら、南條と熊沢はため息をつく……。
「蔵臼さんに会って、久しぶりに六軒島の空気を吸いたくなったのですが、……、大変な時に来てしまいました……」
 南條はひどく疲れた声で呟く。どうにかして蔵臼と夏妃を説得しようとしてはみたが、2人は聞く耳を持たない。
「夏妃さまなんて明日には実家に帰りそうな勢いですよ……? そんなことになったらお館様に何て言われるか……」
「こんな時に金蔵さんが不在とは……。本当に忙しい方だ。たまには我が家でのんびりすれば良いものを……」
「今、お屋敷にいるのは使用人とお子様方だけですよ? あの方たちを止められる人など……」
「私達だけでどうにかするしかありませんな。とは言え、どうしたら良いものか……?」
 2人は暗そうにため息をつく。そんな2人に近づく者がいた。
「蔵臼兄さんと、お義姉さんはケンカしているの?」
 熊のぬいぐるみを抱えてその場に現れたのは右代宮家の末妹、楼座だった。
「おやおや、楼座さま。まだ起きていらしたのですか?」
「すぐそばでみんながバタバタしているもの。眠れないわ」
 その言葉を聞き、熊沢はこめかみを抑える。夏妃の出て行くという言葉を聞いて、あの姉弟が黙っているはずがなかった。2人とも夏妃と蔵臼の部屋を交互に入っては、説得したり、蔵臼の短気を怒ったり、夏妃を罵ったりと思ったことを口にした。終いには、蔵臼も夏妃も腹を立て、鍵を掛けて自室に籠ってしまったのだ。
「だ、大丈夫ですよ、楼座さま。ケンカなんてとんでもない。2人ともとても仲がよろしいんですよ」
「…………そうは見えないけど」
「……………………」
 見え透いた嘘をついたところで誤魔化せるはずもない。熊沢は再びため息をつく。
「…………そうですね。今のお二人はとても仲が良いとは言えませんね……」
「……はてさて、どうしたものでしょうなあ……」
 2人は途方に暮れる。何の解決策も思い浮かばず、沈黙が続く。そんな中、楼座は沈黙を破るように口を開いた。
「旅に出たら?」
 楼座が口にした途端、2人は彼女の方を見る。
「「え?」」
「旅行に出かけたらいいんじゃない? 楽しく旅を過ごせば、きっとすぐに仲良くなるわ。兄さんもお義姉さんも、新婚旅行はまだなんでしょう?」
 楼座は無垢な瞳でその言葉を口にする。純粋な気持ちで口にしたその言葉は、大人達の私情を挟んだ説得より、ずっと良い考えだった。


「「それだ!!!」」


 楼座の考えを聞き2人は同時に叫ぶ。
「ええ、そうですとも。このままお屋敷に籠っても気持ちが塞ぐだけです。どこか素敵な場所に旅行に行けば、御二人の気持ちも変わるでしょう」
「そうですな。このまま閉じこもっているよりはずっと良いでしょう。しかし、今の御二人が旅行になど行きますかな?」
「ほほほほ。大丈夫、私に良い考えがあります」
「はて? 一体どんな?」
「それでは南條先生、少しお耳を拝借……」
「……ふむふむ。なるほど、しかしそう上手くいきますかな?」
「大丈夫ですよ、何事も為せば成ります。私は夏妃さまに伝えますから、南條先生は蔵臼さまをお願いします」
「分かりました。うまくいくといいですな」
「ええ、本当に。さあ準備に取り掛かりましょう、明日は早いですよ」
 南條にそう告げると、熊沢は準備に取り掛かる。その時、楼座が熊沢に声を掛けた。
「熊沢さん」
 その声に熊沢は後ろを振り返る。
「はい?」
「兄さんとお義姉さんをよろしくね」
 そう言って、楼座は微笑む。
「ええ、お任せ下さい。きっと御二人の仲を取り持ってみせますよ」
 楼座の笑顔に熊沢は満面の笑みで応えるのだった。



 翌日。



 窓から零れる朝の光を感じた蔵臼は、うっすらと目を開ける。眠そうに顔を上げながら、ベッドから体を起こした。まだ体は重い。昨夜はあまり眠れなかった。昨日、あんなことがあったのだから無理もない。これからの事を考えると、なかなか寝付けなかった。
 彼女は……、夏妃は今日、この島を出て行く……。あの時は熱くなり、思わず手を上げてしまったが、今さら後悔しても後の祭りだ。せめて、最後くらいは見送ろう……。そんな風に蔵臼は考える。その時、突然蔵臼の部屋のドアが激しく叩かれた。
「蔵臼さん、起きていますか!? 大変です、金蔵さんが仕事先で事故に遭いました!!」
 そう告げる南條の言葉を聞き、蔵臼は耳を疑った。
「え!? ほ、本当ですか南條先生!!」
 蔵臼は勢い良くドアを開けた。
「はい、今旅先のホテルから連絡がありました。一刻も早く現地に向かいましょう!」
「分かりました。すぐに準備を……」
「大丈夫です、すでに準備は整えています。すぐにでも出発できますぞ」
「そ、そうですか。さすがは先生です。ではこのまま船に向かいましょう」
「ええ、参りましょう」
 南條の言葉を聞き、蔵臼はすぐに玄関へと向かう。しかし、屋敷を出る際夏妃のことが彼の頭をよぎる。最後に一言声を掛けようとも思ったが、蔵臼はかぶりを振る。今さらどんな顔をして会うというのか……。それに今は非常時なのだ。そんなことを考えている暇はない。蔵臼はそう割り切ると、船着き場へと足を進めるのだった。





 翌日。台北松山空港。

「いや~、懐かしい。台湾には久しぶりに来ました。ここも少し変りましたな」
「先生! 懐かしがっている場合ではないでしょう! 一刻も早くお父さんの病院に行かないと!!」
「まあまあ、落ち着きなさい、蔵臼さん。若者はすぐに焦っていけない。人生もっとゆとりを持って歩まないと」
「そんなこと言っている場合じゃないでしょう! 今は非常時なんですよ!!」
「ああ、金蔵さんのことならご心配なく。命に別条はないと連絡がありました」
「はあ!? 昨日の話では脳挫傷で危篤と言っていたじゃないですか!!」
「いやはや、人間の生命力にはいつも驚かされます。人体の神秘ですな」
「たった一日でそんなに良くなるわけがないでしょう! 大体そんな連絡いつあったんですか!! ずっと私と行動していたのに、そんな電話はなかったじゃないですか!!」
「まあまあ、細かいことは気にしないほうがいいですぞ。ほら、コーヒーでも飲んで落ち着いてください」
「アンタは落ち着きすぎだ!!」
 南條の異様なまでの落ち着きぶりに蔵臼は苛立つ。そこに……。
「おや、南條先生。なんという偶然でしょう」
「これは熊沢さん、奇遇ですな」
「えっ!!?」
 偶然にもその場に現れた熊沢に蔵臼は驚く。そして……。
「あ……」
「え?」
 熊沢と共にこの場に来た人物。それは、昨日のうちに六軒島を離れたはずの夏妃であった。



「さあ蔵臼さん、もうひとふんばりです。向こうにある店まで行ったら休憩しましょう」
「ほほほ、頑張って下さい」
 涼しい顔をして話しかける二人に、蔵臼はますますイライラする。全く、なぜ自分はこんなことをしているのか?
 今思えば不自然なことばかりだった。金蔵の急な事故。不自然なまでの準備の良さ。気が付けるチャンスはあったはずだが、気が動転して南條の言葉を鵜呑みしてしまった。結局、自分も夏妃も2人の策略にはまり、こんな所にまで連れて来られてしまった……。自分の未熟さに蔵臼はため息をつく。
「さあ皆さん、ここで少し休憩しましょうか」
 南條はここで小休止しようと提案する。そこに熊沢は声を掛けた。
「南條先生、私と夏妃さまはあちらの店でお休みします。さあ夏妃さま、何かおいしいものでも飲みましょう」
 熊沢は夏妃を連れて反対側の店へと入って行った。
「ふむ、では蔵臼さん。私たちはこちらの店でお休みしましょう」
「…………ええ、そうですね」
 露骨に不機嫌そうな顔をして、蔵臼は南條と共に店内へと入った。

「え~、それじゃあ小籠包を頼みましょうか。蔵臼さんも同じものでよろしいかな?」
「ええ、かまいません」
 南條は店員を呼びつけ、片言の北京語で小籠包を注文する。
「いやはや、お疲れ様でした蔵臼さん。どうです? 蔵臼さんもお一つ」
 そう言って南條はおもむろにビンロウを取り出す。
「頂きます」
「食べ方は分かりますかな? 飲み込んではいけませんぞ、胃を痛めますからな」
「ええ、大丈夫です」
 そう言い、2人はビンロウを口に放り込む。
「懐かしいですな。昔はよく金蔵さんとチェスをしながら噛んだものです」
「チェスをしながらですか? 何だかおかしな感じですね」
「これを噛むと頭が冴えてくるんですよ。まあ、あまり噛みすぎるとクラクラしますが」
「こいつはよく親父殿が取り寄せていましたからね。最近ではあまりやってはいないようですが、昔はしょっちゅう噛んでいましたよ」
「きっと、昔を懐かしがっているんでしょう。子どもの頃が一番楽しかったと言っていましたからな」
「親父殿にとって、台湾にいた頃が一番幸せだったのでしょう。内地にて来てからの日々は地獄のようだったとこぼしていましたから」
 そんな風に2人は金蔵の昔話をしながらビンロウを愉しむ。しばらくの間雑談をしていたが、やがて2人は噛み終えたビンロウを手元の皿に吐き出した。口元についたビンロウ独特の真っ赤な液体を拭いながら、南條は少し真面目な顔をして蔵臼に話しかける。
「ところで蔵臼さん、あなたに話しておきたいことがあります」
 そんな南條の表情を見て蔵臼も姿勢を正す。
「はい、なんでしょう?」
 蔵臼が話を聞く態度を確認した南條は、少し間をおいてから口を開いた。
「実は、金蔵さんが事故にあったというのは嘘なんです」


「分かっていますそんなことは!」


 今さら分かりきったことを言われ、蔵臼は拍子抜けする。
「おや? 気付いていましたか。さすがは蔵臼さん」
「…………ここまで来れば誰だって気付きます…………。先生が言いたいことはそんなことではないでしょう?」
「うむ、そういうことです。本当によろしいのですかな? 今のまま夏妃さんと別れるなど」
「…………はい。すでに申し上げたよう、この結婚自体、私達が望んだものではありません。上手くいくはずがなかった」
「しかし、形だけとはいえ夫婦になったのでしょう? もっとお互いを理解するよう努力するべきでは? それに、どんな理由があろうと妻に手を上げるなど、男としてあってはならんことです。まずはそれを謝らなければ、何も始まりませんぞ」
「…………例え謝ったところで、彼女は許してくれませんよ。彼女は私と冬花が恋人同士だと思っているのですから」
「…………ふむ。聞いた限りでは、そこから話がこじれてきたようですな」
「ええ、彼女は私と冬花が男女の中ではないかと疑っています。どうしたらそんな馬鹿な想像を抱くのか……。あの時は思わず私もカッとしてしまいました」
「しかし、蔵臼さんの冬花さんへの接し方を見れば、そう誤解してもおかしくはありませんがな」
「南條先生まで何を言い出すんですか。馬鹿なことは言わないでください」
「ですが、蔵臼さんは他の使用人に比べ、冬花さんとは特に親しくしているようですが? 冬花さんも蔵臼さんには、様ではなく、さんと呼んでいるじゃないですか」
「…………それは、冬花とは長い付き合いですし、他人行儀な呼ばれ方は私も望んでいません。だから彼女が私をどう呼ぼうと、私はそれを直させるつもりもありません」
「つまり、蔵臼さんにとって、冬花さんは他の使用人の方々よりも特別も存在というわけですな?」
「………………それは…………」
 南條にそう聞かれ、蔵臼は思わず口を噤む。あまり意識したことはないが、そう言われると確かに自分にとって冬花は特別な存在には違いなかった。それは、あの日夏妃に問い詰められた時にも感じたことだ。そう思うと夏妃が蔵臼と冬花の仲を勘ぐるのも、考えられなくはなかった。だが、自分の冬花に対するそれは、あくまで友人としてのものだ。男女の仲のそれとは断じて違う。
「確かに冬花が私にとって大切な存在であることは認めます。しかし、私と彼女の仲は人目を憚るようなものでは決してありません」
「…………ふむ。その言葉に嘘偽りはありませんな」
「ありません」
 南條の質問に蔵臼は即答する。
「うむ、まあそうでしょうな。私もあなた方の仲を本気で疑ったわけではありません。ただ、私の目から見ても冬花さんのあなたの対する視線は、単なる友情以上のものを感じますが?」
「まさか。先生の考え過ぎですよ」
 蔵臼のその態度に南條はため息をつく。
「…………はあ。夏妃さんも苦労しそうですな……」
「何か?」
「いえ、何でもありません。とにかく、蔵臼さんは冬花さんとやましいことは何もないのですから、あとは蔵臼さんの気持ち次第でしょう。蔵臼さんは正直の所、夏妃さんをどう思っているのですか?」
「……………………」
 そう問われ、蔵臼は沈黙する。自分は夏妃をどう思っているのか?
「………………正直言って、好きになれません。私なりに彼女を理解しようとしましたが、未だによく分かりません。出会って間もないですから知らないことが多すぎますし、彼女のヒステリックな態度に苛立つ時もあります。単に親が持って来た縁談に泥を塗るまいと考えている自分がいることも否定できません……」
「…………ふむ。いきなり縁談を持ちかけられて、すぐ受け入れろと言うのが無理かもしれませんな。しかし、お互いを良く知らないまま、縁を切るのも性急な気がします。この旅を通じて、互いを良く知ってから考えても遅くはないと思いますぞ」
「………………はあ」
 南條にそう諭され、蔵臼は一応頷いてみた。しかし、今さらどう夏妃と和解するのか? 蔵臼は自分の内にそんなわだかまりがあるのを感じた…………。

 その頃、熊沢と夏妃は……。
「さあさあ夏妃さま、喉も渇きましたから一息いれましょう。何がいいでしょうねえ?」
「……何でも結構です」
「そうですか? それじゃあ……、と言っても私じゃ読めませんねえ……。え~と……、あ、これなら読めます。すいません、烏龍茶を二つ」
 熊沢は身振り手振りで店員に烏龍茶を注文する。しばらくすると、店員が淹れたての烏龍茶を持ってきた。
「さあさあ夏妃さま、疲れたでしょう。どうぞ飲んでゆっくりして下さい」
 疲れたのは誰のせいだとも思ったが、夏妃は敢えて流す。もう熊沢のペースに逆らうのも面倒くさくなった彼女は出されたお茶を飲むことにした。お茶を飲もうと口に近付けた瞬間、茶葉の良い香りが鼻腔をくすぐる。
「……良い香り」
「ほほほ。台湾ではお茶は味以上に香りを楽しむものですからね。さあ、香りを楽しんだら今度は味も楽しんでみてください」
 香りを十分に満喫した夏妃は、お茶を口に含む。その瞬間、口の中に茶葉の香りと味が口いっぱいに広がった。
「おいしいです。生き返ります」
 口に含んだお茶のおいしさに、夏妃は素直な感想を口にする。
「で、ございましょう? 台湾のお茶は味も香りも非常に良いですからねえ。さあ、もう一杯いかがです?」
「いただきます」
 しばらくの間、2人は台湾茶を心ゆくまで楽しんだ。

 お茶を飲み、点心を味わった夏妃は息をつく。台湾に来てからというもの、ずっと南條と熊沢の2人に振り回されていた夏妃にとっては、初めて一息つくことができた。無理矢理連れて来られたことを除けば、こういうのも悪くないかなと思う。
 やがて熊沢もお茶を飲み終え、茶器を置く。そして、しばらく間を置くと熊沢は緊張した面持ちで夏妃に話しかける。
「……時に夏妃さま。私はあなたさまに謝らなければならないことがございます」
「……なんでしょう?」
 そんな熊沢の表情を見て、夏妃も少し緊張する。
「お館様が台湾で事故に遭われたこと。これは真っ赤な嘘でございます」


「分かっていますそんなことは!」


 今さらそんなことを口にする熊沢に夏妃は呆れた。
「おや? 気付いておりましたか。流石は夏妃さま」
「……ここまで来れば誰だって気付きます。第一、私はもう右代宮家との縁は切るつもりでいました。今さらあの方が事故に遭おうと、私には何の関係もありません……。それを、無理やりこんな所にまで連れて来て……」
「ほほほ。ああでもしなければ、本当に島を出て行きかねない雰囲気でしたからね」
「……もういいです。それより、いつまでこんなことを続けるつもりですか?」
「そう邪険にしないでください、夏妃さま。確かにこれは御二人の問題です。しかし、結婚というものは御二人だけでなく、それに関わる双方の家の問題でもあるのです。事を急ぐより、もう少し慎重に考えてもよろしいと思いますよ?」
「……それは、私も重々承知しています。この家に嫁ぐことが決まった時から、家を捨てる覚悟はありました。……でも、蔵臼さんは…………」
「……蔵臼さまと冬花さんが、恋仲だと……?」
「…………あの人は、私よりも冬花さんの方が大切なんです。他の使用人の方々と比べ、蔵臼さんが冬花さんに接する態度は明らかに違います。私というものがいながら、他の女性にあんな態度をとられるなんて、私には我慢なりません!」
 蔵臼の冬花に対する接し方が他の使用人と違うと夏妃は憤慨する。そんな夏妃の態度を見て、熊沢も頷く。
「そうでしょうねえ。蔵臼さまにとって、冬花さんは他の使用人とは一線を画す存在でしょう」
「やっぱりそうじゃないですか」
「私は冬花さんが六軒島に来た時から、彼女のことを見ておりました。そして、彼女に対し蔵臼さまがどう接していたかも。確かに蔵臼さまにとって、冬花さんは大切な人です。しかし、それは男女の関係のそれとは少々違います」
「…………どう違うと言うんですか?」
「少なくとも、蔵臼さまは冬花さんを女性と意識して接しているわけではありません。姉弟のようなものでしょうか?」
「……姉弟?」
「はい。昔から蔵臼さまは長男として、お館様の期待を一身に受けておりました。しかし、それは同時にお館様から厳しい教育を受けなければならないということ。蔵臼さまにとって、それがどれほどつらいものだったかは想像に難くないでしょう。他の御兄弟との仲が決して良いとは言えない蔵臼さまにとって、冬花さんは唯一心を許すことができた存在でしょう」
「………………」
「蔵臼さまにとって、気心の知れた冬花さんは恋人と言うより、御姉弟と呼んだ方が合っていると思います。夏妃さまが心配されるような関係ではありませんよ」
「……本当でしょうか?」
「もちろんです。蔵臼さまが女性と意識して接しているのは夏妃さまだけですよ。夏妃さまもあまり深く考えすぎないほうが良いと思います」
「……少し釈然とはしませんが、蔵臼さんは私を妻として見ているのですね?」
「それは間違いございません。まだ互いを良く知らぬ、駆け出しの夫婦ではございますが、伴侶しては見ております」
「………………そうですか」
 まだ釈然とはしないが、蔵臼は自分を妻としては見ている。熊沢のその言葉を聞いて、夏妃は一応の納得はできた。しかし、それでも夏妃の頭には、あの使用人の顔がよぎる……。熊沢の言っていることは嘘ではないだろう。蔵臼が冬花に対し持っている感情は、姉弟のようなものだと思う。しかし、冬花が蔵臼に対して抱いている感情はもっと別の…………。
 あの人と蔵臼は、一体どんな関係なのか……? そんな疑念が、夏妃の心には渦巻いていた…………。



 その夜、4人は近くのホテルに宿をとった。南條と熊沢は一緒に食事をしてはどうかと2人を誘ったが、顔を合わせづらいと言い、結局別々に食事をとった。食事を終えた蔵臼は、一人で自室のベッドで横になる。
「……南條先生も簡単に言ってくれる。互いを良く知れ……、か……。それができたら苦労はしない……」
 半ば強引にこんな所に連れて来られたが、良い考えなど浮かばない。あんなことがあったのに、今さらどう互いを知れと言うのか? もう考えるのも億劫だった。
「…………疲れた」
 一日、南條と熊沢の観光に連れまわされ、クタクタだった蔵臼に睡魔が襲ってきた。思考するのも面倒だった蔵臼は、そのまま何の抵抗もせず、深い眠りに就いていった…………。

 翌日。疲労の為、いつもより深く寝入っていた蔵臼は少し寝過ごした。時刻は8時。すでに朝食の時間は始まっている。蔵臼は急いで食堂に降りた。
 皆、食事を始めていると思ったが食堂には誰もいない。すでに食事を終えたのだろうか? 蔵臼は疑問を抱きながらも、席に着こうした。その時……。
『右代宮蔵臼さまですか?』
 後ろから従業員に声を掛けられ蔵臼は振り向く。
『はい、そうですが?』
 流暢な北京語で蔵臼は応える。
『南條輝政さまから手紙を預かっています』
「南條先生から?」
 蔵臼は従業員から手紙を受け取る。嫌な予感がして、蔵臼はすぐにその封を開けた。

『蔵臼さん 夏妃さんへ

 この手紙を読んでいる頃には、私と熊沢さんはすでに空港へ向かっている頃でしょう。
 あなた方を強引に連れて来て、途中で姿を消すことについては謝罪します。
 しかし、今のあなた方はこうでもしないと旅行になど行かなかったでしょう。
 私と熊沢さんが言いたいことは、すでに昨日お二人には伝えました。
 後のことは御二人が決めることです。この先は若い2人にまかせます。
 この旅が御二人にとって良いものになるよう祈っています。

                       南條輝政 熊沢チヨ 

 追伸
 荷物を持って頂きありがとうございました。一足先に島に戻っておいしく頂きます』



「……………………………………」
 思わず手紙を握りつぶす。蔵臼はこめかみに手を当てつつ、眉間にしわを寄せる。最初から最後まで、あの2人のペースだった。全く、強引にもほどがある。今すぐ文句を言いたいところだが、この場にいないのではしょうがない。
「……本当に。何を考えているんだ、あの人達は……」
 蔵臼はため息をつく。とはいえ、ここまで誰かの為に面倒を見てくれる人もそうはいないだろう。少々煩わしく感じるが、多少はあの2人に感謝もしよう。
「……さあて、どうしたのものか……?」
 ここまでお膳立てしてもらって、すぐ帰国するのも申し訳がない。2人の面目を保つため、形だけでも新婚旅行を続けてみるか…………。



 この時から、2人の新婚旅行が始まった。





六軒島の花嫁

「第九話 新婚旅行開始」




 続く




2010.11.06 Sat l うみねこ l コメント (0) トラックバック (0) l top

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